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47 聖龍と竜姫

 アンヤが語った過去。

 彼女は闇の中で生まれ、悪意ある存在によって私たちを害するための爪牙として利用されていたこと、私たちと別れてから2人の邪帝に告げられたことなど、この子は全てを打ち明けてくれた。

 それをベッドの上で聞いていた私としては、そんな重いものをずっと抱えていたのかと気を揉むばかりであった。


「……これがアンヤの真実。責められても文句は言えない」

「責めるだなんて……別に私は気にしないよ。それにアンヤにとってはどうしようもないことばかりだったんだから……」


 ベッドのそばにいるアンヤの手を握り、励ます。

 だが彼女の表情は依然として暗いままだ。


「はぁ……じゃあ何。あなたはこうなるかもしれないって気付いていたわけ?」


 すっかり普段の余裕を取り戻したヒバナがうんざりした様子で腕を組み、横目でアンヤを見遣る。

 彼女の視線を受けたアンヤはバツが悪そうにしながらもヒバナに視線を返した。


「……ええ、そう」


 その返答にヒバナは深いため息をついた。

 ほかの子たちもこのやり取りを止めるつもりはないようだ。どうやら私と同様にヒバナがどういうつもりでこんな態度を取っているのかなんとなく察しているらしい。

 アンヤの視線がみるみるうちに足元まで下がっていったために、私はその小さな手を少し強めに握ってあげる。


「……ごめん、なさい。ちゃんと――」


 表情の読めないヒバナがアンヤにつかつかと歩み寄ってくる。

 そしてアンヤの言葉が言い終わらないうちに彼女は右腕を上げた。それを視界に映ったヒバナの影で察したであろうアンヤがギュッと目を瞑る。


「ったく……えい」

「……っ!」


 情けない悲鳴が聞こえてくる。

 それはアンヤ――ではなくヒバナのものだ。


「……え?」


 アンヤがキョトンとした様子で、右手を押さえながら床に蹲る姉の姿を見下ろしている。

 確かにヒバナはアンヤの脳天にチョップを落としたのだが、痛がったのはアンヤではなくヒバナだったのだ。


「……大丈夫ですか、ヒバナ?」

「ひーちゃん、それはかっこ悪いよ……」


 無言でのたうち回っている彼女にみんなからの呆れを含んだ視線が飛んでいく。

 状況を掴めていないのはアンヤだけだ。


「石頭め……どおりで頭も固いわけだわ……!」

「えっと……大丈夫?」


 右手を抑えてうずくまるヒバナを見て戸惑っているアンヤが心配そうに声を掛ける。するとヒバナはキッとアンヤの顔を見上げた。

 出鼻を挫かれはしたものの、どうやらそのままの状態で本来口にするつもりだった言葉を伝えることにしたらしい。


「あーもう! 悩みがあるならちゃんと相談しなさいよ! 過去がどうとか、そんな理由で私たちがあなたを突き放すかもって本気で考えていたわけ? 見くびらないでほしいわ。……ねぇ?」


 そう言い切ったヒバナは他のみんなに同意を求めた。


「当然です。生まれがどうとか関係ありません。アンヤはアンヤでしょう? わたしたちはあなたがアンヤだからこそ一緒にいたいと思っているんです」

「ひーちゃんはかっこ悪いし、大嫌いなコウカねぇと同じことを言うのは癪だけど……アンヤちゃんと一緒に過ごしてきた時間の中で、あたしの気持ちもしっかりとアンヤちゃんに伝えてきたと思っていたんだけどな」


 隣から信じられないものを見る目を向けてくるコウカのことを無視して、シズクはそうアンヤへと微笑みかける。


「アンヤちゃんも~自分の気持ちに~置き換えてみて~? すると~お姉さまたちが言った意味~わかるでしょ~?」

「アンヤはいつも自分の中だけで難しく考えすぎなんだよ。そんなに考えなくても、気持ちってちゃんと伝わるものだよ?」


 もう今さら私たちを遮る壁なんて必要ない。だからみんなはどんどんアンヤの元へと踏み込んでいく。


「……ええ、ちゃんと伝わってる。怯える必要なんてなかった。みんなはどんな時でもアンヤの道を照らしてくれる太陽だったから」


 太陽、か。

 私は最近、みんなに弱ったところを見せてばかりだ。アンヤはああ言ってくれているが、私は太陽とは程遠い存在だろう。

 ――私ももっと頑張らなくてはいけないな。


「何か困ったことがあったら、これからはちゃんと全員で向き合って解決していこう。もう私たちが引き剝がされることがないように、ね?」


 私の言葉にみんなが頷いてくれる。


「……ありがとう。みんなと一緒ならもう何も怖くない」


 そう言って微笑むアンヤを布団の中へ引き込んだ。くぐもった小さな悲鳴が聞こえてくるが私は構わずにアンヤの体温を感じ続ける。

 すると一段落した雰囲気の中、やや物騒なやり取りも聞こえてきた。


「氷血帝、それに傀儡帝ね。ふざけたヤツだと思ってたらやっぱりロクでもないヤツだった」

「他のヤツらだってそうだよ。だからこの分はあたしたちの手でしっかりと、ね」


 ヒバナとシズクの言葉には私としても同意したいところだ。




「シリスのこと、忘れられている気がするの」

「あっ、シリスニェーク……」


 ダンゴが後ろで小さく呟いたその声を聞いて、気まずそうに身動ぎをする。

 それに反応して、みんなもようやくシリスの存在を思い出したらしい。そういう私もその一人ではあるのだが。

 ここにシリスがいるのは、何故こんな状況になっているのかという事の次第を解明するためだった。

 最初にアンヤの話を聞いてその流れで私たちの会話をどんどん掘り下げていってしまっていたため、すっかりとシリスのことは忘れてしまっていたのだ。


「ごめんね、シリス。こんな形の再会になっちゃって」

「それはユウヒたちのせいじゃないから気にしなくていいの。シリスもこんな事情がなければ、島から出てくることもなかったの」


 私たちに気を遣ったというより、これは彼女の本心だろう。


「そうです、シリス。島を出てきてよかったんですか?」


 その疑問はコウカだけではなく、全員が抱いていたはずだ。

 シリスの住んでいる島には邪神の封印を維持するために重要となる霊堂のうちの1つ“光の霊堂”が存在する。

 あの島にはシリスと一緒に霊堂を守ってくれる魔物たちがいるとはいえ、昨今の状況下で島の頂点に立つシリスが島を離れるというのはあまり良いことではないだろう。


「よくはなかったし、島へとすぐに戻るつもりなの」

「……や、やっぱり邪龍が原因?」


 邪龍。私は苦しくて一杯一杯だったので正確に把握できていたわけではないが、アンヤはシリスと協力してその邪龍を倒したと聞いた。

 シリスはシズクの問いに対して、深く頷いた。


「その通りなの、シズク。シリスみたいな偉大な龍同士は離れていてもお互いの存在を感じあえるの。だから住処から飛び立ったパルィフの様子がおかしいことにはすぐ気付けたし、同じ龍としても、おかーさんの娘としても彼を放っておくことなんてできなかったの」


 シリスは人間を見下したりもしないし、あまりひけらかすこともしないが龍としてのプライドは非常に高いことが言葉の節々から感じられる。

 そんな彼女からすると邪龍となった龍というものは何としても止めなくてはならない存在なのだろう。

 でもシリスの母親である聖龍ミティエーリヤ様の友人であったのなら、決して知らない相手ではなかったはずだ。


「そういう事情だったのね」

「理由はどうであれ、わたしたちはあなたが来てくれなければ無事に帰ってこられなかったかもしれません。だから本当にありがとう、シリス」

「私からも礼を言うわ。ここにいるみんな、あなたには感謝してる」


 頭を下げるコウカとそれに便乗するヒバナ。だがみんなシリスに感謝の念を抱いているのは本当の事だ。

 コウカの言うように、彼女がいなければ私たちの未来はなかったかもしれないのだから。


「さっき言ったように、シリスはシリスの都合を優先しただけなの」


 毅然とした態度でそう言い放つシリスだったが「でも――」と言葉を続ける。


「結果として恩人であるあなたたちを助けられたのなら、やっぱりここに来てよかったの」


 そう言って彼女は微笑んだ。

 だが私はシリスの言葉に違和感を覚える。彼女が言う“恩人”はもっと適切な言葉があるんじゃないかと思う。

 私がそれを指摘するよりも早く、口を開いたのはコウカだ。


「シリス、1つ訂正です。わたしたちは恩人ではなく、あなたの友人として接してきたつもりです。恩義があったというのなら、それは今回の件で十分に返してもらいました。だから何も気にせず、これからも友人としての付き合いを続けましょう」

「友人……友達ってこと? ……これが友達……友達って初めてできたの」


 シリスと彼女が治める島の魔物たちは非常に友好な関係を築いていたが、それは友人というよりも家族としての感覚に近いのかもしれない。

 だから私たちが初めての友人となるのか。


「そっか。ボクたち、もう友達か。だったらボクもシリスって呼ぼうかな……うん、そうするよ! 改めてよろしくね、シリス!」

「わたくしも~お友達っていなかったから~シリスちゃんがわたくしの~はじめてのお友達かも~」


 そう言われれば、私が友人として接している人たちもみんなの友人というわけでもない。

 接することが多い人としてはミーシャさんがいるが、彼はノドカ的には友人ではないらしい。


「ダンゴ、ノドカ、コウカ、ヒバナ、シズク。それにアンヤとユウヒも……これからは友達としてよろしく頼むの」


 その後、シリスがダンゴによって握手を交わした手をぶんぶんと振り回されていた時、私と一緒に横になっていたアンヤが身動ぎをして私にしか聞こえないくらいの声で囁いてくる。


「……ますたー。少しだけ、離して」

「ごめん……嫌だったかな?」

「……そうじゃなくて……シリスにお礼がしたい」


 お礼――というとアンヤの大好きなアレだろう。アレはシリスもお気に入りのようだったし。

 私はアンヤを解放し、快く送り出す。

 だがその直後、アンヤがいなくなって手持ち無沙汰となっていたところにノドカが近づいてきたかと思うと、彼女はそのまま私のベッドの中に潜り込んできた。


「わわっ」

「お姉さまの~お布団~あったかい~……」

「あはは……今日はもう甘えん坊モードかな、ノドカも」


 気の抜けた様子のノドカは私の顎に頭をぐりぐりと押し付けてくる。

 今日は甘える余裕がなかっただろうから、緊張が切れて一気に衝動が襲ってきたのかもしれない。


「アンヤちゃんも~帰ってきて~みんなも笑顔で~幸せ~……」

「そうだね……本当に……」


 私はアンヤたちがいる方を見遣る。

 ダンゴとコウカを巻き込みながらシリスと話すアンヤ。なんて幸福に満ちた光景だろうか。


「ノドカ、眠いの……?」


 気付けば、ノドカの動きは随分と緩慢なものになっている。今日は本当に頑張ってもらったから、疲れているのだろう。

 私の右腕を抱きしめ、横になっているノドカの頭に己の額をぶつける。


「おやすみ、ノドカ……」

「お姉さまも~……いっしょに~……」


 やがて静かな寝息が聞こえてくる。

 ――どうやらノドカには私の疲労も限界であることはバレてしまっているようだ。でも私はまだ眠りたくない。

 少しだけ怖いのだ。そんなことはないと分かっているが、これはもしかすると夢なのではないかという疑念が払拭できない。

 さっきまで感じていたアンヤの温もりも今現在感じているノドカの温もりも本物であることは分かっているのに。

 アンヤがいなくなってからの日々に私の心は随分と弱ってしまっているようだった。


「あれ……ノドカちゃん、寝ちゃったの? ユウヒちゃん」

「そうみたい。気が抜けちゃったのかな」


 ベッドの縁に腰掛けたシズクがノドカの頬を突いているが、彼女は穏やかな顔で眠り続けていた。

 それを立ったまま見守っていたヒバナがハッとした表情で私を見る。


「ごめんなさい、ユウヒも疲れているわよね? 待ってて、すぐに何か作ってくるわ」

「あ、ヒバナ……別に私は……」

「いいから。何か食べないと元気になれないもの」


 正直、食欲はあまりなかったのだがついヒバナに押し切られてしまった。どこか機嫌が良さそうに部屋を出ていくヒバナを止めることは憚られたのだ。

 私がヒバナの出ていった扉を眺めていると、ノドカの髪を手櫛で梳いていたシズクが口を開く。


「ユウヒちゃんが少しずつ元気になってきてアンヤちゃんも帰ってきてくれたから、ひーちゃんも張り切っているんだよ。大目に見てあげてほしいな」

「大目に見るだなんて……今日だってみんながいないとどうしようもなかったんだから、ヒバナたちには感謝しっぱなしだよ。それとシズク、本当にありがとう。シズクがいないと、私たちはきっと何もできなかった」


 シズクがアンヤを連れ戻せる可能性を見出してくれなければ私は全てを諦めてしまっていただろうし、みんなももっとパニックになっていたとしてもおかしくはなかった。

 私たちがスタートラインに立てたのは間違いなくシズクのおかげだ。


「嬉しいな……あたしの好きなものが大切なものを守るのに役立ってくれた。それにみんなは迷わずにあたしのことを信じてくれたんだもん。ありがとうって言いたいのはあたしの方だよ」


 そう言ってシズクはシリスを中心とした4人の方に顔を向けた。

 視線の先にいるのは――コウカだろうか。


「自分の考えに自信が持てなくて中々言い出せなかったあたしにね、コウカねぇが言ってくれたんだよ。『シズクの考えた方法なら他の何よりも信じられます』って。バカみたいでしょ? そういう言い方が無意識のうちに他人を追い込んでいることもあるのに気づかない。ただの考えなしで無責任な発言だよ」


 辛辣な物言いだが、私はシズクを咎めるつもりはない。

 何故なら、彼女の表情は言葉とは全くの別物であったからだ。


「ご、ごめんね。ちょっと愚痴みたいになっちゃった」

「いいよ、全然。気にしないで」


 それを本人は全く気付いていないらしい。

 排他的で敵にも容赦のない言葉をぶつけるシズクだが、コウカに対する厳しい物言いはそれと表面的にそっくりなだけで、その中身は随分と違うようだ。

 こういうところを見るとヒバナと双子だなぁと思う。

 別の趣味を見つけたり、考え方にも差が出ている2人だが似ている部分はしっかりと似たままだ。

 この子たちは表情を隠すことが下手なところもまた微笑ましい。


「あっ……あの子、もう帰るのかな?」


 シズクの言うようにシリスがそろそろ帰るのか、みんな何やら畏まった様子だった。

 そういえばアンヤはチョコレートを渡すことができたのだろうか。

 私はアンヤたちの会話に意識を集中させる。


「……お礼として、渡したい物がある」

「物? もしかして、あのちょこれーとなの!?」


 どうやらこれから渡すつもりのようだ。

 目をキラキラさせるシリスにアンヤが《ストレージ》の中からチョコレートを取り出して――いや、中々取り出さない。

 どうしてあんなにも焦らしているのだろうか。


「アンヤ、どうかしたの?」

「大丈夫ですか?」


 ダンゴとコウカが完全に固まってしまったアンヤの顔を心配そうに覗き込んでいる。

 すると程なくして、アンヤがボソッと呟いた。


「……ない」

「え?」

「……《ストレージ》に……何も入ってない……!」


 コウカとダンゴがアンヤを挟んで何やら話し合っている。

 アンヤの《ストレージ》の中には戦闘で使用する刃物類と大量のチョコレートが入っていたはずだ。

 私も疑問に思って色々と考えていると、隣から「あっ」という声が聞こえた。


「あたしたちの《ストレージ》はユウヒちゃんからの借りものだから、一度眷属じゃなくなると……ひゃっ」


 シズクの言葉の途中でアンヤがグワッと勢いよく振り返ってシズクの方を見たことにより、かわいい悲鳴が上がる。

 だがこれで原因は分かった。

 要は一度アンヤとの繋がりが断たれたことにより《継承》のスキルが適用されなくなったせいで、アンヤの持っていた《ストレージ》そのものが消滅してしまったということだろう。

 再契約してスキルが戻ってきても、その中身までは戻ってはこないのだ。


「あの、アンヤ? チョコレートなんてまた買えばいいじゃないですか……ひっ」

「……分かってない。あの中には限定品もあった。それに……すぐに買えるものじゃない……!」


 アンヤの表情、眉間の皺がすごいことになっている。

 あの子の買ったチョコレートはスイーツの本場、ラモード王国製かつそれもお祭り期間中に買ったものがほとんどだ。

 あとは他の国独自の物なども買ってみたりしていたので、すぐに買いに行くことができないものばかりなのだ。

 私も食べたくなったらアンヤに貰えばいいかとチョコレートだけは持っていなかった。


「……許せない……邪神……! 絶対に弁償させる……!」

「こ、こんなに怒っているアンヤははじめてかも……」


 アンヤは握りこぶしを作り、目に涙を浮かばせて唸っていた。

 ダンゴの言ったようにあの子は怒りを露にすることはあまりない。どちらかというと静かに怒っているタイプだ。


「ちょこれーと、ないの?」

「……ごめん、なさい」


 しかしだ。チョコレートの場合、少し値は張るかもしれないし、種類もそんなに揃わないかもしれないが他の国にも輸出しているのではないだろうか。

 この国でも少し大きい街ならきっと売っているだろう。……あとで教えてあげよう。


「なら次でいいの」

「……いいの?」

「残念ではあるの。でも、また次があるからいいの」


 向こうでは申し訳なさそうなアンヤをシリスが慰めている。

 アンヤも怒りが長続きしなかったようで、すっかりと意気消沈してしまっていたがシリスの励ましを受け、少しだけ表情を和らげた。


「……次に会う時までに……たくさん用意しておく」

「楽しみにしてるの、アンヤ」


 アンヤも落ち着いたようだし、丸く収まってくれてよかった。

 これ以上引き留めておくわけにはいかなかったので、改めて私とも別れの挨拶を交わしたシリスがドアノブに手を掛けた――その時だった。


 ノック音が部屋に響き渡る。


「あっ、はい、どうぞ!」


 来客だろうか。コウカがすぐに入室許可を出してしまったので、相手が誰かもわからないまま扉が開かれる。


「失礼するわね、ユウヒちゃん……あら?」

「ミーシャ!?」


 ダンゴが驚きの声を上げる。また私も声には出さないものの驚いてはいた。

 ――部屋の中に入ってきたのは騎士団の制服に身を包んだミーシャさんだったのだ。

 彼はまず扉の前にいたシリスとぶつかりそうになり、すんでのところで立ち止まった。

 お見合い状態となった両者であったが、突然ミーシャさんが鳩が豆鉄砲を食ったような表情へと変わる。


「龍……シリスニェーク様ね?」

「まさか一目で見破る人間がいるとは思わなかったの。でも納得。あなた、随分と薄れているみたいだけど竜種と契りを結んでいるの」

「っ! ……分かるのね」


 ミーシャさんがシリスの正体を見破ったことには驚いたが、そのあとの話が全く分からない。

 私は救いを求めるためにシズクに目を向けたが、彼女は考え事に耽ってしまっているようだった。

 コウカたちはコウカたちで顔を見合わせて首を傾げているし、あの2人が説明してくれるのを待つしかなかった。


「あなた、名前は?」

「ミハエル・フォン・シュッツリッターよ」

「ミハエル? ミーシャじゃないの?」


 先ほどのダンゴの叫びを聞いていたのだろう。シリスはダンゴが呼んだ彼の名前とその本名に疑問を持っていたようだった。


「ミーシャはまぁ……愛称のようなものだと思ってちょうだい」

「納得したの。ミハエルだからミーシャ……シリスたちが使う言葉に因んで名付けられてるの。つまりそれは契りを交わした相手から贈られたもの?」


 ミーシャさんが息を吞む音がやけに響いた。


 ――その時、妙に廊下が騒がしいことに気付く。

 どうやら誰かがドタドタと走っているようで、その足音は次第に大きくなっていった。


「母様! 宿舎の人間に……ん? 誰です、そのチビ竜は」


 入り口からくすんだ赤髪を靡かせながら入ってきて、ミーシャさんの後ろから勢いよく抱き着いたのは、私と同じ年齢くらいに見える少女だった。

 その少女を見た瞬間、私は思わず近くにいるシズクの肩を叩いた。そしてこちらに顔を向けてくるシズクに指で少女の方を示す。

 視線を移したシズクが喉を鳴らすのが分かった。


 そこにいたのはただの人間ではなかったのだ。

 額の右側から後ろに伸びる1本の角。恐らく肩甲骨の辺りから広がる2枚1対の翼。そして先ほどまで彼女のご機嫌さを表すように揺れていた鱗に覆われた尻尾。

 シリスのように完全に人と同じ姿となっているわけではない。まるで竜と人を融合させたような姿の少女がそこにはいたのだ。

 それだけでも訳が分からないのに、彼女はミーシャさんを“母様”と呼んでいなかっただろうか。


「まさかお前、アタシの母様を誑かそうとしているんじゃないだろうな……!」


 そう言って自分よりも数十センチは小さいシリスに凄む少女。

 そんな状況でシリスはというと目の前の少女に露ほども怯えておらず、落ち着き払った様子に見えた。だが私にはそれが嵐の前の静けさのように思えてしまう。

 すると案の定だ。青天の霹靂というのだろうか、突然膨れ上がったシリスの力が少女1人に向けられ、彼女を威圧する。


「飛竜如きが龍に楯突く? 身の程を弁えるの」

「ひっ……うぅ、母様ぁ……」


 一転して怯えた様子の少女は尻餅を突き、そのままミーシャさんの足に抱き着いて顔を隠してしまった。

 額を手で覆っていたミーシャさんはすぐに佇まいを直し、シリスと向かい合う。


「シリスニェーク様。娘のとんだ不始末な言動、ご無礼を謹んでお詫びいたします。どうか怒りをお鎮めください」


 腰を直角に曲げたミーシャさんは足に抱き着いた少女の頭に手を乗せた。


「プリヴィア……あなたも誠心誠意、謝罪なさい。この方はシリスニェーク様よ。あなたもお聞きしたことがあるでしょう?」

「し、シリスニェーク様!? 失礼いたしました!」


 そのままの体勢で慌てて謝罪を口にするプリヴィアと呼ばれた少女。

 2人の謝罪を受け、シリスはすぐに怒りの矛を収めた。いや、どうも最初からそんなに怒っていたわけでもなさそうだ。

 シリスはため息をつくと口を開く。


「もう気にしてないから楽にするといいの」


 そして彼女はその場で反転して、今度は私たちに顔を向けた。


「それじゃあ、そろそろ本当に戻らないといけないから今度こそ帰るの。またね、なの」


 その言葉に私たちも口々に別れの言葉を返すと、遂にシリスは部屋から出て行ってしまった。

 ――その時、立ち上がった赤髪の少女が鬼のような形相でシリスが出ていった扉の向こう側を睨みつけていたので、私はギョッとしてしまう。


「一生、(ねぐら)に引き籠ってろバーカ……ぴぇっ!?」


 シリスが途中で振り返りでもしたのだろうか、震えあがった少女がミーシャさんの体に強くしがみついていた。

 ――気性の激しい子だなぁ。


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