第九話 膝枕
翌朝、普段より二足早く学校に向かう
まだ誰も他の生徒が登校して来ない時刻を見計らって、教室に入る。いや、予想通り、自分より早く教室に来ていた人物がいた。
当然、ケレンさんだ。
彼女もシェエラが、いつもより早く登校して来るだろうと考えたのか、それともただ待ちきれずに、というより、居ても立っても居られずに、教室までやって来てしまった、と言う面持ちだ。
ならば、話しは早い。
「ケレンさん、あの手紙読みました」
「うん」
ケレンさんは全身に緊張がみなぎっている。もはや、緊張感では無く、シェエラの返答に怯え、恐怖がみなぎっている。
この張り詰めた恐怖の均衡が、一刺しでも突かれたら、そのまま泣き崩れるのではないか。放っておいても、過呼吸を起こして卒倒しそうだった。
これを見てようやく、シェエラはあの恋文が、本気で書かれていたという確証を得たと思った。
「わたし、いま、好きな人がいます。ごめんなさい」
相手の立場や自分の立場、相手を傷つけない為の、また、自分が傷つかない為の、計算や駆け引き。そういう雑念はすべて削ぎ落とした。
ただ自分の本心だけを、本当に伝えなければならない事だけを、単刀直入に訴えた。ケレンさんは、絶望の結晶のような存在になり果てていた。
これでもう、自分の中のさみしさは、生涯、救われることは無いのだ。唯一、それを癒し得る人は、もう自分に手を差し伸べてくれる事は無いのだ。
たった一つの希望を失い、人生には絶望しかないと、打ちひしがれている。
(このままだと、死ぬな。この人……)
「あの、タダの、普通の友だちになら、なれますけど。それでよかったら」
「姉のように、母のように、優しくしてくれますか……」
(うっ)
そういう関係は、想定外だった。
交際では無く、友人でも無く、家族のように優しくして欲しいという事か。藁にもすがる思いにしては、要求が図々しいくらい高い。
それは具体的にどういう接し方をすればいいのか。
「それは、具体的にはどういう事をする関係ですか」
「昼休み中、屋上でひざ枕」
「……分かりました。それだけで好かったら」
「ほんとうにぃ、ほんとうですかぁ」
返答前に、本当に泣き崩れた。
「ありがとうぅ、ございますぅ」
号泣し始めた。
(え、昼前にひざ枕してあげるだけだよね?)
それはそれで、不安になって来る反応だ。
別にこの人の事は嫌いでもないのだが、この人が自分に癒されるという心理現象の理由というか、原因は何なのか。
それを言うなら、それ以前の、この人の抱えるさみしさの原因も、本当に何なのか。理由らしい理由も無く、ただそういうモノが人生には有るのだろうか。
何となく思うのだが、いずれこの人を、エトロさん、ガザル先生とツェルヤさんに、会わせてみたいなあと、漠然と思った。
「うわあ~~~ァん」
交際を断られたことが悲しいのか、ひざ枕してもらえるのが嬉しいのか。どちらにせよ、他の人が登校して来る前に、泣き止んでもらえないだろうか。
「へえ、ケレンは設計士志望ですか」
「ああ、シェエラはあの工房に弟子入りしているんだったな。もう一台、自分で組み立てた軽飛行車があるんだろ」
「ええ、まあ」
「凄いな。私なんて、お茶くみと雑用しかさせてもらえない。兄弟子がまだ六人もいてね」
「うちにも一人、姉弟子がいますよ」
「それは知らなかった。あの工房の事は有名なのに」
「そうだったんだ。あの工房は、私の好きな人の紹介で、弟子入りさせてもらいました」
「うぬぬ、悔しいが私にそんな力は無い。あのガザル研究工房はギルド(同業者組合)や他の工房からの依頼で、軽飛行車やエンジンの試作や改良、開発、それらの完成品やデータを研究し提供する、かなり特殊な工房なんだろう」
「確かに、失敗してもいいから試しに造る、なんて、他の製作所や設計所じゃあ、許されない話ですね」
「シェエラはあの研究所を継ぐのか? 姉弟子がいるのか。暖簾分けしてもらうなら、設計者と技術者、どっちに進むんだ」
「あー、決めてはいないけど、好きに設計して好きに造れたら好いなあっと」
「それはまた凄い野望だな」
高山帯特有の強烈な日差しと、高山帯特有の強烈な冷風の、どちらからも保護する曇りガラス製の温室。
宮殿様式の校舎の中心、百メートルの吹き抜けの屋上にある、山脈の頂上に設置された屋上庭園の内である。
軽飛行車で吹き抜けを駆け上がり、ベンチの一つにケレンが寝そべり、シェエラがひざ枕をしてあげていた。
「シェエラは放課後、また、研究工房で修行か」
「いえ、今日はエバル港山に用事が」
「な、なんだって!」
ケレンが大声を上げるのも、無理はない。
エバル山は山頂の尖頭岩内部が、丸ごと空港になっているが、その地下にはこのカデシュ峡谷都市最大のショッピングモール、百貨店や各種店舗がテナントとして集まる大規模商業施設。
のみならず、図書館や植物園、美術館、観光名所、広場、公共施設等の複合機能ターミナル、都市の全交通と全物流の終点にして始点、カデシュの心臓である。
つまり、ケレンがシェエラと一緒に行かずにはいられない絶対ポイントである。
シェエラにも、それが分からないはずが無い。港山に行くと言い出した時点で、ケレンさんがこういう反応を示すのは、分かり切っている。
「一緒に行きますか?」
「はい、是非行かせてください」
「設計所の仕事はどうします?」
「親方と兄弟子たちを、締め上げてでも休ませてもらいます」
どうやらケレンは、お茶くみと雑用しかさせてもらえない割に、ずい分大事に育てられている様だった。
(工房でも学校でも、こんなに皆から可愛がられて、これで何でそんなにさみしいのかな)
「それで、シェエラは空港に何の用事があるんだ? はっ、そうか、実は私を誘ってショッピングモールに行くための口実!」
「まあ、そういう事にしておいても良いんですけど、本当は親に空港の事務所に顔を出すよう、頼まれて」
「シェエラの両親って、あの、港務局長――」
「ああ……、やっぱり皆、知ってるんだ」
「そんな事はどうでもいい。初めて二人でお出かけっ」
「わたしたち、つき合っていませんから」
午後また投稿します。よろしくお願いします。