ナニ×モノ
「それじゃあ、テキストの15ページを開いてもらえるかしら?」
心理学の講義。講義内容とテキストの説明をした初回を経て、第二回。担当の女性准教授は進行からすれば随分と飛んだページを指定した。
さて、今年はどうかしらね? なんて言いながら、教壇から降りた准教授は学生達が開いたテキストを覗き込み、「あら、やっぱりね」と零す。
「あら」
俺――織田力の横に来た准教授は、苦笑していた。
――開いたページは15ページだったのだが、何故か逆さまに製本されていたのだ。
「はい、ざっと見ただけでも、最新版を買っていない人が多いわね。開いてもらった15ページ、かなり大事な部分が改定されているんだけど……直っていない人が多いわ」
そう言って「残念だわ」とため息をついた准教授は、それから俺の方を見て「あなたは、生協で交換してもらった方が良いわね、逆さまじゃ読み辛いもの」と苦笑した。
確認を怠った自分のミスとはいえ、講義中にそう指摘されるのはなかなかに恥ずかしく、新年度早々ガッカリな気分だった。
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「よう、逆さま君」
「誰だよ、それ……」
講義が終わり、教室から出たところを後ろから追い抜きざまに肩を組まれる。――友人の滝山六郎だった。
「お前だよ、お前。眼鏡でぼんやりした、逆さまのテキストを持つ男!」
「うるせえ、これから生協で交換してやるわ」
滝山の腕を振り払うと、俺は早速生協を目指す。
「なあ、明日は暇か?」
明日は、土曜日。幸いなことに講義は入っておらず、バイトも入っていない。
「まあ、暇に出来ると言えば暇、だな」
「どっちだよ?」
「そういうのは、何々するから参加できるか? と聞くべきだと思うけどな」
「細かいやつだなぁ……だからモテないんだぞ?」
「お前に言われたくない」
そんなやり取りをしている間に生協に着き、幸い財布に入れっぱなしだったレシートと『逆さまのテキスト』を提示して事情を説明すると、すぐに交換してもらえた。
「しっかり確認してるの、笑えたな」
「二度手間は嫌だからな」
交換してもらったテキストをバッグにしまい、「それで、明日何があるんだよ?」と滝山に尋ねる。
「国分と山にドライブにでも行こうかって話しててさ。お前もどう?」
「お前の車、運転で?」
「そ」
「……お前の運転かぁ」
滝山は車好きで、ちょっと昔に世界ラリーで活躍していた某国産メーカーの車に乗って走り回っている。速度違反をする訳ではないのだが、前に乗った印象としてはちょっと荒い感じだ。……具体的に言えば、酔う。
「大丈夫だって。サスも良い感じに仕上がったし、俺のドラテクも向上したからさ!」
「……酔ったら奢りだからな?」
「任せとけって! あ、今夜はちゃんと寝ておけよ? 睡眠不足が原因で酔っても、俺は奢らないからな!」
自信満々の滝山に、俺は絶対酔うだろうなと思い、体調管理に気をつけようと思った。
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翌日。午前九時にわざわざ俺の家まで迎えに来た滝山の車に乗り、俺達はとある山に向かった。
「酔い止め飲んだか?」
「一応な」
助手席に乗る国分茂が笑いながら聞いてきたので、俺は素直に答える。
「俺の運転を信用しろよ~」
「第一印象が悪すぎだからな……」
俺は後ろの席から運転席に座る滝山に冷たい視線を向ける。――前に乗った時も、こっち方面の山にドライブに来て、山道で盛大に酔わされたのだ。
ガムを噛みながら、揺れに耐えること数時間。途中、休憩を兼ねて蕎麦屋に入ったりして、ようやく目的の山に着く。
「やっぱり酔ったな……」
「おかしいなあ……俺の運転で酔うなんて」
「どんだけ自信過剰なんだよ……」
「六郎らしいよな、そういうところ」
駐車スペースに車を停め、俺達はダムを眺める。
「おぉ、結構水溜まってるな」
国分がダム湖を眺めて言う。言われて見てみると、確かに水量は多そうで、水不足の心配もないだろうなと思わされる感じだ。
「この辺、桜咲くっけ?」
「どうだかな……ただ、時期をちゃんと確認しないとすぐに見頃過ぎそうな気はするけどな」
滝山、国分の会話を聞きながら、俺はボーッとダム湖の湖面を眺める。それほど強くない風、暑すぎない日差しが心地良く、車酔いを忘れさせてくれそうだった。
「ここってダムカードだっけ? あれ、貰えるんかね?」
「集めてんのかよ」
「いや、せっかくダムに来たんだったら、貰っておいた方が良くね?」
「六郎はなんか、そういうところ貧乏くさいよな、金持ちのお坊ちゃんなのに」
「お坊ちゃん言うな」
二人のバカ話をBGMに、山々の緑を楽しむ。何か飲み物が欲しいな――そう思った頃だった。
「――?! じ、地震か!?」
慌てる国分。俺と滝山も慌ててしゃがみ込み、四つん這いになって揺れに耐える。
「お、おい……これかなりデカいぞ……!」
俺達以外にもダムを見に来ていた奴らが思い思いにあちらこちらに掴まり、悲鳴を上げている。俺は大震災を連想し、恐怖した。
いつ終わるんだと思わされた長い揺れがようやく終わると、周辺からは「亀裂ができたぞ!」「避難だ、避難!」といった怒号が聞こえてくる。
俺もひとまず立ち上がり、周囲を見渡す。確かに地面に亀裂が走っていたりしている。
「ダムだからな、決壊したりしたらヤバイぞ……俺達も避難しようぜ」
「とは言っても、車じゃ移動できないんじゃね……?」
滝山と国分がこれからについて話す中、俺は湖面の異常に気が付く。
「な、なあ……。ダム湖の水位、上がってね……?」
俺の言葉に、滝山が「何をバカなことを」と俺の視線の先を追う。
「……あそこ、崖っぽいところが少し、見えてたよな……?」
「あ、ああ……いや、でも豪雨でもないのにそんな筈……」
俺と滝山が狼狽えていると、国分も湖面を確認する。
「……いや、あれまだ増えてねえか?」
思わず顔を見合わす三人。その直後、あたりにサイレンの音が鳴り響く。
「よくわかんねえけど、ヤバイぞ!」
「とりあえず、高いところに逃げるか?!」
「それしかねえだろ!」
国分の言葉に滝山が応え、俺がそれに追随する。周辺の奴らも慌てて車に乗り込んだり何処かへ向かって駆け出している。
「こんな時に車は悪手だ、悪いけど諦めてくれ六郎!」
「命の方が大事だから仕方ねえ……!」
そんなやり取りをしつつ、俺達は駆け出した。
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無我夢中になって、俺達はなるべく高い場所へと逃げた。山道を、時に道とも呼べない場所を歩き、俺達と周囲の人間は逃げ惑う。
「うわ、トカゲ……!」
大学生グループと思われる中の女が、何かに驚いて声を上げる。自然とそちらに視線を向けさせられると、そこにはワニかと思うようなサイズの『爬虫類』がいた。
「あ、あっち行きなさいよ!」
「こっちくんな!」
女と、グループの中で一番チャラそうな男が拾った枝で爬虫類を追いやろうとしている。……が、どうもそれは逆効果のようで、爬虫類は女に襲いかかる。
「やだ、気持ち悪い!」
「離れろよトカゲ野郎!」
「痛い! こいつ、噛んだ!」
騒ぎに、近くにいた体格の良いおっさんが加勢に入り、爬虫類を吹っ飛ばす。
「大丈夫かい?」
「あ、ありがとうございます……うぅ、痛いよぉ……こんなに血が出てるぅ……」
手当しようにも道具もなく、女はグループ内の他の女のハンカチで止血してもらっている。
「な、なあ……あんなデカい爬虫類、いるのか?」
「聞いたことねえぞ……?」
俺の疑問に、国分は知らないと言い、二人が視線を向けた滝山も「聞いたことねえな」と眉間にシワを寄せる。
「お、おい……いっぱいいるぞ!」
「に、逃げろ……!」
誰かの声に視線を向ければ、そこには先程の爬虫類が何匹も……うようよと這い寄って来ていた――。
「何かヤバくね?」
「俺達も逃げるぞ!」
国分、滝山に続き、俺も駆け出す。背後から悲鳴が聞こえるが、振り向いている余裕は俺達には無かった。
「助けてぇ……えぐっ!!」
その潰れたような悲鳴に俺は状況を想像し、吐きそうになりながら走った。
「こ、ここは大丈夫……だよな?」
息も絶え絶え。俺達は随分と人数が減った周囲の人間と共に、少し開けた場所に逃げ延びた。
「おい! 向こうに山荘みたいな建物があるぞ!」
誰かの声に、俺達はぞろぞろと誘導される。ロードバイク乗りっぽい格好の三十代くらいの男が指す先には、確かに『山荘』と言われたらイメージするような丸太とかで組まれたような建物があった。
「あそこに避難させてもらおう」
ロードバイク乗りの言葉に、誰もが頷いた。
「すみません! どなたかいらっしゃいませんか!」
ロードバイク乗りの連れらしき女性が『山荘』の扉をノックしながら尋ねるが、反応はない。
「無人、か……」
「せめて中に入れたら……」
ここに来ての絶望感に、疲労の溜まった俺達は落胆しかける。
「――カギ、かかってないぞ?」
茶髪の、俺達と同年代くらいの男が『山荘』の扉を開けていた。
「き、緊急事態だから、中に入らせてもらおう。後のことは、無事に避難できてから、ってことで」
四十代くらいのおじさんの言葉に、俺達は「そうだよな、緊急事態だし」と言い訳をし、不法侵入という行為に目を瞑りながら『山荘』の中に入る。
中は、思った以上に広い。部屋がいくつもあり、宿泊用の施設か、金持ちの別荘じゃないかと俺は思った。
憶測になってしまうが、どうやら欧米スタイルな使用方法らしく、靴を脱がずに俺達は入っていた。
「心が広い金持ちだと良いけどな」
滝山の言葉に国分が「お前みたいな?」と茶化すが、滝山は苦笑しただけだった。
皆、疲労の色が濃い。思い思いに腰を下ろし、疲れ切っていた。
リビング的なスペースにあったテレビはアンテナがやられているのか、映らない。状況を確かめようにも、このご時世にスマホは圏外という山の中に俺達は身を置いていた。
「家、大丈夫かしら……」
四十代おじさんに肩を抱かれていた四十代くらいの女性が漏らした言葉に、誰もが不安げな表情を見せる。あれだけの揺れだ、もしかしたら大災害に繋がっている可能性を否定出来ない。
沈んだ空気の中、俺は滝山に「で、これからどうする?」と相談する。
「どうする、って言ってもな……」
「助けを待つって言っても、ここに気が付いてもらえるかどうかって問題がある。何かしらのサインをヘリとかで見つけてもらえるように出しておくとか、何か手を打たないと駄目だろ、たぶん……」
「織田の言うことはわかるけどさ、それこそヘリの音が近づいてきたら何かを振ってアピールとか、それぐらいしか無いんじゃないか?」
俺の意見に、国分はわかりやすい行動を挙げてくる。
「下手に動いて二次災害、ってのはよくあるし、そうなるのはバカバカしいけど……」
滝山は待つ、という選択肢に傾いているようだが、歯切れが悪い。
「ここが安全かどうか、ってところがまず、不安だよな」
俺の言葉に二人は黙って頷いた。
「歩いてきた感じだと、ここはダムよりは高いと思う。……けど、山が崩れるとか、そういう危険性もある」
「ちゃんと見ていないけど、裏側が崖とかだと、そのリスクは高い……よな」
俺の意見に滝山は頷きながら補足を入れてくる。
「じゃあ……どうするんだよ? 山の中だから天候だって急に変わるかもしれないし、六郎が言ったみたいに二次災害って可能性だってあるぜ?」
「そこなんだよな……」
滝山は国分の主張に頭をかく。俺も、国分の言いたいことはわかるし、その可能性は低くないと思っている。
「とりあえず、現状を把握するか。そうじゃないと、正確な判断てやつも出来ないだろうし」
「……だな」
滝山の意見に国分が同意。俺もそれに黙って頷いた。
各部屋は、持ち主には悪いが避難者で勝手に割り振って身体を休めたり手当したりといった状況だ。幸い、ここには保存食といくつかの救急セットと言うべきものが存在していた。
俺達も大学生と思しきカップルと同室を割り当てられ、配分した保存食――乾パンや缶詰をちまちまと食べ、一旦身体を休める。
「僕らはM大の二年なんだ。君らは?」
「俺らはK大の二年だ。同い年だな」
男と滝山が交流を深める中、俺と国分は部屋の中を確認し、カップルの女は部屋の隅で小さく震えていた。
「……なあ、ここ……何か変じゃね?」
俺は、『違和感』に思わずそう口にした。
「何が変なんだ?」
俺の言葉に国分は訳がわからない、といった顔をして聞き返す。
「――ここさ……色々と、整いすぎてないか? カギが開けっ放しっていう雑さの割に、中は綺麗だし……保存食だって、多いとは言わないけど少なくもないだろ?」
「……そうか? たまたま掃除か何かで最近入って、カギを締め忘れただけじゃね? 保存食が多いのは、心配性な金持ちなんじゃねえの? 何かあった時の避難先に考えてたとかさ」
「……そう、か?」
「じゃなきゃ、何だって言うんだよ?」
そう返されると、俺は何とも言えなくなる。――ただ、違和感は消えなかった。
「GPSだと、ダムからそんなに離れていないっぽいな」
滝山が、どこからか見つけてきた読みにくい地図とスマホを見ながらそう言う。
「位置的にはダムが決壊してもすぐに何かあるってことは無いと思うが……GPSが狂ってたら、わからないな」
「それは、安心できねえってことじゃねえか……」
国分がため息混じりに肩を落とす。
「あれだけの地震だ、ここまですぐに救助が来るかはかなり怪しい。市街地に出ようにも、おそらく崩落やら何やらで道は使いものにならないだろう」
「打つ手なし、ってことか?」
「雨風をしのげて、食料があるって時点で野外での遭難としては上出来だけどな」
滝山と国分の会話が聞こえたのか、女が声を漏らしながら泣き出す。それを男が宥めているのを見ながら俺は二人に視線を投げかけると、二人はバツが悪そうな顔をしていた。
「――とにかく、現状は最悪ではないが、楽観視出来るもんでもない。慎重になるべきだな」
声を潜めて滝山が言う。
「とりあえず、ここがどんな所に建っているか、確認してみるか……」
俺はそう言うと腰を上げ、「ちょっと見てくるわ」と部屋を出る。
他の『避難者』もパニックに陥りかけていたり、それを宥めていたりとなかなかに厳しい状況だったが、俺はそれをスルーして建物内を歩く。
玄関から反対方向に向かう。壁にはめられたガラスの向こう側には外の景色が見える。その横にあった扉を開くと、俺は建物の裏手に出ることが出来た。
「……崖、か」
断崖絶壁といった感じではないが、そこは崖と言っても良い地形だった。下には川が流れているが、その流れは少々激しいものに見えた。
「……決壊したにしては、弱いか?」
この川がどのような流域を辿っているのかわからないが、豪雨の後というわけでもないのに激しい気はした。ただ、それがダムの決壊によるものかといえば……少々弱すぎるようにも思う。
しかしながら、これがこの後悪化したとすれば、崖を削ってここが崩壊するのもあり得るのではないか、という予想は立てられた。
深刻な行き止まりだ。道を戻ればダムの決壊による水に飲み込まれる危険があるし、あの『爬虫類』に襲われる危険もある。しかし、ここは崖の上の『山荘』で、此処から先の道など――
――道が、あった。
細い、少しの柵が置かれただけの山道。それが、崖に沿って何処かへと続いていた。
この状況でその道を進むのは危険だと思う一方、俺はこの状況を打開できる希望にすがりつきたいと思ってしまった。
「………」
俺は、滝山達に一言言ってから確認すべきかとも思ったが……希望を持たせてから絶望させてしまう可能性を考え、とりあえず先に確認しようと足を踏み入れた。
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寒い。気が付けば日差しは遮られ、気温が一気に低下していた。山ということを考え、春にしては少し暖かめな格好をしてきてはいたが、それでも寒い。まるで秋……いや、冬のような寒さだった。
土を踏む音が、いつの間にかシャリシャリと音を変えている。――霜柱? まさか、そんな。
シャリシャリと音を立てながら、俺はいつの間にか周囲を覆い始めていた霧の中を歩く。『遭難』という文字が頭を過るが、一本道を進んできたのだから戻れば大丈夫だと自分に言い聞かせ、歩き続けた。
――そして、俺は雪原へと出た。
「………何だよ、これ………」
この辺りは雪が降る地域ではあるが、こんなに雪が積もっているのはおかしかった。――雪は、ここ最近降っていない筈だ。雪道を走られるのが怖くて調べたから、確かな筈だ。
雪に触れてみると、それはとてもしばらく経ったものではなく、新雪のように柔らかかった。――つまり、この雪は積もってから時間が経っていないということだ。
俺は、幻でも見ているのか? 雪原に足跡を残しながら、周囲を確認する。――雪が、降り始めた。
ヤバイ――そう思い始めた俺は、引き返すことにする。
振り返り、来た道を戻ろうとした俺の足を、『何か』が『掴み』、引きずり倒した。
「――っ!」
俺は咄嗟に手をついたが、柔らかな雪に埋もれてしまう。
「何が……」
俺は、自分の足を確認するが、何もない。
雪の中に何かが這いずり回っていて、俺の足を掴んだ……? 俺はその自分の想像に身体が震え、慌てて立ち上がると駆け出した。
逃げなきゃ。ここは、ヤバイ。――そう思いながら走り出したが、雪の中では上手く動けない。
――雪が、深くなっている……?
雪は吹雪になり、視界を遮り始めた。それでも足跡を辿って戻ろうとするが、この『異常な吹雪』が足跡を消してしまっていた。
「嘘だろ……?」
俺は焦る。こんな、何処かもわからない場所で凍死するとか、冗談じゃない!
まっすぐ進んだ筈なんだから、このまま進めば辿り着ける筈だ……そう自分に言い聞かせ、重い足を引きずるように進む。
「がっ……!」
――『何か』に、殴られた。
よろめきながら、俺は必死に踏ん張る。そんな俺を逃すまいとでもいうのか、『何か』は執拗に俺を殴り……おそらく蹴っている。
「や、やめろ……!」
そんな言葉で止まることもなく、俺は『見えない暴力』に足を止められる。――そう、俺は、俺を攻撃する『何か』を、視界に捉えることが出来なかった。
このままでは凍死どころか、撲殺されてしまう……そんな危機感から、俺はちょうど顔面を殴りつけてきた『腕』と思われるものを必死に掴もうとし――『見えない何か』を掴んだ。
「くそぉっ!!」
俺は見様見真似といった感じの背負投げで『何か』を投げる。離せばまた襲われるかもしれないという恐怖から、手は離せない。――ただ、ブチリと、何かが千切れる感触が伝わり、軽くなった。
見えないが、手の中には確かに『何か』を掴んでいる。その気持ち悪さを感じている俺に、『何か』は再び襲いかかる。
俺は千切れたであろう『何か』の一部を振り回しながら、必死になって駆け出す。何度か当たった手応えを感じつつ、俺は山道を戻ろうと駆け続けた。
――だが、道は見つからず、いつまでも雪が続いていた。
絶望感が俺の心を支配し始めた時、俺はついに『何か』に腕を掴まれ、再び引きずり倒された。
「――っ!!」
雪の中で藻掻く俺。何本もの『手』が、俺を雪の中へと押し付ける。
「くそ……っ! やめろ、やめろぉっ!!」
叫ぶが、終わらない。
疲労と、寒さで段々と意識が薄れていく。
――俺は、こんなところで、訳も分からず死ぬのか……。
怒りと哀しみが込み上げてくる。――どうして、こんなことになったんだ?
「く……そ……」
重くなる瞼。
俺は、誰に、何処に伸ばしているかも分からぬまま手を伸ばし、生きたいと願った。
――その先で、全身真っ白な、白い髪の男が笑っていた気がした。
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一限前の教室。まだまだ学内は静かで、教室内には人も殆どいない。
俺は窓側、真ん中よりは後ろ寄りの席に座り、時間を待つ。
――ああ、哲学のテキスト、忘れてきたや。
滝山と国分も来るだろうし、どちらかに見せてもらおう。
窓から入ってくる光が、やけに眩しい。
教室に入ってきた学生の一人が、「え……?!」と何やら驚いている。何かあったんだろうか?
ああ……なんだか眠いな。それに、寒い。斜め前の席の学生二人、なんで半袖で平気なんだろう?
そんな風にぼんやりと時間を待っていると、教室の前の扉から滝山と国分が入ってくる。
――滝山、国分。
そう、呼びかけようとしたが、俺は躊躇した。――何か、おかしい。
二人なのだが……そう、なんというか、違和感がある。知っている二人なのに、まるで知らないような……。
二人は、入口でこちらをみて何やら驚いた後、険しい顔をして駆け足で近づいてきて――俺を、椅子から引きずり倒した。
――っ!
何をするんだよ! そう抗議しようとした俺を、二人は床に仰向けのまま押さえつける。
「お前……誰だ?」
――何を、言っているんだ?
滝山の言葉に、俺は怒りすら忘れて唖然とした。
「あの『災害』から二ヶ月……どうして、お前が何でも無い顔で大学にいるんだよ!」
――二ヶ月?
「『バケモノ』に襲われ、それでも何とか生き延びて、五日後にようやく救助された時……お前は行方不明のままだった!」
――はぁ?
「警察とかの捜索で、何人もの遺体が見つかったけど、お前はまだ見つかってなかった。でも……もう、死んだんだろうって。きっと、あの『バケモノ』に襲われたんだろう、って」
――何を言ってるんだよ、滝山……。
「お前から、『バケモノ』と同じものを感じるんだ……織田に化けて、俺達を殺すつもりなんだろ?! そうはさせねえからな!!」
そう言うと、滝山はバッグからペンと背表紙の厚い本を取り出し、国分が抑えた俺の頭――その額に、ペン先を定めた。
「お前が俺達を殺すって言うんなら、俺が先にお前を殺してやる!!」
教室内に、悲鳴が飛び交っている。
「死ね、『バケモノ』めっ……!!」
本が、俺の額に定められたペンに打ち付けられ――ペン先が、俺へと食い込んでいき――
――世界は、閉ざされた。
どこからか、声が聞こえる。
「残念だったね。せっかく君達を元の世界に戻してあげたのに。自分で台無しにしちゃうんだもの。でもまあ、次は気をつけるよ。……ごめんね?」
白い顔が、笑ったような気がした。
――俺はいったい、ナニモノだったのだろうか……?
☆登場人物
織田力
K大学法学部2年。眼鏡。
元スポーツ選手だが、故障をきっかけに競技生活から離れた。
霊感はないと思っているが、『妙な気配』を感じることがある。
滝山六郎
K大学法学部2年。少し茶色く染めた髪以外、『普通』な青年。
車好きで、お気に入りの某メーカーのAWD車で出かけるのが趣味。
国分茂
K大学法学部2年。二枚目っぽい容姿だが、お調子者過ぎて三枚目。
滝山と中学からの付き合いで、大学で同じ語学クラスだったことで織田とも親しくなる。
☆実際に見た夢を元に、起床後にとったメモ
・山に景色を見に車で
・山頂付近で大地震(?)に見舞われる
・溢れる池の水、荒れ狂う川の水
・ここは危険だからと、なるべく高いところを移動して脱出しよう
・逃げ惑う中、何故か洞窟に迷い込む
・見たことのない生物
・逃げ出すと、そこには山荘が
・避難した人々が集まる山荘
・ここに留まっても仕方ない、脱出しないと
・山荘の扉の一つを開けると、裏手に出る
・何故か吹雪いている山
・とりあえず先を確認しないと、と一人整備された(古びた)道を下る
・少し広い広場のような場所に出るも、先の道がわからない
・見えない何かに襲われる
・見えない何かの腕を掴み、それを振り回してその場を脱しようとする
・早く逃げないと
・薄れていく意識
・教室、穏やかな日常
・突然、AとBが自分を突き飛ばし、額にペンを突きつけ、分厚い背表紙の本を構えられる
・「お前からあのバケモノ達と同じものを感じる」
・主人公は今も山で行方不明、何もなかったかのようにここにいるのは主人公ではない
・バケモノは殺さないと
・額に突き刺さるペン
・何処からか聞こえてくる声
・「残念だったね。せっかく元の生活に戻してあげたのに」
☆補足?
・何かしらのバケモノのテリトリーに入ってしまった?
・主人公は友人達と山に行ったが、一人だけ行方不明になってしまった。
・行方不明者は他にも何名かいるらしい
・山では死体で見つかった行方不明者もいる
・主人公は殺され、バケモノが入れ替わった?(山から脱出した記憶がない)
・友人達はなぜ、主人公をバケモノと断言したのか?