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63 狂宴

 ◇ :一人称視点への切替or場面転換(一人称継続)

◇◇◇:三人称視点への切替or場面転換(三人称継続)




    ◇◇◇




(ひーちゃん……?)


 イゾルダの氷魔法を何とかいなし続け、反撃の機会を伺っていたシズクは異様な光景を目にする。

 杖を敵に突き付けたまま静止するヒバナ。

 彼女はすぐ目の前に敵がいるにも関わらず、ゆっくりと杖を下ろすと、敵に背を向けてシズクがいる方向へと歩いてくる。

 そしてその後ろに引っ付くように続いているのは敵である傀儡帝ヴィヴェカだ。

 気付けば氷血帝イゾルダも攻撃を止め、そんな彼女たちを見ている。


(そんな……まさか……)


 シズクの勘が警鐘を鳴らし、冷汗が額から流れ落ちる。


「お待たせぇ、オバサン」

「いつまでも待たせるんじゃないわよ、ガキンチョ」


 イゾルダの隣に並び立つような形で立ち止まったヴィヴェカのすぐそばには、やはりヒバナの姿もある。


「ひーちゃんに……何をしたの……!」


 呼吸が浅くなる中、何とか声を絞り出すシズクは精一杯の意志を込めてヴィヴェカを睨みつける。


「睨まれてるぅ……おねーさん……ヴィヴェカちゃん、こわぁい」


 か弱くも怯える表情を浮かべる少女の左手の5本指が僅かに動く。

 するとヒバナが動いて、敵である彼女を優しく抱きしめた。

 そんな片割れの姿にシズクはショックを受けるとともに激しい怒りを抱く。


「傀儡帝っ……!」


 そこでシズクはある1つの答えに達した。

 四邪帝である彼女が“傀儡帝”と呼ばれる所以……それは生きている相手すらも操り人形として使役することができるからだと。


「わぁいありがとぉ……はい、静かなのもつまんないし首から上は返してあげるね」


 ヒバナの抱擁を受け入れていたヴィヴェカであったが、突如飽きたかのように彼女の体を突き飛ばした。


「……ッ、ハッ……ハッ……し、シズ!」


 突き飛ばされたヒバナは顔をシズクの方に向け、悲痛な表情を浮かべる。

 その顔には微かに怯えまで滲んでいる。


「ひーちゃんっ!」


 その声に喜びを滲ませるシズクであったが、すぐに状況が何も変わっていないことを悟って苦い表情を浮かべる。


「シズ! 体が動かせないの……魔力もっ!」

「大丈夫だから! 絶対に何とかするからっ!」


 泣き出しそうなヒバナに励ましの言葉を掛けるシズク。

 だがその表情はどこまでも苦しそうだ。


(ひーちゃんは人質……なら敵の目的は1対2の状況を作り出すこと? でも、もしこの最悪な想像が現実なら……)


 ヒバナは体を動かせないと言った。そして魔力も。

 もし今のように体の主導権がヒバナではなく傀儡帝にあるのだとしたら、事態は1対2どころではない最悪の物へと変わる。


「おねーさんたちのお互いを信頼し合ってる感じ……ヴィヴェカちゃん大好きだなぁ。そんな2人が殺し合うことになったら……どんなに素敵なんだろ」


 恍惚とした表情を浮かべるヴィヴィカの言葉を聞いたヒバナとシズクが小さく息を漏らす。


「ねぇ、これでそいつはおしまいよね? なら遊んでないでさっさと殺しなさいよ」

「っ」


 冷めた目で2人を見下ろすイゾルダは腕をヒバナの側頭部へ向け、その指先に氷柱を生成する。

 だがまるで怯えるヒバナを庇うかのようにヴィヴェカがイゾルダを睨みつけ、大鎌を突き付けた。


「は? ヴィヴェカちゃんのおもちゃに手を出すつもりなの?」

「そいつは精霊よ。確実に仕留められる状態の相手を前にして殺さないつもり?」

「ヴィヴェカちゃんは昔からこのやり方で遊んできたの。この前、大精霊2体を仕留めたのは誰だと思う?」

「チッ、雑魚(がらくた)の分際でッ……!」

「キャハハハハ、余裕なさすぎぃ。そんなんだから能力はあるのに“運命のヒト”っていうのも捕まえられないんだよぉ。水の大精霊もみすみす逃しちゃったオバサン?」


 鬼の形相となったイゾルダは八つ当たりをするかのように矛先をシズクへと変え、大量の氷魔法を放出する。


「だから……遊びの邪魔すんなって」


 イゾルダが氷魔法を放った瞬間、それらの魔法に杖を向けた人物がいた。

 操られた彼女の杖から放たれた火魔法は瞬く間に氷魔法を一掃し、シズクを魔の手から救い出す。


「ヴィヴェカ……アンタ……!」

「引っ込んでてくれるかなぁ? もしこれ以上ヴィヴェカちゃんの楽しみを邪魔するつもりなら、まずはオバサンを潰すよ? このお人形の力も使えばヴィヴェカちゃんでも潰せそうだし……そうなったら、あっちのおねーさんも協力してくれそうだしね」


 挑発され、射殺すような視線を向けるイゾルダは歯噛みする。

 絶望の渦中にいるシズクとしても、仲間割れを起こしているこの状況は悪くはない。

 少なくとも1対3にならず、氷血帝を潰せるというのならそれに乗らない手はなかった。


「……好きになさい」


 苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべたイゾルダはそう吐き捨てるようにして、後ろへと下がろうとする。


「脚、痛そうだねぇ。ヨタヨタ歩きなんかしちゃって、オバサンからオバアサンにランクアップかな?」

「黙んなさい!」


 左脚を庇うようにしてぎこちなく歩くイゾルダをヴィヴェカが揶揄う。

 それをどこか冷静な目で観察していたシズクは、支配されているヒバナへの対処方法を考えつつ、しっかりと自分の頭に記憶した。


「さてと……お待たせ、おねーさん。待ちくたびれたよね、ヴィヴェカちゃんもずっとずーっと、この瞬間を待ち焦がれて……ホント待ち遠しくてたまんなかったよぉ」


 自分の前に立たせた“お人形”の背中に手を当てるヴィヴェカにシズクは視線と言葉を、ヒバナは言葉だけで反抗を示す。


「勝手なことを……!」

「待ってなんているわけない……!」


 だがこの瞬間を楽しみにしていた者にとって、彼女たちの言葉は喜びを助長するスパイスにしかならない。


「だよねぇ! 嫌だよねぇ! でもどんなに嫌でも、どんなに愛している相手でもっ! これからその手でいたぶって殺さないといけないんだよぉ!」

「あんた、ホント最低……っ!」


 狂気的な笑みで顔を歪め、まさしく性根が腐りきっていると言ってもいい悪しき存在をヒバナは罵った。


「キャハハハハ、おねーさんもこれから大切な人を手に掛けて最低になってね? そっちの青いおねーさんも、お人形になっていないからって逃げちゃ駄目だよ? そんなことしたらこっちのおねーさんの魔力、暴走させて……バーンって破裂させちゃうから」


 そう言うとヴィヴェカは左の5本指を小刻みに動かす。

 するとヒバナの右腕が持ち上がってその杖先をまっすぐシズクへと向ける。


「シズっ!」

「こう見えてもヴィヴェカちゃんって研究者気質でさぁ……その魔導書、よぉく見せてね。ふむふむ……へぇ、色々考えているんだ」


 ヒバナの左手に乗っている烈火の魔導書を覗き込み、ヴィヴィカはその中身を吟味する。


「まずは……そうだね。【ブレイズ・ショット】」

「ッ……【アビス・ショット】!」


 数発の弾丸が鏡写しのように衝突しあい、相殺される。


「キャハ、すごいスキルだねぇ。こうすると効果が上がるんだぁ」

「――ッ!」


 眷属スキルさえも支配下に置かれている今、彼女にはスキルの影響が手に取るように理解できるのだ。


「青いおねーさんはどんなスキルなのかなぁ? あるんだよね、おんなじようなスキル」


 ヴィヴェカの問い掛けにシズクは貝のように口を噤んだままだ。

 そしてそれを問い掛けた本人は気にする素振りを見せない。


「別に何でもいいんだけどさ。それを少しずつ解明するのが楽しみでもあるし」


 その言葉にシズクは表情を険しくする。


(霊器の性質はバレてないけど……ひーちゃんの《クレッシェンド》があたしに届かないなら、このまま消耗し続けるだけだ)


 彼女たちの霊器が持つ“共鳴”の性質を使えば、互いにスキルの恩恵を共有できるが、現状でそれは不可能と言っていい。


(不用意に攻撃できない以上、あたしの《アッチェレランド》でどこまで対抗できるか……どうにか傀儡帝だけを攻撃しないと)


 下手にヒバナを攻撃することなどできず、操られた彼女からの魔法を迎撃する以上のことは難しいというのが現実だ。

 それでもなんとか、傀儡帝だけを倒すのがヒバナを解放する唯一の方法だった。

 しかし、その方法もヒバナと傀儡帝の距離が近すぎるために難しい。


(アイツは油断しきってる。でも何度もチャンスがあるわけじゃない。《アッチェレランド》の効果が高まった瞬間に起死回生の一撃を決めるんだ)


 徐々に威力を増していくヒバナの魔法に対する苦しい表情の裏で、シズクの冷静な部分が策を講じ続ける。


「――うーん、この魔法も飽きてきたなぁ。もっと面白い魔法はっと……」

「もうやめてよ、こんなこと……この魔導書はあの子がくれて……シズと一緒に書いたもので……決して家族を傷つけるために書いたんじゃないっ!」


 ヒバナには常に火魔法を行使させ、自分は彼女の魔導書を覗き込むヴィヴェカ。

 ヒバナの表情は既に泣き出しそうなものだった。だがその想いとは裏腹に、決して攻撃の手が緩むことはない。


「うんうん、分かる分かる。だから楽しいんだよねぇ。大切なモノの為に作ったもので大切なモノを壊させるのってさ」

「最低っ」


 罵倒すら気に掛けず、その言葉で時折笑い声を漏らしながら次々と魔導書を捲らせる。


「赤いおねーさんはいい感じだけど、青いおねーさんからは悲鳴が足りないなぁ……んー……これかなぁ?」


 ニヤリと口元を歪めたヴィヴェカはヒバナの魔力を操作した。


「【ブレイズ・サークル】」


 シズクの周囲で炎が円陣を描く。


「【ブレイズ・レイン】」


 フォルティアの先端から炎弾が打ち上げられる。

 それをただ見送ることはせず、シズクはスキルで術式の構築速度が上昇した水魔法で迎撃を始める。


「ん? ……【ブレイズ・ボム】」


 一瞬、表情が抜け落ちたヴィヴェカは次に巨大な炎の塊を撃ち出させる。

 だがそれも空に打ち上げられた魔法の迎撃を終えたシズクによって打ち消される。


「速いねぇ。それがおねーさんのスキルなんだ。さっすが双子、系統的にもそっくり」


 バレた、とシズクは密かに眉を顰めた。


(今しかない!)


 最適なタイミングとは言えないがスキルがバレた以上、シズクは動かざるを得なかった。


「【アビス・ピアース】」


 ごく短時間で構築した術式がヴィヴェカの足元へとピンポイントに現れる。


「ヤバっ!?」


 彼女は目を見開いた。

 しかし、不意の攻撃を知覚できたものの対処するには到底、間に合うものではない。


「――バカねぇ」


 だがそれはこの場にいたもう1体の邪族(ベーゼニッシュ)によって妨害される。

 傀儡帝の股下から貫かんとしていた水魔法はその寸前で凍りついてしまったのだ。


「油断するのも大概になさい。アンタの遊びに唯々付き合ってくれているとでも思っていたの?」

「……チッ、やってくれるねぇ……おねーさん。ヴィヴェカちゃん、今のはホント焦っちゃったよぉ」


 不機嫌さを隠そうとせず、シズクを恨めしそうに睨みつける。


「イラつくよね、おもちゃが反抗してくるとかさ」

「あたしもひーちゃんも、あなたが好き勝手に弄んでいいおもちゃなんかじゃないっ」

「口答えとか……鬱陶しいんだよッ!」


 もはや魔法の体を成していない炎の暴流が正面からシズクに襲い掛かってきたかと思うと、不意に背後からもそれと同様の炎が現れ、シズクを呑み込まんとしていた。


「【アビス・スフィア】!」


 どう足掻いても迎撃は間に合わないと判断したシズクは、自分の周囲に水の防壁を展開する。


「【ペネトレーション・ブレイズ・バスター】」


 だが迸る火炎流が防壁ごとシズクを貫こうとする。


「いやっ、シズぅぅっ!」


 ヒバナの悲鳴が響き渡る中、防壁の中から迫る炎を見つめていたシズクが己の杖に意識を集中させた。

 すると不思議なことに火炎流は軌道を逸らして、明後日の方向へと飛んでいく。


「は……だったらこれは? 【ヴァリアブル・ブレイズ・キャノン】」


 さらに威力と弾速を高めた数発の炎弾をヒバナに撃ち出させたが、やはりそれら全てが逸れていってしまう。


「何やってんのよ、ガキンチョ。遊びのつもり?」

「違うよ……でも何で制御が。魔力系統まで完全に掌握しているから抵抗できるはずがないのに……」


 ヴィヴェカはヒバナを通して彼女の魔力を操っているのだが、何故かその操作が妨害されていると感じていた。

 彼女の思考が凄まじい勢いで回転していく。


「……ああ、そういうこと。わかっちゃったぁ、青いおねーさんがその杖を通して外部から働きかけることで邪魔してるんだ。カラクリさえわかっちゃえば……ううん、むしろこっちから」


 口角を上げたヴィヴェカはヒバナを通して、さらに彼女の霊器“フォルティア”へと働きかける。

 するとシズクを守っていた防壁が歪み、崩壊を始める。


「はい、せいかーい。仕方なかったとはいえ、おねーさんたちの杖が繋がっていることを晒すのは失敗だったねぇ。これでおねーさんも自由に魔法が使えなくなっちゃったけど……どうする?」


 このことを危惧したために隠し通そうとしていた《共鳴》の力が露見し、圧倒的な不利を再び突き付けられたシズクは杖を握り込むことしかできない。

 それでも何か方法はないかと思考を続けることは止めない。


「ねぇ、つまらないことやってないでさっさと終わらせてくれる?」

「……そうだね。オバサンの言いなりになるのは勘弁だけど、そっちの青いおねーさんはホントつまんない。さっさと消して、このお人形と一緒に他の奴らを殺しに行こっかな」


 その言葉にヒバナとシズクは同時に目を見開いた。


(どうして私は……こんな時に何もできないでっ……!)


 いいように自分の力を利用されているヒバナは嘆く。


(何か考えないと、何かあるはずなのに……何か、何かが……)


 必死に考えるが焦るばかりで何も思い浮かばないシズクの心にも次第に絶望が募る。


「はい、もう使わないおもちゃはお片付けしないとね」


 左手の指を動かしながら、ヒバナの中にある大量の魔力を動員して魔法術式を構築させる。

 それは彼女の持つ最大の魔法が放たれる合図だった。


「キャハハハ、抵抗しても苦しいだけだよ」

「アーハッハッハッハ、もう終わりね。この場所がアンタの運命の終着点なのよ」


 最愛の家族の手によって消滅する。最愛の家族をその手で消滅させる。

 絶望の淵に沈んでいく両者は心の中でただ求める。


(……助けて)


 自分たちを照らす輝きを。


「――諦めないで、姉さん!」


 この場にいる誰もが信じられないといった様子で、声がする方向へと顔を向けた。

 そんな中、真っ先に動いたのはイゾルダだ。

 彼女は大量の氷柱を生成すると、この場に現れた新たな役者に向かって解き放つ。

 だがそれらは全て月の輝きを宿した一振りの刀と、投擲された黒いナイフによって凌がれる。


「アンヤ! 危ないっ!」


 その役者――アンヤに狙いを定めていたヒバナが警告の声を上げる。


「【ブレイズ・ショット】!」

「させないっ! 【マルチプル・アビス・バレット】!」


 スキルによって威力を増している複数の炎弾をその倍以上の水弾が打ち消す。


「アンヤちゃん!」


 跳躍したアンヤが左手に持った3本のナイフを投擲する。

 そのうちの2本は傀儡帝ヴィヴェカの頭上へと向かったが、彼女の持った大鎌の1振りによって弾き飛ばされる。


「しまったっ!?」


 だがヴィヴェカが焦りの表情を浮かべるのには理由があった。

 残り1本のナイフ、それが彼女の左手と彼女の支配下にあるヒバナの丁度中間点に向かっていたのだ。

 そしてそのナイフは――何事もなく地面へと突き刺さった。

 地上に降り立ったアンヤはシズクに背を向け、邪族(ベーゼニッシュ)たちと相対する。


「――ぷっ」


 口元を歪めて、息を吹き出したヴィヴェカは肩を震わせている。


「キャハハハハハ、なんちゃってぇ。ヴィヴェカちゃんとこのお人形が糸で繋がっているとでも思ってたぁ? ざんねぇん、ここをいくら切っても糸なんか切れませぇん」


 自分とヒバナの間を大鎌の刃でなぞりながら、耳障りな笑い声を響かせている邪族(ベーゼニッシュ)をアンヤは睨みつける。


「まさか、アンタがアタシたちに刃を向けるなんて……それにどうやってカーオスの結界を抜けてきたというのかしら?」


 アンヤは一瞬、イゾルダへと目を向けるがすぐにヒバナたちに視線を戻す。

 そしてその(まなこ)に淡い輝きを灯した。


「……そう、そういうこと」

「返答になっていなくてよ」


 何かに納得したアンヤはイゾルダを無視し、もう1体の邪族(ベーゼニッシュ)へ向かって駆け出した。

 それには敵である彼女たちも眉を顰めた。


「おっと、裏切り者の白黒おねーさん! あんまり変なことはしないでね。こっちはこの子の魔力を暴走させることもできるんだから」

「ッ!」


 その言葉を聞いたアンヤは立ち止まらざるを得なかった。彼女の言葉が嘘ではないとその目には視えていたからだ。


「いいわ、アンヤ……やって!」

「えっ……!?」

「何を見たか分からないけど、やれるって思ったんでしょう? だったら私はそれを信じるから!」


 覚悟を決めた表情のヒバナがアンヤの背中を押す。

 そして駆け寄ってきていたシズクも妹へと檄を飛ばす。


「そうだよ、アンヤちゃん。あたしたちのことも信じてっ!」

「茶番を――」

「させない!」


 動こうとしたイゾルダに先制する形で、シズクが水柱を彼女の周囲へ生成する。


「お願い!」

「……ええ!」


 駆け出したアンヤの手には霊器“月影”が握られている。

 まさかそのまま突撃してくるとは思っていなかったヴィヴェカは焦ったような表情を浮かべる。


「チッ、本気で暴走させるから! その選択を後悔させてあげるよ!」


 彼女はアンヤの目的が何か分かっているわけではない。だが迷いなく突き進んでくるアンヤの目にただならぬ気配を感じたのだ。

 傀儡帝ヴィヴェカは宣言通り、ヒバナの体内にある魔力を暴走させようとする。

 しかし――。


「何でッ!?」


 ヒバナの魔力はほぼ限界まで圧縮されているものの、一向に臨界点にまで到達する気配はない。


「ぁ……お前かァ!」


 憎しみのこもった目はシズクへと向く。

 その間にアンヤはすぐそばまで迫っていた。


「このッ!」


 大鎌を振るって迎撃するヴィヴェカだが、そんな大振りの攻撃ではアンヤを捉えることができない。

 そうして懐に飛び込んだアンヤは月影を下から上へと振り上げた。


「なっ、空間を!?」


 傀儡帝が他者を支配するためには、自身の指から放出されている特殊な糸を対象の体へと繋げる必要がある。

 万が一にもその糸が切断されないようにと、傀儡帝は空間魔法で作り出した異空間の中にその糸を隠していたのだが、アンヤの目は全てを見透かしていたのだ。

 空間魔法ごと糸を断ち切ったアンヤは振り返り、叫んだ。


「ヒバナ!」


 その声を背中で受けたヒバナは呟く。


「ありがと……アンヤ、シズ!」


 で勢いよく反転したヒバナは、手に持った霊器“フォルティア”を狼狽えている傀儡帝ヴィヴェカへと向ける。

 その先端には既に複雑な術式が構築されていた。


「へ――」


 あっという間の出来事に理解が追い付いていなかった邪族(ベーゼニッシュ)。彼女はその瞬間に間抜けな声を上げることしかできなかった。


「【ブレイズ・フェニックス】!」


 アンヤによって解放され、自由を取り戻した体。

 効果を増したヒバナの眷属スキル《クレッシェンド》、そして共鳴し合う双子の杖から伝わってくるシズクの眷属スキル《アッチェレランド》。

 最後に、敵の手によって限界まで圧縮されていた魔力。

 全てが合わさった結果が忌むべき邪悪を呑み込んだ。

 ヒバナがジッと睨みつける灼熱の炎の中からは、この世の物とは思えないほどの断末魔が響き渡る。


「――ヴィヴェカ……本当にバカなんだから……!」


 巨大な炎に照らされる結界内で氷血帝イゾルダはそう独り言ちた。


 やがて声も聞こえなくなり、未だ燃え続ける炎だけがその場に残る。


「……これで3対1」

「クッ……」


 シズクの影の中から現れたアンヤが、月影の切っ先を残された邪族(ベーゼニッシュ)へと向ける。

 それに対して、イゾルダは唯々苦しい表情を浮かべるだけだった。


「ううん、2対1だよ」

「え?」

「アンヤちゃんは他の子たちを助けに行って。月影の力があればあの結界も越えられるんだよね?」

「……でも」


 言い淀むアンヤにシズクが微笑みかける。


「あたしたちはもう大丈夫だから……助けに来てくれてありがとう、アンヤちゃん」

「……うん。絶対に無事でいて」


 影に潜り込んだアンヤの気配が消えても、依然としてシズクとイゾルダは睨み合っていた。


「精霊風情が……調子に乗って……!」


 苦しそうに歯軋りしているイゾルダはどう見ても強がっているようにしか見えない。

 形勢は逆転し、ヒバナと合流すれば2対1という状況なので、どう見ても圧倒的な優位に立っているように思えた――その時までは。


「――ハ、アハハ……運命はまだアタシに味方してくれるようね。どうやら1対2にはならないみたい」

「どうして……」


 シズクは驚いた表情で振り返り、未だ燃え盛っている炎に目を向けた。




 そしてヒバナもまた背後から聞こえてきた異音に振り返り、目の前の光景に目を見張っていた。


「アァ……!」


 彼女は炎の中から這い出るような人型を見た。


「まだ生きて……!?」


 だがそうではないとすぐに気付く。

 服が焼け落ちていることから覗くことができる体は、所々黒ずんで崩れ落ちていたり、溶けていたりとどう見ても生物の形相ではなかったのだ。


「違う……その姿、人形だったの……!?」


 起伏の少ない体に球体状の関節。それに焼け爛れているわけではない、溶けだした体。

 傀儡帝ヴィヴェカの正体――それは生きた人形そのものだった。


「こんナ顔……プーちゃんニ見せラレないダロォ……。お前ダ……オマエの肉体モ切り刻ンで、同ジ目に遭ワセてヤる……この――クソガキィィッ!」


 怨嗟をこれでもかというほどに押し込めた声の主をヒバナはジッと見据える。


「ひーちゃん、そっちは任せられるかな!」


 突如として、届けられたその声にヒバナは振り返ることなく答える。


「いいのね、シズ!」

「うん、そっちが終わるまではこっちもどうにか耐えてみせるよ。もしかしたらそれまでに倒しちゃうかもだけど」


 自信に満ちた彼女たちの声は、微塵も自分が負けることなど考えていないものだった。

 それを面白くなく思ったイゾルダは相対する相手を煽る。


「アンタ1人でアタシの氷魔法を凌ぎきる……それにあわよくば勝とうって? 水魔法しか使えないアンタ如きが」

「むしろできないと思う理由を教えてほしいな。それにね、勘違いしてるよ」


 煽る相手に対してもシズクは強気な態度を崩そうとはしない。


「あなたを倒すのは、あたしたちの力だよ。【アビス・スパイク】」

「グッ……!」


 瞬時に構築された術式から強力な水魔法がイゾルダの足元に現れ、その左足を貫く。


「脚が痛いんだっけ。動けなかったみたいだね」

「レーゲンもアンタも……! 調子に乗るなと言ったはずよ! こんなハンデ……氷と水じゃ覆せない絶対的な差があるのよ!」


 地面に膝を突いたイゾルダに対して、シズクは容赦なく霊器“フィデス”を向けた。


「だったら試してみようか、【アビス・プレッシャー】!」

「絶対的な運命に絶望なさい、【アブソリュート・デスティニー】!」


 イゾルダを半円状に囲み、その中心を圧し潰すように迫っていた大量の水は、彼女が周囲一帯に纏った冷気によって氷漬けにされる。


「【アビス・リヴァイアサン】」


 シズクは表情を変えることなく、巨大な氷のドームとなったその場所に目掛けて海竜を解き放った。

 2人分の眷属スキルによって放たれた海竜はさらに大きくなり、勢いも増している。

 だがそれもイゾルダが纏っている冷気によって、ドームに触れた直後に氷漬けにされてしまった。


「【アビス・リヴァイアサン】」


 それでも構わずにシズクはドームに向かって最大級の魔法を何度もぶつけていく。


「あたしじゃ制御能力は敵わないし、結局こんな力技になっちゃったな」


 海竜が凄まじい勢いで何度も衝突するため、周囲には轟音が鳴り響いていた。




(――バカなのかしら……それともただのやけっぱち?)


 ドームの中まで響いてくる衝撃音を聞き、イゾルダはほくそ笑む。

 相手の水魔法は決して届かない。それどころか全てがイゾルダの支配下に堕ちていく。


(リソースを割かせることでこっちの魔法制御の限界を狙っているのかもしれないけど、このイゾルダ様を舐めないでほしいわね)


 未だ制御能力に余裕があるイゾルダはこの後、憎き精霊をどのような手段で殺すかということに想像を膨らませる。


(どれだけ頑張ったとしても絶対に敵わないという現実に絶望させた後に――何?)


 轟音のさらに奥深く、意識を集中させれば僅かに聞こえる音に疑問を抱いた。

 そしてその正体に気付いた時には全てが遅かったのだ。


「な――」


 見開かれたその瞳には崩落してきた氷たちが映る。

 そしてそれが己の氷に圧し潰されるという形で、呆気ない終わりを迎えた氷血帝イゾルダの最後に見る光景となった。




 一方、ヒバナは大鎌を持った状態で辛うじて原型を保っている傀儡帝と対峙していた。


「誰かのことを許せないと思いながら戦うのなんて、あんたが初めてだわ」


 そう口にしたヒバナの戦闘スタイルはこれまでのものとは一変していた。

 霊器である杖を依然として右手に、左手には炎の剣を持っている。そして元々、左手に持っていた魔導書は彼女の周りに浮いているような形だ。

 大鎌を振り被りながら襲い掛かってくる傀儡帝に向かって、ヒバナは右手の杖から迎撃のための火魔法を放つ。

 だがそれは空間魔法で転移した相手に避けられてしまう。


「死ネェ!」


 頭上に現れた敵からの斬撃をヒバナは左手の剣で受け止め、振り払う。

 そして相手が着地する場所に向かって、先回りさせるように魔法の術式を構築していた。


「【ブレイズ・ツイスター】」


 耳をつんざくような叫び声に顔を顰めるヒバナだが、決して攻撃の手は緩めない。

 そこからさらに追撃として火魔法を撃ちこんだが、傀儡帝は放たれた魔法ごと転移する。


「このっ!」


 転移の影響で後ろから迫ってくる自らの魔法を新たに撃ち出した魔法で相殺したヒバナは、どこにも傀儡帝の姿がないことに気が付いた。

 だが日々、接近戦での特訓経験を積んできていたヒバナには何となく相手の狙いを察知することができている。


「私って――」


 再び振り返り、迫ってくる大鎌を炎の剣で受け止めた後に力づくで押し返したヒバナが笑う。


「――筋が良いってコウカねぇにも褒められるのよね!」


 短く持ち替えた彼女の杖からもまた炎の刃が生成されている。

 それを突き立てようと前に突き出すが、傀儡帝は身を捩じって回避した。

 しかしヒバナの左手に持った炎の剣による斬撃が再び襲い掛かり、大鎌を持った右腕の肘から先を斬り落とす。

 そして無防備になった胴体の中心へ、一度は刃を収めた右手の杖を突き付け、今度こそその杖から刃を放出することで抉るようにして突き立てた。


「【ブレイズ・ブレード】――オーバーヒート!」


 胴体に潜り込んだ刃が凄まじい熱を発しながら燃え盛る。

 その熱量によって内側から焼き尽くされたその人形は悶え――やがて完全に活動を停止した。


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