第二話 転生
輪廻転生なんてそんなものを信じていたわけではない。しかしながら心のどこかで新しい命をこの身に与えられればといった気持ちも彼は持ち合わせていた。ずいぶんと都合のいい考えではあるが人間なんてそんなものである。
(知らない天井だ……)
グラグラと揺れる頭に異常なまでの不快感を覚えつつ彼は目を覚ました。この気持ち悪さは死による特別な感覚なのだろうかと刺された背中に意識を向けて考える。記憶に新しいその場所に幻痛を感じるが傷跡はない。見たこともない真っ白で平らなその景色も相まって、ここが死後の世界か、などとくだらないことを考えていると空からこれまた聞き覚えのない声が降ってきた。
「――――!」
聞き覚えのない声、それに聞き覚えのない言語だった。かつて天才と呼ばれ、魔法だけではなく多くの知識を有した彼でさえも知らない言語であった。
(神……様……?)
彼は神の存在など信じてはいなかったがいまだにぼやける視界の端に映っている姿、今までに感じたことのない明かり、自分でも知らない言葉そういった要素が絡み合った結果、それをふと頭に思い浮かべてしまったのである。
しかしながら、意識のはっきりしない頭は正常に動いてはいなかったようで、それは小さなつぶやきとなって口からこぼれ出ていた。
「……ん?どうした?麗空、どこか痛むのか?」
それはうまく聞き取れなかった故の、父から息子へのあまりにも当然の心配。
(だめだ、やっぱりわからない……)
おそらくではあるが声の主は自分のことを気にかけてくれている、それぐらいはなんとなく分かったような気がするがそんな優しさも、柔らかい声音からしか判断ができない。具体的な返事ができない彼は無言を返答とした。
自分の息子の様子に不安を覚えた麗空の父親である和樹はとりあえず麗空の担当医を呼びに行くことにした。本来は目を覚ましたタイミングで呼びに行くのが当然といえば当然であったのだが、五年というあまりにも長い眠りについていた実の息子が目を覚ましたのだ、これぐらいの判断ミスは許されるであろう。
声の主が姿を消してから数分、ようやく回復してきた視界に先ほどの男と思われる男性と真っ白な布を身にまとった男が彼の元へ戻ってきた。
「麗空君、私の声は聞こえるかい?」
新しく来た男が声をかける。彼こそが五年もの間意識を失っていた麗空の担当医である。和樹から麗空が目を覚ましたとの知らせを聞いたときは信じられない、といった表情をしたが父である和樹がそんな嘘をつくはずがない、彼は状態を確かめるために急いでこの病室までやってきた。簡単にではあるがここに来るまでに和樹に麗空の状態を聞いた。目を覚まして入るようだが、どうやらまだ意識が混濁しているようだと判断した彼はまず識別能力の確認から行った。
「……」
しかし、またもや返ってくるのは無言のみ。瞼は確かに開いているし、その瞳は真っすぐにこちらを捉えている。意識が復活していることは確かであろう。
返事を待つこと数十秒、担当医はもう一度声をかける。
「麗空君、僕の言っていることは分かるかな?」
「……」
それでも返ってくるのは無言のみ。その様子を確認した担当医は白衣のポケットから取り出したメモに言語処理能力に難あり、と記載した。
しかしながら無言になるのは麗空としては当たり前だった。彼からすると彼らの発している言葉がわからないからである。
珍しく麗空、いや稀代の天才魔法使いルート・ウェスタは困惑していた。ルートが対処できなかった事態は後ろから刺されたあの瞬間以外に存在したことがない。死んだと思っていたが目を覚ましたら、見知らぬ場所に見知らぬ人間、言語、自分の理解の及ばない文明的なものの数々。よくよく見てみるまでもなく、彼ら二人のまとっている布も王宮ですら見たこともないような精巧な作りをしている。自分が今現在まとっているこの服もまた今までに味わったことのない着心地であった。本当に着ているのか分からないぐらい軽く、肌触りがいい。
何かに意識が移っては目に映った別のものに気が向く。そんなことを繰り返しているうちに、処理能力は限界に達してしまっていた。かろうじて分かったことといえば、ここが死後の世界ではないということぐらいだ。
分かったといっても根拠あってのことではない、感覚的なものである。
ここはあまりにも生活感がありすぎる。死後の世界など想像もしたことがなかったが、それでもこんなにも生活感漂う空間ではないであろうことは人の感覚として容易に想像することができた。
そうして何が何やらわからず、ルートが自身に投げかけられているのであろう言葉になんと声を発するべきか考えているうちに二人は話を進めていく。
「まだまだ意識がはっきりしているとは言い難いようですが、モニターの心拍数も安定していますし体も少しなら動かせるようですから、数日経過を見て問題なければこのまま退院できそうですね。」
「そうですか……!先生、本当にありがとうございました!麗空を麗空を……」
「いえ、私は何もしていませんよ。麗空君の生きる意志あってのことです。彼は本当に強い子ですよ。正直、もう一生目を覚まさない可能性の方が高かったですから……。それと、水を差すようで悪いのですが、まだまだ楽観はできません。五年も意識を失っていたのですから、退院はしても結構な頻度で検査通院をしてもらうことになります。」
「も、もちろんです……よろしくお願いします……」
「まだ、混乱しているようですし今日は一人にして休ませてあげましょう……。奥さんと娘さんにも帰って伝えてあげてください。そしてまた明日、こちらにいらしてください。」
「はい、はい……そうします……」
ついには泣き出してしまった和樹を連れて担当医は病室から出ていった。
「あ……」
ルートは蚊の鳴いたようなかすれた声にならない声をその白い背中にかけたが二人がそれに気づくことはなかった。
いったいどんなつくりなのか滑らかに動き静かに閉まったスライドドアから目を離し、はっと息を吐く。静かな部屋に自身の息遣いだけが聞こえる。
目を閉じ、不必要な情報の侵入を妨げる。そうやって頭の中を回り続ける情報の渦を少しずつ沈めていく。状況の整理と理解、判断は魔法使いにとって必須といってもいいスキルだ。回る情報を掴んでは確認、そして並べていくイメージ。繰り返し繰り返し、整地をする。やがて目を覚ましてから今までの出来事を並べ終わったルートは再びはっと息を吐き出した。そして、結論を出す。
「うん、寝よう。」
処理しきれなかった。
その日、彼は夢を見た。
夢なんて王都の魔術学園に入学が決定する少し前に見た以来だ。入学してからは成績のこと、同期との熾烈な争い、田舎に住む両親の期待、そういったもので気が休まる時間をとることができなかった。
最年少かつ歴代最高の成績で卒業を決めた彼は周りから天才などと呼ばれてはいても余裕なんてものはなかった。常に自らに厳しい課題を課し王宮魔術師を目指して走り続けていたが故だ。どちらかというと努力の天才、といった方が正しいのかもしれないが、実際に魔法に関しても天才と呼ばれるだけの能力があったのだからあながち間違いというわけではない。
その才能に嫉妬をする人間も多く存在した。そういった人間は往々にして本人の努力に目を向けるようなことはない。認めてしまえば自らの怠慢と顔を突き合わされることになるからである。
「あの、ウェスタ君……今日この後魔法を教えてもらいたいんだけど……」
「そんな時間はないんだ、ごめんね。」
「え、あ、うん……こちらこそごめ――」
「それじゃあ、俺はこれで」
それはかつて自分が通っていた魔術学園での一幕。おずおずと声をかけてきたクラスメイトの言葉を切って立ち去る自分。そんな自分の様子を周りをふわふわと回遊して眺めた。
(あいつ、何て名前だったかな……)
元クラスメイトの顔さえもうろ覚えだったことにいまさらながら気付く。こうして客観的に自分の姿を見るといかに余裕のない生活をしていたかがわかった。そしてそんな態度が周りとの軋轢を生んでいたことにも気が付いた。
(なるほどなぁ……これなら後ろから刺されるのも……)
納得できるなぁ、と考えたところで場面は切り替わる。
「――――死ね。」
「な……?」
何が起きたのかわからなかったあの瞬間が目の前でリプレイされた。しかしながらこの映像は本人の記憶のようで、後ろから刺した人間の顔は黒く塗りつぶされており、確認することはできなかった。まぁそれも今となっては誰か特定できたところで意味はないのだが。
もっと自分以外のものにも目を向けていれば、こんなことにはならなかったんだろうか。周りに足並みを合わせていればよかったのだろうか。そんなちっぽけな後悔をしてはもう二度と会えないであろう父と母の顔を思い出して、自分の死に様から目を逸らした。
こんな夢は悪夢の一種に違いない。早く覚めろ、覚めろと念じ始めた彼の背中に誰かが触れたような感覚が走った。
「……っ!」
思わず何かを振り払うようにして振り返った。
そこは以前、というよりも時間間感覚的にはつい先ほどナイフが突き刺さった場所である。多少反応が過剰になったとしてもおかしくはない。
振り払うという意図が意識的にはなかったわけだが、無意識のそれは確かに何かを振り払い、それは倒れた。
「いったぁ~……。もう!なにすんだよ‼」
足元から聞こえる随分とかわいらしい非難の声に、ルートはこれまた驚いて気の抜けたような顔で視線を下に向けた。
「お、お前は……?」
おそらくは初めて見るであろうその顔にルートはとりあえず無難な疑問を投げかける。
「誰って、僕は僕だよ!」
「いや、誰だよ。」
頬を膨らませて、これまたかわいらしい自己紹介に冷静なツッコミを入れた。
本当に見たこともない少年だが、自分が尻もちをつかせてしまったことは明白であったためとりあえず手を差し出して立つように促す。
「あ、ありがとう……」
その手を少し照れたような様子で掴んだ彼は引っ張られるようにして立ち上がり、改めて自己紹介をした。
「僕は神堂麗空、この体の元持ち主さ!」
精一杯の背伸びで胸を張って、これでもかという自己紹介。
「シンドウリク?変な名前だな。」
「おいお前!僕の名前を馬鹿にするなよ!お父さんとお母さんがくれた名前なんだ!いくら君が僕だからって許さないぞ!」
「そうか……そりゃ悪かったな……って、何言ってんだお前?俺がお前?」
「そうさ!君は自分が死んだんだってちゃんと覚えてるんでしょ?」
「あ、あぁ、ご覧の通りさ」
そういって先ほど生命活動に必要な血を流しきり、ピクリとも動かなくなった自分を指さして自虐的な笑みを浮かべた。
「僕もね、死んだんだ……五年前にね……」
「そ、そうだったのか……それは……」
「でも、いいんだ!僕はだめだったけど君が来てくれたからね!」
から元気なのかはわからないが、これまで以上に明るい表情で麗空はルートを指出してそういった。
「俺が、きた?」
「そう!君が、きた。……君、いや、ルート・ウェスタ君、君は魔力が扱えるね?」
「まぁ、それなりには、な」
ここで自分が一番の使い手であると宣言するほど、ルートは馬鹿ではない。同じ過ちは二度と犯さない。しかし、ことこの場においては、それは不必要な謙虚さであった。
「謙遜しなくてもいいさ!僕は五年間、君が死んで僕も死んで、そして君が僕の中に来るまでに君の人生を
見せてもらったんだ!君の才能と努力は僕がきっと誰よりも一番知ってるよ!」
「や、やめてくれ!俺は……」
これまで努力を褒められるようなことがなかったルートはその率直すぎる感想にむず痒さを覚えた。
そんなルートの様子に満足しつつ麗空は話を進める。
「魔力を扱える君は無意識だったのかどうかは僕も知らないけど、死の間際に新しい命を求めたみたいなんだ。君は魔力に愛されている。魔力にはっきりとした意識があるのかどうかは僕もまだよくわかっていないけど、魔力はその存在を知ってもらうのに必死でね、いつの時代も僕たち人間を助けてくれる。そして魔力に愛されている君はこっちの世界の魔力に呼ばれたってわけさ!」
「そんなバカな話――」
「ないと思うかい?」
初めの幼さはどこへいったのか、麗空の視線はルートを鋭く射抜いた。
「君は実際に見ただろう?僕の世界を、僕の体で。」
「あれは……」
お前の世界だったのか、その言葉は先ほど見た世界を思い出したことで続かなかった。
「君は僕みたいに時間がなかったからね、混乱するのも仕方がないさ!」
そういって笑う麗空の顔はどこか寂しそうで、
「……今日はもう時間みたいだ、続きはまた明日の夢の中で!」
「お、おい!俺はまだ何もわかっちゃ……」
「大丈夫、君ならやっていけるはずさ!当面の問題は言葉かな?それもまぁ君ならすぐに覚えちゃうだろう
し、僕も教えてあげるから何とかなるかな?多分!」
「言葉?……そうだ!それも――」
「時間だ、じゃあ、また、明日!最後にお父さんとお母さんに……よろしくね!」
「ちょ、おい!お――」
遠ざかっていく姿にまたもや声は届かず、光が世界を終わらせた。
「父さん、母さん……」
零れた涙とつぶやきはどちらのものか、わからないままルート・ウェスタは神堂麗空として二度目の人生
をスタートさせた。