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15 暴君

 黄金の装飾がふんだんにあしらわれた空間。

 私が見上げる先にある玉座には足を組み、肘掛けに肘を置いて頬杖をついた美女がルビーのような赤い瞳で私たちを見下ろしていた。

 この美女が皇帝イルフラヴィア・ドォロ・グローリア。なんという存在感だろうか。


「ククッ、先ほどの大立ち回り、実に壮観だったよ。まさか余のためにあのような余興を演じてくれるとはな。貴様は良い役者になれるだろう、褒めて遣わす」

「……勿体ないお言葉です」


 イラッとするが、何とか気を鎮める。多分これくらいでイラついていたのではこの先、この人とは会話できない。

 皇帝は大立ち回りだの、余興だのと言っていたがそれはこの帝都に入るまでのゴタゴタが原因だった。

 そう。黄金核を献上したいと門番に黄金核を見せたのだが偽物だと見做されて攻撃を受けたのだ。

 帝都を囲う壁に配置された魔導具の集中砲火を浴びる中、私も引くわけにはいかないが反撃するわけにもいかないので、何とか逃げ回りながら説得した形だ。

 そしてその交渉の間、この皇帝はずっと高みの見物をしていたわけだ。


「それで。余に献上したい物があると聞いたが?」

「……こちらでございます」


 用意していた黄金核が一通りの作法の後、皇帝の手に渡る。

 皇帝は黄金核を手に取り、眺めると口角を上げた。


「これは……これがあれば……ククッ、ハーハッハッハッハ」


 表情を歪め、大笑いする皇帝。

 それを見て、やっぱり渡さない方がよかったのではないかと少し後悔した。しかし、あれがないと会ってくれないだろうし、偽物を渡したところですぐにばれるだろう。

 一頻り笑った皇帝は目線を黄金核から私へと向けた。


「貴様、気まぐれだ。名を聞こうか」

「ユウヒ・アリアケと申します」


 顎でクイッと指され、名乗れと言われたので私は傅いて名前を名乗る。

 すると皇帝は眉を上げた。


「ふむ、ユウヒ……ユウヒ……おお、どこかで耳にした名だと思えば。これはこれは救世主殿ではないか」


 どこか馬鹿にした口調だったし、歪んだ表情から判断するとこちらの正体など最初からバレていたらしい。


「まさか、兵たちの攻撃を受けていたのが救世主だったとはな……実に愉快でならん。しかしまた、どうして救世主ともあろう者があんなやり方で?」

「……説明しても通して頂けなかったので。閣下から兵士の方々に伝達して頂けているものだと思っていたのですが」

「ほう。どうやらどこかで連絡が活き滞っていたようだ。その者は炙り出して後で処罰しておこう、無能などこの国には不要だからな」


 少しだけ言い返してみたものの全く悪びれる様子もない。これは連絡が活き滞っていたのではなく、わざと伝えなかったに違いない。

 ――これなら冷静な気持ちを保つためにシズクとハーモニクス状態でこの場に臨めばよかったかなぁ。


 その後は特に謝られることもなく、黄金核をどうやって手に入れたかなどを事細かに聞かれた。

 私の密入国については何も言われることがなかった点についてはまあよかった。


「これが事の顛末です」

「そうかそうか。それでこの黄金核を……救世主、聞くところによれば貴様は魔泉の異変を鎮めて回っているようだな」

「……はい」


 来た、と思った。

 次に来る問い掛けはきっと私たちが事前に想定していた問い掛けで、シズクが提示した“黄金郷(エルドラード)”で魔素鎮めを行う上での条件に当たるものだ。


「当然、黄金郷(エルドラード)も鎮めたのであろう?」


 ここで私が答えるべきは――ノーだ。


「それが……我々も手を尽くしたのですが……」

「……手に入るのはこの1つだけだと?」

「はい」


 一瞬、皇帝の顔から表情が消えたかと思うとすぐにこちらを馬鹿にするような表情へと変わり、見下ろしてくる。


「なるほど。なるほど、なるほど……ククッ、救世主というのは自分の役割すら満足に果たせぬ無能らしい」

「なに――もがっ!?」


 ナイス、アンヤ。やっぱりあの子にコウカのお目付け役を任せていて正解だった。

 後ろで暴れようとするコウカを数人掛かりで抑えていて、少々騒がしいがここは取り敢えず詫びておこう。


「失礼しました。力及ばず申し訳ございません。我々が鎮めることのできるだけの力を身に付けた暁には必ず、魔素鎮めを行う所存――」

「もうよい、最初から期待などしておらん。貴様の役目は余を聖教国までエスコートすることだけだ」


 ――こいつ。

 いや、駄目だ。こんな人間だということは分かっていたじゃないか。

 私まで冷静さを失ったら、誰がストッパーになるというんだ。


「おま――んぐっ!?」


 ここは抑えるんだ。

 だからみんなはコウカとダンゴを抑えておいて。




    ◇




「何ですか、アレは!」

「アレとか言っちゃ駄目だよ、コウカ。誰が聞いてるか分からないんだから……」

「マスターは気にならないんですか! アレは散々マスターをバカにしてきたんですよ!」

「そうだよ! アイツ、好き勝手言ってきて……あーもう!」


 皇帝が国外に出るには準備が必要だということで、待機の為に割り当てられた部屋の中でコウカが爆発する。

 それに便乗する形で怒りを爆発させているのはダンゴだ。

 ノドカが抱き寄せ、歌うことで宥めているがまだまだ怒りは鎮まらないらしい。

 そして怒りは伝播し、新たな導火線に火を付けた。


「2人ともうるさい! アンヤみたいにとはいかないにしても静かにできないわけ!?」

「マスターが侮辱されたんです! 怒って当然じゃないですか!」

「はぁ!? 何よそれ! ユウヒを理由に自分がうるさいのを正当化しようとしないでよ!」


 ――これ、ヒバナも相当頭に来ているな。だって今一番うるさいのはヒバナだし。

 飛び交う2人の怒号とダンゴを宥める目的で歌っているだろうノドカの歌によって、部屋の中が混沌としている。

 隣にいるアンヤが静かに嗜んでいるココアから漂う香りがそれを助長する。

 シズクはシズクでずっと部屋の照明を調べているから期待できないし、ストッパーが私だけしかいないじゃないか。


 ――もう止めなくていいか。

 どうせもう少しあの皇帝とは付き合うことになるんだし、ここで発散させておいた方が後々楽かもしれないし。

 そうして、私は考えることを放棄した。




    ◇




「気晴らしに少し帝都の中を歩いてみない?」


 そう提案してきたのはシズクだった。

 グローリア帝国側の人間に聞いてみたところ、皇帝の準備にはまだ時間が掛かるようなのでシズクの提案に乗るような形で帝都の散歩が決まった。

 あまり騒ぎになってもいけないので、部外者とすぐに分かる救世主としての正装は脱ぎ、久しぶりに普通の服を着て出かけることにした。


 誰もが気になっていても入ることができない。それがこの国の帝都だ。

 国そのものに対する印象とは裏腹に帝都の中は活気に溢れ、賑わいを見せている。


「何あれ、馬がいないのに馬車が動いてるよ!」

「動力に魔石を使ってるのかな……じゃああれも魔導具?」


 ご機嫌なダンゴが指さし、シズクがブツブツと分析している物を見た時、私は非常に驚いた。


「車……」


 あれ、車というか路面電車みたいなものじゃないか。

 まさかこれほどまでの魔導具を見ることになるとは思ってもみなかった。


「ユウヒがいた世界だとああいうのがあったの?」

「あ、うん……そうだね。似たようなものはあったよ」


 驚いてはいるようだが、そこまで興奮しているわけでもなさそうなヒバナは私に問い掛けて来る。

 私は彼女に向かって言葉を返したが、今度は興奮した様子のシズクが飛び付いてきた。


「ほんと、ユウヒちゃん!? 詳しく聞かせてっ!」


 こうして何故か私は車について知っていることを一通り話すことになってしまった。とはいえ、私が知っている知識なんてほとんどないのだが。

 それに車のことを考えると嫌な思い出だって蘇りそうになる。


「ユウヒちゃんの世界って便利だったんだね」

「まあね。でもこっちの世界は魔法があるから、そこには驚かされてばっかりだよ」


 もうすっかり慣れたとはいえ、1年前までは魔法なんてこれっぽっちも信じていなかった。

 それが今ではずっとお世話になりっぱなしだ。

 魔力を感じ取り、使いこなす。それが当たり前になっている。


「魔素がないのは……あんまり想像できないね」

「そんなものだよ」


 首を捻るシズクに微笑みかける。

 魔素というものが当たり前どころか、魔力が身体の大部分を構成しているシズク達に魔素がない世界を想像するのは非常に困難だろう。

 水がないのが当たり前の世界を想像してみろと言われたようなものだろうか。

 魔法は魔素や魔力を媒介にあらゆる事象を再現したものだという。

 そういった自然現象をそのまま制御するよりも魔法によって再現されたものを制御する方が簡単なのだろう。

 だからこの世界では魔導具や魔法が研究されているのだ。


「魔法とか魔導具とかが好きならシズクもいつかやってみたらいいよ、魔法研究」

「あ、あたしが……?」

「好きでやりたいことなら、私は応援するよ」


 瞠目していたかと思えば、シズクは目をキラキラさせてはにかんだ。


「うんっ!」


 好きこそものの上手なれという言葉がある。

 新しい知識を身に付けることが好きで魔法が大好きなシズクならきっと立派な研究者になれる。そんな気がする。




 その後は魔導具の販売店を巡って、新しく開発されたという魔道具――値段はありえないほど高かった――を見て回ったりして楽しんでいた。

 その中でも特に私が気になったのは、魔導書の魔導具だった。

 みんなは別のものを見ているので気付いていなさそうだが、非常に面白そうなものだった。聞けば、結構昔から改良を重ねているものだそうだ。

 折角なら買ってみようと思ったが、本当に高くて今の所持金では買えて1つが限界であったため断念した。


 そして、ある魔導具店では絵を壁に映し出す魔導具を見た。

 壁に映し出された絵は物語になっていて、音声も付いていない紙芝居のようなものだったが、これがそのうち映画とかになるのかなと思いながら鑑賞した。

 最後に王冠を被った若い男と笑顔の人々が描かれた絵が映し出され、物語は終わる。


「この物語は?」


 魔導具が気になるみんなとは違い、私は物語のほうが気になったので店主に聞いてみた。


「おや? この話を知らないなんて珍しいな。これは暴虐の限りを尽くす悪い王様を若き勇者が倒して、新たな王様となった勇者が国を導く有名な絵本を元にしたのさ」


 当然のことながら、私が他の国から来た人間だということを彼は知らない。

 少し失敗したかなと思ったが、店主は少し不思議そうにしながらもこの物語について説明してくれた。どうやらこの国では有名な話らしい。


「『プリマ・ポラーレ』、名前くらいは聞いたことがあるだろう?」

「あっ、あります。あれ、こんな話だったんですね」


 適当に相槌を打ちつつ、店主の話を流す。

 それが有名な話でこの国に住んでいるのなら当然、誰もが聞いたことくらいはあるだろうと仮定してのことだ。

 その後、店主は実際に店の奥からその絵本を持ってきた。

 絵本の表紙を眺める店主は少し遠い目をしている。


「絵本のようにこんな勇者がこの国にも……おっと、これあげるから何も聞かなかったことに……な?」

「あ、ありがとうございます」


 彼が紡ごうとした言葉は決して、国の役人に聞かれてはならない言葉だったのだろう。

 私は彼が持っていた絵本を受け取り、言われた通りに何も聞かなかったことにした。

 別に何も貰わなくても告げ口したりしないが、彼がそれで納得するはずもない。

 ――『プリマ・ポラーレ』か。こんな内容の本、あの皇帝なら真っ先に発禁にすると思うんだけどな。

 私はそれが少しだけ引っ掛かっていた。




 それはさておき、次に訪れた魔導具店の中に新たな魔導具として私の知っている道具によく似たものが置いてあった。


「こいつは写真機さ。風景をそのまま転写することができて、光魔法と――」

「カメラだ……」


 私の知っている物よりも大きく、無骨だがその機能は間違いなくあのカメラだった。


「は、カメラ?」


 蘊蓄(うんちく)を語ろうとしていた人の言葉を遮ってしまった。

 彼は不思議そうな顔をしていたが気を悪くした様子はなく、寧ろこちらへと笑顔を向けてくれる。


「ふむ、カメラ。いいねカメラ! 写真機というのは少し捻りがないなと思っていたところなんだ」


 そしてそのまま「お礼に1枚撮ってあげるよ。何、怖くはないよ」と何故か写真を撮ってもらうことになった。

 みんなは何がなんだか分からないようだったが、何とか自然な表情で写真を撮り終えることができた。


「現像しておくから、また2週間後くらいに来てくれ!」

「あー、ごめんなさい。ちょっと事情があっていつ取りに来られるかわからないんですよね」

「そうか……じゃあまた来られる時に来てくれ! 大事に取っておくからさ」


 こんなやり取りをしている間もみんなはピンと来ていないようだ。

 一応、見本の白黒写真を見せてもらったのだが、あまり実感が湧いていないらしい。

 でもいつかこのカメラがこの世界でも珍しくないものになるのかもしれない。

 この国の皇帝には良い印象はないが、この国は何だか少し好きになれそうだ。


 そうして結構、好き勝手歩き回っていた私たちだが、突如として耳にキーンという甲高い音が届いた。

 これは――スピーカーを介した放送だろうか。


『出頭命令、出頭命令。ユウヒ・アリアケとその一行は至急、王宮へと出頭されたし』


 先程まで騒がしいくらいだったのにシンと静まり返った街に響き渡るのは私に宛てたメッセージだった。

 周囲の人々が小声でささやき合っている。


「あなたは知ってる?」

「いいえ。何をやったのかしら……今日は戦闘も起こったみたいだし、物騒だわ……」


 話し終わるとそそくさと退散していった。

 彼女たちだけではなく魔導具店を開いていた者達も即座に店仕舞いをしてしまう店もあるくらいだ。

 結局、私が今日見た帝都の光景は仮初のものでしかなかったのだ。みんな、暴君の影に怯えて生活している。

 魔導具研究だって好きな物を作っているだけじゃない。最初から閉められている店には同じような張り紙がある。

 ――徴集期間のため、以下の期間中は休業させていただきます。

 恐らく、軍備増強を目的とする兵器開発に駆り出されているのだろう。

 それが悪いことだとは言わないが、こんな恐怖に支配されているような場所じゃ何が行われているか分かったものじゃない。


「ユウヒ、帰るわよ。あの皇帝サマがお呼びのようだし」


 ヒバナの言葉に頷き、帰路に就く。


「ボク、もうちょっと遊んでいたかったなぁ」

「そうですね~なら~また来ましょう~」

「うん、そうしよっ!」


 王宮にいた時に比べてすっかり機嫌が良くなったダンゴの元気さが今は特にありがたい。

 ――また、来られたらいいんだけどな。写真も受け取らないといけないしね。




    ◇




 王宮に戻ると黄金装飾の魔導馬車と呼ばれる馬要らずの魔導具の中に皇帝が座っており、謝罪させられた。


「遅いぞ。余を待たせるとはどういう了見だ」

「……申し訳ありません。以後気を付けますね」

「ふん、不満そうだが余と貴様の立場は対等ではない。余は王だが貴様は何だ。救世主などと呼ばれているようだが所詮はただの小娘に過ぎん。何なら余の気まぐれひとつで首を刎ねることだってできる。あまり調子に乗らないことだ」


 もう駄目だ。私の皇帝に対する怒りの沸点が下がり過ぎているせいですぐにイライラしてしまい、それが顔に出る。

 ――しかし、だ。こうして近くで見るとそこまで雲の上の存在には見えない。

 ラモード王国の王女であるショコラだって普段は年下の女の子にしか思えないし、この皇帝もこの尊大な言動が無ければ、とても美人な女性――少女と言っても良いのかもしれない。

 たしか歳も私と少ししか変わらないはずだし。


「何だ、人の顔を不躾に見つめるな。貴様のような下賤な者が易々と拝めるものではない。不敬であるぞ」


 怪訝な顔をされたので慌てて謝り、退散する。

 やっぱりこの人は苦手だ。


 逃げた先でミランと彼に乗っているアンヤと合流する。

 差し出された彼女の手を取り、一気に引き上げてもらった。


「ありがと、アンヤ」

「……どういたしまして。お疲れさま、ますたー」

「ああ、うん。ありがとね……」


 この労いの言葉は間違いなく、あの皇帝の所へ向かわなければならなかったことに向けたものだ。

 また、この場にはアンヤとミランしかいない。4頭のスレイプニルで四方を固めなければならないからだ。

 まず中心に皇帝の魔導馬車。その周囲をグローリア帝国軍が固め、私たちはその1つ外でさらに外側にはまた帝国の軍人が固めている。

 位置的にはダンゴとノドカが先頭、ヒバナとシズクが殿、私とアンヤが左翼でコウカは右翼に展開している。

 戦力が偏り過ぎないように組み合わせを変えようかとも思ったが、結局は慣れているこの組み合わせのままとなった。


 来た時とは違い、ちゃんと整備されている道を通ることができるが進行速度そのものが遅いので、ミンネ聖教国に到着するまではしばらく時間が掛かりそうだった。


「アンヤは平気? 辛くなったらいつでも言ってね」

「……ん、ありがとう」




 それから数日はストレスが溜まりながらもそれなりに穏やかな旅路となっていたが、国境を越えた瞬間からそれは大きく変わる。


「賊だ! 右翼前方!」


 襲撃が格段に増えたのだ。それも相手は人間ばかりだった。

 積極的に戦うのはグローリアの軍人だが、それでもいつ私たちが戦うことになるかは分からないので警戒は怠らない。

 しかし、嫌になる。相手は人間なのだ。

 それにグローリア帝国の軍人は皇帝を守るためなら相手の命なんて顧みない。

 魔物を倒し続けていて何を今さらと思うかもしれないが、私は人を殺めたことなんてない。殺める勇気なんて今は持てそうにもなかった。

 でももし、みんなを傷付けようとする存在が現れるものならきっと私は――。


「……ますたー?」

「何、アンヤ。どうかした?」

「……怖い顔、緊張?」

「ごめん、ちょっと変な想像しちゃっただけ。大丈夫だよ」


 ――いけない、いけない。アンヤまで不安にさせることなんてないじゃないか。

 でも願わずにはいられない。私もみんなも人を殺めることがないようであってほしいと。

 この世界において、それはただの我儘なのかもしれないが。




「明らかに襲撃が多いな。どういうことか」

「は――ハッ。賊に扮していますが、何者かの息が掛かっているのは間違いないかと――」

「吐いたのか」

「あ、いえっ。よく訓練されていたようで尋問中に自害されました」

「チッ」


 何て会話だ。どうして私はこんな場所でこんな連中と一緒にいるんだ。

 これでは休憩中だというのに気を休めることすらできない。


「お姉さま~アンヤちゃん~あっちに~泉がありますよ~」

「姉様たちも集まってるよ! 一緒に行こうよ!」


 流されるままにグローリア帝国側の人間の近くにいた私とアンヤを見兼ねてか、ノドカとダンゴが呼びに来てくれた。

 2人の声を聞き、少し元気になった私が彼女たちに笑顔を向けようとした時だった。

 後ろから嘲笑混じりの声が届けられる。


「遠足気分か、救世主一行は。お気楽なものだな」

「何だとッ!?」


 言い返そうとするダンゴを手で制止して、私はまっすぐ皇帝の目を見つめ返した。


「やめてください。どう休憩しようと私たちの自由でしょう」

「余は皇帝だぞ。余の言葉に従わないというのなら――」

「私はッ!」


 皇帝の言葉を強引に遮ったところで少し冷静になる。

 私は1つ深呼吸をすると、これまでの不満を内包した言葉を視線の先にいる彼女へと告げる。


「……私たちも聖教団の代表として来ているんです。聖教国への案内と護衛は最後までやり通しますけど、私たちの細かな行動を決める債権はあなたにはない。ここはあなたがふんぞり返っていられる帝国じゃない。ここにあなたの大好きな玉座はないんですよ」


 私は皇帝に背を向け、アンヤとダンゴの肩を押すようにして歩く。

 後ろから軍人たちの私を咎める声が聞こえてきたが、誰も私の行動を邪魔してくるものはいなかった。




    ◇




「あぁぁ……何やってんの私ぃぃ……!」


 皇帝に向かって啖呵を切った数十分後、小さな泉の畔で私はノドカの胸を借りながら悶えていた。

 頭上からヒバナの呆れたような声が降りかかってくる。


「いつまでやってるのよ……」

「だってぇ、だってぇ」


 ストレスが溜まっていたにしてもあんな失態はあり得ないではないか。

 聖教団の代表ということはすなわち聖教国の代表ととっても相違ない。

 そんな人間がグローリア帝国の皇帝に喧嘩を売るような口調でまくし立てたのは絶対にまずかった。

 ずっと関係が悪くならないように気を遣っていたのに、全てが水の泡だ。

 ――絶対に最後の一言はいらなかったし。どうしてあそこまで言っちゃったのかなぁ。


「でもでも、さっき主様がガツンと言ってくれてボクは少しスッキリしたよ!」

「……ますたーはすごく頑張った」


 頭を抱える私の頭が小さな手によって撫でられる。

 この子たちに慰められるほどって立つ瀬ないじゃないか、私。


「まあまあ~皇帝さんも~怒っているようには~見えませんでしたから~大丈夫だと~思いますよ~」


 ずっと私をあやしてくれていたノドカがそんな嘘か本当か分からないようなことを口にする。

 ……いや、あれで怒らないのはあり得ないだろう。あの皇帝は目の前を横切っただけで打ち首にしそうな気がある。

 でもノドカはそうは感じていないようで――。


「先入観~? というものを~除ければ~あの皇帝さんの~かわいいところが~見えてきますよ~」

「いや、あの皇帝が可愛いとか絶対にありえないでしょ」


 ヒバナが本当に嫌そうな声音でノドカの言葉を否定するものだから少し笑ってしまった。


「え~本当ですよぉ~。あの人の目を~ジッと見ていれば~そんなに怖くないですよ~」

「ないない。能天気だから他人の悪意に疎いだけでしょ」

「あ~それは~悪口ですよぉ~っ! むぅ~!」

「ごめんごめん、冗談よ。あなたが意外としっかり者なのは私だって分かってるわ。だから機嫌なおしてってば」


 ――皇帝の目か。

 いや私もヒバナと同じ意見でありえないとは思っているのだが、今度話すことがあれば目をジッと見つめて会話してみようかなと思えた。

 ……次の機会がちゃんとあるかは分からないけど。


「ユウヒちゃん。あんまり心配しなくてももう少しで騎士団との合流地点だから、皇帝と関わることも少なくなるよ」

「あ、そういえばそうだったね」


 シズクの言うようにグローリア帝国内に騎士団の人たちが入れないだけで、国境を越えてからは合流して護衛に参加してくれることになっていたのだった。

 聖教騎士団の人は極力相手の人命を奪わないように戦うはずだし、私としても安心できる。

 皇帝の相手もそっち側でやってくれるだろうし、これ以上ストレスになることもない。

 もう後のことは騎士団の人たちに丸投げしよう。


「あ、主様元気になった」

「……ますたー、復活?」


 勢いよく立ち上がった私は拳を天に突き上げた。


「よし、今日はまだまだ頑張れる気がする!」

「いや、今日はもう移動しないでしょ」


 ヒバナの「さっきそう言われたでしょ」という言葉が私の耳を通り過ぎる。

 ――あれ、そうだったっけ。

 私の極限まで高まった気合が萎んでいった。




    ◇




 夜中、生理現象で目が覚めた私はみんなを起こさないようにテントを出て、少し離れた場所まで移動する。

 見張りはグローリア帝国の軍人が交代でしてくれるので、私たちはゆっくりと眠ることができるのだ。

 とはいえ見張りがいるということはそれなりに場所には気を配らないといけないということで、みんなと一緒に過ごしていた泉の近くまで来てしまった。

 周囲を警戒しつつ、用を済ませた私は何の気もなしに月明りを水面に映している泉を見ながらテントに戻ろうとした。

 だがそこで泉の畔にしゃがみ込んでいる人影を見つける。


「……コウカ?」


 鍛錬の為に抜け出してどこかへ行くことが多いコウカかと思ったが、そこで違うと思い直す。今日はコウカもちゃんとテントで眠っていたはずだ。

 でも、今さら後悔しても遅い。既にかの人物には声を掛けてしまっている。

 ゆっくりと立ち上がり、振り返ったその人物の顔を見て、私は驚愕することになる。


「……皇帝閣下」


 私が声を掛けてしまったのは皇帝イルフラヴィア・ドォロ・グローリアだったらしい。


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