第7話:マジパンのウサギ
今日は初夏を思わせるようなさわやかなお天気なので、ルネットはメルメルとお散歩に出かけました。街でいちばんにぎやかな通りにはきれいなショーウィンドウが並んでいます。
「見て見て、あのドレス。とってもかわいいレースがついて、色も素敵ね。着てみたいなあ……」
ショーウィンドウに顔をくっつけるようにして、いつまでも見てるので、退屈しちゃったメルメルはルネットのすねに脚をかけて、『早く行こうよ』って催促します。
本屋さんの前では、
「ほら、新しい絵本が出てるよ。『お話しする猫とお転婆娘』だって、どんなのかしら」としばらくきれいな表紙を眺めたり、大きな花瓶や繊細な模様のティカップを売っている陶器のお店では、
「お花畑みたいだよね。あれでティパーティをしてみたいなあ」とうっとりしています。
でも、何より二人、じゃなかった一人と一匹が見とれてしまったのは、お菓子屋さんのショーウィンドウでした。チョコレートのお城や大きなケーキが丸ごといくつも並べてあって、その前にはマジパンで作ったとてもかわいい動物が並んでいたんです。
マジパンって、みなさんご存知ですか? アーモンドの粉とシロップを練ったお菓子で、いろんな色をつけて粘土みたいに細工するといろんなものができるんですよ。
『女の子の買い物に付き合うのって疲れるんだよね』って顔をしてたメルメルも興味津々で眺めています。
「あのお城の窓とか細かいところまでよくできてるなあ。食べるの惜しいよね。……あんな大きなケーキ一人で食べてみたいね。でも、ちょっと無理かな。太っちゃうと困るし、メルメルにもちょっと分けてあげるね」
ルネットちゃん、買ったわけでもないのに話がどんどん先に進んでるんですけど。
「あの猫ってメルメルにちょっと似てない? 色は違うけど、気取ったポーズ取ってるところなんかさ?」
メルメルはちょっと振り返り、首を振って、『似てないよ』って表情で他のマジパンの動物を見ています。どうもかわいいウサギを見ているような。……
「あのウサギが好きなの? そうなんだ。あれくらいならあたしのお小遣いでも買えるかも。……今はおカネ持ってきてないけど、明日買ってあげるね」
メルメルはうれしそうにルネットのすねに頬をすり寄せて、『にゃあ』と甘い鳴き声を出しました。
次の日、学校から帰ったルネットはメルメルにマジパンのウサギを買ってあげるために出かけました。お店に行く途中に、この前いっしょに森の中に遊びに行った友だちに会いました。
「ルネット、ちょうどよかったわ。あたしの家でトランプするんだけど、人数が足りないのよ。来ない?」
「今から、お菓子屋さんに行くのよ。その後だったら……」
「お菓子屋さんなら、あたしの家の向こうじゃない。後でもいいんでしょ?」
それもそうかなって思って、ルネットは友だちの家でトランプをすることになりました。……
「あれ? もうこんな時間、すっかり遅くなっちゃった。あたし帰るね」
トランプに夢中になっているうちに外は夕方になってしまいました。あわてて友だちの家を出て、お菓子屋さんに急ぎ足で向かいます。お店に近づくにつれてだんだんルネットは走り始めていました。
空が暗くなり始めていたので、お菓子屋さんのショーウィンドウは遠くからでもきらきら輝いて見えます。それを目指して走って行くと、大きなシャンデリアのように見えます。親子連れとぶつかりそうになって、あわててぴょんとよけたりします。
やっとお店に着きました。ところが……どうしたことでしょう。あのウサギだけがなく、そこは白いクロスになっています。いくら目を凝らして隅々まで見てもありません。いろんな方向を見ている他の動物たちはなぜそこに小さな隙間があるのか、知らんぷりしているように思えます。思いきって重いドアを開けて中に入りました。
「いらっしゃい」
「あの、あそこにあったウサギなんですけど」
「ああ、たった今、売れました」
お菓子屋さんのご主人はにこにこしながら言いました。
「え?!」
「ほんの少し前ですよ。小さな坊ちゃんが気に入って」
「……同じものはないんですか?」
「作ってないですね。まあ、あれはわたしの楽しみみたいなものなんで。……他のじゃダメですか? 猫なんて、けっこう自慢なんですがね」
その言葉を聞きながら、『失礼します』ってあいさつするのも忘れてルネットは外に出ました。どうしよう。メルメルになんて言えばいいんだろう。友だちの家で遊んだりする前に行けばよかったんだ。
ルネットは悔やみました。どうしたらいいか途方にくれました。……あれこれ言い訳を考えているうちに、最初から売りきれてたってウソついちゃおかなって、ちょっと思いましたが、メルメルの目を思い出すとそんなことを考えた自分が恥ずかしくなりました。
とぼとぼ歩いているのに、考えがどうどう巡りしているからなのか、思いのほか早く家に着いてしまいました。
「ただいま……」
小さな声でそう言うと、そのまま自分の部屋に上がります。後をついてきたメルメルにキャラメルをあげます。
「メルメル、ごめん」
「どうしたの? 忘れちゃったの?」
ルネットはつっかえ、つっかえ、今日のことを話しました。メルメルは小首をかしげながら黙っていましたが、最後まで聴くと、
「そう。仕方ないよね」とそっと言うと、開いた窓からすっと外に出て行きました。
いちばんの友だちだと思っていたのに、約束が破られてショックだというメルメルの気持ちが手に取るようにわかって、涙があふれてきました。
メルメルは帰って来ませんでした。朝になっても、その日のお昼を過ぎて、おやつの時間になっても。気まぐれにいなくなることは時々あってご飯の時間にいないこともありますが、おやつの時間には必ず部屋でルネットといっしょにいて、おしゃべりしたり、ふざけあったりしてたのに。……気になって仕方なくなって、ルネットはとうとう決心したように外に出かけました。
「こんにちは」
「いらっしゃい。……おや? 昨日のお嬢ちゃんだね」
「すみません。ウサギを作ってもらえませんか?」
「え? いや、それは昨日も説明したように」
「でも、ウサギがないとダメなんです。メルメルがいなくなっちゃったんです」
「えっと、よくわからないね。……ちゃんと話してごらん」
ルネットは落ち着いてと自分に言い聞かせながら、唾を飲み込んでから話を始めます。お菓子屋さんのご主人はひざに手を当てて、腰をかがめながら時々うなずいています。……
それからしばらくして、この街の人たちは、紙袋を持ったルネットがあちこちでメルメルを探しているのを見かけました。
「すみません。メルメルを知りませんか? 黒い小さな猫なんですけど」
そう訊かれた人たちの答えは、
「さあ、見かけなかったね」だったり、
「黒猫ねえ。さっきあの路地を横切ったような気がするよ」だったり、
「うちにいっぱいいるよ。一匹あげようか?」だったりしました。
ルネットは手がかりらしいものを聞くたびに行ったり来たりします。また陽が暮れていきます。
「どうしよう」
ため息といっしょにそんな言葉が思わず口をついて出ました。ううん。どうしようじゃない。ルネットは首を振ります。どうしてもメルメルを探すの。この街のどこかにいるから。あたしから逃げたけど、あたしが探しに来るのをきっと待ってるんだから。だって、あたしたちは友だちだから。……
市立公園の前に出ました。キツネの親子をここで見つけたのを思い出しました。薄暗い公園に入って行くのはこわかったんですが、何かひらめくものがありました。きっとこの辺だったって思って、目を凝らしていると……いました! 木の下で、草の上に丸くなって寝ています。
声はかけずにそっと横に座ります。ねえ、メルメル。ルネットは心の中で語りかけます。あたしはもう約束を破ったりしないから、出て行ったりしないで。あたしたちずっといっしょにいようね。ずっと、ずっと友だちでいようね。
ふと気づくと紙袋がかさかさと音を立てています。いつの間にか目を覚ましたメルメルがマジパンのにおいを嗅ぎつけて、開けようとしているのです。
「あはは。今開けてあげるから」
ところがあったかい中を持ち歩いて、しかも無意識にルネットが握りしめたりしたせいでしょうか、ウサギの耳がひしゃげていました。
「あー、ごめん。こんなになっちゃって」
するともうその耳にかじりついていたメルメルはこう言いました。
「いいよ。この方が食べるのに惜しくないしね。……あれ? ぼく今しゃべってる?」
「うん。ちょっと材料が足りないなっておじさんが言うから、キャラメルを足したの」
「ふふ。そっか。キャラメルウサギもおいしいね。ルネットも食べなよ」
「うん。食べながら帰ろ。お母さんが心配しちゃうから」
一人と一匹は一番星に見守られながら、おうちに帰りました。