第四話 森草原
自らの産出する鉄鋼技術を用いた機械科文明、大工業化は、峡谷都市の居住性を産業の効率化より優先することを許容した。
彼等は、豊かさとは物質的に満たされる事では無いのではないか、と言う考えに達するようになった。
大量消費、大量生産に虚しさを覚えたのは、日々の生活そのものに、豊かさや楽しさを見出すようになったからだ。
始めの内、彼らは自身の居住空間の環境を、その発達させた科学技術で改変させることで、快適な暮らし、理想とする豊かな生活を実現させようとした。
旧時代の自給自足的な暮らしへの回帰を考え、この山岳地帯の自然環境に本来適さない園芸や農耕を、無理やり試みるような。
無論すぐにそれは行き詰まる。
この地で各々それぞれの人々の、思うがままの生活スタイルを実現するのは、根本的に不合理なのだ。それに気がついた人々は、ついにこの峡谷都市の外に出る、と言う発想に至る。
自分の思い描く豊かな生活スタイルを実現するために、実際にその生活スタイルを営んでいる異郷・異境の地に旅立ち、現地の人々の中に受け入れてもらおう。
かつて彼らの祖先が、多くの流人たちにそうしたように。
そして彼らの祖先が、多くの流人たちから、新たな技術、知識、生活様式を学び取ったように、今度は自分たちが外の世界の人々に、自分たちの持つ高度な技術や、生活手段を伝えようとした。
彼らが向かった地の人々は、むしろ、彼らの持つ鉱物資源や工業・機械製品、物質的な豊かさをこそ、第一に欲したが、彼らはその地の人々に、その地の暮らしを守り伝えることの大切さを、根気強く説き続ける。
実際に峡谷都市での知識や技術も教えたことで、物質的な豊かさの向上ももたらした為、受け入れてもらえる人々は多かった。
そうして新天地へと進出した人々同志と、峡谷都市に残った人々、彼らカデシュ人は、住む場所が離れてもつながりを持ち続け、国際的なネットワークを編み上げる。
カデシュ人と言うこの特異な人々を語る上で挙げられる特徴は多々あるが、他の国々のほとんどの者が第一に挙げる特徴、
カデシュ人はついに、国家を築かなかった。
森人のもとを離れ、少女は峡谷都市への帰路を飛ぶ。自作の軽飛行車を駆りながら。
どこまでも深く広がる蒼天を、自分の意志のみで軽飛行車を駆る時、世界の大きさと自身の卑小さを突きつけられ、不安と孤独を覚える。
かつて、山々の頂を徒歩で征服することを求めた冒険家たちは、今の自分と同じ、圧倒的な孤独と不安を求め、独り、峰々を克服して行ったと聞く。
分かる気がする。
世界の大きさと己の卑小さ、それと向かい合う時の不安と孤独は、どこか、宗教的なカタルシスに近い精神の浄化をもたらす。
深い森の中で、花々に出会う時の、狭い世界で満たされる感覚と、真逆の様でどこか通じるモノのある、不思議な幸福感。
足元には、目を止める間もない速度で流れ去っていく、大森林の樹木たち。迷わないよう、アリシュ河の本流に沿って、飛行する。
目を凝らせば、はるか先には、大型輸送飛行艦が、巨体を浮かべている。あの距離だと、すでに大森林を越え、大草原に達しているかと思う。
往路と違い、この季節には帰りは追い風だ。
この高度だと、森の奏でる音が、追い風に乗って追いかけて来る。降り注ぐ陽光を乱反射する輝きは、森の上空からも煌めいている。
「きれい……」
その森の美しさは悲しみをかき立てる。今すぐ引き返し、もう一度、あの青年に会いたい。
その悲しみを、振り切ろうとし、振り払おうとし、直ぐにあきらめる。一刻も早く、この森から抜け出すしかない。
でなければ、この思いからは逃れられない。むしろこの悲しみから逃れようとすればするほど、この思いは強まるばかりだ。
自分でもそれが分かるほど、鮮明な、はっきりとした悲しみの衝動だった。
「また、会える……」
自分を納得させたフリをしてでも、前を向く。
「情けない顔して、あの人に心配させて……、そんなの嫌だ」
あの人の為、そう思うと強さが湧く。強く成れれば、あの人と肩を並べて、共に同じ場所に立てる。
そう思うだけで、本当に強い自分でいられる気がした。
大地の標高が上がるにつれ、森は薄く、低くなって行く。軽飛行車の高度は、大地から一定を保っている。
やがて、森林限界を超えた。目の前に大草原が広がる。
突如として、樹木の為す景観が途切れ、草原から成る海原が果てしなく広がる。巻き上げる追い風に煽られながら、高山植物の繁茂する大地の海原を駆け抜けた。
野生の悍馬の群れがいる。牧草をはむ羊やヤギの群れを追う、牧人たち。
実は、この台地は、峡谷都市より標高が高い。
それ故、アリシュ河の源流も、この台地を迂回して流れる。だが、峡谷都市へと向かう交通路は、すべてこの台地、天空の海原を起点に開かれていた。
それでもこの地には、都市が築かれなかったのだ。
この地の過酷な環境に耐えられるのは、遊牧民のみ、かつてこの地を行き来した多くの交易商たちも、この地をただ通り過ぎるだけだった。
軽飛行車の飛行速度では、この草原に芽吹き始めた春の草花を、目で捕らえることが出来ない。それでも春の訪れに応え、多くの花々が、冬の間に蓄えた命の底力を奮い、その身を咲かそうと萌え出る。
その姿が一つ一つの点としてではなく、草原に広がる一面に、色彩として表わされていた。その小さき命の芽が、少女を励まし、強さを与え、悲しみを癒してくれる。
小さな儚い一つの命が、その地に根付き、生きる奇跡を教えてくれる。
自分もまた、斯く在り、かくのごとく生きねばならない。
緑の連なりはしかし、急峻な断崖に落ち込み、前触れも無く途切れる。その先に在るのは、それこそ永遠に果てし無く連なるように見える、大山脈だ。
明日も投稿、頑張ります。よろしくお願いします。