第二話 火華桜
広場を取り囲む木々に架け渡された縄梯子の間に、チラホラと人影がうかがえた。しかしそれは人では無く、青年と同じ妖精たちらしい。
桜からひと際大きな火花が打ちあがると、彼らの中から感嘆の声が上がる。皆、この満開の火華桜の、花見に興じているのだろう。
この少女もまた、この妖精族の青年に招かれ、この桜の花を見学に訪れた者の様だ。
この森の中に、少女以外の人族を見かけることは無かった。それでいながらこの妖精たちに、この少女を拒む気配は見受けられない。それは、この少女を招き案内したのが、この青年であったからだ。
この青年は、この妖精の村の中で、かなりの地位と尊敬を得ているらしい。
妖精たちはいずれも皆、美しい相貌としなやかな肢体を具えていたが、その中でもこの青年はまた、特に優れた容姿を具えている。
火華の光が、青年の顔を様々な色どりで照らす。
神秘を超えるような美しい光景だった。
「森人様」
少女は、ためらいがちにその青年に訊ねる。
「もう一度、街に戻って来てはもらえませんか」
妖精族の青年は、少女に目を合わせず、決意の表明であるかのように、視線を真っ直ぐに火華桜へ向けたまま、少女の問いかけに短く答えた。
「あの街での、私の役割は、すでに終えている」
少女と青年の会話が聞き取れたはずは無いが、広場を囲むように火華桜を眺める妖精族の人々の幾人かが、二人を見守るように視線を向ける。
「でも」
(私の役割は始まったばかりです)
だから自分の為に戻って来て、自分を助けて欲しい。本当は続けてそう言いたかった。だが、それは余りに強引で、身勝手な、わがままだった。
そしてその青年の目は、少女がそこまで言い切るのなら、その願いを聞き届けてもいいと、肯いてくれそうな、優しい目をしていた。だからこそ、少女は自分の願いを押し付けることが出来なかったのだろう。
ようやく自分の人生を歩み始めたばかりの少女に、自分以外の人生を背負う程の責任に対する、未来への展望など持ち得るはずも無い。
そんな自分の情けなさを見透かされているように、青年からそれを許す様な眼差しを向けられている事が、嬉しくもあったが、それ以上に切なかった。
少女は火華桜の観賞を口実に、この妖精族の青年を連れ戻しに来たのだが、青年もそれを知りながら少女をここまで招いたのだ。
青年には、戻る意思も理由も持ち得なかった。
だが少女がそれを望むなら、その願いに従うつもりだったのだ。しかし、この人間族の少女が望むのは、青年が自らの意志で少女と共に街へ戻って来てくれる事だった。
少女はここで再びためらった。
この平行線に気づいた青年は、少女の願いをかなえる為、自分から戻る意思を示してくれるだろう。
それは正しいのだろうか。
この青年にとって、それはどんな結果を迎えるだろうか。異種族の青年と少女は、会話の無いまま、ここまで互いの意志を交わし合った。
火華桜の打ち上げる火花は、無限に姿形を変える。
滝の瀑布か奔流のようにすだれ落ちる、火花の雨。
無数の鳳仙花の種のように、爆ぜ散る火花の発砲。
大地から天空に駆けのぼる、雷の如き火花の噴水。
人族と比べ、妖精族の時の歩みは長く緩やかだ。同じ時間軸に立っていられるのは、今このひと時だけだろう。共にいられるそのわずかな時間が怖ろしい故に、二人は歩み寄ることを互いにためらう。
互いに、相手が幸福になることこそを望んでいる。
互いに、自分の願いを相手に求めることが、相手の幸福に結びつくか分からない。
だから互いに、相手に願いを求められない。
だが、本当に自分の願う事とは、互いに、相手が自分に向ける願い、求めに応じることなのだ。
決して交差する事の無い、二本の線、平行線。
互いに、相手を想い合うが故に、交差する事の無い互いの願い。
結局、怖いのだ。自分が相手を不幸にしてしまうことが。自分はただ、相手の望みに応じられれば、どうなろうと幸福になれる。
でもその逆は、自分に対して許せない。
絶対に、相手を不幸にしてしまう訳には行かない。たとえ、相手の想いが自分と同じであっても。同時に、その想いが今、二人を傷つけあっているとしても。
結論は時間に迫られている。
いつまでも平行線を、延ばし続けてはいられない。
「また、来ます。いつでも、何度でも」
ともに、同じ場所に立ち続けることは叶わない。だからと言って、二人の繋がりを断つ必要までが有る訳では無い。
少女の暮らす街から、この森の人の住まう森までは、二人の絆を断ち切るほどの距離では無かった。
「何かあれば、必ず駆けつける。何があろうと」
青年は少女に答える。
火華桜が特大の火花の蕾を、開花した。
まばゆい白光色の火球が、人々の目を奪う。
青年と少女は、その光と音を背にしながら、その場を離れた。
明日も二話投稿できるよう頑張ります。よろしくお願いします。