3-1.星を眺めるお水の子・羽鳥純恋
3話です。
春休み真っ只中の俺は、母さんからお使いを頼まれて、夕暮れで辺りが赤く染まる中近所のコンビニ"ル・ジュール"に向かっていた。
ポケットの中の五百円玉がいやに重く感じる。手を突っ込んでぎゅっと握りしめると、ひんやりとした金属の触感が伝わってきて気持ちいい。
春休みになってからは、暁斗と樫崎も忙しいらしくあまり遊べていない。まあ長期休暇って、家族旅行とか観光地に行くとか色々あるもんな。
宮廻はこのあいだ言ってたようにおじいちゃん家にいるようで、この前家の前を通りがかった時は車もなかったし人気もなかった。
秘密基地も二度ほど遠くから観察してみたけど、例の車や人影を見かけることはなかった。近付くのはちょっと嫌だったので、ちゃんと調べたわけじゃないけど。
遊ぶ相手が減ったので、最近はよく家の手伝いとかをしていている。庭の草刈りとか、風呂掃除とかね。特にやっているのは料理で、ほぼ毎日夕食を母さんと一緒に作っている。一人暮らしが長かったから、そこそこ出来るはずで手伝っても迷惑じゃないだろうというのが大きい。
というか、うちの母さんがいきなり息子の包丁さばきが上達してても、全く気にしない人だから良かったよ。
何か言われるかなと恐々大根の面取りをしていたのに、こっちの心配をよそに「まあ、悟は包丁上手くなったのねえ」とほわほわ笑っただけだったし。
やっぱちょっと抜けてるんだよね。
しかし、母さんの料理は好きだから教われるのは有難い。レパートリーがどんどん増えていっている。将来また一人暮らしをする際に重宝するだろう。
というか、前世でも帰郷した時に教われば良かったよなあな。あまり帰らない親不孝な息子で悪かった、なんて思ってしまった。今世ではきちんと時々は顔見せするよ。
将来と言う言葉を気軽に使ったけど、将来は一体何を目指すべきなんだろうか。前世と同じ道筋で良いんだろうか。今のところは小学校生活に馴染むことで手一杯で全く気を配れてないんだよな。もう少し落ち着いたら、考えなきゃいけないのだろうけど……。
えいや、とマンホールを飛び越えるとポケットの五百円玉が飛び出しかけて焦る。危なかった。最近はそういう粗忽なところが増えた。体の若さに精神が引っ張られてるのかもしれない。
しかし、おつりは自由に使っていい、と言われたのでウキウキ気分である。
いやはや、五百円なんてちょっと前の俺にとっては瑣末な金額だったはずなのに、この胸の高鳴りはなんだろうか。
五百円。前世ではお安めなワンコインランチを頼めばそれで消えてしまう額なのに、子供にとっては使い切れないほどの大金に思える。
だって、駄菓子屋で爪楊枝で刺して食べる奴と、ビニールに入った細長いちゅるちゅるしたゼリーと、木のヘラというかアイスの木のスプーンの小さいやつで食べる謎のやつと、水に溶かして飲むジュースの素を全部買っても、百円に満たないんだぜ。
五百円なんてもはや無限みたいなもんだよ。いやまあ、漫画一冊買ったらほぼ消えてしまうんだけどさ。でも、駄菓子屋ならマジで豪遊できるもん。てことは、凄いのは駄菓子屋か。ビバ駄菓子屋!
戻ってきてから一度駄菓子屋に行ったけど、めちゃくちゃ楽しかった。駄菓子がめちゃくちゃ美味しく感じたし。味蕾が若いからなのだろうか。
駄菓子なんて一瞬で食べてしまえる量なのに、満足しかなかったね。
いやほんと金銭感覚が大人のままだと困ると思ってたけど、完全に小学生に適応できてよかったよ。
そういえば、俺の今のお小遣いっていくらなんだろうな。お小遣いの日は毎月一日なので、まだいくら貰っているのかがわからない。流石に小四の時のお小遣いとか覚えてないからね。
とりあえずは財布の中に千円ちょっとはあるので、当座には困らないだろうけど。
さて、今向かっているルジュールは、フランチャイズとかチェーンではなく個人経営のコンビニだ。
地元の和菓子屋が作ってるちょっとしたお菓子や、近くの港で獲れた魚の干物なんかも置いていて、売り場の感じは殆どスーパーみたいだ。
だけど、スーパーよりはずいぶん敷地面積が小さいし、24時間営業をしてるので分類としてはコンビニなはずだ、多分。
90年代まではそういう、個人経営のコンビニが所々にあったんだよな。まあこのルジュールも、俺が小学校を卒業するくらいに、大手コンビニチェーンのフランチャイズに転換しちゃったけど。
転換した後に買いものに行って、オーナー店長のおっちゃんの服装が、奥さん手縫いの刺繍エプロンからフランチャイズのよく見かけるエプロンに変わったのを見て、なんもと言えない切なさを感じた記憶がある。
フランチャイズになってからは俺も遠くの中学に進学して、地元で遊ぶことがなくなったから、あんまり足を運ばなくなったな。
でも、やっぱり微妙に変わってしまったルジュールのを見たくなかったという気持ちもあったと思う。
ルジュールは学校や河川敷とは逆方向なので、逆行してからは初めて行くことになる。
曲がり角を折れると、鮮やかな青紫の建物が目に入ってきた。ああ、懐かしい。ルジュールの色だ、そういえばこんな色合いだったな。
わざわざ、建物全体をお洒落な色に塗るこだわりを見せてたんだよね。
看板の文字も優美な筆使いの筆記体で、店名と相まっておフランスな雰囲気がある。
あ、ルジュールに来たんだから自販機を確認しておかないとな。ここの自販機はめちゃくちゃバラエティ豊かなんだ。
オーナーのおじさんが全国各地で気に入った缶ジュースを、メーカーから直で買い付けて置いてるからそんなことになっているらしい。
左上から眺めてみると、まず北海道のガラナ飲料があって、横には沖縄のシークワーサー飲料が鎮座している。そしてその隣は魚が丸ごと一匹入ったペットボトルに入った出汁、トゲトゲしいパッケージに包まれた謎のマムシとスッポンの栄養ドリンク、伝統製法の醤油を使ったせんべいジュース、一本300円の高級コーンポタージュと並んでいる。いやほんと、よく集めたよ。インターネットもない時代で個人商店がやることじゃない気がする。
個人的にはこの自販機だと牛乳とヨーグルトにクルミを混ぜた、ミルクルミという謎の乳飲料がお気に入りなんだけど、今日は在庫がないのか並んでなくて少し悲い。
ミルクルミは人気があるのか、大体置いてるんだけどな。残念だ。久しぶりに飲みたかった。
もしかしたらミルクルミを見逃してないだろうか、と自販機をチラチラと眺めながらルジュールへと踏み入っていく。
母さんから買い物を頼まれたのは、焼きそばとかお好み焼きに使うソースだ。母さんは昔に鉄板焼きの店でバイトをしていて、そこで会得したというソース焼きそばを月一くらいのペースで振る舞いたがる。
そのソース焼きそばに使うソースは珍しいやつで、ここら辺だとルジュールにしか置いてないんだよな。
商品に拘っているのは自販機だけではないというわけである。
まず最初にソースの棚を見ると、母さんに頼まれた『三つ星シェフが作ったトレビアンソース』がちゃんと売っていて安堵した。シェフ帽を被ったおじさんの写真がデカデカと使われているけど、これ本当に焼きそばに使えるのか?
見た目と名前から不安を覚えた俺は、パッケージをよく見てみる。「焼きそば・お好み焼きに最適です!」とシェフの口から出たフキダシに書かれている。え、マジでこれでいいのかよ。
三つ星シェフが焼きそばソースって、なんか違う気がするんだけど。まあいいや、多分あってるんだろう。
ちなみに、トレビアンソースは他のソースよりもふた回りくらい小さいけど、値段はほぼ変わらなかった。税抜き300円とあるので、二百円弱のお釣りがもらえるのか。やったぜ。何に使おうかな。
ていうか、この時期の消費税っていくらだっけ。3%だったっけ。それとも5%だろうか?8%じゃなかったとは思うんだけど。
しかし、店内を流し見しているけど色々な商品があって面白い。東京に住んでた時に時々行ってた、高級スーパーみたいな感じがする。生ハムとかチーズとかオリーブが何種類も売ってるあたりが。
折角だし、ルジュールで何か買っていくか。ぷらぷらと店内を眺めていく、地元特産のB級グルメやら鹿肉やら変な食料品のコーナを足早に抜けて、お弁当コーナーに差し掛かったあたりだった。見覚えがある少女が真剣に弁当のパックを見比べていた。
「お、羽鳥?」
「寄木、久しぶり」
クラスメイトの羽鳥純恋だった。肩甲骨よりちょっと長い髪と、スレンダーでスタイルがいいからすぐにわかった。
羽鳥はちょっと大人びた感じの女子で、なんとなく同級生の中でも一目置かれてたタイプの生徒だった。今もただ弁当を見比べていただけなのに、なんか様になっていたし。
俺と羽鳥とは三学期にクラスの班が一緒でちょこちょこ話していたけど、素直な感じで嫌味がなくて話しやすい性格をしている。
「久しぶりって、修了式以来だろ」
「まあね。……三つ星シェフのソース?それ何?」
「俺もよくわからないんだけど、焼きそばに使うらしいんだよ」
「え、嘘でしょ?」
「見てみ?」
「……本当だ」
「でも、美味しいんだよ。うちの母さんは絶対これじゃないとダメって言うから買いに来たんだけど」
「そうなんだ」
「羽鳥は晩飯の買い出しか?」
「そう」
「のり弁当と幕の内弁当か、渋いな。さすが羽鳥」
普通、小学生ってカルビ弁当とか唐揚げ弁当を頼むイメージがある。もしくは見た目がカラフルなやつ。
「そうかな」
「うん、羽鳥っぽいと思う。羽鳥はルジュールによく来るの?」
「そうだね、割と来てるかな」
おお、どうやら常連らしい。なら、なにが良いのか聞いてみるか。
「ならさ、オススメの何かない?軽く食べれるやつで。予算は150円なんだけど」
「ええっと。そうだね」
羽鳥はちょっと悩ましい顔になって、そしてぐるりと食品を扱う一帯を見回す。
そして、髪を揺らしながら一つ頷いて、手のひらサイズのパッケージを持ってきた。
「うん、これかな」
手渡されたので見てみる。
「なになに、『野菜嫌いのお子様も大喜び、ジューシーキャロットクッキー』か」
「あのね、寄木をお子様扱いしてるわけないんだよ。でも本当に人参がいっぱい入ってるとは思えないくらい美味しくて」
「ほお」
「うん、だからオススメかな」
羽鳥がニコリ、と笑った。羽鳥のオススメなら間違いないだろう。いや、詳しいやつが居てよかったよ。普通じゃない品物が多いと、何を買っていいか悩むからな。
「ありがとな、羽鳥。晩飯の用意に遅れるから帰るよ。また新学期な」
「うん。またね」
俺が奥さんの刺繍付きエプロンを着けたおじさん店長からお釣りを貰ってルジュールを出ても、羽鳥はまだお弁当で悩んでいるみたいだった。
羽鳥、結構悩むんだな。なんか意外だ。結構あっさりさっぱりしてる性格だから、こういうのもササッと決めると思ってたけど。
そんな事を考えながら、薦められたジューシーキャロットクッキーを口にする。
お、美味いな。人参特有の青臭さが割と残っているのに、それがエグくなくてむしろ香ばしく感じるバランスに仕上げてある。人参らしさを生かしてるのが凄い。
確かに野菜嫌いの子供にも薦められるだろうなと思う。
「いやあ、羽鳥さすがだな。感謝だわ」
またリピートしたいくらい美味い。あっさりとしているから、何個でも食べれてしまいそうだ。
羽鳥はなんというか安心感があるんだよな。みんなにも信頼されて、尊敬されて。
こいつに任せたら大丈夫、みたいなイメージがある。
クラスでも時々委員長とかを任されていたし、こういう奴が立派になるんだろうな、って小学校の時に思った気がする。
いやあ、今でも既に逆行して人生経験あるはずの俺より羽鳥は大人な感じがあるよね。すごい。
もはや悪びれることもなく、俺は素直に感心していた。プライドはないのか。
こんばんは、いつもお読みくださいましてありがとうございます。
今日より、3話・羽鳥純恋編が始まります。今回の話では寄木の家族周りの話もしていくと思います。是非お楽しみください。
(投稿後少ししてから、3-2部分を3-1に混ぜ込んでしまったので、少し修正しました。すみません!)
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次回はまた、明日か明後日に投稿します。