閑話3. 私の妹について・宮廻あおい
「ただいま」
玄関から元気な妹の声が聞こえてきた。
妹はそのままドタバタとした足音を立ててリビングに飛び込んでくる。
声色も足音も軽快で、良いことでもあったのだろうか。朝は気分が乗らないといった様子だったのに。
「お姉ちゃん、今日は唐揚げ?」
「そうよ」
揚げ物用の油を湛えた南部鉄器から目を離すわけにはいかないので、申し訳ないけれど背中で返事をさせてもらう。
「そっか、いつもありがとね」
「好きでやってることだから良いのよ」
「でも、ありがと」
私の主義が半分、妹に喜んでほしいのが半分で家事をしているので、妹の発言はかなり嬉しかった。
「ねえ、あやめ。朝と違って機嫌がいいけど何かあったの?」
「うん……。遊園地、楽しかった」
「姫乃ちゃんのデートの見守りだったんじゃなかったの?」
「そのつもりだったけど、色々あって一緒に遊んだ」
「そうなの。……もしかして寄木くんも?」
「うん、実は」
妹が時々家に連れてくる男の子の名前をあげると、妹は少しはにかんだ声色で返事をする。
やっぱりそうだった。少しだけ返事に躊躇いがあったので多分そうだろうなと思ったけれど。
妹は活発的な性格ではあるものの家に招待するのはよほど仲の良い相手だけ。そしてその中で男の子は寄木くんしか居ない。
時々家に来て「こんにちは、あおいさん」と柔和かつ元気に挨拶をしてくる少年の顔を思い浮かべる。
彼が来る時の妹はとても楽しげで、最近は彼と遊ぶときには必ずスカートを履いて女の子らしくしていることを私は知っている。
今までは社交界や習い事の時しか、スカートを履かなかった子なのに。
そう考えると妹が寄木くんに向ける思いを感じざるを得ない。
「でも、大丈夫だよ。寄木とは一生友達でいるって決めたから。あいつ鈍感だから色々気付いてないだろうしね。お役目はちゃんと果たすよ」
「あやめ……」
お役目。ここ半年くらいで、妹の口から出るようになった言葉だ。もちろん、何を指しているかは明確にわかるし、何が原因で口にするようになったかもわかる。
端的に言ってしまえば私が不甲斐ないからだ。
「向き不向きだもの。お姉ちゃんみたいな優しい女の子に経営とか政治とかの面倒臭いあれこれは似合わないって思うし……もらいっ」
妹が雰囲気を断ち切るように、少し前に揚げて油切りしていた唐揚げを口にした。
「美味しっ。お姉ちゃんの料理、あたし好きだな。やわらかい味がする。だから、お姉ちゃんは家庭的な女の子が好きな人と結婚して幸せになるのがいいよ。ウチを継ぐのは、あたしに任せて。パパに自分が婿取りするからなんて言わなくていいよ」
自分が一昨日父に直訴したことを妹が把握していたことに、多少なりとも驚く。
一体どこで聞いたのだろうか。父が漏らしたとは思い難いので、書斎の外で聞き耳を立てていたのだろうか。
「でも……」
「宮廻の家に生まれた以上、ワガママは言わないよ。パパもあたしのが向いてると思ってるし、あたしもそう思うから……仕方ないよ」
妹は諦観を秘めた声色で言い放った。
半年前から妹はこんな声色もするようになった。なにもかも私が頼りない姉だからだと思うと、我ながら情けなく思えてくる。
父が珍しく私と妹をセットで書斎に呼びつけたのは、妹と二人でバルコニーで月を眺めながら、中秋の名月だねなどと話していた十月の初めの頃だった。
いつになく早い時刻に帰宅した父からの呼び出しに不穏な予感を覚えながらドアをくぐった私と妹に、凛然とした父は開口一番宣った。
「宮廻家の家督はあやめに継がせる。婿はこちらで見繕うつもりだ。が、恋愛結婚でも大丈夫だ。その場合は医学生か医師免許を持っていて、御宮病院の院長になる意思がある男から相手を選びなさい。出来るだけ親が医者の男が良いだろう。県医師会の会合やパーティにはあやめも今後は参加するように。年恰好の近い婿候補もいるだろうから、気になった相手がいれば私に言いなさい。あやめ自身は医師免許を取っても取らなくても良い。ただし、いずれにせよ病院経営は学んでもらう」
「えっ、パパ……」
驚愕を露わに声を絞り出す妹を無視して、父は私のほうを向き先ほど妹にかけた言葉より幾分温度のない声で話しだした。
「あおいの結婚相手は宮廻の家名に傷を付けぬ者なら良い。医師と結婚しても構わぬが、御宮病院は継がせぬ。もしあおいが医師となっても後継者はあやめなのは変えぬ。お前の性格は大病院を支えるのには優しすぎる。美点なのだがな」
私と妹が何も言えずに棒立ちでいると、自らの言いたいことを伝え終えた父は少しだけ気が緩んだ顔になり私たちに退出を促した。
「では、もう遅いから寝なさい。最近は冷えてきたから、布団をしっかり被ること」
言われるがままに部屋を出た後は、二人とも無言になった。
御宮病院という県でも有数の総合病院を家業とする家に生まれ、その後継として期待されるのは嫌だと心の内でずっと思っていた。
男子が生まれなかった以上藩医として三百年続く医者の血筋はお前にかかっている、呉々も絶やすではないと親戚から事あるごとに言われるのが苦痛で仕方なかった。
ただ、自分から跡目を放棄する気はなかった。両親は厳格であれど愛情もしっかりと感じられていたからでもあり、両親の医療にかける努力や矜持が子供心にも理解できたからでもあり、そして抗う気がそもそも起きなかったからでもある。
だから私は習い事も勉強も頑張ってこなし、小学校の仲の良い友達と道を違えてお嬢様学校な女子校に中学から進学し、宮廻家のお嬢さんとして恥じぬようにやってきたつもりだった。
けれども、それでも私は後継ぎとして不適格だったらしい。長女の私が不甲斐ない為に妹へお鉢が回ると宣言されてしまえば、解放されて嬉しいというよりも申し訳ないという気持ちが断然勝る。
頭ひとつ分も背の差がある五歳違いの小さな妹の双肩に、これからあの有形無形の圧力がかかるのだと思うと泣きたくなってしまう。
なにより、これで妹が想いを寄せているであろう寄木くんとの結婚の道がほぼ閉ざされてしまったのが申し訳なかった。
寄木くんの家はサラリーマン家庭であり、父の求める親が医者という条件から逸脱する。出来ればと父は口では言っていたけれど、満たさない相手を婿に許すことはまず無いだろう。
私が不甲斐なために、跡取りとして不適格なために妹の恋路を崩壊させてしまった。
「お姉ちゃん。あたし頑張れるから、あんまり心配しなくていいよ?」
「あやめ……」
突然のことに思考が纏まらず廊下で突っ立つ私に、妹は私の表情が陰惨だったのを気にしたのか満面の笑みで励ましてきた。
ただ顔は取り繕えていても声が微かに震えていたのがしっかりと分かってしまう。こんな時ですら姉の気持ちを慮る健気な妹の姿に、不甲斐ない私は泣くことさえも許されない気がして何も言えなくなってしまったのだった。
その夜から半年の間に妹は大人になった。
嫌がっていた習い事にも真剣に打ちこむようになり立ち振る舞いも丁寧になった。
それと同時に天真爛漫な顔に少しずつ翳りが、父のそれに似た翳りがさすようになった。
ただ、寄木くんや姫乃ちゃんそして私が会ったことのない暁斗くんと遊ぶときは、これまでと変わらず楽しそうな顔でいてくれたのは救いだった。
寄木くんにスカートが褒められたと言った笑顔は、姉の欲目を抜いてもかわいらしかった。
「美味しい、ねーお姉ちゃん、あと何個食べていい?」
妹が唐揚げを次々頬張りながら聞いてきていて、私は思索から意識を呼び戻された。
見てみるとキッチンシートの上で油を切っていた唐揚げが、すでに半分近く消えていて驚く。
「もうだめ。夜ご飯が入らないでしょ」
「美味しいから仕方ないよ。先に食べてるだけだもん、前借りだよ」
「パパとママの分が無くなっちゃうから」
「大丈夫、今日はパパとママは当直で朝帰りでしょ?そんな食べれないよ」
それはそうかもしれない。私は小さくため息をついて頷いた。
両親は共に医者で、週に何度かは当直医として勤務するために夜は家に帰らない。
当直明けの朝帰りに前の晩のメニューを出しても、疲れからか完食はしない事がほとんどなので確かに言う通りではある。
ただそれでも時々は完食をしてくれるし、妹の言い分は食い気から出たものだとわかるので「あと一個だけよ」と私は嗜める。
父のような大病院の副院長ともなれば経営や交流が忙しく、普通は当直担当にはならないものらしい。
特にうちは古い繋がりのある地場企業の社長や、親族筋の議員との会食も頻繁だから尚更だ。でも、父は出来る限り当直医をこなしている。
それは御宮病院を建てた曽祖父の「地域の皆様に奉仕し、仲間と同じ目線で医療に携われ」というモットーを実直に守っているためである。院長である祖父も高齢を押して月に何度かは当直に立つくらいに、モットーは一貫して守られ続けている。
母も数年前までは昼勤のみで休みも多めだったけれど徐々に夜勤を増やし、私が去年高校生になってからは完全に普通のシフトに戻った。当然、当直医も特別扱いなしにやっているという。
私に御宮さんは良い先生ばかりだと言ってくれる近所の人たちの感謝の声にも、病院に行くたびに家族に対して立派な人たちだと褒めそやす働いている看護婦さんや先生たちにも、両親や祖父の努力を知っているから謙遜することなく「ありがとございます」と答えるくらいには家族のことを誇りに思ってはいる。
婿に求めるものが多いのも、地域医療の柱としての矜持と使命感からなのは私だって宮廻の娘なのだからよく理解している。
ただ、だからといってこんな幼い妹の恋路まで犠牲にしていいとは、やはり私には思えなかった。
寄木くんと仲良くしている妹の姿が好きで、いつまでも見ていたいと思うから。
「お姉ちゃん、寄木のことは大丈夫。玲花ならいいかな、って思えるから」
「えっと、玲花ちゃん?」
頭の中で考えていたことを口に出され、そして知らない名前が突然出てきて私は胡乱に聞き返すことしかできなかった。
「そう。最近友達になった土肥玲花って子なんだけど、かわいらしくて良い子なんだよね。色々あって寄木のことが好きになったみたいで……」
最近見せるようになった大人な表情でも昔からの天真爛漫な表情でもない、私の知らない顔であやめは言う。
「寄木の彼女や奥さんに変な女がなるのは嫌だけど、玲花はいい子だし友達だから大丈夫。応援したいなって思える子なんだよね。玲花はちょっと抜けてるとこがあってまあそれもチャームポイントなんだけど、寄木もそれで自分がしっかりしなきゃって思うようになるだろうし、いいカップルになると思うな。最近姫乃と暁斗とも仲良くなれたしね。なにより、玲花は寄木のこと大好きだって見たらわかるから、寄木のことを絶対に幸せにしてるくれると思うもん」
自分に何度も言い聞かせてきたのがわかる淀みない口ぶりで長台詞を言い切った妹に、私は酷く気分を揺さぶられた。
そんなことを言う妹にも、そう言わせてしまう環境に追いやった不甲斐ない私にも、この歳で好きな人を諦めなければならないような要求がなされる家にも納得がいかなかった。
「お姉ちゃん。あたしは寄木が幸せだったらそれでいいなって、そう思ったんだ。だから一生友達でいて時々ワイワイできて、それで大変な時に助けてあげれたら、それで満足なんだよね」
「あやめ」
それは本心じゃないでしょう、言い聞かせているだけでしょう。
言いたいけれど、父から後継者として不適格と言われ恋愛を許された私が何を言っても逆撫でするだけではないだろうかと思えてそれ以上口が動かない。
「うん、美味し!」
妹は口を開けて固まっている私を尻目に、唐揚げを二つトレーから取り上げて楽しそうに口へと放り込んだ。
いつもお読みいただき、有難うございます。
前に言っていた、総合5000ptのキリ番閑話です。随分と遅れて申し訳ないです。
次回はまた明日か明後日に投稿します。
ただ、新型コロナの影響で少し職域が変わる可能性があり、これから一月ほど投稿が不安定になる可能性があります。ご了承ください。
いつも応援してくださっているのに、申し訳ないです。




