副大統領
東京・三宅坂
統合参謀本部
「天佑神助、神風が吹いた!」
陸軍参謀本部の情報将校であった。
「どういうことかね」と陛下
「はい、米国海軍の大機動部隊が、パナマ運河で事故に会い、壊滅的な打撃を受けた模様です」
「陛下、外務省でもそのような情報をキャッチしています。現地の報道でも、確認されています」
パナマ運河事故の詳細が明らかにされていく。
敵空母1隻と戦艦2隻が沈没、その他の艦も大打撃を受け、しかもパナマ運河も少なくとも1年は使いものにならないとの事である。
米国は太平洋に兵力を移動させる際に、南米大陸を大きく迂回せざるを得ない状況に追い込まれたのである。
「本当にそんなことがあるのかね」
「まさしく神風です、我が国は神に守られているのです」
情報将校は、おかしくなっていた。
俺は、古くからの友がどうなったかだけが、気になっていた。
「神」の言葉に反応したのか、陛下が俺を少し見たが、俺は、後ろを見て回避した。
「えー、陸軍の情報将校殿におかれては、きわめて優秀な兵士の素養を見せていただきましたので、超兵部隊への異動方よろしくお願いします。」
情報将校は氷ついた。
・・・・・
米国では、それ以上に大変なことが起こっていた。
ルーズベルト大統領が、怒りのあまり、脳卒中を起こし、死去したのである。
もともと、病を隠しながら執務を行ってきたのであるが、今回怒りが大爆発し、血管も大爆発を起こしたものと考えられる。
我々が知る世界での死よりも数年早くなってしまった。
しかし、歴史の修正力というものはすごいものである。
米国の大統領が死ぬと副大統領が代わりに大統領となる。
なんと、副大統領はトルーマンがなっていたのである。
だが、俺はそんなことは知らなかったのだが・・・
情報が統制され、数か月後に米国副大統領トルーマンが昇格し大統領となる。
俺は、トルーマンが原爆を落とす大統領であるという記憶を持っていた。
ついに、決戦の時が来たのであろうか?
原爆投下指令書にサインするトルーマンをどうにかしなければならない、ついに任務も大詰めに近づいていると感じる俺だった。
・・・・・
そのトルーマンは急に大統領に昇格したことに混乱していた。
近ごろの戦況は良くない。
特に太平洋方面である。
たかが日本相手に苦戦ばかりである。
しかも、おそらく日本の破壊工作によりパナマ運河が破壊され、出来立ての機動艦隊がほとんど損壊した。
戦艦と空母は、やはり強く、何とか大破しながらも着底し残っていたが、修理するにもダムを改修し、閘門を改修して港に連れて行かなくてはならないとの報告である。
少なくとも、修理まで行くだけでも、1年はかかるとのことであった。
だが、最も大きな問題は乗員の問題である。鋼鉄の巨人は生き残ったが、人間は鋼鉄に打ち付けられて生き残れるほど強くはない。ほとんど乗員は死亡した。
日本にしてやられたと言うわけには行かない。
そういう理由で、これらのことは事故になったのである。
全米で、兵士たちの両親が嘆き悲しんだことは言うまでもない。
数万人の将兵が事故で死亡するという前代未聞な大事故が発生した瞬間であった。
日本の総理大臣から、「戦を戦う相手なれども、事故で大量の将兵が死傷されたことに対し哀悼の意」を表する、書面が届いたという。
「くそ!ジャップ舐めた真似を!」
しかし、永田総理は本当のことを全く知らなかったのである。
本当に、哀悼の意を表明しただけなのである。
「この際、停戦を行わないか?」という意味の事も書かれていた。
日本側は、『停戦』という言葉を使っていた。
この停戦勧告は、海軍の一部から上げられた案であった。
出来立ての機動艦隊がほぼ壊滅すれば、停戦の機会と捕らえるべきとのことだった。
しかし、日本からの停戦勧告は無視された。
もちろん、アジア各国の独立承認、ハワイの独立承認など絶対に認める訳には行かないのは、米国としての常識であった。
そして、まだ反撃の手がないわけではない。エセックス級空母は壊滅したが、軽空母インディペンデンス級9隻がサンフランシスコにいる。それに戦艦もサウスダコタ級が4隻やはりサンフランシスコにいた。
すべては、ハワイ奪還作戦のために準備された戦力であった。
エセックス級空母、アイオワ級戦艦各4隻がそろえば、その作戦をスタートさせる予定であったのだ!
生前ルーズベルト大統領は、「ゲットバック、パールハーバー」を合言葉に、国民に向けて呼びかけていた。(真珠湾を取り戻せ!)
・・・・・
そのパールハーバーから300Kmほど離れたハワイ島では、距離3000m級の滑走路が作られていた。
そこに、戦中の日本人が最も恐れた?巨人機B29に非常によく似た爆撃機『富嶽』が何機か駐機している。
中島飛行機製『富嶽』が進駐してきていたのである。
ターボプロップエンジン4機搭載で航続距離7000Kmという途方もない航続距離を有し、最大6tの爆弾を搭載可能の爆撃機であった。しかし、中島飛行機の力をもってしても、未だ10機完成が関の山であった。
この爆撃機が100機あれば、米国など恐るるに足らず!
爆撃機隊長の帝国海軍少佐藤沢富士夫は思った。
しかし、米国は3900機以上も生産したので、これは藤沢の勘違いである。
100機ではアメリカを倒すことはできないのである。
因みに、藤沢は高野学校で勉強し、後に海軍兵学校に入学した男である。
「何とか後10機あれば!」藤沢がまた妄想で声を上げると
なんと空に、オアフ方面から爆撃機が飛来してきたのである!
「何!なんだ!これは」藤沢が驚いているが、尾翼の塗装が、いわゆる高野カラーと呼ばれる、ロシア皇女親衛隊のB29がいや『富嶽』が次々と着陸していく。
北海道で秘密裏?に生産された、『富嶽』が20機も襲来したのである。
ハワイ島基地に富嶽が30機配備された。
「藤沢新高特務大佐、ただいま着任しました」そこには、一歳としが下の、弟が自分よりも上の階級で現れた。
「なんでだ!」富士夫の叫びがハワイ島にこだましたのだった。
藤沢家は貧乏だったので、無償で勉強できるという高野学校に息子達を入学させる。
兄、富士夫は優秀な成績であったので、海軍兵学校に入学した。
弟、新高はそれなりだったのでリヒトホーフェン航空学校に進んだのであった。
いわゆる高野親衛隊の特務何某は、権威上の問題で、帝国海軍に来るときには、2つほど上になるように設定されている。
さらに残念なことに、父親が富士夫の名前をつけたときの事であるが、「この子には日本一の男のこになってほしいから富士夫だ」とつけたらしい。
しかし、残念な指摘が戸籍登録後に訪れる
「日本で一番高い山は新高山ですよ」台湾にある山が一番高い山であった。
そして、次男につけられた名前は「新高」とかいて「あらた」
「新高」とかいて「あらた」であった。この名付けが後の彼ら兄弟に大きな影響を与えたかどうかはわからない・・・
かくして、ハワイ島にB29、もとい超重爆「富嶽」30機が配備されたのである。
いつもお世話になっております。




