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21 澱んだ栄光

 邪神に対する世界各国の首脳による会談は無事に閉会した。途中襲撃があったとはいえ、犠牲者が出なかったのは本当に大きな成果であっただろう。

 襲撃に対して、聖教国および教団を非難する声が上がることはなかった。

 むしろ邪神の軍勢に対する認識に現実味が帯び、災い転じて福となすと言うと少し不謹慎かもしれないが、まあ各国間の結束力が高まる良い結果となったのだ。

 ――唯一、グローリア帝国を除いては。


 グローリア帝国は相変わらず強硬的な姿勢を崩そうとはせず、戦力の派遣も魔導具の提供も拒み続けているのだ。

 あの国には霊堂の1つである“火の霊堂”が存在する。幸いにも、帝都に近い場所に霊堂があるおかげもあり、有事の際に守ってくれないということはないだろう。

 だから霊堂が破壊されるという事態は早々ないはずだ。

 だが結局、グローリア帝国周りの問題が解決しなかったのが心残りとなる結果だ。

 ……というか、わざわざ出席してまであの態度って。あの人は何をしにここまで来たんだ。


 そんな国の皇帝と宮殿の廊下でばったりと会ってしまった。私はトイレに行っていたので今は1人だ。

 コウカが付いて来ようとしたが、そんなに遠くないからと何とか諦めさせたのだがそれが仇となった。

 聖教騎士と自国の軍人に囲まれた皇帝は私を見つけると護衛を先に行かせて、1人で私の前に立つ。


「貴様、余の護衛を断ったらしいな」

「ごめんなさい。でも、こっちも別の要件がありますから……」


 異変の規模が大きくなりすぎて非常に困っているということから、私たちはその異変を解決しに行かなければならない。それはどう考えても皇帝の護衛よりも優先度の高いものだ。

 皇帝の護衛は騎士たちでもできるが、異変を治めるのは私たちにしかできない。

 そのことに対して、皇帝は表情を歪ませたが追及してくることはなかった。

 口を開いた彼女から飛び出てきた言葉は全く別のものだった。


「……先日の催し。随分と人気者だったではないか」

「え……それは何というか……。本当は私だけじゃなくてみんなも同じくらい評価してほしいんですけどね」

「ククッ、国のトップがなりふり構わずに醜態を晒すなどその国の程度が知れるものだな」


 先日のパーティで私は今回の戦いにおける称賛を受けた。

 様々な国が関係を築こうとしてくるし、実際に自分の国に来てくれと招待もされたがヨハネス団長をはじめとする聖教国の人たちのおかげでその場は収まったのだ。


 隙があれば他者を蔑もうとする彼女の言葉に無反応を貫いていると、彼女の話すトーンが少し変わる。


「……しかし、醜態を晒してまで取り入りたくなるほど貴様の力は強大かつ特別だ。それだけの力を持っていれば、大抵の国は貴様が不義を働いたとしても見逃すだろうな」

「えっと……」


 彼女の言葉に何と返すべきなのかが思い浮かばない。

 そのうちに彼女は言葉を進める。


「我が国の魔導具が各国に配備されれば、確実に犠牲は減るだろう。だが余はあれらを外に出すつもりはない。ククッ、なぜ塵芥どもを救うために自国の軍事力を削る必要がある」


 何も聞いていないのに次々と言葉を重ねていく彼女に私は付いていけない。

 それに気が付いたのか、彼女は私の目をまっすぐ見つめて口を開いた。


懇篤(こんとく)な救世主としては、少しでも犠牲者は減らしたいものではないか?」

「それは……まあ、そうですね」

「だが今も言った通り、余は魔導具を余の国の為だけに使う。余が皇帝である限り、この決定が覆されることはない」


 グローリア帝国の魔導具。それも軍事に採用されているものはたしかに強力だ。それは私も身をもって体験した。

 その魔導具が世界の国々を守ってくれれば、邪魔(ベーゼ)や魔物からの犠牲者は減るかもしれない。

 でもそれが叶わない以上は別の方法で防衛するか、私たちが頑張って異変を鎮めていくしかない。

 残念だけど仕方のないことなのだ。誰だって自分の身の周りが一番大切なのだから。


 それにしても、こんなことをわざわざ言ってくるこの人は何なのだ。


「帝というのは素晴らしいぞ。暴力、権力、財力。あらゆる力によりなんでも望んだとおりに事が進めることができ、煩わしい柵からも解放される。皇帝こそが人の頂点、あらゆるものを超越した絶対者なのだ」

「ぅん……」

「何だ、反応が鈍いな。まさか救世主として自分は清廉な人間だと戒めているのか? ふん、無欲は美徳などという考え方はただの自己満足だ。それでは貴様は世界どころか何も救えんぞ、ええ?」


 何だこの話。

 急に皇帝の良さをこれでもかと紹介してくるし、また少し話の軸がブレ始めているし。


「その一貫性がない話、やめにしませんか? すごく必死に何かを伝えようとしているのは分かるんですけど……」

「なっ……」


 普段は暴君のクセにこう何かを遠回しに伝えようと必死過ぎる。遠回しな発言で相手に察してもらうといっても限度があるのだ。

 会談中の態度も何か意味のあるものなのかなと予想はできるが、正直よく分からない。

 というか暴君ならストレートに用件を伝えて、強引に話を進めるくらいの気概を見せて欲しいものだ。


「マスター」


 そうして黙り込んでしまった皇帝と対峙していた私の背後から足音が近付いて来て、コウカが現れる。


「コウカ……どうかした?」

「戻ってくるのがあまりにも遅かったので探しに来ました。それで……」


 コウカが厳しい目線で皇帝を睨み付けている。

 ピリピリとした空気が2人の間に漂い、私は蚊帳の外に置かれてしまう。


「余に不遜な目線を向けるな、駄犬。おい救世主。飼い犬1匹程度の躾もできないようでは、いつか足元を掬われることになるぞ」

「その言葉……マスターを侮辱して……?」


 まずい、と感じた。

 加速度的に空気が悪くなり、コウカがおどろおどろしい敵意を皇帝に向けているのが分かる。まさしく一触即発だ。


「貴様も含めてだが、な」


 だというのにこの皇帝はコウカをさらに煽り始めた。

 敵意を向けられていない私だって感じるほどなのに、直接向けられている皇帝が感じていないわけがない。

 敵意が殺気と呼べるほどまで変化させたコウカが霊器“グランツ”を取り出し、その切っ先を向けようとしたところで――私は抱き着くようにしてコウカを抑えた。


「ダメだってコウカ! それやると問題になるから!」

「でも、あれはマスターを否定しました……どうして止めるんです?」


 ――いや、だから問題になるからなんだけど。

 一国の皇族に剣を向けるのは絶対にまずい。それ以上にコウカが止まらない場合も考えると本当に止めないとダメだ。


「とにかくダメなの!」

「ダメ……マスターがわたしを否定する……?」

「ひ、否定!? いや、1回冷静になってよく考えよう? 私はコウカとまだまだずっと一緒にいたいの。でもその剣を向けちゃうと大変なことになっちゃうでしょ?」


 今のコウカは本当にまずいどころではない。誰か助けて。


「ククッ、低能な騎士サマはこの程度のことにも考えが及ばないらしいな」

「なんだと……?」


 最悪だ。

 この場にいる誰かなんてこの煽ることを生き甲斐にしているとしか思えないこの人しかいないじゃないか。もうダメだ。


「ダンゴ! ダンゴぉ!」


 今いる廊下を曲がって少し進んだ場所に私たちの部屋があるはずだ。そこにいるコウカを止められそうな子に大声で呼び掛けた。

 ――そうして私の声を聞いてすぐに駆け付けてくれたダンゴたちによって何とか最悪の事態は回避できたのであった。




 落ち着かせたコウカはみんなに任せて、私は皇帝と再び対峙する。

 彼女はこちらを嘲るような表情で口を開いた。


「使えない家来を持つと苦労するな、救世主」

「……その物言いももうやめたほうがいいですよ。どうなるか保証できませんし」


 今のコウカにこの人の発言は悪影響だ。

 それにこの人がわざと煽っているのだとしても、ハッキリ言って不愉快だった。

 私はいつの間にかこの人に対して怒りを抱いていたらしい。

 それはコウカを怒らせるように仕向けたからではない。あの子のことを蔑んだからだ。


「失礼します。コウカも休ませてあげたいので」

「……こちらの方が効果的だったか」


 一方的に別れを告げる形でみんなを連れ、その場を離れる。

 今回ばかりは後ろで呟いていた彼女の発言を拾う気にはなれなかった。




    ◇




「アンヤ、代わってください」

「…………」


 今、目の前で繰り広げられているのは言葉以上に有無を言わさぬ態度で迫るコウカと彼女をジッと見つめたまま黙り込んでいるアンヤだった。


 私たちは聖教団から依頼のあった通りに魔素鎮めへ向かうために厩舎からスレイプニルのミラン達を連れ出していた。

 そして各ペアで個別に出発の準備をしているところで私とアンヤの元にコウカがやってきたのだ。

 コウカが要求しているのは同乗するペアの変更。この場合だと私はアンヤと組んでいてコウカは1人だから、私とコウカが組むとアンヤが1人になる。


「……どうして?」


 アンヤが冷静にコウカへと問い掛けた。

 それにコウカも淡々と答える。


「マスターを守るためですよ。あなたでは頼りになりませんから」

「ちょっとコウカ! そんな言い方っ……あ、いや……」


 あんまりな言い草にコウカを咎めようとした私だったが、先程の出来事を思い出して、つい言い淀んでしまった。

 この子を窘めようとした時、この子は私に否定されたような気になってショックを受けていた。

 かといってこんなストレートに人を蔑むような言葉、それも自分の妹に向けているなんてコウカらしくもない。

 これは注意しないとダメだ。


 そうして葛藤しているうちに2人の間で答えは出てしまった。


「……わかった。たしかに、アンヤだと不安」

「どうも。ではわたしはマスターと一緒に」


 取引を終えて、私に背を向けたアンヤが去っていこうとしている。


「待って、アンヤ!」


 それを私は反射的に彼女の肩を掴むことで引き留めた。肩に触れた瞬間、アンヤの体が僅かに揺れる。

 今度はあの日の夜のように振り払われることはなく、長い尻尾のような髪を揺らしながら振り返って私の顔を見上げているアンヤと視線がしっかりと交差した。


「……なに、ますたー?」

「あ……またゆっくりと話そうね。それとこれも返し忘れていたから」


 思った以上にアンヤが普段と変わらないように見えてしまったから、却って動揺してしまった。あの日のアンヤは夢だったのではないかと錯覚してしまうほどだ。

 だが、《ストレージ》の中にある手入れされずに放置されている彼女のナイフたちはあの日の出来事が事実であることを示している。

 それに変わってしまったコウカの存在も……。


「……ありがとう。ごめんなさい」


 ナイフを受け取り、《ストレージ》にしまうとアンヤは肩に置いてある私の手をやんわりと除けた。

 そのまま踵を返して去っていこうとするアンヤに私はまた声を掛ける。


「ちょ、ちょっと待ってよ。アンヤはこれからエルガーのところに行くんでしょ? だったら私とコウカがエルガーのところに行くよ」


 いくらスレイプニルたちが賢くてほとんど指示を必要としないとしても、初めて乗る相手だと不安もあるだろう。なら私とコウカがエルガーに乗って、アンヤはそのままミランに乗った方がいい。

 ――なんて、即興で考えた言い訳だ。

 ただ私は少しでも多く彼女と会話していたかったのだ。本当は移動中にアンヤとじっくり話したいと思った。

 コウカのことは大切だが、アンヤも大切だ。それは優劣をつける問題じゃない。

 今のコウカは私にべったりな以上、2人きりになれる機会はまず存在しない。だから2人で話し合える時間を利用したかったのに。


「ちょっとコウカ姉様! エルガーを放っておいて何やってるの? もう出発だよ、主様とアンヤも!」

「ごめん、今行くよ!」


 タイミングの悪いことにダンゴが私たちを呼びに来てしまった。

 いつの間にかだいぶ時間が経っていてもう出発予定時刻を過ぎていたらしい。


 そこからはコウカと協力して準備を終わらせ、私たちは西へと向かった。




    ◇




 草原の中をスレイプニルに乗った私たちは駆けていた。


「いい天気だねぇ。昨日、大雨降ってたのが嘘みたい」

「そうですね。エルガーに風の膜を外してもらっても気持ちがいいかもしれません」

「あっはは。それやったら息しづらくてかなわないって」


 コウカとこうして何気ない会話を繰り広げているが、思った以上に和やかな雰囲気となっている。

 最初は私もどうも身構えてしまっていたが、今は普通に会話を楽しんでいた。


「役目とかなかったら、みんなと気ままにどこかへ……あっ」


 ハッとした私は口を紡ぐ。

 これは私らしくない発言だった。救世主として人々を救う以上に優先すべきことはない。


「……行きますか? このままどこかへ」

「えっ?」

「マスターが望むなら、わたしはそれに従います」


 私の言葉を咎めるわけではない。

 唯々肯定してくれる彼女の言葉に私は一瞬だけ悩んだがすぐに頭を振って前を見据えた。


「行かないよ。困っている人が待っているんだから」


 でも、もし本当に何もかもから解放された時、その時にはきっと――。




 草原を抜ければ、のどかな街へと辿り着く。

 ここは目的の魔泉がある街とはまた違う街だが、私たちは休息を取るためにここに立ち寄った。

 やはり聖教国内だけあって、歓迎の度合いがすごい。市民からは基本的に遠巻きで見られるばかりなのだが、拝まれたりするのは少々居心地が悪かった。

 あと、入った店全てでサービスを無料提供しようとするのはやめてほしい。


 そうして少しの間だけだが、何だかんだでゆっくりと羽根を伸ばしていた時のことだ。

 私たちのそばに小さな女の子が駆け寄ってくる。


「は、はじめまして救世主さま! おねがいがありますっ」


 まさかこんな状況で話しかけられるとは思わなかったので、私たちの誰もが度肝を抜かれて咄嗟に対応できないでいると、その子の両親らしき人々が顔を青くしながら走ってきた。


「こらっ、レーネ! 申し訳ありません、救世主様!」

「あ、いえいえ。それでお願いって何かな、レーネちゃん」


 すごい勢いで謝ってくるご両親を手で制止しながら、私はレーネと呼ばれた少女に向き直った。


「救世主さま。パパの畑をとりもどして!」

「あ、こら……!」


 父親がレーネちゃんの口を塞ぐ。


「畑、ですか? 詳しく聞かせてください」


 後ろでやや動揺しているような声が聞こえてくるが、今は目の前にいるこの人たちの話を聞くことに集中した。

 少女の父親は悩む素振りを見せていたが、母親に何かを言われると観念したように口を開く。


「実は……異変によって地中から湧いてきた魔物に私の所有する畑が荒らされてしまっているんです。ですが救世主様のお手を煩わせることではありません。騎士の方々もどうにかできないか対策を考えてくださっておりますので」

「でもまだ上手くいっていないんですよね。生活は大丈夫なんですか?」

「それは国からの補償で何とか……」


 その辺りはちゃんとしているのか。

 助けてあげたいけど、聖教団から鎮めるように頼まれている異変とはまた別のものだろう。私が請け負っている依頼の方が緊急性も高く、聖教団からは至急解決するように言われている。

 そうして、今回ばかりは見送るかべきかと私の考えが傾き始めたその時、母親に抱かれていた少女が口を開いた。


「でもこの前、お金が足りなくてつらいって言ってたよ?」


 少女の言葉に彼女の父親は酷く驚いた顔で奥さんの顔を見た。


「お前、レーネに話したのか?」

「いいえ、まさか」


 ご両親の反応から想像すると少女がどこかで彼らの話を聞いていたのだろう。

 今は国どころか世界中で異変に対する対応に追われているのだ。国からの補償だけで生活するのは流石に厳しいのか。


 少女が私の顔を見る。


「おねがいします、救世主さま」

「うん、わかりました。お姉ちゃんが魔物をやっつけて、パパの畑を取り戻してあげる」

「やったぁ、ありがとう!」


 ご両親は私の言葉にオロオロとしていたが私の意志が固いことを感じ取ったのか、深く頭を下げた。

 その後は問題に対処している騎士たちの詰所を聞き出して、その騎士たちから詳しく話を聞くために少女たちとは別れた。




 大通りを抜けて次第に人が少なくなっていく。

 そして完全に人目に付かない場所に入った時、ヒバナが「ちょっと、ユウヒ!」と強い言葉で呼びかけてきた。

 彼女の機嫌がどうにも悪いことはすでに気付いていたので、情けない話だが何か間違ったかなとビクビクしながらここまで歩いてきていたのだ。


 私は気合を入れるとゆっくりと振り返り、予想通りの険しい顔をしたヒバナをまっすぐ見据える。

 ……いや、直視すると怖いので少し目線は逸らした。


「な、何かな、ヒバナ」

「何かな、じゃないわよ! どうして引き受けたの。どうしてそう安請け合いしてしまうのよ、あなたは!」

「え、だって……困っている人が居たら助けてあげたいよ……」


 鋭い視線に晒されて、語尾がどうしても下がってしまう。


「あなたがそう考えてしまうのは分かってる、でも私が言いたいのは優先順位のことだけじゃない! どうしてあなたはあそこで、1人だけで決めちゃったの。予定だってちゃんとみんなで話し合って決めていたのに、どうして相談もしないで勝手に変えちゃうのよ!」

「あ……」

「こっちだって納得できないことくらいあるわ。あなたに決めてもらうことも多いけど、それは契約主だとか眷属だからだとかじゃない。あなたが決めたことに唯々従うわけじゃないの!」


 そうだ。そうじゃないか。

 私が常に決定して、みんなはそれに物を言わずに従う。そんなの私が望んだ関係とは違うではないか。

 “信じる”というのはもっと温かいものだったはずなんだ。こんなものはただの一方的な押し付けでしかなかった。

 私一人だけで決めて、みんなを引っ張っていく。そんな関係はもうとうの昔に去っている。

 ――私、どこか焦っちゃってたのかな……。

 でもそれにヒバナが気付かせてくれた。

 きっとこれこそが一種の支え合いともいえるものなのだろう。


「そうだったね、私たち――」

「何ですかその言葉は!」


 だが私の言葉は突如として発せられた強い言葉によってかき消された。


「――えっ?」


 目の前の光景に思考が停止する。

 ゆっくりと再起動を始めた脳が認識したのは、コウカがヒバナの胸倉を掴んで壁へと押し付けている光景だった。


「いっ……何すんのよっ」

「許しませんよ、マスターを否定することは!」

「はぁ!? 私のどこがユウヒを否定してるって言うのよ!」

「マスターがやろうとしていることを否定するなんて、マスターを否定しているのと同じだ!」

「なに言ってんのかワケわかんないってば! それにコウカねぇだって分かってるでしょ!? どっちを優先するべきかくらい!」

「マスターがやると言っているんだ、どっちもやればいい!」

「はぁ!? どうして今になってそんなことが言えるのよ!」


 ヒバナがコウカの胸倉を掴み返す。

 そこで私の脳が急速に働き始め、どうするべきかを模索する。

 どうやら言い争っている2人以外も私と同じ状況だったようで、他のみんなと目が合った。

 ……どうするべきかなんて考えるまでもなかったのだ。私はみんなに頷きかけるとみんなも頷き返してくれた。


「やめてよ、コウカ!」

「コウカ姉様! 良くないよ、そんなの!」


 私の言葉と共に、ダンゴがコウカを止めるためにヒバナから引き剥がしに掛かる。

 抵抗が強そうだが、力に差のあるダンゴをコウカは振り払うことができないはずだ。


「ひーちゃんも! 一旦落ち着こうよ……ね?」


 ヒバナの方はシズクが後ろから抱き着く形で止めに入る。

 しばらくはその状態でも身動いでいたヒバナも少しずつ落ち着いてきたようだ。


「ふぅ……」


 何とか止められたと息をつく。

 だがその気の緩みがダンゴに伝播してしまったせいで、コウカの拘束まで緩んでしまった。


「あっ!」


 気付いた時にはもう遅い。

 後ろに投げ飛ばされたダンゴはノドカが風魔法でやんわりとキャッチする。

 しかし、拘束を逃れてヒバナへと向かったコウカの手には剣が握られていたのだ。

 ――頭が真っ白になる。

 だが次の瞬間、コウカの右手と両足に地面から伸びた黒い影が絡みついたため、彼女の動きが一時的に止まる。

 そして私はほぼ反射的にコウカへと詰め寄り、後ろからその肩を掴むと振り返らせた。


 乾いた音と共に私の右手にひりひりとした痛みが残る。

 この胸に抱いている気持ちは怒りなのか悲しみなのか、何も分からないままに私は呆然とするコウカを怒鳴りつけた。


「何をしようとしたのっ、コウカ!」

「……あ、違う……少し脅しのつもりで……」

「脅し!? そんなふざけた理由で自分の妹に剣を向けようとしたの!?」


 こんな感情のままに、それも自分でもどんな感情から出た言葉なのか分からないまま言葉を吐き出すことは駄目なんだ。

 でも駄目だと思っているのに止まらない。止められない。


「い、妹……」

「ヒバナはコウカの妹でしょ。コウカ、嬉しそうだったじゃん……ヒバナに“コウカねぇ”って初めて呼んでもらえた時嬉しそうだったじゃん! なのに何でこんなことができるの!?  あの時の気持ちも忘れちゃったの、ねぇ!」


 コウカの顔がぼやけていく。

 ――違う。私が泣いているんだ。


「こんな……」


 こんなことができてしまう今のコウカは、何か大切なものを見失っているんじゃないかという気がして辛かった。

 そして、私自身が大切に思っているはずのコウカを傷付けてしまったことが辛かった。

 こんなの身勝手だ。傷つけたことに理由なんて関係ない。一方的な感情を叩き付けている。

 叩いて、怒鳴りつけて、傷付けて、それで勝手に傷付いて泣いている。

 ――私は唯々最低だ。


「あ、主様……ど、どうすればいいの、姉様!?」

「え、えっと~……い、いったん~落ち着きましょう~? 大丈夫ですよ~……?」


 私の体が温かいものに包まれる。

 一番しっかりしないといけないのは私なのに迷惑をかけてばかりだ。

 情けなくなってきて余計に涙は止まらない。


「け、剣を向けようとするなんて……ど、どこかおかしいのよ……」

「ユウヒちゃん……!」


 怯えをはらんだ声を出すヒバナと語気に憤りを含ませるシズクの声が聞こえる。


「間違っているのは……わたしじゃない……」


 微かに聞こえたその声に、私たちは誤った道を進んでしまっているのだと悟った。




 その後、少女とその両親に頼まれたとおりに畑を取り戻すために魔物と戦ったが誰もが動きの精細さを欠いてしまっていたといえる。


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