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1-3."トイレちゃん"・土肥玲花

 

 もはや我慢の限界だったのか。それとも小野瀬たちが居なくなったことに安堵して、気が抜けてしまったのか。

 ともかくも、俯いた土肥の顔は耳まで真っ赤になっていて、スカートの中から垂直に落ちていくレモン色のおしっこが床に小さな滲みを作っている。

 内腿におしっこがつーっと伝わって行くのを見て、俺は慌てて我に返った。


「土肥、ハンカチあげるから、垂れないように抑えて!」


 上靴と靴下がおしっこで濡れてしまうと、帰る時に匂いや見た目でお漏らしをしたと勘付かれてしまう!

 それに、土肥自身もおしっこまみれの服を着るのは絶対に気持ち悪いだろう。

 ポケットに入っていたハンカチを俺が渡すと、土肥は慌ててそれを内腿に当てて、垂れ落ちないようにとりあえずの応急処置をする。


「靴下と靴も、今のうちに脱いでおいたほうが良いと思う」


 土肥は俺の言葉に素直に従って、靴と靴下をハンカチを使っていない方の手でまごつきながら脱いでいく。土肥の足が思ったより色白で、女の子ってこんな肌をしているんだなと場違いなことを思ってしまう。


「間に合った……かな?」


 土肥が靴下と靴を脱ぎきり、なんとかお漏らしから靴と靴下を守ることができたようで、俺は一息ついた。

 靴と靴下を守っていたハンカチが水を吸いきれなくなり、土肥のほっそりとした白い脚づたいに黄色い液体が垂れていく。床にできた水たまりが少しずつ大きくなっていくのをぼーっと眺めていると、はっと気付いた。


「ていうかスカートも脱がなきゃ濡れるじゃん!」


 俺は慌てて土肥の吊りスカートの肩紐を外そうと手をかける。


「やあ、やだっ」

「ご、ごめん!」


 冷静に考えると女子のスカートを脱がそうとするのは流石にまずい!

 三十年ちょっと生きてる俺としては子供の面倒を見ているような気分だったけれど、土肥からすれば同級生の男の子にひん剥かれるわけだ。

 状況が状況とはいえ、嫌がる気持ちがあるのは当然だ。

 ただしかし、スカートか下着をを脱がないといけないのには変わりない。今はまだ大丈夫みたいだけど、濡れたパンツと接してるスカートが濡れるのは時間の問題だろう。


「土肥、スカート脱ぐか、パン……下着を脱がないと、スカートがベチャベチャになっちゃうよ」

「うん……」

「今のうちにトイレで脱いできなよ。洗って絞ったりもできるし」

「で、でもおしっこが……掃除しないと」


 土肥は羞恥半分悲哀半分といった顔で、床に溢れている自分が出した液体をじっと見つめている。


「俺がやっておくからさ、ほら、早く」

「あ、い、ううっ」


 物凄く嫌そうな顔をしたあと、変な声を漏らしながら頷いて土肥はトイレにぱたぱたと駆け込んでいった。

 漏らしながらというのは声であって尿ではない。いや、まだ尿を漏らしちゃっている可能性もあるだろうけど。

 近くの掃除道具入れから必要になりそうなものを取り出し、バケツに水を汲んで、雑巾で水たまりを掃除しながら俺は考える。

 しかし、この問題は……どうやって解決するべきだろう。

 誰に頼るべきか。


 前世で俺が就職したあたりでは、いじめ問題は社会でも重要視されていて、いじめに関する対応もしっかりしていた。アカハラも、もうちょっと早めに問題になっていてくれたらなあ……。

 とかく、前世ではいじめはきちんと対応されることが増えていたし、まともに対応されなかったとしてもインターネットの発達によって、告発をして世論を味方につけることも可能だった。

 けれど、この時代ではテレビなどで取り上げられた始めたものの、まだ学校も教師も社会もいじめ問題にについてさほど問題視していないはずだ。インターネットは一般に広まり始めたばかりだし。


 土肥のことを教師に相談するのはあまり考えていない。

 相談しても、お役所仕事にありがちなヌルい対応に終始するのは目に見えている。

 前世だって土肥のことを転校するまで知らんぷりしていたんだ。

 それに、俺自身も巻き込まれた教師の不祥事もあったし、あんまり信用できない。


 前世で小六の時の話だ。理科の水溶液の授業だった。

 塩酸の刺激臭をしっかりと感じさせようというお題目だったか、うちのクラスの担任はクラスの全員に塩酸、しかも濃いやつを直で思い切り吸い込ませたのだ。


 その先生は前々からなんか危ない感じの雰囲気があったので、わざとやったんじゃないかと俺は思ってる。

 授業中に答えがわかる奴に挙手させる時、当てて欲したがりの奴が必死に大声をあげながら手を上げるする度に睨んでたし、そもそも生徒が近付いただけでイライラした様子を隠してなかったから、多分子供が嫌いだったんだろうな。

 生意気な生徒を懲らしめてやろうとか、ムカつくガキを痛めつけてやろうとか、教師をナメてたら許さんぞとか、そういう発想で塩酸を嗅がせたんじゃないだろうか。

 しかし今思い返すと、あの教師はヤバかったなあ。三日に一度は授業中にキレて職員室に帰っていってたし、あいつ。

 職員室に帰って、学級委員が謝りに来るまで戻ってこない教師ってちょいちょいいるけど、三日に一度ってのはちょっと多すぎると思うよ。


 ともかく、劇物である塩化水素を思い切り吸入したわけだから、当然クラス中が体調不良に陥った。俺は「いやいや、これやばいだろ」と思って吸い込んだふりをしていたので多少頭痛がしたくらいで難を逃れたが、俺と二、三人以外のクラスメイトはみんな気分が悪くなってしまった。

 その場で倒れた奴もいたし、病院へ行った奴も十人近くいたはずだ。


 しかし、その事件は揉み消された。

 事件の翌日、校長がわざわざ授業中にクラスまで来て「君たちの担任の先生は新任で、先は長い。君たちが今回のことを事件にしてしまうと、将来が閉ざされてしまう。今回の事故だが、先生のために許してあげてはくれないだろうか。先生の人生を終わらせたくないだろう?」と開口一番のたまったのである。

 その上、事件を起こした担任が「ごめんなさい、ごめんなさい」と連呼しながら泣き崩れて、それを見た校長が「先生もこう言ってるんだ……まだ先生を許せない人はいるか?」なんて言うもんだから、誰も何も言えなくなってしまった。

 校長はPTAにも手を回し、保護者の意見も封じ込め、我らが担任はお咎め無しとなった。それどころか、事件自体もまるでなかったことになったのである。


 学校で問題が起きると管理者である校長の失点となり、査定にも響くと知ったのは、大学で教職を取るための授業だった。

 聞いた瞬間に講義室の真ん中で「あーあー、教師ってのはクソだな」とつい口にしてしまい、その授業の先生も含めた部屋中の人間から白い目で見られてしまったが、俺は悪くないと思う……。

 しかも、事件が起きて少し経ってから、クラスの男子が事件をネタにした動きで、確かガスを吸って倒れるみたいな感じだったと思う、笑いを取っていたら通りがかった隣のクラスの担任の中年おっさんがブチギレてきやがったんだよな。

「お前たちは先生を許したんだからもう二度とアレのことを口にするな!それでも男か!」とか言って殴りかかってきてたけど、理不尽すぎるだろ。

 半ば脅して許させたのにさあ。なんなわけ?

 しかもおっさん教師は、うちの担任の指導役だったはずなんだけどな。少しは申し訳ないとかそういう気持ちはないのか?

 思い出すだけでムカついてきた。

 ていうか殴るなよ。

 そもそも、こっちは被害者だぞ?

 同じクラスだった羽鳥なんて痛々しいくらいに咳き込んでて、事件後に一週間くらい休むハメになったのにな。

 病院代だって誰も貰ってないし、慰謝料なんてもってのほかだ。

 はあ、思い出しただけなのにほんとムカついてきた。

 雑巾を絞る手に自然と力が入る。


 なのでまあ、うちの学校の教師に言ってもまともな対応がされるとは到底思えない。校長は入学から卒業まで変わらなかったはずだから、もみ消したあいつだし。

 というか、教師が適当な仕事をしてて生徒にナメられているから、小野瀬たちも伸び伸びといじめをしている部分もあるんじゃなかろうか。流石にそれは色眼鏡で見過ぎかな。

 そして他の行政機関も、この時代でいじめにまともに取り組んで相手にしてくれるところがどれだけあるだろう。

 校長が事件を無かったことにした時に、教育委員会にまで話を持っていった保護者もいたけど、黙殺されたと噂で聞いたしな。

 警察も、この時代だと不介入を決め込むんじゃないだろうか。

 うーん、悩ましいな。

 生半可な対応で小野瀬たちに余計に火をつけて、土肥へのいじめがエスカレートする可能性を考えると、迂闊な行動はとれない。


「あれ?土肥は?」


 前世の出来事を思い出してイライラしながらも、床を乾拭きまでして丁寧に掃除を終えたタイミングで、土肥が一向に戻ってこないことに俺は気がついた。

 もうトイレに向かってから十分以上は経っているはずだ。何かあったのだろうか。

 不意に、自殺という言葉が頭をよぎった。

 前世の土肥は、お漏らしに端を発したいじめを苦に自らの命を絶った。もしかすると、それが早まり今となったのかもしれない。

 俺は弾けるように飛び出してトイレに駆け込んだ。



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― 新着の感想 ―
[一言] 濃塩酸の臭いは嗅いだことあるけどきつかったなー。あの臭いってアンモニア水と同じで刺激”臭”じゃなくてただの刺激だから。
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