第二話 海民
ビロニア高原の南方には、『内海』と呼ばれる、巨大な内陸湖が広がる。
東西千二百キロ、南北五百キロ、一国が収まり切るほどの面積を誇る、巨大な湖だ。その内海の南方、ビロニア高原から見て対岸に当たる地には、建国三百年の歴史を持った大国が君臨していた。
大海軍国『ヤジズ』、民主共和制国家。
内海の海上支配権は、内海を海上交通の場とする交易における流通と市場、商業の統括権と直結する。それは、烏戎国とヤジズ国、両国の経済の主導権をどちらが握るか、という問題に当然至る。
その問題を対話によって解決し、どちらかの一方的な損益に傾くことなく、両国を共に繁栄に導き得る経済バランスを、話し合いによって保とう。
と、言い出すには、烏戎国はまだ若すぎ、ヤジズは年老いてしまった。
それでも烏戎国の大首長オクス個人には、彼らと話し合おうと言う意志が、確かにあった。
だが、建国以来三百年、周辺国から宗主国として仰がれて来た老舗の大国には、ようやく統一されたばかりの、内部紛争に明け暮れていた蛮族と、対等の席に着いて話し合うなど、片腹痛い話としか思えない。
烏戎国など、大国ヤジズの軍事力で一撃を加えれば、すぐにほどけて再び部族間紛争を引き起こすだろう。
そうすれば、また以前のように、豊かな狩猟生産物を、ヤジズ商人の言い値で収奪交易できるようになるはずだ。
ヤジズはそれを、無条件に妄信した。
烏戎国を侮るヤジズは、一方的な宣告と共に、ウジュ人の海上通行を禁じ、内海中の港湾を自国の船団で封鎖し、烏戎の貿易権剥奪を強行する。
こと、ここに至り、オクスは決断を下す。
彼らウジュ人は、数百年の紛争により、闘争と殺戮の思想を具えた戦士であり、オクスによりこの時代の最先端の戦闘技術と戦争科学を身に付けた、蛮人の勇と文明人の知を併せ持つ、最強軍事民族と化していたのだ。
それに気づかぬヤジズは、烏戎国の宣戦布告を嘲笑い、無造作に船団を北進させる。
ウジューの竜馬騎兵など、ヤジズの誇る巨大船団の船上から、重機関銃の一斉掃射で薙ぎ払えば、瞬時に壊滅するはずだ。
それは実現されれば、確かにその通りになっただろう。水上で正面から戦い合えば、他に可能性の無い確実な未来だった。
だがしかし、海上をいくら進んでも、烏戎の竜馬騎兵は姿を見せなかった。
不信を懐きながらも自信をゆるがせる事無く、無人の湖上を北進し続けるヤジズ船団。遂には内海を縦断し、対岸の烏戎国までたどり着いてしまった。
それでも敵は影すら見当たらない。
気味の悪さを覚えながらも、それでも傲慢に、彼らは烏戎国の港湾都市に上陸。そこでも人影ひとつ見当たらぬ、無人の廃街となっていた。
そうだ。ヤツラは恐れをなして、ビロニア高原の奥地へと逃走し、海上交易を放棄したのだ。
と、彼らヤジズ海軍は疑問を懐くことなく、思い込んだ。
彼らはしばらく、戦利品、略奪物を求めて上陸地点の周辺を漁ったが、目ぼしい物は何一つ得られなかった。
そうして数日を無為に費やしていた所、本国からの急使が早舟に乗り届く。
烏戎の竜馬騎兵の大軍勢が、ヤジズ内海に面する全ての港湾都市に、陸路から回り込み、船団の居ない間に手薄になった本国を急襲したのだ、と。
陸上戦になれば、ヤジズにウジュ人とまともに戦う力は無かった。
食料や銃火器の補給物資を、ほとんど略奪で賄い、捕虜も民間人も虐殺し、ヤジズの港湾都市や基地を破壊し尽くした後も、烏戎軍は南下を続け、ヤジズの主だった重要都市の全てを蹂躙する勢いで侵略を続ける。
急遽取って返した船団も、廃墟となった港に上陸したのち、為す術が無かった。
彼らは結局、無謀を承知で船を捨て、烏戎軍の背後を突くため陸路を進んだが、烏戎軍の偵察隊にすぐに見つかり、オクス率いる竜馬騎兵に振り向きざま殲滅される。
烏戎軍はこの年、七月初日、ヤジズの無防備をさらした首都を、眼下に望む。ヤジズを宗主国と仰ぐ周辺国からの援軍は、最後まで訪れなかった。
今日、もう一度、投稿します。よろしくお願いします。