第六話 登校前
しばらく無言で作業に取り組んでいた三人だったが、やがてガザルがシェエラに語り掛ける。
「あのエルフ、この街に戻って来てもらえそうか」
「頼めば戻って来てくれそうでした。でも私は無理に頼めません」
「だろうな。それなら仕方ない」
二人の間に何があったか、あらかじめ察しがついていたような態度をとるガザル。
(ガザル先生も出来ればあの人に戻って来て欲しいんだろうな。なのに私の気持ちも分かってくれるんだ)
「あのエトロってエルフが八十年前、エバル山に空港を築いてくれたおかげで、カデシュは港山都市としても発展することが出来た。掛け替えのない恩人だが、そのあの人に対して俺たちはほとんど報いてやることが出来なかったからな。頑なに感謝を受け取らない人だけに、報いてやれることは必ず報いてやりたい」
(森人様、実は二百歳なんだ……)
種族の違いを改めて実感させられる年月だった。
((種族の違いかァ))
ツェルヤを見ながら、ガザルとシェエラ、二人の考えがシンクロする。
「ギキッ?」
二人に見つめられて、首を傾げる金髪碧眼の美少女。
(この子、本当にハーフゴブリン? 確かに人間離れした容姿だけど)
ツェルヤについて、二人とも様々に思いを巡らしながらも、手を休めることは無く、作業を進めて行く。
既に基本構造の完成形が確立された軽飛行車は、素早く的確な作業法も完成されているだけに、一時間程度の労働で組み上がる。
細部の調整と確認を終えれば、試運転に入れる所まで作業を進め、この日の仕事は区切りを迎えた。
「今日はここまでな。片付けと掃除を終えたら解散だ」
「ギキー」
ツェルヤは仕事が終わって純粋に喜んでいるが、シェエラは少し物足りない感覚を残していた。この日の内にエンジンの点火まで、見届けたかったらしい。
「明日は学校だろ。今日はここまでにしておこう」
シェエラの胸の内が理解できたのは、ガザルも同じような物足りなさを懐いたからではあるまいか。シェエラもそう理解を進めてみたら、何故か物足りなさを納得させることが出来た。
全ての作業を終え、工房を後にし、自室へと帰る。先に入浴を済ませ、工房での汚れを流してから、食事の支度にとりかかる。
「いただきます」
「ごちそうさま」
一人きりで簡単な夕食を終えると、明日の授業に備えて予習に努める。徒弟制の職人教育の他に、普通教育制度、つまり学校が有るのだ。
やるべき事を果たさなければ、明日の朝日は拝めない。
予習と復習を済ますと、寝支度に取り掛かり、それも済ませた後は、発光金属を遮光布で覆う。かえって熱効率が良くなり、部屋の中が少しだけ暖かくなった。
薄暗い部屋の中で、ベッドに潜り込み、静かな眠りに着く。
瞼が下りると、昼間、森の中で見た火華桜の乱光が、閉じた目の中で、あるいは薄れゆく意識と重なる頭の中で、鮮明に浮かび上がった。
登校前、少し憂鬱な気分になる。
学業はむしろ楽しい。クラスの皆が煩わしい訳でも無い。何か問題を抱えている訳でも無ければ、これから問題を起こす可能性に思い当たる事も無い。
理由らしい理由も無いのに、毎朝、登校前には不安な気分に陥る。
それどころか、自分から不安な気分に浸りたくなり、過去の自分の反省に耽ったり、不安材料探しに没頭したりする。
せっかくの一日の始まりが、いつもこんな調子なのだ。
おまけに社交的な性格でも無いので、態度にも表情にも雰囲気にも、憂鬱で陰気な気分が見事にはっきりと表れていた。
悲しいことに、あの森の人を前にする時も、自分はこんな顔をしてしまう。わざわざ今、その事を思い出すのもまた、憂鬱な気分に自分から浸りたいと、欲してしまうからだ。
楽しい明るい話題でも思い浮かべようか、と、思っても何も思い浮かばず、かえって空虚で空々しい、不安より不快な気分になってしまう。
この朝の登校時間や、教室に入った後の級友たちとの顔合わせの時間を飛ばして、すぐに授業が始まらないかと、いつも思う。
そんな考えを懐きながら、シェエラは通学用の隧道を、他の学生たちに紛れつつ、トボトボと歩き、学堂に向かう。
大理石の宮殿そのものと言った造りの通学路を、多くの生徒達がグループにまとまらずに(そこがカデシュ人気質)、個々に進む。
カデシュ人は群れたがらず、一対一で人と接するのを好む。それでいて(むしろ、だからこそ)、集団作業は苦手では無い。
この峡谷都市の中には、多くの学堂とそれに付随する学区とが存在するが、大体どこも、数百年前に掘り削られた宮殿様式の坑道跡を、その礎石としている。
かつては市民会の中心施設であり、各生活区ごとに、ほぼ均等に存在している為、学校として機能させるのに最も好都合な都市空間だったのだ。
シェエラたちの通うこの通学路の先には、高さ百メートルにも達する、吹き抜けの竪穴が地上まで突き抜けていた。
吹き抜けの周りには、らせん状に回廊や空室が設けられ、その諸空洞は対面の空間と、橋梁によって結ばれている。そうして坑道都市の中に、壮麗な宮殿式の校舎が築かれていた。
シェエラは自分たちに割り振られた教室に入り、自分の席に着く。
格別親しい友人もいないつもりなのだが、
「やあ、シェエラ。相変わらず朝はアンニュイな様子だな」
毎朝、この女生徒に声を掛けられる。
もしかして自分は気だるい女に見えるのだろうか。それは困る。エトロさんに嫌われてしまう。
「なに、アンニュイな雰囲気を心配しているのか。大丈夫だ、全然イケてる」
漆黒の、光の粒子が飛び散る様なツヤの良い髪を払いながら、中世的な顔立ちをした長身の同級生は、シェエラに保証する。
「私に何か用ですか」
朝からテンションが上がらずにいる時に、やたらとフレンドリーに話しかけられて、思わず突き放すような言動をとってしまった。
さすがに後悔して、弁解の言を述べようとするも、
「実に大事な用が有る。好きだ、つき合ってくれ!」
午後また投稿します。よろしくお願いします。