1-6."トイレちゃん"・土肥玲花
翌日。一時間目が終わると、土肥は早速また小野瀬たちに席を囲まれた。
小声で小野瀬に何かを言われて、ぶるりと身じろぎして身を縮こまらせている。
昨日の今日だから、小野瀬たちも行動を躊躇うかな、なんて思ったけどそんなことはなかった。マジかよ。仕方ねえな。
「おーい土肥、こっち来いよ」
大声をあげて土肥に呼びかけ、自分の席に手招きをする。
「暁斗も、定規バトルしようぜ」
ボールを持って教室を出ようとしている暁斗も捕まえて、俺の席に誘う。
「うん、いいぜ!」
暁斗は持ってたボールを用具入れへと乱暴に投げ込んで、ペンケースをひっ掴み上機嫌で俺の隣へやってきた。
「じゃ、やろっか、悟!ほら土肥さんも早く早く」
暁斗が土肥を手招きすると、土肥だけでなく小野瀬グループもこちらに振り向いてきた。
場に緊張が走る。俺も手に汗をかいたのを感じる。まさに一触即発、といった趣すら漂っている。
「ほら、やるよー?」
そんな緊迫感などどこ吹く風という趣で、暁斗は小首を傾げながら、へらりっ、といった感じの表情で女子たちに微笑んだ。
「日野くん……」
おお、小野瀬たちがぼけーっとした顔になってる。毒気を抜かれたんだろうなあ。
なんか暁斗ってこう、母性本能をくすぐられるというか、無邪気で可愛いんだよ。子猫みたいな感じというか。
どうやら小野瀬たちからは、いっちょ土肥に嫌がらせをしてやるか、という気が萎えてしまったようだった。
土肥はといえば、そんな腑抜けた様子の小野瀬たちを何度かキョロキョロと見つめ、意を決したような顔になっておそるおそる席を立った。
そして、そーっと、そーっとといった趣で囲みをすり抜けて、俺の席までたどり着いた。
心なしか私、頑張ったでしょ、というような得意気な顔になって、俺の真横に座る。そのまま口を俺の耳元に寄せてささやく。
「あ、あの。寄木くんありがとうね……。あ、あと日野くんも」
「それより、筆箱は?」
暁斗が自分のペンケースを開きながら、不思議そうな顔をする。
「え、筆箱?」
「定規バトルするんだろ?悟」
「ああ。うん」
「えっ、あっ」
土肥は変な声を漏らして、そんな声を出した自分が恥ずかしかったのか顔を赤く染める。
次に、俺や暁斗の手元のペンケースと、自分の何も握っていない手とをぐるぐると順番に何度も見つめた。
そこでペンケースがないと定規バトルに参加できない事に気付いたのだろう。しかし、そのペンケースは土肥の机に置きっ放しである。土肥は、はっと表情を不安そうなものに変え、挙動不審に体を震わせ始めた。
こわごわと後ろを振り返ろうとして、振り返れないでいるように見える。
でも、大丈夫だ。もう随分前に小野瀬たちは教室を出ていってるから。
数秒の逡巡の後、ぎゅっと手を握りしめて土肥は振り返る。その顔からは決意が伺える。
そして、すぐさま自分の席の周りどころか教室に小野瀬たちが居ないことに気付いて、呆然とした顔になった。
その姿がどうにも滑稽で、俺はつい笑ってしまう。
「んふっ」
「よ、寄木くん……ひどいっ!」
けど、でも仕方ないじゃん。やってやるぞ、みたいな顔をしてたのに肩透かしを食らって呆気にとられてる顔があまりに面白かったんだから。魂が抜けたという比喩がぴったりだったもん。
ただ、俺の態度によって土肥がちょっとご機嫌斜めという感じに顔を膨らませたので、慌てて話を逸らす。
「いやごめん、でも良かったじゃん。ペンケース取ってきなよ。やろうぜ」
「あ、うん」
いやに素直に土肥は頷いてペンケースを取ってきた。小学生女子らしい、お菓子の缶みたいな質感をしたアルミのやつだ。
土肥が席についたのを見て、暁斗は満足げにニンマリと笑って、腕まくりをする。
「さあ、やるぞ!最近みんな勝てないからって誰も定規バトルしてくれないから、三人でやれるとか嬉しいぜ。サンキュー悟、土肥さん」
そうだった、何故か暁斗はこの定規バトルが半端じゃなく上手くて、それで俺達の周りではブームが廃れたんだった。
土肥を救出するための口実に使っただけだったから、そんなに喜ばれるとちょっと罪悪感が湧き始めてくる。
でも、それを表に出すわけにはいかないし、じゃあちょっとテンションを上げていくか。
「いや、今日は俺が勝つからな!!」
「お、いいね。かかってきなよ」
「今度は暁斗が消しゴムバトルやりたくないって言うくらい、ボッコボコにしてやるぜっ。な、土肥」
「へー土肥さん、やれるんだ?」
「おうよ、土肥は上手いぞ?逃げるなら今のうちだからな!」
「え? えっ?」
急に話を振られた土肥は目を白黒させる。
俺と暁斗はそんな慌てた土肥をよそに、粛々と文具を配置していくのであった。
*****
「いやあ、本当に土肥さんは強かったねー。悟は、まあいつも通り弱かったけど」
「おかしい、こんなはずでは……」
俺は開始直後から土肥と暁斗から集中狙いをされて、早々に試合から退場させられた。
実は、何も考えなしに暁斗に挑んだ訳じゃなかったんだよ。
昨日負けたのが悔しくて、家に帰ってから敗因を入念に分析していたし。それに加えて、流石の暁斗も初心者の土肥に遠慮するだろうと考えて、遠慮してる間に倒そうと速攻をかけたんだ。
そして中身が大人の意地を見せてやるぜと意気込んで攻め込んだ俺は、一瞬でカウンターを食らってボコボコにされてしまったのだった。
土肥曰く、寄木くんは配置の時点でなんかもう攻めてくださいって言わんばかりに隙があるんだよね……ということらしい。
そう、土肥は思った以上に定規バトルが上手かった。
いまだに俺は若干ルールが怪しいくらいなのに、なんだか土肥はもう完璧に把握してるみたいだし。
落ち込んでる俺をよそに二人は白熱した争いを繰り広げていて、そして今しがた暁斗の勝利で終わったようだ。
「いや、でもマジで土肥さん上手くてびっくりした、また今度やろうね」
ほう。どうやら暁斗に腕を土肥は認められたらしい。
喜んでいるだろうか、なんて考えながら土肥の方を見ると、なんだか難しい顔をしている。
あれ?もしかして、定規バトルがつまらなかったのだろうか。もしくは、暁斗みたいな典型的なリア充タイプの人間と会話するので疲れたのかもしれない。
俺も、大学時代のバイト先で同僚だったウェーイなあんちゃんに話しかけられる度に、ちょっと対応に苦慮した覚えがあったしな。暁斗はそんな面倒くさい人間じゃないんだけども、でも相性とかあるし。
もしそうなら、なんか悪いことをしたかもしれないな、暁斗にも土肥にも。
さあて、どう収集をつけようか。そう思って口を開こうとした瞬間に、土肥が俺より先に口を開く。
「えっと、寄木くんがやるなら……」
そう言って、土肥は上目遣いで俺の方を見つめてくる。土肥はいつの間にか俺の真横に移動してきていて、俺の腕をちょんっと摘まみながら、「ね?」なんて言って笑いかけてきてくるけど、なにが「ね?」なのかよくわからない。
ただ、その笑顔が昨日までの陰りのあるやつではなく、年相応の屈託のない微笑みになっているのに気付いてちょっと嬉しくなる。つられて俺の表情も少し綻んだ。
「なるほどねえ」
暁斗はうんうんと頷きながらひとり納得したようで、ニヤっと唇を歪める。
「じゃあ、また土肥さんを誘ってよ、悟」
「あ、ああ。うん」
よくわからないままに、俺はうなずく。
土肥はさっきまでの難しい顔はなんだったのか、いつの間にか思いっきり明るい顔になっていてびっくりだ。なんなんだ。
「しかし、悟は驚くくらい下手だったなあ」
「うん……私もちょっと意外だった。寄木くんって何でもできると思ってたから。まさかあんなに……」
「頭は良いんだけどねえ」
「う、うるせーっ」
俺が吠えると暁斗と土肥はぷっと吹き出し笑い始める。俺が弱いのがそんなに面白いのか。
はあ、過去に転生して人生をやり直しても、やっぱり小説みたいにかっこよく決めることなんて出来ないもんだなあ。
嘆息する俺を尻目に、暁斗は腹を抱え、土肥はクスクスと、二人はチャイムが鳴るまでひたすら笑い続けていたのだった。
読んでいただいてありがとうございます。
今話で一旦土肥の話は終わりです。数話後から土肥はまた登場します。
ここまで読んでみて、気に入ってくださいましたら感想等頂けると幸いです。