3-6.星を眺めるお水の子・羽鳥純恋
「今日はありがとうね、寄木」
「ううん。こっちこそありがとう。俺も楽しかったし、母さんも絶対楽しんでたから」
「そうかな。そうならいいけど」
晩御飯を食べ終わった俺たちは、洗い物も終えて三月も終わりに近いの空の下を歩いていた。
羽鳥は一人で帰る、と言っていたけれども、気が咎めたので俺が送っていいことになった。
ポケットの中の合鍵を握る。昨日の五百円玉のような冷たさと、そしてギザギザ部分のざりっとした刺激が心地良い。
母さんは家を出る時に鍵をかけていたので、もし母さんが先に戻ったとしても外で放置とはならないだろう。玄関に置き手紙もしてあるし、俺がどこかに消えたとか思われることもないはずだ。
「羽鳥。明後日は何が食べたい?」
「うーん。そもそも、私が選んでいいのかな?お邪魔するわけだし。というか、タダでご馳走してもらってばかりじゃ良くないよね」
「俺が食べたいって言ったことにすればいいし、こっちが来てってお願いしているんだから」
「それは……どうなんだろ」
「まあ、こっちが来てほしい時に呼ぶからさ。もうまた呼び出された、とでも思ってよ」
そこらへんは母さんと要相談だけど、ひっきりなしに俺が誘わない限りは母さんも喜ぶと思う。羽鳥と話してめちゃくちゃ楽しそうだったしな。
「ありがとう」
羽鳥が静かに頷いた。長い髪が夜風に揺れてふわっと広がる。どこかで鳴いている犬の遠吠えが、冷えた空気によく響く。
「簡単なのって何があるだろう」
「え?」
「あ。えっと、料理……。寄木のママに教えてもらって、家でも出来たらなって思って」
「そうだな……。最初は家庭科でやる野菜炒めとか、卵焼きとかかもね」
「なるほどね」
「あとカレーもそれ一つで済む料理としては楽かな。切ってルーを入れるだけで、味の失敗があまりないから」
前世でもカレーは俺の定番料理だった。豚肉を多めに使ったポークカレーは、自分で言うのもなんだけどかなり美味い自信がある。
市販のルーに隠し味として追加でローレル……つまり月桂樹と、あとカルダモンとを入れるだけで、めちゃくちゃ味が整うんだよね。
あ、あと玉ねぎも書いてあるレシピの倍近く入れるな。それで味に深みが出せている気がする。気のせいかもしれないけど。
とにかく、簡単に美味しくできるし、ちょっと工夫すると更に美味しくなるからな。カレー。林間学校で定番なのも宜なるかなである。
「なるほどね、ありがとう」
静かに夜風が吹いていく。着込んだ隙間の首筋がすうっと冷える。まるでアルコールを塗ったみたいに、そこだけ体温が奪われていくのがわかる。
「ママ、料理したら喜んでくれるかな、って思って」
「うん」
「うちのママ、夜にお酒出す店で働いてて、帰るのが遅いの。だから、家に帰って私の手料理があったら嬉しいんじゃないかなって」
「きっと喜ぶよ、お母さん」
ちょっと無責任だけど、そう言ってしまった。羽鳥の料理でお母さんが喜んでほしい、と心の底から思った。
同時に、自分のことより母のことを思う羽鳥の姿に、尊敬と共に美しい工芸品を見た時に似た感動が湧き上がってくる。
それきり、俺達の会話は止まった。どこか気持ちの良い静寂が俺と羽鳥の間を流れていく。
「あ、寄木見て」
静寂はどれくらい続いただろうか。羽鳥がふと俺に声をかけてきた。
「ん?」
「今日は空気が澄んでるからオリオン座がきれいだよ」
「本当だ」
羽鳥の指先を追うと、見慣れた砂時計型の星座が冷たく瞬いていた。羽鳥の言う通りに空気が澄んでいるのだろう。カメラでのピントがきっちり合った時のように、クッキリと目に飛び込んできて、なんだか写真で見るみたいな不思議な美しさがある。幻想的と言っていいかもしれない。
「冬の星座だから、もうちょっとで見納めだね」
「オリオン座って冬の星座だったんだ」
「そうだね。一応一年中見れるけど、ちゃんと見えるのはそろそろお終い」
「へえ、そうなんだな。えっと、どれがベテルギウス?」
古代のお受験で覚えた知識を引っ張り出してきて聞いてみる。
「左上がベテルギウス。右上がベラトリクスで、右下がリゲル。左下がサイフだね。真ん中の三つ並んでるのは三連星って呼ばれてるかな」
「三連星も名前があるの?」
「うん。ミンタカと、アルニタクとアルニラム」
「本当に詳しいんだな、羽鳥」
「そうだね。好きだから」
「他にも教えてよ。冬の大三角とか」
「うん。冬の大三角はオリオン座から辿ると楽なんだよ。一個目がオリオン座のベテルギウスで、そこから左にちょっと行ったあれがプロキオン……」
羽鳥の指を目線で追って、一緒に星座を眺める。時々混ぜてくる小ネタが面白くて、聞き入ってしまう。
あまりに上手に教えてくれるものだから、昔友達と行った大学近くのプラネタリウムで解説してくれた係員の人みたいだな、と思ってちょっとだけ笑ってしまいそうになる。
数分かけて冬天の星空を一通り教えてくれたタイミングで、羽鳥がふっと俺に微笑みかけてきた。
「来年も一緒にオリオン座、見たいね」
「うん。見よう」
「約束だよ」
羽鳥が小指を立てて右手を俺に突き出してきた。なんだろう、と思う。
「指切り」
「ああ、なるほど」
約束の指切りか。
そもそも存在を忘れていたし、クールで大人っぽい羽鳥がやるものとは思っていなかったから、全く気付いていなかった。
小指を立てて羽鳥のそれと絡める。羽鳥の小指は冬の冷気でひんやりしていて、ちょっとだけ気持ちいい。
「指切りげんまん」
「嘘ついたら針千本飲ます」
「指切った」
お読みいただき、ありがとうございます。
これにて羽鳥の話は一区切りです。
明日からはいくつか閑話を投稿します。活動報告にてお題を募集しておりますので、よければ御覧ください。
次回はまた、明日か明後日に投稿します。