第十話 港山春
「何でシェエラは港山荷役の人達から、姫と呼ばれているんだ」
「知らないんですけど、全員、私に忠誠を誓っていて……」
「この空港の労働者って、一万人以上いるのではなかったか。この都市で現在、最大の武力を有しているのは、実はシェエラってことなのか」
「そうかも知れないけど、考えない方がいい気がします」
学校を終え、二人は坑道の出口の一つに向かい、停車場に並ぶ。自前の軽飛行車で行くより、公共交通機関を用いた方が、エバル港山へ向かうには利便性が高い。
シェエラの両親に会いに行く際、直に空港事務所へ行かず、商業施設を経由していく事にした為でもある。
ちょうど学生の帰宅時刻だ。二十人以上を一度に乗せられる飛行車と言えど、停車場はやや、混み合っている。
ここに並ぶ人々の、半数が学生だった。平日の放課後、すぐに遊びに出かけられる者は、むしろ珍しい。
定刻通りに現れた乗り合い飛行車に、ケレンとシェエラも乗り込む。
乗り合い飛行車は、オープンカー仕様で、車と言うよりボートの様な形態を取っている。雨の日には、車体に幌を掛けるのだ。
今日は晴天に恵まれ、涼風が心地よい。
ケレンは、そう言った風光を味わい楽しむ感受性があまり無いらしく、シェエラにしてみれば教育のしがいが有るという物だ。
二人は並んで座席に腰を下ろし、飛行車の発車を待つ。二、三分後には乗客全員が着席し、乗り合い飛行車は加速を開始する。
峡谷は南北に伸びており、南が谷の出入り口で、谷の最北、行き止まりに君臨するのがエバル山だ。
空港建設の際、立地を谷の最奥にするか、峡谷の入り口に築くかで一揉めあったらしい。結局、現在のターミナルに決まったのには、森人エトロの決断が決定打だったそうだ。
乗り合い飛行車は、峡谷の東(右)側の岩壁と西(左)側の岩壁のそれぞれの坑道を渡り合いながら進み、そこに設けられた桟橋へ車体を下ろし、乗客を乗降させ、ジグザグに行く。
東壁と西壁を交互に行き交うのみならず、高低による上下のジグザグ移動も加わり、乗客に負荷を与える。
この都市は決して、総てが始めから計画的に、合理的、効率的に築かれて来た訳では無く、その時々、時代と時代、住む人の行き当たりばったり等により、複雑な構造を持っている。
坑道都市であるが故に、一度掘り起こした空間は、やり直せないのだ。
さまざまな彫刻や壁画、はめ込まれたモザイクタイルなど、装飾の施された巨大な岩壁は、他にもテラスやベランダ、窓枠に坑道入口と言った生活様式も加わり、壮大な美観を成している。
工場での規格型大量生産という開発思想を離れ、それぞれ独自の技術や設計思想を具えた職人によるフルスクラッチ製造が基本化された軽飛行車や飛行車も、個々の特色やデザインで飛び交うと、この峡谷都市の美観に、大きな影響を貢献することに為っている。
美的センスや生活スタイルという伝統を、地域の人々、全員が共有する『文化』とは、実に不思議なものだとシェエラは思う。
その事をケレンに話してみた所、特にそんな感覚を意識したことは無い様だった。しかし、ケレンのセンスや美意識は、それその物だ。
文化とは不思議な物である。
膨大な雪解け水の一部が岩壁から雪崩れ下る、滝の前を通過した。これも春の風物詩だ。
冬季には、この滝その物が凍り付き、巨大な氷の柱が岩壁を覆う。それでもアリシュ河の流れが凍てつくことは無く、積り重なり固まった雪の層が、アーケードとなりアリシュ河に蓋をしても、その下でこの大河は流れ続ける。
今、この時期から初夏に掛けてのアリシュ河は、最も水量の豊かな季節で、その恩恵は未だ見知らぬ大地の果てまで続き、どれ程の生命に慈雨を注いでいるか、計り知れない。
そうして東岩壁と西岩壁の狭間を縫い続け、ついに峡谷都市の果て、エバル山を眼前に臨むに至る。
それは同時に、アリシュ河の源流に達したことも意味する。
峡谷を塞ぐようにそびえ、また、地を裂くような両岩壁を覆うようにも屹立する、一枚岩から成る巨大な円錐。その頂点は、天を突き指すように伸びた、これもまた巨大な尖った鋼岩。
その頂点の尖頭岩の前面を掘削し、内部を広げ、大型輸送飛行艦や大型飛行車のエアポートとしていた。大型飛行車はその岩の内部に誘導、着陸、格納され、大型輸送飛行艦はその格納庫の入り口に横付けする。
尖頭岩の前面は、氷河に削り落とされたカールになっており、飛行艦をちょうど納められる天然の着陸場を形成していた。
さらにそこから降った山の内部は、この都市の誕生と共に掘り進められ、鉱物の採掘と同時に、その坑道が市街として機能されて来た。
それはこの都市全土において、最も美しい街並み、景観を織りなす。
発光金属に照らされた、広く高い回廊が続き、歴史と伝統により磨かれた各商業店舗とそこに並べられた、この都市で造られたあらゆる製品。
ここで手に入らない物は無い、と、誇りを以て宣言する者は少なくない。
シェエラとケレンも、乗り合い飛行車を降り、エバル港山市街へと足を踏み入れた。
乗り合い飛行車は、大型車と違い、山の中腹の坑道入口へと乗り入れる。
そこは既に、ショッピングモールの荘厳なエントランスホールだ。
エレベーターとしてのみ機能する昇降用軽飛行車を使って、港務局センターまで直にたどり着けるが、シェエラも折角なのでケレンと共にモールの中を歩いて向かう事にした。
始めからそのつもりではあったが。
「まずは、どこを回ろうか。シェエラ」
「裏エバル」
「な、なにっ! あの、お上りさんと観光客しか通らない表エバルストリートでは無く、地元民御用達の裏エバルだと⁉」
「実はわたし、行ったこと無いんです」
「私だって無いぞ」
「地元民なのにね」
「そう、地元民なんだが」
「クラスの皆の中にも、行ったことある人って、いるんですかね」
「聞いたことないな」
「地元民御用達って、都市伝説か何かですかね」
「気になるな……。今日、試しにのぞいてみようか」
今夜もう一話投稿する予定です。よろしくお願いします。