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1-1."トイレちゃん"・土肥玲花

1章は全6話です。

 


 さて。

 どうやら俺は小学校時代へと、精神や記憶をそのままに逆戻りしたようだった。

 新聞の日付を確認してさっと計算したところ、どうやら今は小学四年生の三月らしい。


 身に降り掛かった奇妙な出来事に、不思議と動揺はなかった。

 前世と言ったら良いのだろうか……では、別世界に転生や過去に逆行する小説や漫画はブームだったし、自分の好きなジャンルだったから、結構な数を読んでいた。

 なので、いざ自分が過去に逆行しても、そんな事もあるよなあとふわふわな受け止め方ができてしまった。動揺しすぎて、思考停止しただけなのかもしれないが。

 ちなみに、お約束通りに夢ではないかと頬をつねってもみた。普通に痛かった。

 思いっきりやるのが様式美だよなあ、と力一杯つねったせいで、未だにジンジンと頬は痺れている。はあ、やるんじゃなかった。


 ともあれ、前世の読書経験により逆行に耐性があったため、俺は意外と平静に家を出ることができた。

 何年かぶりに母さんの朝ごはんを食べたことで少しだけ感傷的になりつつ、懐かしい道をキョロキョロと眺めながら歩いていく。

 目線がいつもより低いせいで、世界がまるで違って見えて新鮮だ。地面が異様に近い。

 映像をVRで見ているような違和感がある。

 俺の通う小学校は、家から徒歩十分弱のところにある普通の公立である。

 道端の色んなものが郷愁を感じさせる。昔はよく行った駄菓子屋"坂手商店"の姿なんて懐かしくて涙が出そうだ。確か中学の時に突然閉まってしまったんだったっけ。


 さて、しかしどうしようか。

 逆行してやり直せるのは嬉しいけれど、当時の詳細な記憶なんか当然ない。とりあえずは、この時代に馴染むのを目標にしていくのがいいんじゃないだろうか。

 以前と性格やキャラが思い切り変わってしまい、違和感を持たれて敬遠されても嫌だ。上手く周りの反応を見て、小四の俺ぽく振る舞わなければ……。

 逆行したにもかかわらず派手な目標を持たないのは自分らしいと思うが、なんとなく物足りなさと恥ずかしさもある。でも仕方ない、これが俺なのだから……。


 校門に近付くにつれて、ランドセルを背負って制服を着た小学生がわらわらと視界に入ってくる。

 ちなみにうちの学校は、男女とも上はポロシャツで胸元に名札、下は男子が短パンで女子が吊りスカートというよくある小学校の制服となっている。

 歩いてる小学生はみんな揃いも揃って上半身ポロシャツ姿だ。一応ザ制服という感じの、紺色でブレザー型の上着もあるんだけど、そんなの誰も着てやしない。

 まあ小学生は余計な服を着るのを嫌がるもんだしな。あと、子供は風の子と言うように、体温が高くて寒さを感じないんだろうね。

 俺自身も短パンポロシャツ姿だけど、全く肌寒さなんて感じないし。いや、子供ってすげえな。

 これから二十年経つと、セーターにスーツにコートにと着込んでも寒すぎてやってられなくなるのだから、不思議なもんだ。


 学校に向かいながら、ワイキャイと騒ぎ踊ったり、横断歩道の白いところだけを飛びながら渡っていく制服姿を見つめていると、郷愁に近い変な感慨が湧いてきた。

 ああ、俺も昔はあんなことやってたな、白いところだけがセーフゾーンで、道の黒い部分は全部溶岩だから落ちたら死ぬって設定だった気がする。懐かしい。

 俺もやってみたいな。今は俺は小学生なんだ、やって何が悪いんだ。

 ちょっとだけ恥ずかしさを感じつつ、開き直った俺は横断歩道を飛び跳ねてみる。小学生の体に心が引っ張られたのか、妙に楽しかった。


 俺が小学生らしく登校していると、騒ぎまわっている制服姿のうちの何人かが、こちらに駆け寄ってきて親しげに挨拶してきた。

 そいつらは同級生だったりクラブ活動が一緒の子だったり、遊び場が同じの子だったりで、大抵顔に覚えがあった。まあ話しかけてくるってことは、それなりに仲がいいわけだから当たり前ではあるのか。

 申し訳ないことに忘れてしまっていた人間も数人いたけど、そいつらも胸元の名札のお陰で名前やキャラや性格を思い出せた。だから、特に問題なく応対できたはず……。


 教室に入ってから顔を合わせた奴らは、クラスで年単位の付き合いのあった人間なので、流石にほぼ全員が顔と名前そして性格が記憶と一致した。

 その分、会話の内容も濃い目になって、放映中のアニメとか流行ってる遊びとか学校の噂話とかだったけど、記憶を振り絞ったり社会人で会得した話を合わせるスキルで、なんとかこなせたんじゃないだろうか。

 この時期にやっていたモンスターを戦わせる人気アニメを、最近見直してたのはラッキーだったな。

 配信サイトで懐かしの名作コーナーにあったから、土日につい全話ぶっ通しで見ちゃったんだけど、そのお陰でうまく話に乗れたわけで、世の中何が役に立つかわからないもんだ。

 まあ、こちら側が勝手に「会話をこなせた!」と思ってるだけで、向こうは違和感バリバリだったりするのかもしれないけどね。

 しかし、「俺なんか違和感ある?」と聞くわけにはいかないし、考えても無駄なので忘れることにした。


 勉強については当時からテストは百点以外を滅多に取らなかったし、大学も出てるわけで、まあ余裕だろう。

 今日の授業も、わからないところは全くなかったしな。……誇らしげに言うことでもないか。

 ただ、二時間目の国語の漢字テストだけは、かなり難儀した。だって、2020年にもなって漢字を手書きする機会なんて、書類に自分の名前と住所を書く時くらいじゃないか?

 研究室でのメモも数字と英語とドイツ語だったし、基本的に理系には漢字が必要ないんだと思う。だから漢字テストは免除して欲しい……。

 まあ小四で習う漢字なのでなんとか満点を逃さなかったけれど。でも危うかったし、あとで帰ったら漢字ドリルを少し復習しておこう。

 逆行してまでそんなことを……と自分でも思った。が、性分だから仕方ない。

 俺にとって小学校のテストは満点を取るのが当たり前なのだ。


 ともかく、そんな感じでお気楽気味に逆行初日の午前の授業を終え、給食アンド昼休みの時間となった。

 さて、何で遊ぼう。サッカーか?いやドッジボールも捨てがたい……うーん、まあ遊び仲間が先に遊んでいるだろうからそれに混ざるか……。

 なんて小学生生活に早くも順応し始めた頭で考えながら、食べ終えた給食を配膳台に片付けて自分の席に戻る俺の耳に、小さな声が聞こえた。


「トイレちゃん、今日はお漏らししないの?」

「や、やめっ」


 声の方向を眺めると、教室の反対側で女子がひとかたまりになって、何やらコソコソとしている。

 よく見ると座って給食を食べている女子の席を、何人もの女子が立ってぐるりと囲んでいるようだった。

 囲んでいる方は当時のクラスカーストで女子のトップだった小野瀬のグループで、囲まれている方は印象の薄い子らしく思い出しにくいけれど……。


「ふふっ、トイレちゃん、四年生でお漏らしって恥ずかしかったよね?」


 聞こえるか聞こえないか、ギリギリの潜めた声で小野瀬がつぶやくと、囲まれている女の子の顔がグニャリと歪んだ。

 あっ、この子は!

 悲痛に満ちた顔に見覚えがあった。そうだ、土肥玲花(とひれいか)だ!

 遠い昔の記憶が、目の前の光景に刺激されて蘇る。

 土肥玲花。俺の四年生のクラスメイトで、お漏らしをしてしまったことと、名前が"とひれいか"とトイレに通じる音だったために、トイレちゃんとあだ名をつけられいじめられていた子だ。なんともまあ、小学生らしいあだ名のつけ方である。


 記憶が更に蘇ってくる。

 そう、四年生のこの時期に土肥はおしっこを漏らしたのだった。しかも、人前で。確か何度も。

 バケツをこぼしたような大量のお漏らしで床中が濡れていて、アンモニア臭が凄かった、とお漏らし現場を野次馬をしていたクラスメイトが言っていた覚えがある。

 その野次馬の奴をはじめとして、土肥がお漏らしをした現場には教師や生徒がわんさかと集まっていて、何十人もがその姿を目撃したらしい。

 そしてその日以降、土肥は今まさに言われているようにトイレちゃんという屈辱的なあだ名で呼ばれてしまうようになったのだ。

 しかも、それ以降も何度かお漏らしをしたと、確か記憶している。

 お漏らしをしてからの土肥はクラスでも遠巻きにされるようになり、また事あるごとに上位グループの女子に言いたい放題に言われ、いつもこんな苦しそうな顔をしていた。

 いじめはクラス替えのあった五年生でも続き、耐えきれなくなった土肥は追われるように転校していった。

 だが、転校先でも、土肥の地獄は終わらなかったらしい。転校した学校でも土肥はいじめを受け、そして中学のときについに自殺してしまったと風のうわさで聞いている。


 あまり関わりのない女子だったせいか、その死を聞いた当時の俺は、薄情にも特に心動かされなかったはずだ。

 小学校の時のあの虐められている子だったか、可哀想だな。などと思うくらいはした記憶はあるけれども。

 確か、いじめられている姿も何度か見かけたはずだ。が、当時の俺は特に止めも憤りもしなかった。

 今思うと、我が事ながら残酷だ。

 当時の俺は友達と遊ぶことに夢中だったのだろう。けれど、もう少し他人のことを気にかけてやれなかったのか、と思う。

 そっと土肥の顔を見つめる。目には光がなく、泣きそうな顔で給食をトロトロと口に運んでいる。心臓のあたりに鈍い痛みを感じる。

 たぶんこの痛みの原因は、土肥への同情や可哀想という気持ちは半分で、前世で土肥の苦境に気付きすらせず見捨ててしまった自分への感情がもう半分だろう。

 土肥を助けてやりたい。そう思う。善意や正義感というより、罪滅しに突き動かされて、そう思う。

 でも、どうやって。


「おーい、悟!サッカーしようぜ!」


 考えを巡らせながらぼーっとしていると、当時仲の良かった日野暁斗が、サッカーボール片手に俺を遊びに誘っていた。

 教室を見回すともう半分くらいは教室から遊びに出ていて、この当時よく遊んでいた仲間……樫崎とか宮廻とかの姿も見当たらない。

 暁斗も早く遊びたくてソワソワ、といった趣である。

 小学生にとっては休憩時間はなによりの楽しみだもんなあ、飯を早く食って遊びたいという気持ちが暁斗から伝播してきて、俺も気分が上向きはじめてくる。

 ああでも、土肥は違うんだよな。休憩時間にあんなにつらそうな顔をして、給食もこれ以上ないくらいゆっくり食べていて……。


「いや、暁斗。今日は定規バトルしようぜ?昨日ちょっと必殺技考えてきたんだよ」


 俺は自分の席から筆箱を手に取り、土肥の真横の席に座る。

 ここは暁斗の席だ。授業中に仲の良かったやつがどこに座っているのか、懐かしみながら確認していたから多分間違いない。

 一応机の横を確認してみると、家庭科の時間で作ったドラゴンの小物入れに"日野暁斗"と漢字で書いてあったので一安心する。

 定規バトルは当時流行っていた、文具を使って遊ぶゲームだ。

 これまでの休憩時間で、何人かがやっていたのを見たから、まだブームの真っ最中なはず。

 ルールは簡単で、消しゴムやペンを使って定規を交互に弾いて、相手の定規を机の上から落としたら勝ちというものだ。自分の定規以外に触ったらアウト、という制限もあった気がする。

 まあ机でやるベーゴマみたいなもんだ。むしろ、おはじきか。ネットの『小学校の時に流行ってた遊び』みたいな記事で名前が挙がるのをよく見るし、割とメジャーな遊びなんじゃないかとは思う。


「おっ、悟から誘うのは珍しいな。じゃあやるか」


 暁斗もサッカーボールを放り出して乗り気で俺の対面に座り、自分の文房具からぞろぞろと取り出していく。

 俺たちのローカルルールとして、お互いに配置できる定規は二つずつで、使用可能なのは売店で買えるもののみ、と決められている。

 売店で買えるやつってルールは、金属製の定規を持ち込んだやつがいたせいで出来たやつだ。金属の定規はプラスチックの定規をいくらぶつけても重みで動かなくて、マジでどうしようもなかった記憶がある。あれはずりーよ。

 どれを使うか少し考えてから、俺は筆箱から分度器と長定規を取り出して机にセットした。

 ちなみに、暁斗が選んだ文具は分度器と三角定規である。分度器はとにかく強くて鉄板だったんだよな。みんな分度器は絶対に選ぶくらい強かった。それだけは覚えてるから即座に分度器をチョイスして、長定規はなんか強そうだから選んでみた。

 真横に俺たちが座り込んだせいで派手に動けなくなった小野瀬たちのグループは、不服そうに土肥を睨みつけながら包囲を解いて散っていく。

 定規バトルというゲームの名前は記憶にあったけど詳しいルールやコツをあまり覚えていなかった俺は、悲痛な顔で給食をゆっくり食べる土肥の様子をチラチラと伺いながら、暁斗にボコボコにされたのだった。

 人生経験を積んだ大人から過去に逆行しても、簡単に俺TUEEEを出来るわけではないらしい。少しだけ……いや、わりと悔しかった。



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