第二十一話 殺街
この日、七月三十日の早朝、ガザルの出発とほぼ同時刻に、シェエラ達一行も内海海上都市から旅立った。昼前にはヤジズ本土にたどり着ける。
そのまま、ガザルと同じ道筋をなぞり、最終的にはガザル先生に合流し、その後の役割を話し合って、ヤジズ首都を目指すか、レジスタンスあるいは烏戎軍への、折衝工作を請け負うだろう。
とにかく時間との闘いだ。
この時、シェエラ達一行は、ケレン、エトロ、ツェルヤ、イサクの他、烏戎軍の護衛役竜馬騎兵隊員たち、レジスタンスの案内人一名、で構成されていた。
今この一団は全員、竜馬による水上騎行中である。思えば、季節的にちょうど乾期の時期に旅をしているとは言え、これまで一度も雨に当たらないのは、実に運が良かった。
この幸運はもうしばらく続くようだ。
湖面は夏日の陽光を乱反射させ、気をつけなければ目を焼きかねない。内海は湖とは言え、波もある。
竜馬は水平に真っ直ぐに切り裂くように、水上を走る。高波と言っても高が知れ、頭から水を被る様な懸念はいらない。
程よい風と陽光に、衣服に掛かる水しぶきも、その場から乾いて行く。だが、誰も快い気分にはなれなかった。
ガザルの時と同様、焼け落ちた資材の鼻を刺す臭気に混ざり、腐臭が漂い出す。その正体ももはや、人型からかけ離れた残骸でしかない。
かつては祝福されて生まれて来たその正体が、いまこうして人々から忌われ目を背けられる漂流物となり、墓所に弔われ生前を偲ばれる事も無く、朽ちて消えて行く。
ガザル先生が、この旅に赴くことが無ければ、シェエラはこの国のこの現実に思い及ぶことも無く、平穏な日常を続けていただろう。
「人生ってなんだろう」
そうつぶやいたのは、シェエラでは無くケレンだった。
そうか、ケレンも同じ思いを懐いたんだ、シェエラはそこにも不思議を感じた。
そう、自分たちもこの先、この骸たちと同じように、異土に屍をさらし、歴史の闇に埋もれて行くかも知れない。
虚しさも恐れも無かった。
シェエラもケレンも、ツェルヤやエトロも、誰に知られる事の無いまま消えるかも知れないこの使命に、誇りを持った。
昼前にヤジズ本土に上陸する。予定より一時間は早く、目的地へと上陸できた。このまま午後も、さらに夜間にも駆け続ければ、明日の朝にはガザルに追い着ける。
だが、夜間の移動は戒厳令で禁じられていた。ここまで来て、軍法違反で捕らえられる訳には行かない。
はやる気持ちをどうにか抑えて、シェエラ達一行は、まずはこの上陸拠点基地で手続きを済ませる。
基地内は、これから戦地へと送り込まれる新兵と、戦傷を負い、後方へと移送される負傷兵、補給兵站兵や、衛生兵、多くの軍兵が行き交っていた。
明らかな異国人、それもまだ十代の女性という事で、シェエラとケレン、ツェルヤは注目されている。エトロさんもエルフで、ケレンもウジュ人には理想の容姿として非常に目立っている。
しかし、烏戎軍には女性兵士が少なからず居り、彼女たちが気を利かせてかばってくれている。
別に男性兵が何かして来ると言う訳では無いのだが、奇異な視線を向けて来るだけでも失礼な仕打ちだ、と、女性兵は気を利かせてくれるのだった。
ウジュ人が決して争いを好む人達では無いのは、こうして見れば分かるのだ。この戦争は何かが間違った弾みで起きただけなのだ。オクスにそれを納得させるだけの話では無いか。
「まだ間に合う」
シェエラ達は同じ思いを確認し合い肯く。
一行は基地内で昼食を振る舞われた。なに不足無い物だった。だが、今では皆、その意味が分かっていた。
「これ、ヤジズ人から徴発した食料だったんですね……」
基地外に一歩踏み出せば、そこには飢餓に瀕したヤジズ人と、そのヤジズ人に食料の供出を強いるウジュ人たちが、直ぐに目に入る。
「それでも、食べておくしか無いんだ」
エトロの言う通りだった。食べ残したところで廃棄されるだけで、ヤジズ人の下に戻ることは無い。それよりいよいよこれからに備え、体力と気力を確保しておかねばならない。この先、何がどうなるか予断を許さない状況に突撃する。
人生最後の食事のつもりで、食べきった。
手続きを済ませ、旅装を整える。
オクスに招聘されたガザルを追い合流を目指すのみならず、シェエラたち自身もオクスとの面会を希望し許可されたと言う、証書と通行許可書を得た。
護衛役一行とイサクの口利きに依るものだ。レジスタンスの案内人もシェエラたちのメンバーの一人として許可を得ている。
態勢は整った。正午と同時に出発する。
民兵の掃討戦の話は、至る所で聞かされた。正しくここは戦場の真っ只中なのだ。直接、戦闘に遭遇する事こそ無かったが、それ相応の物を目撃した。
ヤジズの重要都市の一つだった廃墟を通り過ぎる時のことだ。
「そんな…………」
全員が息をのむ。殺戮の行われた後だった。まともな軍隊同士の戦闘の後でないことは、見るからに明らかだ。
無抵抗の市民であったかは分からない。だが、そのほとんどは確実に丸腰だったろう。素手か投石、よくて火炎瓶ていどの抵抗を行った、無力と呼ぶには激し過ぎただけの暴徒たち。
もはや、放置することも説得することも、威嚇だけで鎮圧することも敵わないにせよ、何か他に方法は無かったのか。
「手遅れだったのか」
エトロさんが力ない嘆きをつぶやく。
この惨状は、ここ一ヵ所だけではすむまい。ヤジズの主要都市の多くで、同じ惨状は繰り返されている事だろう。
護衛役の騎兵隊員たちは、シェエラ達と目を合わせられない。
(知っていたんだ)
シェエラ、ケレン、エトロ、ツェルヤ、あるいは同じく知っていたと思われるイサクの五人とも、それが悪意からでは無い事は理解できる。言うべきでない事を言わなかっただけなのだ。
絶望的な無気力と思考停止に堕ちる前に、
「進もう。一秒でも早く、一人でも多く救うために」
エトロが皆を叱咤する。
シェエラは、絶望感の次に、猛烈な力が湧いて来るのを感じた。
怒りでも悲しみでも無いそのエネルギーに、叫びたい様な衝動に駆り立てられ、その力が乗り移ったかのように疾駆する竜馬と共に、悲劇の大地を駆け抜ける。
明日も午前中に投稿する予定です。よろしくお願いします。