閑話 大和建造
閑話 大和建造
1936年(昭和11年)軍縮条約の失効を待たずして、大和建造が開始される
これは、一年後に示される③計画の前倒しである
なぜこのようなことが行われるのか?
それは、用兵側からの強い要望があったためである
1941年の12月には、使いたいから、先に作って欲しいとの要望が出たのである
誰がそのようなことを言い出したがわからないが、認められ、史実よりも一年以上先から、工事が始まるのであった
「しかし、高野、舷側の15センチ砲は撤去って、今もって納得できん」
不満顔の藤本少将、いまだ健在である
「軍人さんは、装備が大好きだろうが」
「いりません、前後の副砲もいらなかったのですが」と俺
「あれは譲れんぞ」とどっかの中将みたいなことをいう藤本
「5インチ両用砲で統一すべきなのです」
「なんでインチ?」
「ああ、外国が長いので」
「ロシアはインチじゃないだろう」
「砲関係は、できるだけ同じのサイズの方が効率がいいのです」
「お前のせいで、駆逐艦は全部12センチ両用砲が主砲になっただろう」
俺はかつて、艦政本部付きになったことがあり、その時に藤本と知り合いになったが、それ以降の人事でも後輩(神道派)の多くが、ここ(艦政本部)には入っている、そこで、駆逐艦の主砲はすべて、5インチ両用砲にとってかわらせたのである
「高野教の信者ばかりで、艦隊派も条約派もまったく骨抜きだからな」と藤本
「これからは対航空が最も重要なので仕方ないです」
「46センチ砲は譲らんぞ」
「41センチ3連装50口径でいいと思いますが」
「だめだよ、そんな小さなのは、大砲っていうのは、大きいから大砲なんだろう」
藤本少将は大艦巨砲主義のようだ
「これからの戦艦は空母随伴が条件で、対空にも強くないとだめなんです」
「わかってるって、高野教の教えの一つだろ、誰かにみせられた記憶がある、お経だろう」
「だから、艦形も絞って、速度も30Knを出せるように調整しただろう」
史実の大和よりも2mほどスリムになっているらしい
機関は同じものだが、高温高圧使用を前提に作られている
そして、5インチ両用砲が載せれるだけ載せられ、(片側:連装4基)ボ式40mm機関砲、ブ式20mm機関銃が所せましと搭載されている、史実の戦艦たちは、はじめ甲板に余裕があるが、寄港するたびに、対空装備を追加していくのだが、それが、面倒なので始めから十分装備しておくのである
5インチ両用砲は、艦政本部付きの時に、めいっぱい注文を付けて開発を依頼しておいたものである、さすがのBFAブローニングでも大砲は作っていない(もちろん作れないことはない)ちなみに今は、大量の弾薬を製造し販売している、主に帝国、ロシア向けだが・・・
設計図を拝借し、ロシアでも5インチ砲が製造されており、製鋼が良い分性能も上だが・・・
ロシア海軍の艦艇は須らく5インチ砲を搭載している
「ところで、設計図を持ち出して、ロシアで同じもの作ってるって噂を聞いたぞ」と藤本
「ええ、先輩の設計図を基に、平賀顧問がアレンジを加えて、俺が注文を付けまくって、何かよくわからない、改大和型で戦艦を建造しています」
「平賀中将!」藤本は苦手な様だ
もちろん、今は退役しているから、退役中将なのだが
その改大和型は、41センチ3連装砲を装備となっている
レーダー装備、電化を基本構想にしているため、ディーゼル発電機を何台も装備している
全長も少し長めにしているので、往年の大和のでっぷり感はなく、どちらかというと、アイオワに近づいているといえる
しかし、平賀中将もこれには、不満らしく「なぜ、試製50センチ砲を乗せんのだ!」と怒りを爆発させたが、岩倉に引っ張っていかれた
「重すぎるからです」
「主砲は艦砲射撃にしか使われませんので、軽いほうが良いのです」説明は空を切ってしまった
艦橋の形は大和型を忠実に再現したが、やはり5インチ両用砲と対空装備が、あの大和らしさを失わせているかもしれない
しかも、帝国では、大和、武蔵の建造が始まっているのだが、ロシアでは、4隻の建造が始まっている、これではロシア艦隊の方が強くなってしまうのではないか?と帝国海軍の幹部の中には憂うものも多くいたのである
だが、日本各地にはそれだけにとどまらない、状況にあることを知る者は少ない
日本の港湾は、昭和初めより整備されてきた、具体的には、函館、室蘭、仙台、新潟、和歌山、沖縄、台湾、サイパンなどである、それに加えて、ウラジオストク、清津なども手入れをされている
これは、不況対策と戦争継続能力を高めるためである
その日本各地の港湾では、もちろん造船所などが併設されていたのだが、その近所の空き地には、次々と何らかのパーツが製造され、どんどん野ざらしで置かれている状況なのである
一体何の部品なのか、船舶用なのであろうが・・・
近所の人間たちは、首をかしげるのである
これは、高野重工や高野造船が発注した部品、ブロックであった
1941年には、新型潜水艦200隻を要す
帝国海軍に所属しない潜水艦の発注が200隻されていたのであった
便宜上、ロシア公国所属艦である、発注元は、ロシア公国、条約失効とともに、帝国海軍に買い上げてもらう予定?である
本当に買い上げてもらえなければ、どうなるのか?
高野親衛艦隊となる!これってヤバいのではないだろうか
まあ、乗り手がいない状況ではある。
海軍兵学校では、潜水艦の乗員の育成を一層推進してくれているはずである
しかし、後に、この潜水艦大艦隊構想の基本が大きく揺らぐ問題が発生するとは、この時の俺は知る由もなかった
少し時間がさかのぼっています。




