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19 止まらない変調

 ◇ :一人称視点への切替or場面転換(一人称継続)

◇◇◇:三人称視点への切替or場面転換(三人称継続)

 コウカが目覚めた。

 それだけで私たちは喜んだ。

 しかしその喜びに水を差す要素がある。ちゃんと意思を取り戻した目で私を見ているが、目を覚ました彼女の表情は明らかに暗いのだ。

 ――当たり前だ。これで元気いっぱいになっていた方が深刻だろう。


「コウカ、お帰り。こうやって無事に戻ってきてくれただけで嬉しい」


 彼女の背中に手を回し目一杯抱きしめると、コウカも軽く抱き返してくれた。


「……はい、マスター。もう傍を離れません。わたしはあなたの眷属ですから」


 抱きしめているため表情は見えないが、どうにも私の動悸は止まらなかった。


 その後もこれを機に構ってくる姉妹たちに対して、弱弱しいながらに応対するコウカは至って落ち着いているように見える。

 でも私にはどうしてもさっきの言葉が気になって仕方がなかった。

 どれも時折、彼女が口にする言葉のはずなのにどうしても耳から離れず、頭の中で何度もリフレインする。


「ノドカ、コウカに何かあったらフォローをお願いしてもいいかな」

「え~わたくし~ですか~……?」

「空気を読んで、波風立てずに済ませるのが上手いからさ。基本的には私も注意するから……ね?」


 私の他に1人、注意して見ている子がいたほうがいい。

 本当は全員でフォローするのが好ましいのだろうが、あまりみんなに意識させて態度に出てしまうとコウカもぎこちなくなってしまうかもしれない。

 面倒見はいいが感情的になりやすいヒバナは売り言葉に買い言葉というわけではないが、ちょっとしたことで精神面での脆さを見せることがある。

 他の子たちも気が弱かったり、上手く自分の気持ちを伝えられなかったり、少し情緒面で幼い子たちばかりだ。

 ノドカも甘えん坊であるなど少し幼い面があることは否めないが、その辺りこの子なら上手く事を運べるだろうし、悟られることもないだろう。


「ん~そういうことなら~……でも~わたくしは~アンヤちゃんのことも~心配です~……」


 普段の様子とあまり変わらないとはいえ、アンヤは時折浮かない顔をしていることがある。口数だってどこか少ない気がする。

 コウカのことでゴタゴタしており、結局アンヤの事もちゃんとフォローすることはできていないのだ。

 ナイフだって私の《ストレージ》に入ったままだし、あの子が何も言ってこないということはそこまで気が回らないほどの何かをあの子が抱えているということなのだろうか。


「あの子のこともできるだけ慎重にお願い。また私がそれとなく聞いてみるけどさ。コウカのこともあるし、溝ができちゃうとよくないから」

「そうですか~……? お姉さまが~そう言うなら~」


 微妙に納得がいっていないようだったけど、どうにか分かってもらえた。


 ノドカにはこう言ったが、私の本音としては打ち明けたくないことなら今無理に話してくれなくてもいいとさえ思っている。

 結局のところ、ただ前のように気兼ねなく一緒に過ごしたいだけなのだ。

 ――やっぱり私は臆病者なんだろうな。




    ◇




 再度話し合いの機会を設けてもらえるということで、ティアナに呼ばれて向かった部屋の中に入ると早々にミーシャさんから頭を下げられた。


「昨日はごめんなさいね。一晩寝たらスッキリしてベッドの上で悶えちゃったわ。昨日のワタシはなんて馬鹿だったのって」

「あはは、大丈夫ですよ。間違いなく正論でしたし、私も反省してます。ヒバナとダンゴはまだ拗ねているかもしれませんが、また仲良くしてあげてください」


 後ろの2人から抗議の声が飛んでくるが、拗ねているのは丸分かりだ。

 ダンゴはグローリア帝国でミーシャさんによく懐いていたし、ヒバナも昨日の戦いで一緒に頑張っていたようだから、あんな理由でミーシャさんに叱られたのが余計にショックだったのかもしれない。

 無論、コウカのことを心配して反発したことの方が大きいだろうが、それが関係していないわけでもないだろう。


「さて、今から話すことはどうして邪魔(ベーゼ)が何の前触れもなくニュンフェハイムを包囲することができたのか、よ」

「それについては(わたくし)が説明します、ミハエル兄さん」


 その口振りからもうすでに原因の究明は終わっていると見て間違いないだろう。昨日の今日なのに分かるものなのか。


「今回の件について、ほぼ間違いなく四邪帝のうちの1体“傀儡帝(かいらいてい)”が関与しています」

「四邪帝……」


 たしか邪族(ベーゼニッシュ)と呼ばれる邪魔(ベーゼ)の上位種から構成されている存在だったはずだ。

 ゲオルギア連邦にあった闇の霊堂を破壊したのもそのうちの1体である“鋼剛帝(こうごうてい)”だと聞いている。


「傀儡帝についての記録はそのほとんどが消失していますが、ミネティーナ様より四邪帝についての情報はお聞きしています。そしてその情報によると傀儡帝は空間魔法の使い手だと」


 空間属性は風属性の派生属性にあたる属性だ。

 残念ながらうちのノドカはほとんど使えないので、私たちが普段使っている《ストレージ》と似たようなことができるということや砂漠で使ってもらったように光を曲げられるということくらいしか私は知らない。

 しかし、博識なシズクは先程の言葉からすぐに答えを導き出したらしい。


「く、空間魔法を邪魔(ベーゼ)の転移に使ったってこと……?」

「その通りです、シズク様。恐ろしいことに傀儡帝は生物の転移を行えるのです。魔力が反発しあう以上、このニュンフェハイムは純度の高い魔素によって守られていると言えますが、ミネティーナ様もかつては何度もその転移に苦しめられたと仰っていました」


 それはそうだ。

 今回のように転移を使えば、相手の守りを無視してその内側に戦力を送り込むことだってできるはずなのだから。

 今回の襲撃に関しても世界樹から生み出される比較的純度の高い魔素がなければ、きっと傀儡帝は街の中に直接戦力を送り込んできたことだろう。


「で、でもこんな大規模、それも正確な転移魔法を使おうと思えばすごい消費になるはずだよ」

「はい。いくら邪族(ベーゼニッシュ)とはいえ、傀儡帝だけで賄える魔力量ではありません。恐らくは魔素の貯蔵庫のようなものから魔素を借りて使用していたのでしょう」


 こんな魔法を連発されると一瞬で世界中がボロボロになってしまうだろう。

 とてもじゃないが救援も間に合わない。本当に恐ろしい魔法だと思う。


「封印のおかげで邪神も余裕があるわけではないでしょうから、今回の転移は相当魔力を捻出したものだと予想できます。激しい戦いの連続であったというかつての大戦時においても、転移魔法を何度も連続して使用されることはなかったと。それを大きな被害もなく撃退できたのは相手にとっても痛手となったはずです」


 ティアナが両拳を体の前でグッと握り締め、笑顔を浮かべる。取り敢えずは一安心といったところだろうか。

 だが事態はそう楽観できるものではないらしく、真剣な表情のミーシャさんがティアナさんの肩を叩いた。


「えっと……たしかに相手に打撃を与えることはできたんです。ですが邪神側がこの結果を予測できないはずはない。あわよくばと考えていたとしても、聖の霊堂と世界樹以外に何か襲撃の目的があったはずなんです」

「その目的っていうのが何か予想はできないの?」


 ――たとえば、こちらの戦力を探るためとか。

 私の疑問にティアナが即座に答える。


「以前ミネティーナ様より賜った情報を元に軍部が夜通しで話し合った結果、可能性の一番高いものとして考えられたのは“傀儡の試験運用”です」

「傀儡……?」


 それはさっき聞いた傀儡帝と結びついた単語に思える。


「傀儡です。西、南および上空に現れた奇妙な動きをする邪魔(ベーゼ)のことは実際に戦われたシズク様、ヒバナ様、ユウヒ様とノドカ様はよくご存じだと思います」


 あれか。たしかにある一点を破壊しないと倒れないし、通常の邪魔(ベーゼ)には見られない奇妙な動きもしてきた。


「もうすでにお気づきでしょうが、傀儡は四邪帝の1体である傀儡帝と大きな繋がりがあります。傀儡帝は自身が持つ特殊な能力によって、死した者を意のままに操ることができるのです」

「それが傀儡……」


 傀儡を生み出すから傀儡帝なのか。

 ネクロマンサーという言葉は知識として知っていた。だから、どういうことなのか想像は容易い。


「傀儡は傀儡帝から直接的な指示を受けずとも戦闘が可能ですが、調整を受けることでその動きがより洗練される。だから敵の主目的は実戦での調整だったのではないかと」

「たしかに……時間が経つごとに戦いづらくなった……」

「傀儡帝もどこかで見ていたのでしょう。戦場となった場所の近くでは邪帝との交戦もあったのですから」

「えっ!?」


 ガタっと座っていたソファーが揺れるくらいの勢いで前のめりになってしまった。そんなのは初耳だ。

 ティアナを見れば、どういうわけか彼女も驚いていた。


「あれ、お聞きになって……あ……」


 何かに気が付いたように彼女は憐れむような目を私の右隣にいるコウカに向けた。

 まさか、そういうことなのか。この子が昨日、あんなにボロボロになっていた原因は――。


爆剣帝(ばくけんてい)……たしかヨハネスはそう呼んでいました……」


 表情の抜け落ちた顔で虚空を見つめているコウカがそう口にした。

 私は彼女の右肩に手を回し、そっと体を引き寄せる。辛いことを思い出させてしまったかもしれない。

 コウカがこの先の話を聞かなくていいように、私は抱き寄せるために彼女の右肩に触れていた自らの右手を彼女の耳へと伸ばすことで塞ぎ、左の耳も私の胸に抱き寄せるようにして塞いだ。


「ティアナ、いいよ」


 私はティアナに続きを促す。

 彼女は痛ましいものを見る目で私たちを見ていたが、こちらの言葉に頷くと口を開いた。


「今日は会議と各国への説明のためにここにはいませんがコウカ様が仰った通り、ヨハン兄さんもその爆剣帝と戦っています。実際に相手が名乗りを上げたこともありますが、その実力と特徴から邪族(ベーゼニッシュ)と呼ばれる存在であることは間違いなかったと」


 爆剣帝。

 ヨハネス団長が戦ったらしいが、あの時私が行っていたら私が戦っていたのだろう。

 そのことを考え、私の心に浮かび上がってきた感情は怒りと深い後悔だ。

 ――ああ悔しい。そいつがコウカを傷付けて、こんなにボロボロにして。私が行っていたら、きっとそいつを……!


 不意に私の左手の上に誰かの手が置かれた。


「ユウヒちゃん、手が痛くなっちゃうよ……?」


 シズクの手が固く握り締めていた私の手を優しく解していく。

 そして、後ろからも声を掛けられる。


「悔しいのはみんな同じよ。そいつを許せないっていう気持ちも。でもだからこそ、そんな暗い気持ちを1人で抱え込もうとしないでよ……似合ってないのよ、そんな顔」

「顔……?」


 振り返って問い掛けたところでヒバナは腕を組んだ体ごと顔を逸らしてしまった。

 そんな私の顔に影が掛かったかと思うと、温かい手が私の頬を掴んだ。

 目の前に逆さまになった状態のノドカが現れる。無言でくにくにと私の顔を揉んでいるノドカはニコニコとしていた。まさか私がよくアンヤにしていることをされるとは思わなかった。

 困惑していると、今度はそれを覗き込んでいたダンゴも割り込んでくる。


「主様。すっごく怖い顔だよ。ボクもそんな顔の主様は嫌だな」


 そんなに怖い顔を私はしているのだろうか。


「うるさいくらい、あなたの気持ちが伝わってくる。怒りも後悔も。ずっと伝わってくるの」


 ああ、そうか。私のスキルの中には《以心伝心》のスキルがあったっけ。全然使わないから記憶から抜け落ちていた。

 まったく意識していなかったことに加え、さっき抱いたのがあまりに強い感情だったからか、みんなにも筒抜けになってしまっていたわけだ。

 そしてそんなにも強い気持ちなら顔に出てしまっていても仕方のないことか。

 自覚してもなお、この気持ちを抑えることはできない。

 でも、さっきヒバナは一人で抱え込むなと言っていた。みんなも同じ気持ちだと。

 なら、この気持ちは本当に私だけが背負わなくてもいいのだろうか。みんなに一緒に背負ってもらっても良いのだろうか。


 ――少し、肩の荷が下りたような気がした。


「う~ん、少し良くなった~? ずっと~揉んでいたら~柔らかく~なりますか~?」


 こんなことをされると1人で怒っているのが馬鹿らしくなるじゃないか。

 私が怒りに燃えたところでコウカが笑顔になるわけじゃない。みんなも笑顔になるわけじゃない。私が幸せになれるわけもない。

 私が本当にやるべきことはここにいない何かに怒りを向けることじゃないんだ。


「はぁ……」


 ため息の1つ、つきたくもなる。

 まったく。偉そうなことを言っておきながら、感情に振り回されそうになっているのはどこの誰だ。


「カッコ悪いなぁ、私」

「……そんなのいつものことじゃない。まさか、自分のことをカッコいいとでも思ってたのかしら?」

「あはは。もう、ヒバナは手厳しいな」


 彼女の不器用なフォローを受けて、胸が熱くなる。私たちはお互いに微笑みを相手へと向けた。

 次に私は為すがままに耳を塞がれているコウカを見る。

 この子とみんなが笑い合える世界はきっととても幸せなものだ。その幸せを手に入れて、ずっと温かい時間を紡いでいきたい。

 ふとそんなことを考えてしまった。




 その後は今回の襲撃に関する話し合いを続けたが、先ほど話していた以上のことは分からなかった。

 結局、いつどこに転移による奇襲を仕掛けてくるかも分からない以上、私たちができることは変わらない。

 不幸中の幸いとして、霊堂の正確な位置は相手側も分からないということだが、それに関しても時間の問題だろう。


「ねえ、ミネティーナ……様に少し聞きたいことがあるんだけど」


 話し合いが終わり、一息ついていたところでヒバナがティアナに向かってそう切り出した。

 聞きたいこととはきっとコウカのことだ。

 たしかヒバナはコウカが今も進化できていないことをミネティーナ様に聞こうと言っていた。それを今、ティアナへと頼むつもりなのだろう。

 ティアナはミネティーナ様の巫女だ。彼女は神界に行かなくともミネティーナ様の言葉を聞くことができるはずだった。


 私が考えていた通り、ヒバナはティアナにコウカが強さを求めているが進化できないという事情を話している。

 だというのに、ティアナの表情は浮かない。


「申し訳ありません……今は少し難しいんです」

「難しい? どうして難しいのよ」

(わたくし)は儀式によって得た聖属性の魔力を使い、ミネティーナ様の御言葉を賜っております。しかし、その……」


 ああ、そういうことか。

 昨日はティアナも随分と頑張っていたと聞いた。そのせいで今は聖魔力が心許ないのだろう。


「あ、あたしがたくさんお願いしたから……」

「そんなことありませんよ、シズク様! (わたくし)もたくさんお見せできて楽しかったんです!」


 ――何やってるの、この2人は。

 初めて見る聖魔法に興奮するシズクとミネティーナ様から借りている力を見せることができてテンションが上がっているティアナの姿が脳裏に浮かんだ。


 何はともあれ、ミネティーナ様と話をすることはできなかった。

 だが、その代わりとしてティアナはある1つの提案をしてくれた。


「精霊様方の進化に関しては分かりませんが強くなるお手伝いならできるかもしれません」




    ◇◇◇




 朽ち果てた石を積み上げて作られたような建物の中で、白髪と黒髪が入り混じったような髪色の男プリスマ・カーオスが4人の邪族(ベーゼニッシュ)の前に立つ。

 その4人に対して向けられていた彼の目には静かな怒りが滲み出ていた。


「お前たち、勝手に地上界へ攻め込むとはどういう了見ですか。それも失敗……蓄えていた魔素の大半を注ぎ込むなど何を考えているのです」


 背もたれの高い椅子に座る四邪帝を見渡していたカーオスだったが、彼はある1人に目を付けると冷ややかな視線を送った。


「消費の大半はヴィヴェカ、お前ですよ」


 椅子の上で地面に付かない足をぶらつかせ、フリルがふんだんにあしらわれたワンピースの裾を揺らしていた少女は、呼び掛けられた瞬間から少しずつ足を動かすテンポを遅らせていく。

 やがて足を止め、椅子の上から飛び降りるとカーオスに駆け寄って、その顔を下から覗き込んだ。


「ごめぇんプーちゃん。でも、ヴィヴェカもローくんとおばさんに脅されててぇ。力でヴィヴェカちゃんが逆らえないのは、プーちゃんも知ってるでしょ……?」


 しおらしい態度で赤い瞳を潤ませるが、カーオスが一切動じることはない。それでも少女はその態度を彼に示し続けた。

 そこに妖艶さを滲ませた女の声が届けられる。


「あぁら、ガキンチョ。都合がいいからと二つ返事で了承したのは誰だったかしら」

「あーあー聞こえなーい」


 少女はその女の声が耳に入ってきた瞬間、表情を歪めたが平静に取り繕うと両耳を手で塞いだ。

 その仕草に対して、女は余裕の笑みを崩さない。


「ふぅん……老化で耳が遠くなっているのではなくって。ごめんなさいねぇ、これじゃガキンチョじゃなくてババァね、アンタ。それとも老朽化が進んだガラクタって言った方がふさわしいかしら?」


 女の言葉に少女は取り繕うことを忘れて、怒りを剥き出しにしたまま振り返った。


「なんだと、クソババァ! 永遠にプリティなヴィヴェカちゃんに向かって――」

「どういうことです、ヴィヴェカ」


 静かに響いたカーオスの言葉に少女の動きが停止する。

 そうして再びカーオスに振り向いた時、少女は元のしおらしさを取り戻していた。


「違うの、プーちゃん。これは必要なことだったんだよぉ。ヴィヴェカちゃんたち、ずっと眠っていたでしょ? そのせいでお人形が全部ダメになってて、調整が必要だったの」


 もはや誤魔化すことはできないと観念したのか、少女は事情を正直に話した。


「はぁ……そういうことなら事前に申告してもらえればこちらで機会を用意しました。お前の独断で計画に支障が出ています。……それで調整は済んだんでしょうね」


 冷ややかな視線は変わらないが、多少は身に纏う雰囲気を軟化させたカーオスの言葉に少女は彼の前ですら表情を取り繕うことを忘れ、口角を歪めた。


「それはもう完璧。後は数さえ揃えられれば、次からはたくさん殺せちゃうよ」


 それはこの世の邪悪を凝縮したと錯覚するほどの醜悪な笑みだった。


「なら不服ではありますが不問としましょう。お前の力には期待しているのです。くれぐれもメフィスト様のためにその力を役立てるように」

「はぁい、了解しましたぁ…………メフィスト様、メフィスト様ってそればっかり……」


 淡々と告げられた言葉に少女は崩した敬礼で応えた。だが、その表情は不満そうなものだった。

 それに気が付いたカーオスが目を細める。


「ヴィヴェカ、何か?」

「ううん、なんでもなーい。ヴィヴェカちゃん、メフィストフェレス様のために身を粉にして働きまーすっ!」


 先ほどの醜悪な笑みとは似ても似つかない、これでもかと愛らしさを込めた笑みで少女は踵を返し、建物を後にする。

 それを見ていたカーオス以外の3人も椅子から立ち上がった。


「おや、まだ終わっていませんよ。どこへ行こうと言うのです。ロドルフォ、イゾルダ、バルドリック」


 2番目に呼び掛けられた女が背を向けたまま首だけを軽く動かしてカーオスを尻目で見据える。


「あぁら、話すことなんて何もなくてよ。強いて挙げるなら、例のモルモットちゃんはアンタの想像以上の仕上がりね。実際にアンタが今のあの娘に会うことがないのが残念だけれど」

「それはどういう。……クソ、あの女はまた……なっ、ロドルフォ、話はまだだと……!」


 去っていく女の言葉に虚を突かれたような表情をしたカーオスは悪態をつくが、今度は男が無言で去ろうとするのでそれを咎めた。

 男は背を向けて歩いていくまま、振り返ることすらせずに言葉だけを残していく。


「オレは強者との戦いを求めている。あの救世主とやらには期待できんが、中々の男を見つけた。名は聞きそびれたが……ああ、楽しみだ……!」


 カーオスからは見えないが、去っていく男の顔には獰猛な笑みが浮かんでいた。

 今の彼の邪魔をすれば、間違いなく喉元を噛みちぎられるだろうと錯覚させるほどの深い笑みだった。


「ロドルフォめ……! バルドリックッ」

「吾輩はまぁヴィヴェカと似たようなもんだなぁ」


 大柄の男が、去っていく者たちの背中を見送りながら頬を掻く。

 そしてそのままその手を顎に持っていくと、感慨深そうに呟いた。


「いやぁしかし、調整前の試作品とはいえあんな小さな娘に倒されるとはなぁ、ガーハッハッハッハッ! これはまだまだ研究のしがいがあるぞぉぉ!」


 最後には大きな笑い声を上げながら去っていく大男にカーオスは表情を歪めることしかできなかった。


 そしてその場に1人残されたカーオスはまるで誰かに語り掛けるように言葉を紡ぐ。


「――捜索と調教は並行して進めておけ。十分な魔素が用意でき次第、事を進める。計画そのものに変更は無しだ」


 白髪の中に混ざり込んでいた彼の黒髪が一部を残して、色素が抜けていくように次々と白髪に染まっていく。

 変化を終えた彼は踵を返し、その場を立ち去った。


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