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女の子って怖い! (1)

 その夜、遥は疲れ果てた顔で浴槽に浸かっていた。ため息が風呂場に行き渡る。最初は軽い気持ちでアルバイトの応募をし、少しずつ慣れていこうという心づもりだった。いや、最初だけならそれで良いのかもしれない。しかし、彼女は進の言葉が未だに頭の中で反響していた。生命線。この三文字が、彼女の中の責任感を増幅させていった。

 明日から『せせらぎ』の一員として働いていかなくてはならない。一員として認めてもらうためには、一日でも早く仕事を覚えて、迷惑をかけないことが第一だ。自然と肩の力が入る。今まで外の世界に触れることの少なかった遥にとっては初めてのことだらけだ。しかし、怖気づいてしまってはいけない。彼女は自らを奮い立たせるように、顔を両手で叩いた。顔をしかめるほどに痛みが走るが、それ以上に気合いが入るような気がしていた。

 風呂あがり、自室に戻るとスマホに連絡が入っていた。確認すると、進からだった。

『今日はお疲れ様。明日からせせらぎの一員として、お互い頑張っていこうね!』

遥の表情が少しだけ緩む。彼女は『せせらぎ』に採用されてから、進と連絡先を交換していたのだった。


 きっかけは、生命線の話をされた直後だった。あれから遥は一休みするためにコーヒーを注文し、カウンター席に座りながら待っていた。朱里はお客さんがいないのをいいことに、依然としてピアノを弾き続けている。それはまるで、祝日を楽しむ子どものように無邪気で、仕事が終わりそうな人とは思えないほどはつらつとしていた。その様子を、遥はいつまでも見ていられるような気がしていた。進は店内が暇になったのか、閉店準備のためにテーブルを拭き始める。

「西川さん、改めておめでとう」

「ありがとうございます」

「……素っ気ないな。さっきはめちゃくちゃ喜んでいたのに」

「ちょっと考え事していて。すみません」

「そっか。ならいいけど」

 テーブルを拭き終えると、厨房の奥へと歩いていく。それを横目で見た遥はスマホを取り出し、暇潰しに緑色のトークアプリを開く。クラスのグループトーク、女子だけのグループトークに所属しているが、双方とも教師に対する愚痴や、体育大会の話題で盛り上がっている。放課後に向けられた視線が気になっていたが、特別気にしていなかったようだ。遥は胸を撫で下ろしてトーク履歴を読んでいく。すると、コーヒーの良い香りがしてきた。スマホを置くと、そこにはコーヒーを運んでいる進がいた。

「お待たせしました。ホットコーヒーです。お熱いのでお気をつけください」

「ありがとうございます。いただきます……」

 進に接客をされることに少々変な気持ちになった遥だが、香りを楽しみながら、ゆっくりとコーヒーに息を吹きかける。昨日と同じように少しずつ、大切そうに飲んでいく。

「やっぱり、美味しいです。香りがするだけで安心できるというか」

「何か嫌なことでもあったの?」

「今日の放課後、女の怖さを知ったような気がして。というか、お仕事しなくていいんですか?」

「大丈夫じゃない? 店長はピアノ弾いてるし、唯さんも厨房で暇そうにしていたから」

 進はいつの間にか、遥の隣に座っていた。突然の出来事に、遥は反射的に椅子をずらす。進は疲れたようにのびをすると、大きく息を吐く。

「西川さん。いよいよ明日からだね」

「……はい。自分のできることから精一杯頑張ります」

「そんなに肩肘張らなくても良いよ。ここは最低限のことを守れば、多少仕事ができなくても目を瞑ってもらえるから」

「……そうなんですね」

「ほら、まだこうなってる。肩の力抜いて」

 肩を二回叩く。遥は面接の時から緊張が抜けておらず、進の前でも肩に力が入ってしまっていた。進の言葉にようやくいつもの調子に戻りそうになると、再び話しかけられた。

「体育大会の練習、頑張ってるね」

「見てたんですか?」

「あれ以来、自然と周りを見るようになったんだ。誰かを巻き込みたくなくて。やっぱり、忘れたくても忘れられないな、こりゃ」

「そうですよね……」

「西川さんのグループ、体育館の片隅で練習しているみたいだけど、西川さん一人だけ顔がマジなんだよね。他の子は楽しんでいるのに」

 確かに今日も、一人でひたすら壁に向かってボールを打ち続けていた。みんなの足を引っ張りたくない一心で頑張っていたのだが、彼にはそう見えていたのか。遥は申し訳なさそうに進を見つめる。

「どこか緊張し過ぎているような気がするんだよね。違う?」

「……だって、勝ちたいから。馬鹿にされたくないから。みんなはそう思っていないかもしれませんけど」

「目が怖いよ。というか体育大会なんて、ぶっちゃけ思い出作りなんだから。一つ一つのことに真剣に向き合うのは良いことだと思うけど、全部そうすると身体持たないぞ?」

 遥は早くも、先輩からアドバイスを貰っているように感じていた。頭ごなしではなく、ゆっくりと落ち着いて教えてくれる。そして何より、安心感がある。教えられることに抵抗を覚えることなく、アドバイスがすんなりと頭の中に入っていく。進はそのつもりはなさそうに話しているが、彼女は自然と肩の力が抜けていくような感じがした。無言で首を縦に振ると、再びコーヒーを飲む。

「そうそう。時々でもこうやってリラックスしなきゃ」

「すみません……」

「謝ることじゃないよ。あ、そうだ。スマホある?」

「はい、ありますけど」

「連絡先、交換しよ?」

「……ええ?」

 いきなりの提案に、遥は驚きに目を見開いた。これから先輩として、色々と連絡をしていかなければならないが多くなるのは分かるのだが、これをクラスの女子が知ったらどうなってしまうのだろうか。少し話しただけでも嫉妬や羨望に満ちた視線を向けられるのに、連絡先を交換したことがばれてしまったら……。

「ちょっと早いんじゃないですか? 普通、もう少し仲良くなってから……」

「明日から俺の後輩なんだから。だめ?」

「……そう言われたら断れないじゃないですか」

「だったら、ID交換しようよ」

 進はポケットからスマホを取り出す。緑色のトークアプリを開くと、QRコードを使ってお互いの連絡先を交換した。完了すると、進はスマホをポケットの中に入れる。

「ありがとう。これで大丈夫」

「こちらこそ、ありがとうございます……」

 先ほどの『女の怖さを知った』原因が進であることは、最後まで言えなかった。コーヒーを飲み終えると、会計を済ませる。明日から、学校では一層気をつけて行動しなきゃならないな。ため息をついて自転車を走らせた。その間、笑みが見えることはなかった。




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