12-4. 君とプールで秘密のレッスン・土肥玲花
「随分水に慣れたなあ」
「うん、びっくりだね?」
顔を水につけて上げるを繰り返す土肥を見ながら俺が零すと、土肥は不思議そうな顔で返事をしてくる。
いや、お前のことだよ!
でも本当に随分と土肥は水に慣れたと思う。さっきから水の中でも目をぱちくり開けていても大丈夫っぽいし。
水の中で目を開けるのは結膜炎のリスクがあるだろうけれど、回りが見えないとそれ以上に危ないので開ける練習もしてもらったんだよな。
まあ俺も水中眼鏡が必要とか思ってなかったし、周りにもつけてる人間はほとんどいない。これが逆行前の時代ならみんなゴーグル付けてたと思うんだけどな。
「次は体が浮くってことを覚えようか」
「うん」
俺の言葉に土肥は素直にこくこくと頷く。
「人間の体って水より軽いから、普通にしてたら浮かぶんだよ」
「えっ、そうなんだね?」
土肥が目をまんまるにして驚いた表情になる。いやうん、肺に溜まった空気が浮き輪がわりになるんだよな。
まあ案じるより生むが易しということで、俺は自分でやってみせることにする。
「そうだよ。少し見てて」
俺は空気を軽く吸い込み、水上で仰向けに寝転んだ。体はちゃんと水面に浮かんでいる。全身から力を抜いて、波に揺れながらぷかぷか浮いてるのは気持ちいい。
「土肥もやってみよう」
ぷかぷかを一、二分ほど堪能してから、俺は男交代するために立ち上がる。
おっかなびっくりという様子の土肥は、いまいち踏ん切りがつかないようだった。このままだとラチがあかないので、俺は空中を泳いでる手を取って握る。
「ほら、土肥。俺が握ってるから溺れることはないぞ。信頼して浮かんでくれ」
「う、うん」
こちらを上目遣いで見ながら、しっかりと土肥は頷いた。そして、意を決するためか深呼吸を何回か繰り返して仰向けに水に身を任せる。
ぽちゃん、という可愛らしい音を立てた土肥はしっかりと水の上に体を浮かばせていた。
スクール水着の胸元にある『土肥』という字がなんとなく誇らしげに見える気すらする。
おお、ちゃんと浮いた。よかった。
ビビって暴れたりすると沈むこともあるだけに少し心配してたけど杞憂でよかった。
「わ、すごいすごい。本当に浮くんだね!」
「ほら、言った通りだろ?」
「うんっ」
土肥が目をぱちくりさせながらも、弾む声を上げる。
いやはや、楽しそうで何よりである。
「じゃあ、手を離すぞ」
「えっ?!」
俺がしっかり繋いでいた手を離すと、土肥は途端に狼狽した顔になる。
いやいや、俺が引っ張り上げてたわけでもなし、離しても大丈夫だから。
途端に世界が終わると聞いたかのような表情をされると、こっちのほうが心配になってくるので声をかける。
「大丈夫、沈まないから」
「うん……寄木くん、見ててね?」
「おう」
「ありがとう」
俺が頷くと、土肥は安心した声音になる。顔もこわばりが取れ、それから土肥は五分ほどぷかぷかを楽しんでいた。
*****
「じゃあ、そろそろ深いプールに行こうか」
「えと、うん。そうだよね」
土肥が若干緊張した面持ちで言う。
浮かぶ練習の後、土肥はバタ足の練習と息継ぎの練習を順調にこなした。なんなら、クロールの真似事まで出来るようにすらなっている。
いやほんと、純粋に凄くないか?
だってスイミングスクールとかで習うとしたら一日でこんな上達することないだろ。土肥は本当によく頑張っていると思う。
まあ水泳を習い始めるのって俺もそうだったけどまだ要領の悪い低学年からが多いし、五年生くらいになると上達速度も上がるんだろうけどさ、それでもだよ。
「かなり上達したし、大丈夫だと思うぞ」
「ほんと?そうかな?」
「うん。本当だよ」
「やった」
俺が太鼓判を押すと、土肥は本当に嬉しそうにギュッと小さく脇を締めるガッツポーズをとった。
いやまあ、まだ深いプールで実践してないから早いよ。
長い間浸かっていた足のつくプールを上がって、プールサイドを歩いていく。
まだ六月だというのに太陽はカンカン照りで、肌がじりじりと焼ける感覚がある。周囲を漂う塩素の臭いが否応なくプールという感じを醸し出してきて、体の内側のどこかに郷愁を呼び起こさせる。
そういえば日焼け止めとか大丈夫だろうか、目の端に映る土肥の真っ白な二の腕が焼ける事が心配になるけど、小学生の若い肌だしすぐ戻るか。
「あれ?土肥」
二の腕が視界から消えたので振り返ると、土肥がぼーっと遠くを見ていた。
熱中症なんじゃないかと心配になって駆け寄ると、土肥が慌てて俺の方に顔を向き直す。
「あ、ごめんね」
声のトーンもいつも通りのほんわかとした顔つきからも、朦朧としている感じはなくて安堵する。よかった、とりあえず熱中症ではないみたいだ。
「ウオータースライダーか」
「楽しそうだなって思って」
土肥の目線の先を追うと、工場のようにパイプがぐるぐると複雑に巻かれたウオータースライダーがあった。
けっこう高さも長さもあって、バブル期に立てられたプールの豪華さを感じる。
確かに楽しそうだな、耳を澄ませてみると「キャー」とか「うぉおおお」といった盛り上がってる感じの声が聞こえてくる。
ちょうど出口から飛び出してきたお姉さんが勢いよくドボンとプールへ突っ込んでいった。結構な量の水飛沫が上がる。おお、結構派手だな。
うん、これはちょっとやりたい。
「後で乗ろうな」
「うんっ!」
「でも、まずは泳げるようになってからな」
「そうだよね……」
土肥がめちゃくちゃ嬉しそうに頷いたところに水を差して悪いけど、着水した後にプールで溺れたら大変だし。
まあプールだけに水を差しても大丈夫だろ……いや、ちょっと意味分かんないな。
親父ギャグみたいな事を考えてしまった自分がちょっと嫌になる。いや、俺はまだ若いし……。小学生だし……。
「あ、スポーツドリンク買ってくるから、ここでちょっと待ってて」
熱中症ではなかったものの、結構長いことプールにいたし水分補給は必要だろう。
ちょうど空いていたパラソル付きのテーブルに土肥を座らせて、俺はロッカーにと早足で移動する。
走ったら滑って危ないからな。
脱水症状を心配して水分を取らなきゃとロッカーの一番手前に財布を置いていた過去の自分に感心しつつ、更衣室内の自販機で500mlのペットボトルを二本買った。
ちょっとだけ市価より高い観光地価格だったけど、逆行前の自販機よりは安かったな。
考えが連鎖していく。このまま小学生に適応していくと、逆行前の感覚を完全に失ってしまいそうな気がするな……。せめて研究とかでやってたことくらいは、ちょっとノートに書き出していく方が良いかもしれない。
そんな事を考えながら、ロッカーに財布をしまって俺はプールに駆け戻る。流れるプールが目に入る。ここも土肥が泳げるようになったら入りたいな。わちゃわちゃと遊ぶの、楽しそうだ。
「あれ?」
先程のパラソルを遠目から見ると、残してきた土肥の姿がなかった。
代わりに小学生か中学生というくらいの年格好な男子四人が、回りに立ってたむろっている。
どこへ行ったんだろう?トイレかな?なんて思いつつ、いちおうパラソルのところまで歩いていく。やっぱりパラソルは男子たちが使っているみたいで、テーブルの上に手なんかを置いて寛いでいる様子だ。
あれ、本当にいないな。これで見つからなかったらどうしよう。迷子放送をかけてもらうしかないか……。
というか、何かあったのかもしれない。試しに泳いでみようと思って、溺れたとか……。自分の想像に背筋に寒いものがはしる。その時だった
「俺達と一緒に遊ぼうよ」
「えと、あの、私……」
「ふーん、土肥ちゃんって言うの?下の名前は?」
幽かな土肥の声が、男子たちの声の間を縫って聞こえてきた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
久方ぶりの昼間投稿です。次が気になる所で切っちゃたかもですね。
次回は恐らく月曜に投稿します。




