ロシア人とドイツ人
ベルリンのホテルの一室
へルマン・ゲーリングとウーデッドがやってきた
「貴公の話はどうやら本当のようであった」ゲーリングが重々しくいう
「そうですか、では例の件をよろしく、閣下」
「早速、ゲシュタポを使って、拉致したのだよ」とウーデッド
「そうですか、では例の件をよろしく、ウーデッドさん」
「どうしたのですか?高野さん、お疲れのようですね」
「ええ、ちょっとモスクワへ行ってきたので疲れました」と俺
「あのロシア人たちをつれてきたのか」とゲーリング
「はい」
「何かお悩みでも」とウーデッド
「まあ、彼らをどうするかを」
「ゲシュタポに脅させるか」とゲーリング
「いえ、それより、タンク氏をつれてかえってもよいですか」
「ああ、そうだったな、連れてこよう」
・・・・・
俺、タンク氏、ツポレフ氏、コロリョフ氏こうしてみるとすごいメンツが集まっている
なんかすごい航空機とかができそうな気がする
「私は、フォッケウルフを建て直す必要があるので、日本にはいきたくありません」とタンク氏
「その件については、ゲーリング上級大将にお願いしているので、フォッケウルフ社は大丈夫です」
「私は、セルゲイを含めて、10人の命を預かっているので簡単に返事をできない」とツポレフ氏
「その件については、私にも悪いところがあるので、反対はできません」と俺
「ところで、このロシア人は誰ですか」
「このドイツ人は誰ですか」
ロシア語とドイツ語で答えていたことを忘れていた
「こちらは、タンクさん、ドイツでも高名な航空機の設計者です、日本で航空機の指導お願いするつもりです」
「日本で本当に航空機を作っているのですか、アジアの端っこですよね」
ツポレフ氏は日露戦争で負けたことを知らないのだろうか?
「こちらは、ツポレフ氏とコロリョフ氏、ソビエトで高名な航空機の設計者です、日本で仕事をしてくれないか頼んでいるところです」
「イワンですか、航空機なんか設計できるとも思えませんが、日本で航空機を作るって?」
なんか不穏なことをタンク氏がいいはなった
「日本では、私がやりましょう、仕方ない、イワンには無理でしょうから」
「おい、そこのドイツ野郎、なんか悪口言ってるだろう!」とコロリョフ氏
「いえいえ、ただ、タンク氏はツポレフさんが渋っているといったら、私が代わりにやってあげるといってくれています」と通訳する
「冗談じゃない!日本では私たち、ロシア人チームが航空機の会社を立ち上げる約束だったではないですか」とコロリョフ氏
お願いはしたが、約束はしてくれなかったのはそちらでは?
「もちろん、お願いしたいのですが」
「そうでしょう、ドイツ野郎よりも立派な航空機を作りますよ、其れこそドイツを爆撃できるような奴を」
「おい、イワンがなんか悪口言ってるだろう」とタンク氏
「お互い、競作でよい航空機を作ってくれるのでしょう?」と俺
「イワンに負けるはずがない」
「ビールとソーセージを作るしか能の無いやつに負ける気はせん」
どちらも、長年戦ってきただけあり、とても好戦的であった
こうして、タンク氏はドイツチームとして、DEとタッグを組み
ツポレフ・コロリョフ氏は、ロシアチームとしてシコルスキー氏とタッグを組む構想を提示する
「よかろう」
「よいでしょう」
なんかうまくいったようで良かった
「タンク君、絶対にイワンには負けぬように!」ゲーリングが檄を飛ばしてから辞去する
「それでは、ドイツで必要な工作機械を購入して、足らず分はアメリカからの輸入ということでよろしいですか?」
「早速ですね、しかし、現状がまったくわかりませんが」とタンク氏
「私も、現場のことまでは、わかりません、しかし、航空機関連の会社には、人を入らせていますし、空き工場もありますので、絶対にこれはいるというやつを言っていただければ問題ないかと」
「高い機械になりますが」
「それだけは、何の問題もありません、お金だけは無闇にありますので」
船の手配は岩倉に任せる
必要な工作機械は、ウーデッド氏経由で注文し、船倉の残りをボフォースの砲、スウェーデン鋼と呼ばれる高品質な鉄鋼を船一杯分注文し、彼らは、地中海、スエズ運河経由で日本へと向かう
一番早いのは、シベリア鉄道だが、ロシア人の彼らは危険なのでゆっくり船旅である
俺は、忙しい身なので、その鉄道に日本人外交官として、乗り込みいち早く日本へと向かったのである
シコルスキー氏の会社は、川西航空機と協力し、飛行艇の開発を進めている
もともと、シコルスキー氏は飛行艇は得意なようである
工場は、此方の都合で、仙台港付近に設立されているので、彼らは、仙台にいる
「ロシア人の研究家が二人来ますので、ご一緒に、頑張ってください」
二人の名前を告げるが知らないようである
「まあ、指導はしますので、閣下のために頑張ります」とシコルスキー氏、いまだに命の恩人であると思っているようだ
早く、2式飛行艇を作ってもらいたい→紫電改を作ってもらいたい→2式を改造して、B25ミッチェルみたいな爆撃機を作ってほしいとお願いしている
紀元2602年に飛行艇完成では遅すぎるのでとにかく急いでほしいものだ
その近くには、DEのエンジン工場が存在する
船舶用、建機用、トラック用、そして近ごろは航空機エンジンも製作するようになっている、さすがに、航空機の星型エンジンは、ガソリンエンジンである
ワスプエンジンのライセンス契約を結び製造を開始している
「伯爵、お久しぶりです」その時、白人の若者がやってきた
「おお、久しぶりです、クルツ」彼は日本人とのハーフである
ディーゼル博士が来日してから、再婚しできた子供になる、現在は東北帝大に通いながら、社長業を兼務している
「今日はどうされたんですか?」
「実は、タンクさんという航空の技術者が来るんですが、ドイツ人なので、DEと組んで、飛行機を作っていただきたいのです」
「なるほど、さすがは伯爵、次から次へと何かをされているのですね、研究の方は、技術部長に言っておきます」
「ありがとうございます」
「何をおっしゃる、私こそありがとうございます」
DEの技術部門には、空冷星型9→空冷二重星型14→空冷三重星型21→四重星型28へと至ってほしいとお願いしている、その間に、本多金属との合弁でターボチャージャーの開発も行っている
ちなみに、DEは愛知航空機にも出資している
99艦爆→流星→A1スカイレーダーのように開発を進めてもらうようにお願いしている
このように、日本では空前の航空機ブームが始まっているのである
そこに、ロシア、ドイツの力が加入すればもっとブームは進むであろう
と俺だけが考えていた
その時のためにも、航空兵の増員が俺一人の中で叫ばれている
リヒトホーフェン航空学校では、より進んだ教育を行うため、リヒトホーフェン航空大学校を新設し、航空学校を卒業後、大学に進学できるコースを作ったのである
1919年に開学したこの航空学校もすでに、初期の生徒が卒業し、講師、教授となって生徒を教えるようになっており、卒業生の人数が多くなってきたため、大学を作り受け皿としたのである
そして、大学校のコース4年を卒業すれば、海軍、陸軍の航空尉官として転籍できるよう軍に働きかけたのである
学校3年大学4年の7年間を卒業すれば、航空技術はもちろん、語学、教養、エンジン整備までできる士官の出来上がりということになるプログラムであった
始めは、北海道に開学したが、講師候補がそろってから、千葉校(関東)その次が鹿児島校(九州)と三校体制を確立し、現状年間1000名近い生徒を受け入れることが可能となっている
学費は無料で、3年間は高野財閥支給、成績優良な学生が進学できる大学は天照財団から支給される
天照財団とは、明治天皇からおかりした一億円の原資を返そうとしたが、受取拒否されたため、財団を設立し、航空学生のために使わせてもらうことにしたものである
いつも読んでくださりありがとうございます。
ついに、書き溜めた分も少なくなってきました!
ヤバいですね




