第三十話 破策謀
「(ナタン暗殺後の経緯が、ここまで俺に都合よく運ぶとは、予想外の筋書きだったが僥倖だ。オクスとの全面対立すら覚悟していたのだからな。今まさに、総司令部は俺の支配下にある。後は、誰もが疑問を持たない形でオクスを排除できれば、全烏戎軍を俺が掌握できる。
そしてこのタイミングで、ガザルの来訪とヤジズの全面降伏の機会がもたらされるとは。そう、これを利用しない手は無い。オクス暗殺の濡れ衣をガザルに被せ、それによって引き起こされる軍部内の混乱を、ヤジズ降伏を機に鎮めまとめ上げる。ビロニアの救世主オクスがビロニアの英友の手によって倒される。役にも役者にも不足は無い。むしろそれ程の人物によって葬られねば、ビロニア人どもも納得すまい。
オクスとガザルの面会時に、その天幕を俺の腹心のゲルガル人によって、完全に包囲し外部と遮断する。その上で天幕に向け機銃掃射で薙ぎ払う。その痕跡をすべて処分した後で、オクスはガザルに討たれ、そのガザルを生きたまま捕らえることが敵わず討ち果たしてしまったと公表する。ガザルがかのビロニアの英友ジェルベで、統一戦争時の功績に対して今日までの処遇に不満があった、と言えば無理はない。
たとえ俺が烏戎軍の最高指揮権を握ることに納得できない司令官がいたとしても、ヤジズとの降伏交渉をこなせる者は俺以外には無い。この戦争の勝利とその後の占領政策の担い手として、俺を認めざるを得ない。俺を認めなければ、烏戎国に勝利の明日は無い。無論、ゲルガル人の俺では、烏戎国の総首長の地位に就けない事は分かる。
だが、イサクならば物分かりの良い傀儡に仕える。その下で司徒・太尉の二頭体制を布き、実権は俺一人が握る。悪く思うなよ、ゼカリヤ)」
その夜、三時中半を過ぎた頃、哨戒兵が上空に飛行車の航行を確認した。事前に通達の有ったガザル氏の物と思い、警戒を覚えないでは無かったが、いずれにせよこの司令部に着陸するものと考え、黙認することにした。
だが、その飛行車は総司令部の宿営地を飛び越え、包囲軍をも過ぎ去り、ヤジズ首都へと向かう。慌てた幾らかの哨戒兵は、司令部の天幕へ、未確認の飛行車の無断航空を報告する。
最終的にその報告は、総首長幕舎に軟禁されたオクスには届かず、すでにこの総司令部の最高指揮権を掌握するに至った、赤い法衣をまとう司徒へと上申された。
「ガザルがヤジズ首都へと向かっただとっ」
ウカツだった。
彼は最早、首都への総攻撃を選択する意志は無かった。彼自身が指揮権を揮い、戦闘を采配し、軍兵を動かすつもりは無く、ヤジズ首脳部の降伏交渉を前提に今後の方針を計画していた。
オクス総首長や軍政顧問・太尉を差し置いて、彼自身が戦闘の軍配を握るなど、現状限りなく不可能に近い。かと言って、彼の息の掛かった専門軍人に指揮権を丸投げしてしまうなど、せっかく握った最高指揮権を、部下に奪われてしまうようなものだ。
確かにゲルガル人である彼個人に、絶対の忠誠を誓う者達は、今まではいた。
しかしそれも、灰色の法衣・政略顧問ナタンを暗殺し、青色の法衣・軍政顧問ゼカリヤを抑えつけ、総首長オクスすら軟禁すると言う非道を働いてまで権力を握ろうとした今の彼、赤い法衣をまとう行政顧問・司徒アヒヤ相手に、忠節の道を正し通す保証は無かった。
今まで忠誠を誓っていた部下たちも、彼の行った権力闘争を目の当たりにしては、同じ権勢欲で彼に報いないとは言い切れない。
「もし今、ガザルがこの総司令部の現状をヤジズの首脳部に伝え、降伏受諾を思い止まり、徹底抗戦するようヤジズを説き伏せたら……」
アヒヤは恐慌に駆られた。
万全を期したと思い上がっていた、現在の自分の置かれている状況が、砂上の楼閣より不安定な火の付く寸前の油紙のような危うい基盤でしか無かったと、初めて気がついたのだ。
「もはや、一刻も早く、オクスを始末しておかねばっ――」
観念の飛躍だった。オクスを始末した所で、今さら現状が安定するはずが無い。だが、彼は、まともな判断力を失いかけている。
四時を幾らか過ぎた頃、アヒヤの居る幕舎の外から、周囲全域から、動揺を訴えるような声が上がり始める。
「なんだ⁉ この上、何が起こっている!」
アヒヤが悲鳴に近い叫び声をあげると、急を伝えるべく伝令が幕舎の中へ駈け込んで来た。
「イサク様が、オクス総首長様の弟君イサク様が、ヤジズの使節団を伴いながら、包囲軍の前で、軍兵たちに演説を呼び掛けております」
「なんだとっ、何を言っている⁉」
「その、オクス様がアヒヤ様に軟禁され、ゲルゲルに烏戎軍が乗っ取られようとしている。この戦争は全てゲルガルの陰謀であり、ウジュ人は騙されている。
オクス様を解放し、烏戎国はヤジズと停戦し、和平に応じるべし。イサクとジェルベが証人だ、と」
「そ、そいつらこそ裏切り者だと末端兵に説明しろっ。我が直属部隊に命じて、そいつらを銃撃してしまえ」
「そ、そればかりは思い止まり下さい、アヒヤ様。兵たちはイサク様とジェルベ様を深く信頼しております。そんな命令を下せば、兵はこちらに反乱を起こします」
「もう、無駄な抵抗は止せ。アヒヤ」
「ゼカリヤっ、どうやってここに」
青い法衣をまとった人物が、この天幕の中に姿を現す。
「オクスを傀儡にし、その父親違いの弟であるイサクを擁立する我らの大願は、完全に破綻した。お前の欲によってな」
「キサマ……。全て目論んでいたな、キサマ! ガザルの招聘を妨げる必要は無いと唱えていたのも、この時の為か」
「後は全て、我ら三公の企てと認め、ゲルガル本国との繋がりを打ち消し、我らが戦争犯罪者としてこの戦災の責を一身に背負い、処断される事で、全ては解決する」
「キサマ、一体、何の為にこの謀略に加担したのだ」
「ビロニア、ヤジズ、ゲルガルの内海航路をめぐる諸問題を、抜本的に改革するためには、この戦争が必要だったのだ。古く歪んだヤジズの国体を改め、新興国烏戎国の抱える冬季の産業問題を諸外国の目に留めさせ、ゲルガルの交易路を両国に保障してもらう為に、敢えて血を流させた。俺もここまでするからには、この先まで生きながらえようとは思わない。すべてを認め法の裁きを受ける」
「ふ、ふざけるな、俺は裁かれはせんぞ」
その時、天幕を潜って、新たな人物が現れる。
「アマサか」
「ナタン様の仇を取らせてもらう」
ズドンッ
明日で最終回です。よろしくお願いします。