予想外の展開! (3)
『せせらぎ』の中に入った遥は、再び圧倒された。漂うコーヒーの香り、流れるお洒落な音楽、そして店の片隅に鎮座するグランドピアノ。間抜けに口を半開きにしている遥だったが、女性店員の呼びかけで我に返った。
「お客様?」
「は! はい! すみません!」
女性店員にカウンター席へと案内される。すると、もう一人の店員がキッチンから出てきた。先ほどの人よりもおしとやかな印象を受ける。ここの店長さんだろうか? 遥は小さく会釈すると、進から渡された引換券をカウンターに出す。
「あら? 貴女が進くんにボールをぶつけられた方?」
「……恥ずかしながら、そうです。それで、これを江村さんから」
「話は聞いていますよ。少々お待ちください」
女性はコーヒーを淹れに、奥へと消えていく。そして入れ違いのように進が出てきた。仕事着になった彼はより一層男前になっており、とてもさまになっている。思わず目で追ってしまった遥だったが、すぐに平静を装う。すると、進が彼女の横を通りかかってきた。
「ねえ西川さん、バレーの件はお互いにもう忘れよう」
「……そうですね。大丈夫です。私、いつまでも根に持つタイプではないですから」
遥は進と視線を合わせずに、ため息混じりに話す。苦笑した進は自分の持ち場に戻ると、フロアの掃除を始めた。まるでドラマのワンシーンのような光景に、遥は再び周囲を見渡す。自然に近い明るさを持つ店内、綺麗な顔立ちの女性店員さん達、今にも音楽が流れてきそうなステージ。彼女の勤労意欲は高まるばかりだった。隙あらば話しかけようとする、男子高校生アルバイトの存在を除けば。すると、先ほどのおしとやかな店員が、トレーにコーヒーを乗せてやってくる。ふわりと湯気が出ており、遥の鼻をくすぐる。
「お待たせしました。オリジナルコーヒー、ミディアムサイズです。お熱いのでお気をつけてください」
「ありがとうございます……」
よく息を吹きかけながらコーヒーを一口飲む。冴えわたる苦味、しかしその中にある奥深い味に、遥は何度も首を縦に振って、『せせらぎ』の味を感じていた。彼女はどんどん飲むペースを速めていく。
「この様子だと、気に入って頂けたみたいですね。ありがとうございます」
「すごく美味しいです! 私、あまりブラックで飲んだことがないんですけど、とても飲みやすいです!」
「そこまで褒めて下さるのは貴女が初めて。ところで、進くんから聞きましたけど、ここでバイトしたいんですって?」
「……実はそうなんです。今日、ここがどんなお店なんだろうと思って、行く予定でしたけど、まさかコーヒーをご馳走して下さるなんて思いもしませんでした」
店員はクスクスと笑っており、遥のことをじっと見つめていた。
「こういうところは初めて?」
「どうして分かったんですか?」
「唯ちゃんが言っていたの。あ、唯ちゃんっていうのはうちの店員ね。店に入るなりずっと立ち止まって、目をキラキラさせている女の子がいるって」
「そうなんです……。喫茶店なんてお洒落なところ、今日が初めてで」
正直に話した遥は、赤面しながら店員から目をそらす。さっきの一部始終は聞かされていたのだ。これでは自分が何の下調べもせずにここでバイトをしたいという浅はかなことがばれて、採用面接で不利になってしまうのでは? 不安が心の中を過る。しかし、店員はそれでも笑顔だった。そして、思いもよらない言葉を投げかけた。
「ここで、バイトしてみない?」
「……え?」
「ここ、何の変哲もない喫茶店で、SNS映えするようなメニューもない。メディアに取り上げられるなんてもってのほか。それでも貴女は、まるで子どものように純粋な顔でここに入ってくれた。この顔が私、とても嬉しかった。今週中に履歴書を書いて、私にください。いいですね? 私は『せせらぎ』店長の原口 朱里。よろしくお願いします」
「はい! ありがとうございます!」
席を立ち、深くお辞儀をする。頭がテーブルに当たりそうになるが、そんなことは構いもしていない。コーヒーを飲むと、メニューを手に取った。小腹が空いてきたようで、軽食の欄を凝視している。ドリア、ピザ、パスタ。イタリア料理が目白押しだ。見るだけで癒され、食欲を刺激される。
「すみません。この『せせらぎオリジナルドリア』一つください!」
「あら、嬉しい。唯ちゃん、ドリア一つお願い」
「かしこまりました!」
厨房から威勢の良い女性の声が聞こえる。先ほどの優しい声掛けとは大違いだった。注文をした数分後、掃除が終わった進が遥の隣に立つ。
「ごめんね、時間遅いのに」
「いいえ、寧ろありがとうございます。私、ますますここで働きたいと思いました」
「店長からこういう言葉を聞くのは初めてだよ。西川さん、早速店長に気に入られたんじゃない?」
「そうなんですかね……、あ、ドリア来た!」
朱里がドリアを持ってくる。ミートソースとホワイトソースのコントラスト、ぎっしりと詰まったエビ、イカといった具材、丁度良い硬さのご飯。遥は無垢な子どものように息を吹きかけ、口いっぱいに頬張る。しかし、やはり熱かったようで、少々苦しそうに味わう。その姿に、進と朱里は思わず笑ってしまった。こんなに純粋に喫茶店を楽しんでくれるお客さんは久し振りに見た。朱里はドリアと格闘している遥を見ているだけでも、明日の仕事を頑張ることができるような気がしていた。