アルバイト初日! (1)
放課後、この日はバレーボールの練習を途中で切り上げ、『せせらぎ』に向かおうとしていた。ここ数日、練習のし過ぎで身体が痛い日が続いており、着替えをするのも顔をしかめてしまう。体操着から制服に着替えると、駐輪場へと歩いて行く。彼女の心中は、期待と不安に満ちていた。
自転車に跨ろうとすると、一人の女子が泣きながら歩いてきた。何があったのだろうか。横目で見ていると、もう二名の女子が駆け寄ってきた。
「ちょっと、大丈夫?」
「進さんに振られた……。嫌われたんだ!」
「そんなことないよ。友達でいようって言われたんだから、きっとまたチャンスはあるよ!」
泣きながら抱き締められる女子。遥は彼女らの会話を聞きながら駐輪場から去っていく。やっぱりモテるんだな。遥は改めて、進の凄さを知ったような気がした。気持ち早めに自転車を漕ぎながら、『せせらぎ』を目指す。その間も、先ほどの光景が焼き付いていた。過去の自分と重ね合わせそうになったが、自分が惨めになるだけなので止めておいた。
『せせらぎ』に到着するのに、そこまで時間はかからなかった。お客さんが何人かおり、店長ともう一人の店員で応対している。遥はあくまでも平常心で店内に入ると、朱里が気づいたようで、笑顔で駆け寄ってきた。
「西川さん! 早いね」
「色々と準備しなきゃいけないと思いまして……」
「真面目だね。感心感心。私についてきて」
朱里はもう一人の女性店員を残して二階へと案内する。そこには男性と女性の更衣室が備えられており、扉は施錠されていた。朱里が女子更衣室の鍵を開けると、いくつかの制服がロッカーにかけられていた。
「これがうちの制服。この中からサイズが合っているのを選んで、下に降りてきて」
「分かりました」
朱里が扉を閉めると、遥は自分に合う制服を探し始める。彼女は背丈が小さいので、五つあるうちの二番目に小さいサイズがちょうど良く着ることができた。深緑色のネクタイを締めると、鏡で自分の姿を確認する。そこにいたのは、普段の冴えない自分とは少し違う、少しだけ自信が顔に出ている自分だった。
一階に降りると、ちょうどお客さんが退店するところだった。朱里ともう一人の女性店員は、食器を厨房に持っていくと、遥の前に立つ。
「改めて自己紹介。私は『せせらぎ』店長の原口 朱里です。これからよろしくお願いします」
「私は『せせらぎ』スタッフの森 唯です。主に厨房を担当しています。何か分からないことがあったら聞いてくださいね!」
「西川 遥です! まだ右も左も分からないですが、一日でも早く『せせらぎ』の力になります。よろしくお願いします!」
遥は深々とお辞儀をする。やはり最初の挨拶は緊張する。顔を上げると、二人は相変わらず笑顔だった。
「唯ちゃんはもう良いよ。明日の仕込み、お願いね」
「分かりました」
「これからここの業務を説明します。メモの準備は良いですか?」
「はい!」
肩に力が入る。遥は朱里の言葉を一言一句聞き漏らすことのないように、すぐにボールペンとメモ帳を用意した。朱里の後ろをついていきながら、説明を受けていく。
「最初にやることは、店内の掃除。モップ掛け、テーブル拭き、そしてごみ捨て。まずモップ掛けから教えます。ここに道具があって……」
朱里とメモ帳を交互に見ながら、自分がやるべきことを必死にメモしていく遥。まずは順々に、自分のできることを増やしていかなくてはいけない。メモが真っ黒になりそうな勢いでメモを取っていくと、裏口から誰かが入ってきた。
進だった。彼は疲れ果てたような表情で二階へと上がっていく。その姿を遥は見逃していなかった。一体どうしたんだろう。そう思ったのも束の間、彼女はすぐに朱里のほうに目を向ける。今は集中しなくては。使命感にも似たような思いが心中を支配していた。
「ごめん。言い忘れていたけど、明日からは裏口から出入りしてください。あと制服のサイズはこれで大丈夫?」
「はい。ちょうど良かったです」
「制服は発注しておくから、一週間はこれで我慢してね」
「分かりました」
遥は無理に笑顔を作って応じた。初日からあちこちを歩き回り、同時にメモを書かなければならない。初めて尽くしのことに、彼女は心身ともに疲労し始めていた。壁にかけられた時計を見ると、勤務してから一時間と経っていない。働くことの大変さを、早くも思い知らされていた。