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1-5."トイレちゃん"・土肥玲花

「ほら、着いたぞ」


 教室のドアを足で横滑りに開く。土肥の椅子にはランドセルが置いてあって降ろせなさそうだったので、机の上に座らせた。

 教室は依然太陽が雲に隠れ続けているせいでどんより暗く、水で薄めた墨を流したようにぼんやりとしている。

 机に座る土肥が物凄く申し訳無さそうな顔で、俺を見つめてきている。どうしたんだろう。


「あの、靴下と上靴と、あと最初に洗っておいた下着がトイレに置きっぱなしなの……」

「うあっ?!」


 言われてみれば、今の土肥は裸足である。さっきまで俺を制止してたのはそれだったのか。

 もうちょっとはっきり言ってくれよ、土肥……いや、俺が百パーセント悪いよな、これ。すまん。


「だから、申し訳ないんだけどね、また上に私を……」

「お、俺が取ってくるから」


 失態を取り繕うと慌てて駆け出そうとして、ポロシャツの背中を土肥につままれる。首元が締まって呼吸が苦しくなる。ぐえっ。


「それはだめっ……!」

「ああ、そりゃそうか……」


 俺を制する土肥の声は切実だった。下着もあるって言ってたもんな。そりゃ、俺が取ってきちゃダメだよな。

 ああ、もう失敗ばかりで恥ずかしくなってきた。

 汚がっていると勘違いさせ、恥ずかしがっていると勘違いして。はあ。

 羞恥心から土肥から目を合わせず、薄暗い教室を漠然と眺めながら俺は頭を下げた。


「ごめんな、土肥」


 土肥は俺の謝罪に、虚をつかれたというキョトンという顔になる。それからちょっと俯きがちに微笑んだ。


「ううん。ありがとう寄木くん……私本当に感謝してるんだよ」


 土肥が言い終えるのと同時に、ずっと隠れていた太陽が雲間から顔を出した。

 教室の窓から斜めに差してきた夕日が、教室を薄茜に照らしあげはじめる。

 今まであやふやだった境界が形を持ち始め、モノクロだった世界が途端に色付いていく。

 教室を照らした夕日は、土肥の横顔にも濃い陰影をつける。


「お…おぉっ」


 陽に照らされた土肥の顔がなんだか神々しくて、つい変な声が漏れてしまった。

 土肥の肌は色白だから陰と肌の陰影のコントラストがはっきりしていて、いやに様になっている。そういえば、美術の教科書に載っていた彫刻もこんな感じだった気がする。

 すうっ、と冬終わり特有の乾いた冷たい風が、開けっ放しだった窓から不意に吹き込んできた。首筋から温かい風が奪われて、ひんやりとした空気に包まれる。

 その冷たさで頭がシャッキリとしてくる。


「ああ、なるほど」


 冷やされて明瞭とした頭で土肥の横顔を見ていたら、小野瀬たちがなんであんなに執拗に土肥に粘着しているのか、俺は唐突に理解できてしまった。

 それは、小野瀬のグループの誰よりも土肥が美人だからだ。

 俺の勝手な邪推かもしれない。けど、俺にはそれが正解に思えた。囲んで虐めたくなるくらい、嫉妬してしまうんだ。

 同時に土肥が美人だという事実に気付いて、びっくりする。

 小学生的な例えをするなら、今まで弱いと思っていたカードゲームのモンスターが、使い方を変えるとめちゃ強いことに気付いた瞬間の、驚きと発見の喜びの感覚といえばいいだろうか。わかりにくいか。

 改めて、俺はじっくりと土肥の顔を眺める。年頃より幼い顔立ちはしているものの、将来は絶対美人になるのが間違いなしという顔の整い方をしている。

 今は美人というより可愛い系で、くりっとした目はリスとかウサギとかの小動物系な感じだけど。


 ふと、そのウサギに似た目が俺のことをじっと見つめているのに気付く。俺も土肥を見続けていたから、ずっと目線が交錯していたことになる。

 まじまじと見すぎて、なんか失礼じゃなかっただろうか。不快にさせてないだろうか。不安になって目を逸らす。

 というか、土肥はさっきあんな目にあったばかりだというのに、俺は自分の考えに集中してしまってばかりで、何も声をかけれていない。あまりに土肥が可哀想ではないだろうか。

 俺が土肥へと視線を戻して、何か言おうと口を開いた瞬間、土肥が何かを決心したような顔で先に話し始めた。


「あの……できればもう一回上に私を運んで……くしゅん」


 くしゃみを一つした土肥は、ぶるりと体を震わせる。

 そういえば土肥はまだ裸足だった!

 この冬空のもと……。というか、窓開いてるから外と寒さは変わらないんじゃ?

 そんな場所に土肥を裸足のまま放置してしまっていたことにようやく気付く。スカートから伸びる足の白さもなんだか寒々しくて、申し訳なさが爆発する。

 ていうか、裸足どころか、こいつパンツもはいてないじゃねーか!


「悪いっ」

「寄木くんは悪くないよ。ご、ごめんね!」

「んなわけあるか、俺がぼーっとして土肥の状態を忘れてたんだから、本当にごめん」

「いや、大丈夫だから……ね?」

「大丈夫じゃないっしょ」

「あのね、だから大丈夫だし、むしろ今日はありがとうって……ひゃっ」


 俺の謝罪に対してあれこれフォローしてくれる土肥を申し訳なく思いつつ、言葉を断ち切るために強引に再び抱えあげて、俺はずんずんと歩いていく。

 ドアを足で開けると、足元を冷たい風が抜けていった。寒気に身が震える。寒っ。

 こんなに寒いのに……。土肥、すまん……。


 はあ、心の中で俺はため息を一つつく。

 なんつーか、自分のことにかかりきりで、人の事を疎かにしがちなんだよな、俺。

 大学院の時に、友達に人生で唯一女の子を紹介してもらった時のことを思い出す。

 二人で遊びに行ったのに、俺は詰まってた修士論文のことばかり考えていて相槌すらまともに打てず、いつの間にか女の子が帰ってしまってたんだよな。

 友達にも女の子にも本当に申し訳なかった。

 あの時に、目の前の人間を疎かにしないのなんて、人として最低限のラインだぞ、と自戒したのになあ。


 情けねーっ。全然悪癖治ってねえじゃねえか。

 このままもう一度大人になっても、また三十歳の年齢イコール彼女なしになってしまうのは間違いない気がする。

 ていうか、中身が大人の人間なんだから、もっときちんとしないとダメだろ。

 とりあえず、傷心な土肥に何か話しかけないと。可哀想な目にあった子を放ったらかすのはダメだ。

 でも、何を話そう。

 改まってしまって言葉が出てこない。何も思い浮かばない。何かないか、と俺は土肥の目を見つめる。


「土肥さ、人参好き?」


 土肥の目がウサギに似ていたせいで、唐突に変な質問をしてしまった。登校中に飼育小屋のウサギが目に入ったのも原因だと言い訳したくなる。

 いやもう、進退窮まってもその質問はないだろ。俺さあ……。


「え?人参?なんで? ふふっ、寄木くん面白いね」


 まあでも、何故か土肥が笑ってくれたから、良いってことにさせてくれ。





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