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51 過ぎ去りしもの

「まさか、ユウヒと一緒に料理することになるとは思わなかったわ」


 普段羽織っているローブの代わりにエプロンを付け、長い髪を1つにまとめながらヒバナが言葉を零した。


「私もだよ。シズクが原因を突き止めてくれなかったらもう一生料理しなかったかもしれないし」


 この世界に来てから味のなくなった私の料理。

 どうして味がなくなってしまうのか有耶無耶になっていたのだが、今日の大事なイベントについてヒバナと話し合っていた時、私の料理が無味になる原因についてポロッとシズクが零したのだ。

 結論から言うと、原因は私が持つ調和の力と大量の魔力だった。私の中の魔力量が急激に増えていったせいで無意識のうちに悪い形で調和の魔力が溢れ出してしまっていたらしい。

 さらにみんなに美味しいと言ってもらいたくて気合を入れすぎたのもそれを後押しした形だ。

 でも、魔力の扱いに慣れた今だったらもう大丈夫だというのがシズクの見解だった。実際、調理場の端を借りて作った簡易的な一品はしっかりと味がついていた。


「じゃあ、時間がないから早速進められるところまで進めてしまいましょう」

「うん。ノドカの誕生日ケーキ、今日こそは作り上げるよ」


 私たちが作ろうとしているものとは、何を隠そうノドカの誕生日ケーキだ。

 だが今日はあの子の誕生日というわけではない。あの子の誕生日は数日前に終わってしまっている。

 言い訳をするわけではないが最近は色々なことが起こりすぎて余裕が全く無く、日付すら気にしていなかった。そして気付いたのが昨日の夜だ。

 無意識なのか時折、視線がカレンダーに向かっているノドカが気付いていないはずがない。何も言わず、表情にも出さないが気にしていないはずもないのだ。

 幸いと言っていいのかは分からないが、ヒバナが材料一式を《ストレージ》の中に用意してくれていたおかげで今日、少し遅れてしまったがノドカの誕生日を祝う事ができる。

 しかしながら困ったこともある。それは多忙なタイムスケジュールだ。

 私たちはミンネ聖教国に急いで戻るようにも言われているため、今日はそのほとんどを移動に費やさなければならない。だからこうして移動の合間を見てケーキを用意しようとしているのだ。


「生地を焼くこと自体はダンゴと協力すれば移動しながらでもできるわ。だからこの時間でそこまでは辿り着けるようにしたい」

「そうだね。夜にはまた別に料理も用意しないといけないから、この時間で一気に進めちゃおう!」


 必要な食料も器材も全部ヒバナが用意してくれている。そこから必要な物を使ってヒバナと協力しながら生地を作り、それと並行して私はケーキのトッピングも用意していく。

 そうして作業を始めた直後にヒバナの手が止まり、何やら私の手元を凝視していた。


「わぁ……手際、いいのね」

「これでもケーキ作りはそこそこ経験があるからね」

「……昨日の料理もすごく美味しかったし、あなた相手に威張っていた自分が少し恥ずかしい……」


 ほんのりと顔を赤くするヒバナ。別に恥ずかしがる必要なんてないのに。


「私の方が少し経験が多いだけでヒバナだって十分凄いんだよ? 1年足らずで普通あんなにできるようにはならないって。それだけ努力してるってことなんだから、胸を張ったって恥ずかしがる必要はないでしょ?」

「……そうやって認められるのは素直に嬉しいわ」


 はにかんだヒバナが私を見上げてくる。


「ねぇ、時々でいいからこれからも一緒に料理しましょう? 裁縫みたいに料理もあなたから教わらせてほしい」

「教わるって……私はヒバナの味が好きなんだけどなぁ」


 それは紛れもない本心だった。

 自分以外が作ってくれたもののほうがおいしいと言うべきか、料理の腕の問題ではない。この子の料理を食べるとどこか安心するし、ノスタルジーに似た感覚すら覚えるときがある。

 いつの間にか、その味を心の拠り所にしているのかもしれない。


「っ……だったら一緒に作るだけでいいわ。あなたという目標が近くにいるともっと頑張れそうな気がするの。それに案外、こうやって並んで作るのも悪くないし」

「そういうことなら、喜んで」


 今日はやけに素直なヒバナに対して、親心というか老婆心のようなものが湧き上がってくる。


「あ、そうだ。私が前にいた世界にあってこっちにない料理、またいろいろと作ってあげるよ。気に入ったら、それをヒバナにも作ってほしいな」


 やはり故郷の料理が恋しくなることだってある。それをヒバナに作ってもらえたらどれほど素敵だろう、という思惑は前からあった。

 この提案をするとヒバナが嬉しそうにしたため、私は心の中でガッツポーズをとる。

 そうして談笑をしつつ手も動かしているとヒバナが今後に控えている2つのイベントについての話題を口にした。


「ノドカのケーキを作っている最中に言うことじゃないかもしれないけど、来月にはダンゴとアンヤの誕生日なのよね」

「そうだね」


 軽い感じで切り出してきたヒバナとは対照的に私の脳裏には一抹の不安が過っていた。世界中を、そして私たちを取り巻く状況は悪化の一途を辿っている。こんな束の間の幸せがなくなってしまうかもしれないのだ。

 ――いや、変な考えは止そう。少なくとも今考えることではないし、そんな不安を悟られるわけにもいかない。

 私は努めて明るい声を出す。


「ダンゴのケーキはどんなのにする? やっぱり大きさ重視かな?」

「あの子は大きかったら、さぞ喜ぶでしょうね。でもただ大きくするわけにもいかないのが悩みどころね」

「デコレーションとかトッピングも難しいだろうしね」


 こういうことをヒバナと話せるのが本当に楽しい。


「逆にアンヤは楽な方ね」

「そうだね。アレをいっぱい使ったケーキを作ればいいんだから」

「やっぱりアレよね。何ならアレそのままでも喜ぶわよ」


 視線が交差し、にやける。最早アレを指すものなど1つしかない。私が「せーのっ」と口にすると、私たちの言葉が綺麗に重なった。

 ――チョコレート。

 アンヤにはあれしかない。ここのところ、チョコレートを口にしていないので余計に嬉しがるだろう。


「チョコレート、用意しないといけないね。どこかで買えるかな?」


 私も知らなかったのだが、今のように暑くなってくる季節はラモード王国以外にはほとんどチョコレートが出回らないらしい。

 理由としては、輸送と保存のために冷蔵用の魔導具がないとチョコレートが溶けてしまうからだ。そんな魔導具を用意できるのは、大きな街に腰を据える商家くらいとなる。

 何かしらあるだろうとそわそわしながらチョコレートを探しに街へ出ていったアンヤが絶望して戻ってきたのは記憶に新しい。というか今朝の話だ。

 これから向かう場所として候補に挙げられそうなのはこの国の首都、ラモード王国の辺境、聖都ニュンフェハイムだが本当に手に入るかは分からない。

 それを心配しての先の発言だったのだが、ヒバナの反応はというとこれまた実に意外なものだった。


「実はチョコレート……持っているのよね」


 そう言って彼女は《ストレージ》の中から自分の手の上にチョコレートを取り出してみせた。


「えっ、じゃあなんでアンヤに渡してあげなかったの?」

「そんなの食べ尽くされるからに決まってるじゃない。ケーキの為に取ってあるんだからあの子に分けられる分はないの。かわいそうだけどね、我慢してもらうしかないわ」


 元々、大の甘党とはいえ最近はチョコレートロスを紛らわせるために甘いものなら何でも欲しがるアンヤだ。だがしかし、それではチョコレートの代わりにはならないようで不満そうにはしている。

 ヒバナの言う通りで、今のあの子にチョコレートを見せたらたしかに食いつぶしてしまうであろうことは容易に想像ができた。


「分かっているとは思うけど、これはあの子には内緒にしててね」

「もちろんだって。チョコレートが絡むと怖いしね、今のアンヤは」


 悪気はないのだろうが、チョコレートという単語を口にした瞬間に凄まじい眼光がこちらを捉えるのだ。あれは心臓に悪い。


「そろそろ仕舞っておいたほうがいいかもね。手にチョコレートの匂いがついて舐められるかもよ」

「それはないでしょう、さすがに」


 ヒバナが笑い飛ばしてくれたので私も笑う。勿論、冗談だ。

 ――そう、冗談だったはずなのだ。


「あれ?」

「どうしたのよ」

「誰かががっつり魔力を使って……」


 コウカと誰かが空いた時間で手合わせでもしているのだろうかとも思ったが、どうにも違うことに気が付いて血の気が引く。

 だって、魔力を使っている子は急速にこちらへと近づいてきていたのだから。


「ヒバナ、それ仕舞って!」

「どうしたのよ、急に」

「いいからっ!」


 ヒバナには悪いが、ボウルを置いた手で少々強引に彼女の手の中からチョコレートを奪い、私自身の《ストレージ》に収納する。

 当然、ムッとするヒバナだがそれも()()が影の中からぬるっと現れるまでのことだ。

 彼女の姿を見た瞬間、ヒバナは顔を青くした。


「……ここからチョコレートの匂いがした。知らない?」


 材料や調理器具が載せてある机の上をアンヤは忙しなく見渡し、クンクンと匂いを嗅いでいる。

 私とヒバナは慌てて否定する。


「知らない、知らない」

「あ、甘いものを材料に使っているから勘違いしたのよ、きっと」


 ぶんぶんと首を横に振る私と意味もなく両手を前に出し、アンヤを落ち着かせようとするヒバナ。そしてアンヤの目がヒバナの手を捉えた。

 ――まずい。

 私は咄嗟に思いついた案を実行する。ヒバナの腕を引いて抱き込んだのだ。


「ひゃっ!?」

「ヒバナ、【ハーモニック・アンサンブル】」


 私の思惑通り、驚いたヒバナはその言葉に反射的に反応してハーモニクスに応じてくれた。


「……なんでハーモニクス?」


 フラフラとヒバナの方へと引き寄せられていたアンヤが立ち止まり、困惑を示す。

 それもそうだろう、アンヤからすると唐突に意味もないハーモニクスをしたようにしか見えないのだから。

 念のためヒバナの手からチョコレートを奪った右手を火魔法で包み込んで匂いを消し、そこでやっと一息つくことができた。

 ただ調和の魔力を使って匂いを混ぜることで誤魔化すなども考えたのだが、使ったこともない不確実な物よりも確実な手段を選んだ形だ。


『その分、すっごく不自然だけどね』


 そうは言ってくれるな、ヒバナ。私だって分かっているんだ。

 後はアンヤが誤魔化されてくれることを祈るのみだ。

 ――すると想いが通じたのか、アンヤが呟く。


「……気のせいだった……」


 そして悲しそうに肩を落としてしまった。


『すごい罪悪感よ……』


 分かる。でもだからといってここでチョコレートを渡すべきかは非常に悩ましい。今のアンヤに半端な量のチョコレートを分け与えたところで余計に暴走するだけだろう。


「チョコ……チョコ……」


 完全にうわ言のようにブツブツと呟いているアンヤは少し怖かったが。




    ◇




「はい、ノドカ姉様! こっちこっち!」

「え~? なぁに~?」

「ここに座ってください! 今日の主役はノドカです!」


 ダンゴに腕を引っ張られたノドカがコウカの引いた椅子に座る。

 それを見届けた私とヒバナ、そしてシズクとアンヤで料理を運んでいく。

 食卓の上に食器や料理を並べていくとノドカは明らかにそわそわしはじめた。御馳走といってもいいくらい、盛り付けには気を配ったつもりだからノドカも察したのだろう。


「というわけで今日はノドカ姉様の誕生日のお祝いなんだって!」

「おめでとうございます! これでわたしたちと同じ1歳ですね!」


 ニコニコとした2人の言葉を聞いて、ノドカはポンと手を叩く。


「え~……お誕生日~……? あ~わたくしの~お誕生日~! 忘れてました~!」


 私は絶句してしまう。


「……そんなつまらない演技しなくていいから」

「嘘ついちゃ駄目だよ、ノドカちゃん」


 ヒバナとシズクの言う通りだ。ノドカにはこんな気の遣い方をしてほしくなかった。


「……ごめんなさい。こんなことになってしまって」

「アンヤちゃん~やめて~……? 謝らないで~……仕方なかったから~……」

「違うよ、ノドカ。都合がどうとか悪気があったかどうかとか、全部関係ないんだ。大切な日にお祝いの言葉ひとつ贈ってあげられなかったから、私たちは本当に後悔しているんだよ」


 故意ではなかったとはいえ、この子を悲しませてしまったのは事実なんだ。

 これは間違いなく私たちの総意だが、こんなことを言われても余計にノドカに気を遣わせてしまうだろう。だから謝罪はこれで終わりにする。


「だから、いっぱいお祝いさせて! 今日だけなんて言わないよ、ノドカのやりたいことも私たちで叶えるから!」

「遠慮しなくていいわよ、というかするのはナシ。どんな形でもいい、ぶつけてきなさい。それで壊れるほどヤワな関係じゃないのよ」


 ヒバナはノドカの隣に立ち、その頬に触れる。

 するとジワッとノドカの目に涙が溢れ始めた。そして彼女は勢いよくヒバナの胸に顔を埋めると両拳でポコポコと姉のことを叩きだす。


「ばかばかばか~みんなのばか~!」

「そうね……そうよ。私たちみんな、大馬鹿なのよ。だからそんな私たちにあなたがどう思っていたのかをちゃんと教えて」

「うぅ~! 忘れてたくせに~! ずっと悲しかったのに~! 誰も気づいてくれなくて~さみしかったのに~!」


 それからノドカは泣きながら自分の気持ちを吐露し始めた。やはり随分と抱え込ませてしまっていらしい。

 なまじ他人の機微に人一倍敏感だから、ここ最近の雰囲気では言い出すことすらできなかったのだろう。

 でもそれももうやめにしよう。こんなことが癖になる前に少しずつ変わっていけるように導いてあげよう。この子の気持ちをきちんと聞いてあげよう。


「今日のノドカはお姫様だよ。さぁお姫様、何なりとお申し付けください」


 私はヒバナにしがみついているノドカのそばで跪いた。


「ぐすっ、あーんしてご飯たべさせて~……毎日一緒に寝て~……お風呂で髪と体洗って~……着替えも全部やって~……髪型も整えて~……」

「……随分と我儘なお姫様ですね」


 要求される行為があまりにも多かったため、ノドカの背中を摩っていたコウカが呆れ顔でそんなことを口にした。


「何なりとって~お姉さまは~言ったもん~!」

「それはそうですけど、さすがに頼みすぎです。いつかダメスライムになってしまいますよ?」


 甘やかしすぎるのはよくないと思っていたのか、コウカはノドカを諭そうとしている。


「じゃあ~毎日じゃなくていいです~……ぁ、でも~寝るのは~毎日誰かと一緒が良い~」


 随分と可愛らしいお願いになった。

 結果として、ノドカのお姫様扱いはこれから一週間、そして一緒に寝るのは主にノドカから誘うという彼女の頑張り次第となった。

 誕生日のお祝いがこれでいいのかとも思ったが、この日の最後には曇りない笑顔を浮かべていたノドカの顔を見るとこんな形でも良かったのかなと思えた。




    ◇




「んぅ……チョコ……チョコ……っ」


 キスヴァス共和国からラモード王国へ渡り、そこからミンネ聖教国に入った。

 私たちが目指す聖都ニュンフェハイムへの道中、私の脚の間に座るアンヤはチョコレートを口にしていて非常にご機嫌だった。

 話は簡単だ。さすがラモード王国、辺境とはいえチョコレートがちゃんと売っていたのだ。

 見つけるが早いか、飛びついたアンヤはチョコレートを行く店行く店で買い漁っていた。さらにそんなことをしていると領主の貴族様が出てきて事情を聴いてくれた。

 そして最終的に王宮に保管されている大量のチョコレートを分けてもらえないか、話を通してくれるという約束までしてもらった。

 王女様と友達という立場だとこんなことまで取り計らってもらえるのかと気が遠くなる想いだった。

 当のアンヤはというと純粋に喜んでいたのだが。


「アンヤ、おいしい?」

「うんっ……今のアンヤなら、何でもできる……!」


 ここ数日、アンヤのテンションがどこかおかしい。

 だがその前は私とダンゴをチョコレートと見間違えるほどの精神状態だったので、それなら今の方が可愛げがあっていいか。……本当に。

 あの時は私もダンゴもげっそりとしていたから、精神的に相当追い詰められていた。あの時ほど私の髪の毛を変色させた女神の力を恨んだことはないだろう。


「主様、アンヤがボクの髪の毛を食べようとするんだ……」

「奇遇だね、ダンゴ……私の髪もなんだ」


 深刻な表情で相談してきたダンゴとそんなやり取りをしたことは今も鮮明に覚えている。




    ◇




「ユウヒさんっ!」

「わっ、ティアナ?」


 ニュンフェハイムに入った私たちがミラン達スレイプニルを厩舎へ預けると、駆け付けてきたティアナによって強く抱きしめられた。


「本当にご無事で何よりですっ! (わたくし)、もうあなたと……!」

「ごめん、心配かけちゃって。でもありがとう」


 彼女を軽く抱き返すと、やがてゆっくりと離れる。


「皆様も……そしてアンヤ様も。こうして再びお会いできたこと、大変嬉しく思います」

「……あなたたちにも迷惑をかけた、ごめんなさい」


 いくらかのやり取りの後、ティアナの案内で私たちは宮殿の廊下を進む。

 その最中も会話は続けており、こうしてちゃんと話すのも久しぶりだったと私は思ってしまっていたのだった。


「こちらになります。……ごめんなさい、彼らに言伝をお願いできますか?」

「はっ、かしこまりました」


 私たちを部屋に招き入れてから護衛の騎士に何かを伝えたティアナ。それも終わって席に着いた私たちの前にメイドさんたちが紅茶を淹れて持ってきてくれる。

 早速、ドバドバと角砂糖をカップに入れ始めたアンヤを横目にティアナが口を開いた。


「これから、皆様にはミネティーナ様とお話をしていただきたいのです」

「ミネティーナ様と!?」

「はい、現状では10分足らずというごく短い時間しか取れませんでしたが……予定時刻まで少しだけお待ちください」


 驚いた。まさかミネティーナ様と話ができるとは思わなかった。

 しかし10分か。ならこれはティアナに聞いた方が良いだろう。彼女たち聖教団が抱えている本題の前に私が持つ最大の疑問について問いかけてみようと思う。

 もし仮に彼女から納得がいく答えが出なかった場合、もしかするとここで聖教団との関係を切ることにもなりかねない。

 そうして決意を固め、膝の上でギュッと握りしめた私の手を横から伸びてきた手が覆う。


「あのことをティアナに聞くんですよね? 大丈夫、わたしも付いていますから」


 コウカの声が私の緊張を和らげてくれる。

 私たちのやり取りに気付いている子たちはなんだなんだとこちらの様子を窺っていた。


「……ねえ、ティアナ。聞かせてほしいことがあるんだ」

「ユウヒさん? はい、お答えできることなら」


 ティアナが首を傾げる。


「プリスマ・カーオスに関すること。プリスマ・カーオスは1人じゃなかった。ティアナはそれを知っていたのかな?」


 これ自体は私の疑問の本質ではないが、彼女がどう対応してくれるかで私の心象が変わってくる。

 ――私の質問を受けたティアナは首を縦に振った。


「はい、存じていました。プリスマ・カーオスはいくつもの魂が重なった存在だと記録に、そしてミネティーナ様からもそのように伺っております」


 噓ではないようだ。ちゃんと事前に教えてほしかったところではあるが、それよりも重要なことが重なって聞く機会がなかったのだろう。

 だが彼女がこれを知っていたのなら話は早い。ここからが本題だ。


「プリスマ・カーオスは自分たちのことを元人間で、愚かな人間たちの実験台だったって言ってた。その実験に当時の聖教団も深く関わっていたって」


 何百、何千年前かも知らない。今の聖教団とは体制も異なっているだろうし、ティアナはバッサリとこの質問を切り捨てることもできる。

 それでも彼女はどこまでも誠実だった。


「……ええ、当時は人道に反した実験も陰で多く行われていたと聞かされております。自分たちの生活を脅かすものに対抗するための力を求め、伸ばしてはいけない所まで手を伸ばしてしまったのです。そして、この実験を主導していたのは当時の枢機卿の一部であったとも。彼らは1人の少年、そして多くの身寄りがない子供たちを集めた実験を繰り返していました」


 やはり本当だったのだ。あの時感じた少女の姿をしたプリスマ・カーオスの怒りは私の見立て通り、本物だった。


「ミネティーナ様は……気付いていて何もしなかったって」


 この質問は爆弾だ。どうにか否定してほしいと願う。


「それは違いますっ! 実験が露見した直後に当時の被験者たちはたった1人を除いて皆、ミンネ聖教団が保護しました!」

「えっ」


 少女の証言とは食い違う。だがティアナの言葉には嘘が微塵たりとも感じられない。

 これはあの時の言葉が嘘だったということだろうか。


「記録上は、とかでもないよね」

「ありえません! 彼らのうち多くは聖教団に多大な影響を遺されました。クララ様のお話はこの国の中で最も有名です!」

「クララ?」


 ティアナはやや早口気味に語りだす。


「はい。貧しい孤児院で育ちながらも毎日ミネティーナ様への祈りを熱心に捧げていた方です。クララ様はあの忌まわしい実験の被験者となってしまいましたが救出された後、正式にミンネ聖教団の神官となって実績を積まれ、枢機卿の1人にまで上り詰められた偉大な方なのです。彼女が打ち出し、遺した多くの施策はこの国だけではなく多くの国の孤児たちを救ってきたと言われています。ミネティーナ様もクララ様方のことをそれはもう何度も嬉しそうに語ってくださりましたとも!」


 やっぱりコウカの言った通りだった。

 こうして話をしてみると、どっちを信じるべきだったのかは明白だ。……いや、そう決めるのは早計か。


「疑ってごめんね。でも最後にこれだけは聞かせてほしいの。あのプリスマ・カーオスたちは何? 皆、救い出されたんだったらどうしてプリスマ・カーオスが何人もいるの?」


 新たに生まれたこの質問に答えてくれなければ判断はできない。これは今までの話と矛盾するのだから。


「その前にこのことをお話しする必要があります。先ほどお話しした救えなかった1人の少年のことです。彼こそがプリスマ・カーオスの本体と言える存在であり、孤児たちから切り出された体の一部は全て彼に移植されたと聞いています。ですが度重なる実験の末、彼は昏睡状態のまま意識が戻らなくなっていたと」


 体の一部を移植するためには手術が必要だ。それも当時の技術、子供が耐えられるはずなどない。


「そんな彼を邪神メフィストフェレスが連れ去ったそうです。目的は彼の中にあった無数の魂の欠片だったのではないかと言われています。……そう、悪しき実験は半分ほど成功してしまっていたのです」


 1つの魂が持つ1つの属性。それを1人の被検体に2つ与えるのがその実験の目的だったはずだ。

 そのために移植を繰り返していたそうだが、それで魂の欠片が別の体へと本当に移っていってしまっていたというのだろうか。


「いくら魂といえど欠片は欠片です。ですがどういうわけか邪神は彼自身の魂、そして彼の中に埋め込まれた無数の魂の欠片を一つ一つの魂として再び生み出すことができた。それがプリスマ・カーオスたちの真実なのです」


 魂は欠片だけでは意識もないはず。あの少女もまた邪神の手によって新たに生み出された存在であるということか。


「プリスマ・カーオスたちは欠片となる前の記憶を有しておりますから、救われなかったと思われてしまっていても仕方がありません。実際にクララ様方はそれぞれが自分と瓜二つのプリスマ・カーオスから強い殺意を向けられていたとのお話もあります」


 記憶を持っていた、そして救われなかったという怒り。それはあの少女から感じられたものと何も矛盾しない。

 これで分かったのはあの少女たちは生まれながらにして人間ではなく、邪族(ベーゼニッシュ)だということだ。

 でもやっぱり、私は彼女たちが人間ではないと分かっても“人”なのだと思ってしまっている。


「マスター、思い詰める必要はありません。彼女たちはわたしが斬ります。だから無理をしてまで戦おうとはしないでください」


 ホッとしてしまった私はやっぱり覚悟ができていないみたいだ。




「ティアナ様。そろそろお時間です」

「ありがとう。遅れるわけにはいきませんね……ユウヒさん、これから大聖堂にご案内します」


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