第二十二話 再出発
カフトリム王の印象は、若い頃は確かに活躍したであろうが、今は少し老いて疲れ始めた初老の紳士、と言った風貌だった。ツェルヤさんの祖母に当たる女王陛下も、おおよそ似たような印象だ。
そして王女は、意外とまだ若々しく、ツェルヤさんと同じくらい美しい女性だったが、シェエラの評価としては、ツェルヤさんの方が一緒に居て楽しそうだ、と思った。
「確かに綺麗ですけど、あまりツェルヤさんに似ていませんね」
「ああ。ゴブリン王の方が印象が似ているくらいだな」
二人が、ツェルヤさんの家族について、印象を話し合っていると、ひょっこり港務局長がやって来た。
「やあ、今回の一件、いろいろとすまなかったね。まさか君たちにも、命を懸けさせる事態になるとまでは、思っていなくて」
じゃあどういう事態になると思っていたのか。
「こんな危ない計画にしなくても、もっと確実に人類とゴブリンが手を取り合う為の話し合いに持ち込めるやり方が、有ったんじゃないですかっ」
ここで、感情的な態度を取ることは悪い事では無い、と言った表情で、シェエラは港務局長に勢いよく食って掛かる。
「あなたにも立場や考え、覚悟が有ったのは仕方ない。ゴブリンと人類の手を取り合わせようと言う、あなたの主張が正しいのも認めよう。その為には手段を選べないって事も、個人的にでは無く、歴史的に評価を決めるべき事柄だったと納得してもいい。
でも、シェエラを危険な目に遭わせた事だけは、絶対に許さない。あなたはシェエラの父親で、私がただのクラスメート、部外者だと言われても、私にそんな資格はないと言われても、シェエラを危険な目に遭わせる者を、私は許さない」
この時のケレンは、タダの未熟な学生とは思えない程、大人達の中にも滅多にいるものでは無い程、頼もしく堂々たる態度だった。
「分かっているよ。私がしたことは、一人の個人としても、港務局長という公人としても、娘の父親という家庭人としても、間違っていたことは。それでも私は、償いと復讐を同時に果たす為に、このやり方で、これをやり遂げなければならなかったんだ。せめて君たちには聞いて欲しい。私の言い訳を」
まだ私が、無邪気で無知で、恥を知らない程、幼い年齢の頃の事だ。
両親の趣味と教育方針で、カデシュから遠く離れた農村に、体験学習を兼ねてキャンプ生活をしに訪れた時の事だ。
体験学習と言ったって、幼過ぎたその頃の私では、大人に混ざって何か役に立つ仕事に加われる訳もなく、暇を持て余すだけだった。
暇を潰す当ても無いので、村の周りの森の中へ、それこそ暇を潰す当ても無く、さまよい歩きに向かったりするしかなかった。
そんな幼い子供の足でも、半日をかけて真っ直ぐに進めば、それなりの距離に達する。それは、大人達が警戒する必要は無いと思っていた距離を、大分、越えてしまうまでに達してしまった。
もちろん、その時の私には、その自覚は無かったからね。
そこで私は、一人の少年に、偶然、そして突然、出会ってしまった。相手は私と同じくらいの背丈で、同じような体格をしていた。恐らく自分と同年齢だったろうな。
なんの障害も無く私たちは、一緒に遊ぶに至ったと記憶しているが、一体その時、何の遊びに興じていたのか、今では思い出せない。
何となくだが、一緒に森の中を走り回ったと記憶している。
そこには子供同士で決めた、自由なルールや勝ち負けの決まりを勝手に作っていたと思う。私とその子の間には、その時、何一つ隔たりは無かった。
一通り遊び通して疲れた私たちが、どんな会話を交わしたのかというのも、今ではこれも記憶にないが、何となく意思が通じて、私はその子を、私と両親が滞在させてもらっている村に、自然と招いて、その子も特に疑問も無く、私に付いて二人で村へと向かって行った。
その村で、その少年は殺された。
その少年がゴブリンだったからだ。
その少年が、村の大人達から鍬や手斧で滅多打ちにされ、嬲り殺される間、無知で恥知らずな私は、卑怯にも恐怖に駆られ立ちすくみ、黙って見届けていた。
記憶には、村の大人達を止める間が有ったはずだが、大人達の形相と剣幕に、自分も叱られると怖れ、私はそれをしなかった。
あのゴブリンの少年は、私のせいで死んだ。
いや、私が殺したんだ。
それが私の人生の出発点、人生の始まりの記憶だ。
私は、生涯をかけて、その少年への償いと、その時の無知で恥知らずな自分への復讐を果たさなければならなかった。その為に港務局長の地位を手に入れ、その機会をうかがい続けた。
シェエラから、ガザル研究工房にハーフゴブリンの少女がいると聞いた時、真っ先に利用出来ないかと考えた。
密かにその少女の身元を調べ、カルケミシュ国王の孫だと知った時は、天主からの福音だとすら思い、思わず祈ったよ。
私は私の全てを賭け、今回の計画を企て実行した。後は君たちの知る通りさ。
「もちろん、これはただの良い訳さ。私の事は恨んでくれて構わないよ」
語り終えた港務局長は、燃え尽きたように肩を下ろした。
「なら、あなたはもう、人生の目的を果たし終えた訳ですよね。では、これからは、家族と自分の為の人生を送ってください」
初めて父親の真意を聞かされ、呆然とするシェエラの隣で、毅然とした態度を解くことなく、ケレンが告げる。
シェエラは、(さっきからやけに、ケレンさんが大人っぽいなあ)と、そんな感想しか浮かばない。
父の言葉を聞いてから、この日一日の疲れがドッと出たことと、これで全ての問題が無事に解決したという安堵から、頭の中が空白になってしまった。
港務局長は、人生の目的を果たしたと言いつつ、まだまだ仕事を続けるつもりに見えた。空港業務に三大巨頭会談のホストも務めなくてはならない。
いま、全てが終わったと言って投げ出しては、全て台無しである。
それに、ケレンに言われた通り、これからは別の生き方をしようという、前向きな意思も芽生えた様だ。何より、今回の計画をやり遂げても、結局、罪の意識は消えなかったのだろう。
これからもずっと、ゴブリンと人類が手を取り合って行けるよう、もう自分への復讐というやり方では無く、地道な空港業務の中で、罪を償い続ける気らしい。
ケレンはそんな港務局長を、シェエラの父親としてではなく、一個人として祝福した。
これで第一章は終了です。明日から第二章が始まります。よろしくお願いします。