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41 黄昏のノクターン

 ◇ :一人称視点への切替or場面転換(一人称継続)

◇◇◇:三人称視点への切替or場面転換(三人称継続)

 



    ◇◇◇




 繋がりを頼りにひとり離れていったユウヒを追ってきたコウカが見たのは、異形の右腕を振り抜いている少女と胸から血を流して崩れ落ちるユウヒの姿だった。


「何を……何をしているんですか、アンヤッ!」


 コウカはそんな2人のそばへと駆け寄り、意識を失っているユウヒの体を抱きかかえると後ろに飛び退く。

 今のコウカの頭は大きな困惑によって埋め尽くされていた。


(アンヤの右目……気配……まさか、そんなことって……)


 少女の右腕からは真っ赤な血が滴り落ちている。ユウヒの血であることは状況から考えても疑う余地はない。

 だがアンヤがユウヒを傷つけるなど絶対にありえないとコウカ自身の心が強く訴えかけている。


「あ……あぁ……ち、ちがう……違う、違う! アンヤはっ……私は……ッ!」

「アンヤ……?」


 少女もまた信じられないものを見る目で自らの右腕を見ていた。

 見開かれた綺麗な銀色の左目は彼女の心情を表すかのように揺れ続ける。そして彼女は目の前の現実を否定するかのように首を振るった。


「う……ぅあ……っ」

「待ってください! 待って、アンヤ!」


 グッと握りしめた左の拳を左目付近に押し当て、激しく動揺した様子の少女が後退る。

 コウカもまた制止の声を掛けるとぐったりとしているユウヒを左腕で支え直して、右手を後退っていく少女へと伸ばすが彼女の声は錯乱状態の少女には届かない。

 ――その時だった。

 後退る少女の背後に位置する空間に突如として歪が生まれ、虚空に穴が開く。

 そして人為的に発生した強風により、少女の体が穴の奥へと引っ張られるように傾いた。


「あっ……」

「アンヤ!」


 ユウヒを抱えたままコウカは飛び出した。

 彼女の体を左腕で抱えたまま、強風に抗うために左手で握った剣を地面に突き刺し、穴に落ちようとしている少女へと右手を伸ばす。


「手を伸ばして!」


 少女もまた異形の物へと成り果てた右腕を伸ばそうとする素振りを見せたが、そこでハッと目を見開く。

 彼女の腕はその場で停止した。


 そうして無情にもコウカの伸ばした手は宙を切り、少女はそのまま穴へと呑まれるように消えていった。

 その後すぐに穴と強風は消え去り、何もなかったかのように虚空のみがその場に残される。


「そんな……」


 腕を伸ばしたまま呆然と立ち尽くしていたコウカ。


「くっ、アンヤ……!」


 強く拳を握り、眉間に皺を寄せた彼女は次に腕の中にいるユウヒに視線を落とした。


「マスター……マスター! しっかりして――ッ!? えっ、こ、これ……!?」


 コウカは驚愕して目を見開いた。

 先ほどは気付かなかったが鋭く切り裂かれた衣服の奥から覗く傷口が黒く染まっていたのだ。


(なに、これ……どうしてこんなことに……マスター……アンヤ……!)




    ◇◇◇




 一方、穴――空間魔法に呑まれたアンヤの体は謎の一室へと飛ばされていた。

 その部屋は一言でいえば王様と謁見するための謁見室のような印象を受ける。


「ここは……」

「キャハハッ! はじめましてかなぁ、おねーさんっ」


 アンヤは正面から自分の顔を覗き込んでいる後ろ手を組んだ少女を一瞥し、次にその背後に佇むドレス姿の女性――氷血帝イゾルダを見て身構えた。


「……邪族(ベーゼニッシュ)……!」

「ほぉら、言った通りだったでしょ? すぐに会えると」


 彼女は「それが運命だもの」と言ってクスクスと笑うとアンヤの体を観察し始める。


「ま、どうして自我が残っているかは聞かないでおくわ。とはいえ……やっぱり運命からは逃れられなかったでしょう? これですっかりアタシたちの仲間ねぇ。おめでとう、これからよろしくしましょうねぇ」

「……誰があなたたちと……」

「アンタの身体はそうは思っていないみたいだけど?」


 抗戦の意志を示し、身構えていると思っていたアンヤだったが自分の体勢を認識すると愕然とした。

 彼女の右半身はここに来た時から変わらず、静かに佇んだままだった。


「あーおばさん? ちょっといいかなぁ?」

「何よ、ガキンチョ。というかアンタ、イイ歳してるクセにさっきの『おねーさんっ』は中々にキモかったわよ」

「はあ? って言い争いがしたいわけじゃなくて……この子さぁ、力の適合が中途半端みたいなんだよねぇ。時間の問題だとは思うんだけどぉ」


 この場所に来てからずっとアンヤの様子を観察していた傀儡帝ヴィヴェカはそう結論付ける。


「今すぐには使い物にならないのね?」

「プーちゃんの管轄だから正確なことは言えないけど、ヴィヴェカちゃんの見立てだと力が馴染むのを待つしかないだろうねぇ。ま、それでも噂の救世主とかいうおねーさんは仕留めてきてくれたみたいだからいいけどぉ」


 邪帝たちの言葉を聞き、アンヤはここに来る直前の記憶を思い出していた。


「っ……ますたー……」

「あぁら、聞いた? 『ますたー』ですって。自分自身が手に掛けた敵のことを心配しているなんてちゃんちゃら可笑しいわぁ、アハハハハハハ」


 イゾルダに続き、ヴィヴェカの嘲笑も聞こえてくる。

 表情を沈ませるアンヤに彼女からの追撃が及ぶ。


「ありがとうっ、おねーさん! ヴィヴェカちゃんたちの敵を倒してくれて! キャハハハハハ」

「……ちがう、違う! ますたーは生きてる……!」

「“今は”ね。でもその身体に宿ったあの御方の力に蝕まれたら最後。じわじわと苦しんで死ぬしかなくなっちゃうんだよぉ?」

「……そん、な」


 アンヤの表情が悲痛に歪む。

 それを愉快そうに見つめていたイゾルダがさらにアンヤを煽る。


「遅かれ早かれ、あの救世主とか言うのと眷属の精霊たちは他でもないアンタによって殺されちゃうってことねぇ。それが彼女たちの運命だもの、仕方がないわ」

「……そんなはず、ない……ちがう……っ」

「あら、まだどうにかなるとでも思っているのかしらぁ? 何を根拠に? そんなものあるわけないわよねぇ」


 アンヤに向かってずかずかと近づいていったイゾルダが彼女の顎をクイッと掴み上げる。


「絆、愛、信頼、それに希望? ああ、くっだらない。アンタは救世主を殺すために生み出された存在。それがアンタの本当の存在理由。こうなることは生まれた時から定められていた運命なの」

「……運命……っ」

「救世主の眷属ごっこは楽しかった? でもね、それを壊したのはアンタ自身。いくら耳障りの良い言葉を積み上げようとも結局はアンタの存在全てが紛い物なの」


 イゾルダの言葉が呪いのように浸透していく。

 アンヤの頭は理解することを拒んでいたが、心のどこかで感じていたことが未だに理解しきれていない心へと突き刺さっていたのも事実だ。


「あのね、おねーさん。あなたが自我を持つことなんか誰も望んでいなかったんだよ。今のおねーさんは誰にも望まれずに生まれちゃった歪な存在なの。でもね、本物のおねーさんは違うよ」

「……本物……?」

「今のアンタは仮初の自我に過ぎないのだし、これからそうなるべくして生まれてくるはずのアンタが本当のアンタでしょ?」


 ヴィヴェカの言葉を引き継いだのはイゾルダだ。

 お前は偽物だと言外に告げられたアンヤの左目が激しく揺れる。


「今頃あの精霊たちも躍起になって仇のアンタを探してるかもねぇ」

「……っ」

「あぁら、恨まれていないとでも思っていたのかしらぁ? 大切な人を傷つけられた……自分も殺されそうになっている……ね、当然じゃない? でも安心しなさい。どうせ持って数日の命だから、この場所までは来られない。もう顔を合わせることもないわよ、良かったわねぇ?」


 顔を伏せて震えているアンヤの耳元でイゾルダがそう囁く。

 彼女もそれを後ろで眺めているヴィヴェカの表情も醜悪なものに歪んでいた。

 そんな時だ。


「――あっ、でもぉ」


 突然、ヴィヴェカが大きな声を上げる。


「あなたが死んじゃうと同時に救世主のおねーさんへの侵蝕も消えちゃうんだっけぇ……マズイなぁ……ここで自決なんてされちゃったらこの計画、全部パァだよ」


 イゾルダが振り返り、責めるような目線をヴィヴェカへと向ける。

 それを気にすることなく、ヴィヴェカは口元を歪めたまま話し続ける。


「おねーさんに死んじゃう勇気があればだけど、ね? 本当に大切に想っている相手のためなら自分を犠牲にできるはずだよねぇ。それが愛だもん」


 その言葉を聞いたアンヤが一際大きく震える。

 そしてイゾルダもまたアンヤから離れて、ヴィヴェカに詰め寄った。


「ちょっとヴィヴェカ、アンタ。どういうつもりよ、余計なこと言ってんじゃないわよ」

「だってぇ、教えてあげた方が面白そうだったんだもぉん。見てよ、あの顔。まさに絶望の真っ只中」


 彼女の言葉にイゾルダが額を抑える。


「……アンタの悪癖が出たわけね。これが原因で例の救世主を仕留め損なったとなったらアンタ、カーオスの怒りを買うわよ」

「別に平気だって。どうせあの子は誰かに唆されたところで自分の手では死ねないだろうから」


 自信満々にそう言い切ったヴィヴェカ。

 煮え切らない表情のイゾルダはため息をつくと指を鳴らす。すると部屋の扉が開いて燕尾服を着た色白の男が入り口で深々と礼をしたのち、入室してきた。

 彼はイゾルダの前で跪くと口を開く。


「お呼びですか、イゾルダ様」

「ええ。アタシがいない間、アンタがこの城の責任者よ。それでアレはアンタの上司」


 イゾルダが顎で示した先にいるのは未だ表情が見えないアンヤだ。


「たとえ何かを命令されたとしても聞く必要はないけれど、アレの肉体を傷つけることは許さないわ。いずれはアタシたちと同等の地位を得るだろうから、その前に傷物になってもらっても困るもの」

「ハッ、畏まりました」

「アンタを木っ端吸血鬼から進化させてあげた恩義に報いなさい」


 これでもかと深々と傅いているその男から視線を外し、イゾルダは再度アンヤへ近づく。


「さてと。アタシたちはこれから大事な準備をしなくちゃいけないからもう行くわ。次に会う時こそはじめましてからかしら。それじゃあね、偽物さん」


 アンヤからは何の反応も帰ってこない。それを見てつまらなそうな表情をしたイゾルダは視線を逸らして彼女から離れていく。


「じゃあヴィヴェカちゃんからおねーさんに、さよならの前のプレゼント」


 そう口にしたヴィヴェカが指を鳴らすと一瞬のうちにアンヤの服装が変化する。それは赤色の装飾が施された黒いドレスだった。


「捕らわれのお姫様か、はたまた憎き仇か。おねーさんの大切な人たちにとって、今のおねーさんはいったいどっちなんだろうね。キャハハ、たくさん悩んで、たくさん絶望してね。それじゃあバイバーイ」


 女神ミネティーナの対四邪帝用の仕組みが働き、邪帝たちはこの一室から姿を消す。


 やがて静寂が訪れた空間で静かに嗚咽の音が聞こえはじめたかと思うと、それは号哭へと変化した。


「ぁ……ぁぁああ――!」


 膝から崩れ落ちたアンヤを邪族(ベーゼニッシュ)である吸血鬼が怒りをその目に宿し、見下ろす。


「こんな出来損ないがこの俺様を差し置いて四邪帝と同等の地位を得るだと……? ふざけるなよ……」




    ◇◇◇




 聖都ニュンフェハイムにある宮殿に備えられた客室のすぐ外で、聖女ティアナと1人の男が言葉を交わしている。


「傷口は既に塞がっています。直に意識も戻られるでしょう。ですが……」

「魔力が回復しない……」

「それどころか、徐々に減っています。このままでは……」


 男はそれ以上口にはしなかった。

 だが、彼が何を言いたいのかをティアナは察して表情を曇らせる。


「呪い、ですか?」

「その程度のものならまだよかったんですがね……あれは魔法によるものではありません。そう、あれは魔法から完全に独立した事象だ」

「それは……!」


 ティアナが目を見開く。


「魔法のように何らかの現象を再現したものではなく、どちらかというと自然現象そのものに近い。現状、我々に打てる手はありません」

「……それを精霊様方には?」

「既に。隠し事など許していただけませんでしたから」


 そう言って苦笑いを浮かべる男だったが、ティアナに鋭い視線を向けられるとバツが悪そうにしながら佇まいを正し、そそくさと退出していった。

 それを見送ったティアナは暗い表情に戻り、客室の扉をノックした。すると扉の向こうからくぐもった声で『……どうぞ』という声が届いた。

 ティアナは意を決したように扉を開け、入室する。


 部屋の中ではベッドに横たわるユウヒを5人の精霊たちが取り囲んでいた。

 彼女にとって意外だったのは精霊たちの表情がそこまで思い詰めたものでもなかったことだった。


「……どうかしましたか?」


 コウカが体をユウヒに向けたまま、視線だけをティアナへと向ける。


「あ、いえ……その、落ち着いていらっしゃいますね……」

「ええ、まあ。さっきまではいろいろと騒いでいたんですが、これからどうするかはちゃんとみんなで話し合って決めましたから。あとは全力でやり遂げるだけです」


 取り乱した様子もない彼女たちにティアナは呆気に取られていた。精霊たちはユウヒの現状に間違いなく暴走すると思っていたからだ。

 それを宥めるのが彼女の役割だったのだが、却って冷静さを失ってしまったのはティアナの方だ。


「差し支えなければ、どうなさるのかお聞きしてもよろしいでしょうか……?」

「アンヤを連れ戻しに行きます。全員で」

「む、無茶です! あの方は……」


 そこまで口にしてティアナは口を噤んだ。コウカからまっすぐ視線を向けられていたからだ。

 責めるわけでもなく、ただまっすぐ見つめられているだけなのにそれ以上は口にはできなかった。


「どのみち、このまま離れ離れなのは嫌なの」

「大好きですから~もう~離れられません~」


 ヒバナはティアナに背を向けたまま。ノドカは振り返り、微笑を携えながらそう口にした。


「この場所からは誰も欠けちゃいけない」

「誰か1人でも欠けちゃったら、ボクたちはボクたちじゃいられなくなるんだよ」


 シズクがユウヒの頬を撫でる。ダンゴは自信に満ちた笑みでみんなの顔を見渡した。

 彼女たちの言葉を受けてコウカがティアナへと告げる。


「わたしたちはどんな時でも、自分たちの愛もあの子のことも信じ続けますから」

「……っ」


 ティアナが口を覆い隠す。

 やがて静寂の訪れた部屋の中で彼女は重い口を開いた。


「……(わたくし)が今日ここに来たのは、教団としての決定をお伝えするためでした」

「決定?」


 コウカをはじめ、数人が首を傾げる。


「はい。先の戦いで新たに生まれた邪族(ベーゼニッシュ)の討伐……それが教団が最優先と定めた目標です」

「あんたっ、ふざけたこと――」


 立ち上がり、振り返ったヒバナは今にもティアナに掴みかかりそうな形相だった。それを押しとどめたのはノドカだ。

 ノドカはヒバナの腰に抱き着くと見下ろしてくる彼女に微笑みかけた。


「ヒバナお姉さま~大丈夫ですから~」

「……ノドカ?」

「心配しなくても~大丈夫~」


 要領を得ないノドカの言葉だったが、彼女はこの状況から何かを感じ取ったのだろうか。そう考えたヒバナは渋々引き下がった。

 ティアナの方も多少気まずそうにしながら言葉を続ける。


「ユウヒさんを――救世主を失うことは人類にとって大きな損失です。救世主という存在は既に人々にとって心の拠り所となっている。それを失ってしまえば、きっと……。そう我々は考えたのです。だから、討伐することによりその症状が治まれば……という一筋の光に賭けることになりました」


 ヒバナたちは黙ってその言葉を聞き続けていた。

 だが、そこでティアナは己の拳を強く握り込む。


「人類が最初に誕生した時代からミネティーナ様は愛の大切さを説かれてきました。ミンネ聖教が掲げる教義の根底にあるのもその御教え。聖女である(わたくし)は誰よりもそれにまっすぐ向き合わなければなりません」


 彼女は姿勢を正し、精霊たちの顔を見渡す。

 その目には彼女なりの決意が現れていた。


(わたくし)は聖女として、ユウヒさんの友達として、貴女方の愛を信じます。お父様も枢機卿たちも(わたくし)が説得してみせますので、皆さんもどうか自らの信じる道を」

「っ! はい……ありがとう、ティアナ」


 退室するティアナを見送った彼女たち。

 その後、程なくしてシズクがぽつりと声を漏らした。


「……ねえ、あの人にはああ言ったけど……本当にあたしを信じて決めちゃってよかったの? こんなの推測でもなんでもない、ただの賭けの連続だよ」

「弱気になることはないわ、シズ」


 ヒバナがもたれかかってくるシズクの頭を抱く。

 そしてそのまま彼女の頭を慈しむように撫ではじめた。


「どうすればいいかを決めてくれたのはシズク姉様だけど、何をしたいかっていうのはみんな同じだったんだから大丈夫だよ!」

「お姉さまも~きっと同じ気持ちですよね~」


 シズクの表情が和らぎ、部屋の雰囲気も少し軽くなった。


「全員が納得できたのはシズクの考えた方法だからです。不安や後悔はありますけど、不思議と怖くありません」


 その言葉にヒバナは遠い目をする。


「後悔、ね……あの子――アンヤはずっとこのことを抱えていたのよね。どうして気付いてあげられなかったのかしら。どうしてもっと無理矢理にでも聞き出してあげられなかったのかな……」


 沈み込むヒバナに影響され、ノドカとシズクも少し表情が暗くなってしまった。

 そこに長姉の手が伸びる。


「後悔のまま終わらせませんよ。わたしたちは必ずアンヤを連れ戻して、ちゃんと家族になるんです」

「うん! ボクだって、まだまだアンヤにお姉ちゃんらしいことできていないからね! 引き摺ってでも連れ戻すよ!」


 ダンゴはコウカの言葉に同意を示しつつ、ノドカに抱き着いた。

 そしてコウカによって力強く頭を撫でられているヒバナとシズクは文句を言いながらも最後には微笑みを浮かべていた。


「ん……んぅ……」


 ――その時だった。ベッドから微かなうめき声が上がる。

 全員の視線が眠っていたユウヒに向けられると、彼女の瞼がゆっくりと開かれていった。




    ◇




「ん……んぅ……」


 ――あれ、私なんで眠っていたんだっけ。

 ゆっくりと目を開くとみんなの姿が最初に映った。

 そうだ、私は戦っていて……それで――。


「アンヤっ! ねぇ、アンヤは!?」


 意識が一気に覚醒する。私は飛び起きて部屋の中を見渡した。

 ――いない、いない、いない。いない。いない。


「アンヤ、アンヤがいないの!」

「ちょっと落ち着いてって!」


 最後に見たアンヤの姿。血のように赤い瞳。奇妙な右腕。《鑑定》によって示された邪族(ベーゼニッシュ)という情報。

 そしてアンヤの繋がりが今も感じられない。

 ――もう、分かってしまった。

 あの子は邪族(ベーゼニッシュ)になってしまったんだ。


「は……ハハ、終わりじゃん。もう」


 私が立っていた場所全てが嘘で塗り固められていたものであったかのようにガラガラと音を立てて崩れ去っていく感覚だ。


「終わりなんかじゃありませんよ」

「何が? 邪族(ベーゼニッシュ)なんだよ……もう」

「それでもアンヤです」


 何が終わりじゃない、だ。一緒にいられなくちゃ意味がない。


邪族(ベーゼニッシュ)なんだよ! もう私たちと一緒にはいられないっ! 邪魔(ベーゼ)になった龍の最期を見たでしょ!? 敵になっちゃったんだよ!」


 たとえ家族であったとしても、侵されてしまった心に声は届かない。もう元には戻れない。

 ――そんな時だ、不意に温かい何かによって私の顔が包み込まれた。


「終わりじゃないって言ってるでしょ。私たちの言葉が信じられない?」


 私、ヒバナに抱きしめられているんだ。

 その温もりと匂いで解された心に彼女の声が染み込んでくる。


「主様、ちゃんと顔を上げてボクたちの顔を見てよ」


 その言葉に釣られるように私はヒバナの胸の中からみんなの顔を見渡した。

 ――みんなはまっすぐ私の目を見つめ返してくれていた。そこに沈んだ顔は1つとしてない。


「どうして……」


 みんなは前を向いていられるんだ。希望を持ち続けられるんだ。


「お姉さま~。最初から諦めてるのは~なんで~?」

「主様、ボクは何もしないまま諦めるのなんて嫌だよ。どんなに難しいことでも大切なものの為に頑張ってきたのが主様じゃん!」


 その言葉で思考にかかっていた靄が晴れたような気がした。

 ――そうだ……私、どうして最初から無理だって決めつけてしまっていたのだろう。

 それはきっと、あの子を失うと思って冷静ではいられなくなったから。それで全てを失った気になって全てを諦めようとしていた。

 でも私は生きている。きっとあの子も。

 本当に頑張らないといけない時に頑張れなくてどうするんだ。


「……アンヤは?」

「アンヤは敵の手でどこかに連れ去られてしまいました」


 生きていてくれてはいるのだろう。

 でも、やっぱり――。


「だから、これからわたしたちの手でアンヤを連れ戻しに行きましょう」

「……え、連れ戻すって」

「最後に見たアンヤはわたしたちの知っているあの子だった。マスターを傷つけてしまったことに激しく動揺していました。あの子は消えていない、魂はずっとあの子のままです」


 ――魂。

 そうだ、狭まった思考のせいで勘違いしていた。

 邪族(ベーゼニッシュ)から戻れなくなってしまうのは魂まで侵されてしまった時。なら、あの子がずっとあの子のままならまた一緒にいられるはずなんだ。


「その前にマスターの体についても……シズク、いいですか?」


 コウカの言葉に頷いたシズクによって、今の私が置かれている状況について知った。……その末路も。

 言われてみれば、どんどん自分の中の魔力が減っている感覚がある。

 このままいけば、みんなも私から魔力を補給することができなくなるだろう。


「なら、みんなだけでも私との契約を解消して他の人と――」


 そこまで口にして、ポンと頭を軽く叩かれる。


「バカなこと言わないの。それじゃあ魔力効率が悪すぎてまともに補給できないし、生きながらえたとしてもどのみち、世界が終わるわよ」

「それにそんな選択をユウヒちゃんはあたしたちが採ると思うの?」


 私は首を横に振った。

 思わない。本当はこの子たちが私以外の人と契約するのなんてすごく嫌で、みんなが私と一緒にいてくれる選択をしてくれるのはすごく嬉しい。

 でもこんな自分勝手な気持ちでみんなを縛り付けようとする自分は嫌だったからそういった言葉を投げ掛けてみたのだ。

 結果、卑しくて醜い自分の性根と向き合ってしまったのだが。


「じゃあ、私たちはこれからどうなっちゃうの?」


 聞いた限り、この今も侵蝕してきているものを消し去る方法ははっきりとしていない。

 だが彼女たちの面持ちからは何かアテがあると考えていいのだろう。


「ここからは本当に賭けに近いんだけど……」


 シズクがそう言って語り始める。


「ユウヒちゃんを蝕んでいるそれが無くなる唯一の方法と考えられるのは、その力を根本から消し去ること」

「――ッ! それって……。ごめん、続けて」


 言葉を遮ってしまった私だったが、ヒバナに強く抱きしめられたことで冷静になった。

 この子たちがアンヤが消え去る方法を良しとするなどあり得ないことだ。


「これも賭けになっちゃうけどその力がアンヤちゃんの体と魂、どっちに宿っているのかが重要なんだ。体の方なら問題ないはず……もう一度ユウヒちゃんと契約さえすれば体が作り替わって、その時に不要な物は取り除けるから」


 眷属契約に付随する《最適化》のスキルか。たしかにアレなら、不要な物はどんなものであろうと取り除けるはずだ。

 だが逆に魂なら取り除くことはできない。魂と結びついたその力を無理に取り除けば、きっと私たちの知るアンヤではなくなってしまうからだ。


「これはそこまで分の悪い賭けじゃないと思っているんだ。コウカねぇが見たアンヤちゃんはあたしたちの知っているアンヤちゃん。体は変わっているけど魂は変わっていないってことだよね」


 たしかに。

 ならアンヤと会ってもう一度契約さえ交わせばこの侵蝕も消せる。


「でも、邪族(ベーゼニッシュ)になっちゃっても契約できるのかな……」

「……アンヤちゃんがスライムのままなら、たぶん大丈夫。ユウヒちゃんはスライムマスターだから」


 アンヤに《鑑定》を使った時に得た情報。あの子はカースド()()()()・エクリプス。ならスライムだ。

 このことをシズクをはじめ、みんなにも伝えると全員の表情が和らいだ。


「分からないのがこの次、アンヤちゃんに残されている時間とあたしたちに残されている時間、そしてアンヤちゃんが今いる場所。居場所はわからないし、時間はアンヤちゃんのも分からないし、あたしたちのもおおよそで予想することしかできない」


 アンヤに会えるまでにどちらかの時間が尽きてしまえば終わりだ。あの子が今いる場所を探すことだって困難を極めるだろう。

 この侵蝕する力が魔法であれば逆探知なりできそうなものであったが、原理がさっぱりと来た。


「だからこれがあたしたちの1歩目の賭けになるよ」

「1歩目の……?」


 コウカがひとつ足を踏み出して、口を開く。


「マスター、“朧月”の気配を感じることはできませんか?」

「アンヤちゃんの~霊器のことですよ~」


 アンヤの気配を感じ取ることはできない。

 とはいえあの子との繋がりが無くなってしまった今、朧月はこの世界に残っているのだろうか。それを知るのが怖い。

 そんな不安が顔に出ていたのか、ダンゴがベッドの上に乗り出してきた。


「アンヤがあんなに大切にしていた朧月を手放すわけないよ! きっと今も持ってる!」

「信じましょう、ユウヒ。あの子との繋がりを」


 そうだ。あの子はあの霊器を本当に大切にしてくれていて、戦っていない時でも《ストレージ》の中ではなく腰にずっと携えていた。霊器にとっては必要のないことなのに手入れを欠かさなかった。

 アンヤの力と私の力、私たちの想いの結晶。あれもまた私とアンヤの繋がり。

 コウカ達の霊器は《ストレージ》の中にあってもはっきりと感じ取ることができる。だから、きっとアンヤの朧月も。


「今はアンヤのことだけを考えてください、マスター」


 お願い、アンヤ。お願い。

 まるで砂漠の中から砂の一粒を探しているような感覚。でも見つけてみせる、あの輝きを。


 ――その時、キラリとどこかで何かが輝いたような気がした。


「見つけた!」


 それは決して錯覚などではなかった。

 これはアンヤとの繋がり、あの子の持つ輝き。一度見つければもう決して見失いはしない。


「あったのね!?」

「うん!」

「やった、やったぁ!」


 やった。これでアンヤを迎えに行ける。


「お姉さま~!」

「やったね、主様!」


 感極まったのか、抱き着いてきたノドカとダンゴを受け止める。


「賭けでも何でもなかったね。ユウヒちゃんとアンヤちゃんの想いが繋がっているのは当然のことだったんだもん」

「ええ。さあ、行きましょう。アンヤの元へ」


 私はコウカの言葉に強く頷いた。



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