閑話1. 寄木悟の金策
三月最後の土曜日、俺はリビングで競馬新聞を眺めてウンウン唸っていた。
突然だが、前世で読んでいた逆行モノには、必ずと行っていいほどと未来知識で金策する話があった。
具体的な例を挙げると、将来大きくなるIT企業の株だとか黎明期の仮想通貨を、安いうちに買っておいて大儲けをするとかだな。
あと、数字を選ぶ系の宝くじを当てるとか。
ただ、実際に逆行してみると、最近まではそういう気は起きなかったんだよね。倫理観の問題で。やっぱりズルいと思ってしまうんだよな、申し訳ないとも思ってしまう。だが最近、色々あって考えを改めた。
自分の無力さが少し怖くなったんだ。
逆行直前はまあ一応大人として一定の社会的地位があった。婚活相手に財布にされても傷付くのは主にハート……いや、ハートはめちゃくちゃ傷付いたんだけどさ……というくらいには貯蓄もあった。
まあ、使い先がなかったからな……。
けれど、今の俺は子供でそれら全てを持っていない、本当に何もない。ただのちょっと賢しいだけのクソガキが俺だ。
春休みにそのことに気付いた俺は、自分自身や親しい人間に何かがあった時に自分はあまりに無力じゃないだろうかと不安になったのだ。
なのでまあ、人を騙すわけでも誰かから掠め取るわけでもないから、未来知識での金策も少しくらいはギリギリちょっとお目溢し貰えないかな、と思った次第である。
そもそも、人生をやり直している時点でズルなわけで、そしてやり直したのにまた後悔したら嫌だなとも思うしね……。
というわけで、金策をすると決めた俺が選んだ手段が競馬である。
何を隠そう、前世で俺は競馬にかなり詳しいんだ。といっても、馬券はほとんど買ったことはないんだけどね。ついでに、競馬場にも行ったことがないし、競馬の番組も見ない。
じゃあなんで詳しいかというと、中高に競馬オタクの友達がいたからだ。
高校生の時に競馬場どころか、北海道の競走馬を育てている牧場まで行くような気合入ったやつが。引退した好きな馬がいるからと、高校生一人で北海道に旅行した行動力は素直に尊敬する。
北海道から帰ったそいつに、お土産に名産品のお菓子と引退馬とのツーショット写真を貰ったけど、引退馬とのツーショット写真を貰ってどうすればよかったんだ、俺は。
どうしてほしかったんだ、あいつは。
そいつとは部活も一緒で仲も良かったから、日常的に競馬の話を聞いていた。競馬シミュレーションゲームも貸してくれたので、基本的な知識はそこらへんで手に入れた。
まあ、それくらいでは詳しいとは言えないと思う。
本気で詳しくなったのは、ゲーセンのクイズゲームが原因だった。
大きめの筐体でタッチパネルを使う、オンライン対戦があってランキングまである結構ガチなやつ。知ってる人もそこそこいるだろうし、やってる人も多少はいるだろう。
俺とその友達は、高校生の時にそのゲームにめっちゃ嵌ってたんだよ。正直高校生レベルを超越してるくらいにやり込んでいた。ていうか、今思うと羽鳥との会話でベテルギウスがすっと出てきたのは、そのゲームで何度も見たからってのもあると思う……。
んでまあ、そのゲームには試験というある特定の分野においての知識を競うモードがあるんだよ。細かいジャンルを狙って出題されるやつで、俺が戻る前とかは『百合作品試験』とか『日本酒試験』とかがやってた気がする。日本酒試験だと、蔵元と酒を線結びするとかそういう感じの問題が出てたはず。
俺たちが高二の時に新しく試験モードに追加されたのが『競馬試験』という、その名の通り競馬を題材にした試験だった。
友達は北海道まで競馬のために行くマニアなわけで、追加された瞬間から全国一位を目指してめちゃくちゃやる気になったんだよね。
ゲーセンでプレイして分からない問題をメモする。それを家でネットで調べ、自家製問題集にまとめる。印刷したそれを、登下校中から休み時間から果てまで授業中にも見て覚える、って感じに起きてる時間を全部競馬試験に充てていた。
俺もゲーセンまでの道中、一緒に問題集を見てたいたせいで、ある程度勝手に覚えてしまったんだよ。
んでどんなもんかと試験をやってみたら、二、三回で全国九十位になれてしまった。そこで気を良くして、そのまま俺まで全国一位を目指してしまったんだよ……。
友達と一緒に競馬問題集を覚えて、毎日ゲーセンに通い詰めて……。
結局俺は最初に出した点数が最高で後から他のプレイヤーに抜かれ続け、百五十位でフィニッシュだった。友達は六位と善戦したけど、一位とは結構な差があった。
その上、勉強なんて完全に放り投げていたから中間試験はボロボロになり、何十何百クレジットもつぎ込んだからサイフの中身もカスカスになり……。苦い思い出である。試験後に俺と友達は呼び出されて教師にめちゃくちゃ怒られたし。
まあ、と言いつつも、めちゃくちゃ楽しかったけどね。
レースの時期から各競馬場のサイズから大事な重賞の歴代優勝馬まで、ひたすらしらみつぶしに覚えながら「絶対人生に役立たねえよなこの知識」なんて言って笑い合ってたあの日々は間違いなく青春だった。部活で頑張って大会で負けた時ってこんな感じなんじゃないかとか思えてくる。違うか。
しかし、絶対役に立たねえよな、と言っていた知識であったが、逆行によって役立つ機会が実際に来てしまったわけだ。
そう、歴代優勝馬を俺は覚えているのだ……。
というわけで、俺は食卓で競馬新聞を眺めている。もうやってることが完全にギャンブル狂のおっさんである。中身を考えると若干笑えない気がする。
さっきからずっと見ているのは、明日の目玉レースの特集だ。
このレースはかなり大きいやつで、どの馬が優勝するかもちゃんと覚えているし、二位まで覚えている。
競馬というのは一位と二位を当てると、一位を当てるよりも難易度が高いためにかなり配当が上がるので、正直チャンスではあるのだ。競馬新聞で見る限り、百五十倍だし。
ただ、不安が拭えない。
それは俺が逆行して色々前世と違った行動をとったせいで、バタフライ効果とかで結果が変わる可能性があるからだ。
今回様子見して前世と結果が変わってなかったら次回に、というわけにもいかないと思う。今回が大丈夫でも次回が変わらない保証はないわけで。
というか、今が一番俺が世界を変えてないタイミングだから、やるなら今日からの方が良いんじゃないか?
「んわーっ」
考えが煮詰まりすぎて叫んでしまった。
「悟、どうしたの?」
ソファで英語の小説を読んでいた母さんが声をかけてきた。
「いや、どうしようかと思って」
「統計分析に自信があるんじゃなかったの?」
「そうなんだけどね、やっぱり確率だし」
未成年は当たり前に馬券を買えないが、母さんが買ってくれることになっている。
「最近確率とか統計の勉強をしてて、競馬で試したいんだけどお願いしていい?お金がかかるとやる気が出るし」と我ながら強引なお願いをしたんだけども、二つ返事で引き受けてくれたんだよ。
いや、我が母ながらそれで良いのかとも思ったけど、有り難い限りだ。
「まあでも、やっぱりお願いするよ。3-6で買ってきてほしい」
「わかったわ」
ここで逃げても何も始まらない。俺は意を決して、母さんに部屋の五百円玉貯金から下ろしてきた十枚の五百円玉を手渡した。
今日仕事で近くを通るらしいとは言え、母さんに馬券を買わせるの、なんかこう本気で申し訳ないな……。
*****
日が改まって、日曜日。レース当日。
俺は朝からハラハラしていた。
母さんの前では取り繕っていたものの、二階にある自分の部屋にいると何も手につかなくて、ただひたすら競馬新聞の講評を見るだけになってしまう。
「いやー気持ち悪い」
失敗への畏れと同時に、期待感が湧いてきて心中がグチャグチャだ。
外れれば子供からすれば大きい五千円を失う。もし当たれば、一攫千金だ。いや千金ってほどじゃないけど、ある程度の金が手に入る。
まあ、ある程度といっても、当初予定していた危機に対抗する力にはまだ満たないような、でもかなりの額だ。
それが濡れ手に粟というか前世の知識で手に入ると思うことに、振り切ったように思えてやっぱり申し訳無さがあるから気分が晴れないのかもしれない。
もう自分でも何が何だか分からなくなってきた。
「悟、始まるわよ」
母さんがリビングから声をかけてきた。
見たくないな、と思う。ベットで寝てる間に結果が出て、起きた瞬間に教えてほしいと思う。クリスマスのプレゼントみたいに。
でもやっぱり見ないでいるのには耐えれなくて、俺は階段を降りた。
リビングでは母さんがテレビの前のソファに腰掛けていた。俺も隣に座る。
馬たちは既にゲート・インしていて、今か今かと出走を待っている状態だった。手には、馬券を持っている。しかし、母さんが馬券を持つというのはなんかこう、しっくりこないな……。
『パンッ』
レースが始まった。
一斉にゲートから飛び出した馬が、芝生を駆け出す。自分の賭けている二頭がちゃんと遅れずに出たことで少しだけ安堵するけど、その安堵も緊張にすぐ塗りつぶされる。
俺の賭けてる馬以外が全員逆走すればいいのに、なんて無茶なことを思い始める。
このレースはかなりの短距離なので、すぐに最終の第四コーナーがやってきた。馬群から俺の賭けている3番と6番が抜け出してくる。
「いけえ!そのままいけえ!6番は少しだけテンポ落とせえ!」
画面の向こうに声が届かないのは分かっているのに、声が出てしまう。
そのまま勢いよく二頭は駆けていき、ほぼ同時にゴールした。そして、すぐさま写真判定という場内放送が流れる。
「お、おおう……」
直ぐに結果のでないもどかしさに、変な声が出てしまう。いや、生殺しはやめてくれ。
でも、前世だと着順は知っていたけどレース内容は知らないわけで、もしかしてこれ前世通りにいって勝ったんじゃ……。
胸の中で期待が膨らんだ瞬間だった。
『写真判定の結果が出ました。一着6番……』
「うげえっ」
前世と結果が変わってしまった。やっぱりバタフライ効果があったんじゃん!
ああでも、まあズルをしてお金を稼いではいけないってことなんだろうな、これは甘えた俺への戒めとして受け取るのが……。
そんな事を考えながら俯いていると、
「あらあら、良かったわね」
母さんが俺の肩を叩いてにっこり微笑んだ。
「いや!母さん外れたんだよ!」
「そうなの?でも、券を見ると6-3って書いてあるけど……」
「え?」
慌てて母さんが持つ馬券を見ると、本当に6-3と書いてあった。
「ホントだ……」
「てことは、お母さん、間違えて買っちゃったのね?」
母さんは百万近い当たり馬券を手中に収めているというのに、めちゃくちゃでノホホンとしていてびっくりする。精神強すぎだろ。
もう一度馬券を確認する、二連単で6-3……やっぱり!そして、掛け金が二万円。え?二万?
「母さん、金額が」
「悟があれだけ言ったんだから、よっぽど自信があると思ってお母さんも一緒にお金出したのよ」
「ええ……」
勝負師すぎないか、うちの母さん!?
テレビに映る配当金額を見ると、百五十倍からは少し下がって百四十倍となっていた。てことは二百八十万かよ!
体が震えてきた。競馬は税金でいくら取られるかは知らないが、半分ちょっとは残るはず……。
俺の取り分も、五十万近くはあるはずだ。
「じゃあ明日くらいに貰ってきましょうね」
「うん。高額配当を持って歩くのは危ないから俺もついていくよ」
「あらあら、ありがとうね。お金はどうする?」
「うーん、元の五千円だけ返してもらって、あとは母さんに預けとく」
今回、俺の記憶と違ったのは戒めと俺は思った。だから、無駄使いとかしないようにするのが正しいと思う。
母さんのポワポワさでなんか手に入ったけど、本来は俺のものじゃなかったわけだしな。
多分、母さんも自分の得たお金は無駄使いとかせずに、貯金に回すだろう。銀行にそのまま持っていくんじゃないかな。
「わかったわ」
「あと、羽鳥が来る時の料理の材料代とかもそこから……」
ちょっとだけ懸念していたことを口にしてみる。
「あのね、悟。そういうのは子供が考えることじゃないのよ。お母さんも純恋ちゃんが来て嬉しいんだもの」
「……うん、わかった」
母さんが嗜めるように俺の目をじっと見た。ちょっとだけ、怒っている気がする。
「でも、もう競馬は懲り懲りだよ」
話題転換にちょっとおどけてみた。母さんも真面目な顔を崩して笑ってくれる。
「そうね、悟にも私にも向いてないわね。お母さん、心臓バクバクしちゃったもの」
「俺も。吐きそうになっちゃったし」
え、母さんあれで緊張してたの?
まあ兎にも角にも、前世で読んだ逆行で金策する奴らは本当に凄いことがわかった。よくもまあこんな重圧に耐えれるよ。尊敬しかない。もう俺は二度と金策なんかしないだろう。耐えれる気がしない。一応大金を得ることは出来たけど、これは無理だ、無理。もうやらない!
俺は逆行しても主人公になれる器じゃないんだな、と再確認した日曜日だった。
お読みくださいましてありがとうございます。
逆行モノにありがちな、金策の閑話でした。
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