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閑話 副作用と伴侶の愛2

 医務室に入ったとたんに消毒用の酒精に混じった血の臭いがした。思わず処置中のサリーダ老にかけより、父とカリギュランスに制止された。


「離れていろ」


 父とカリギュランスに肩を掴まれながら、私は血袋に溜まっていくハルの血から目が離せなかった。


「この娘は何か病を持っておるのか?」

「病?」


 血止め布をハルの肩に押し当てるサリーダ老の問いの意味がすぐには理解できなかった。


「血が止まりにくい病もある。そういうことはないのか?」

「分かりません……今までは特にそのようなことはありませんでした」


 言われて初めて、伴侶であるハルの健康状態すら知らないことに気づいた。その事実に足元の床が抜けるような思いがした。サリーダ老が首を振った。


「毒への耐性がないのか。バリジャイダはまだか」


 その言葉にカリギュラスが部屋を足の悪いバリジャイダ老を連れてくるために飛び出した。

 薬師であるバリジャイダ老が処置に加わり、助手たちが動くのを、私は部屋の隅で眺めていた。小さな血袋が、一つ、また一つと加わるさまに気が狂いそうだった。


「外に出ていよう」


 カリギュランスに肩を押され医務室を出ると、母と妹がいた。


 ※


「ソカとサルイオスだった」

 一通りの処置を終えたバリジャイダ老は言った。

 即効性の血毒であるソカと、傷口を膿ませるサルイオス。

 通常では併用されることのない毒。血毒であるソカへの対処は毒されていない血を入れることだ。


「……血が必要なら私の血を使ってください。私は彼女の伴侶なのです」

 気づけば口にしていた。

「ワリュランス」


 サリーダ老は首を振った。深く刻まれた目尻の皺の奥に、見えたのは同情か非難か憐れみか。


「グラングルを飲んだのだろう。血をとれば死ぬかもしれんぞ」

「はい」

 迷いはなかった。

「何が『はい』だ、ワリュランス! 馬鹿なことをいうな。ただでさえ毒に耐性のない相手に、グラングルを飲んだお前の血を入れるなど、お前だけじゃない! 心中でもする気か!」


 血なら皆から分けてもらえばよいだろう。カリギュランスに肩を掴まれ揺さぶられた。その目が心配そうに揺れていた。そう、彼のいうことが正しい選択だ。

 だけど――。


「ハルは私の伴侶だ。だけど、まだ『伴侶』じゃない。この場合、皆の血をハルに入れたら、私はハルの伴侶になれない」


 忘れていたのだろう、皆が驚いたような顔になった。ついで、カリギュランスは「お前」と呆然とつぶやき、父は「そんな理由で伴侶の命を危険にさらす気か――」と言った。


 確かに、そんな理由だ。

 それでも私にとっては命をかけるに値する理由だ。

 伴侶とは最初に血を交わした者のことだ。いくら伴侶であるということが分かっていても、血を交わさなければ真に伴侶であるとはいえない。儀式程度のこととはいえ、その差は大きい。そして、なにがしかの理由で血を交わさぬ伴侶同士は子ができることはない。

 それこそ、今ハルの中に皆の血を入れれば、私は一生ハルの伴侶となることはできない。永遠に同居人として、体を繋げることすらできぬ地獄に生きなければならない。

 伴侶を見つけた以上、そんなことに耐えられるはずもない。

 沈黙の支配する部屋で、バリジャイダ老が深く息をはいた。カリギュランスが何か言おうとするのを制止した。


「期限ぎりぎりで伴侶を見つければ、伴侶とするまでに時間がかかるのも道理。誰もがお前たちのように順調に伴侶を見つけられるわけではないのだ。やっと見つけた伴侶、逃したくないし失いたくないのだ。分かれとは言わんが、お前の考えを押しつけるな」

「ですが、危険すぎます。お二人の方が分かっているでしょう。そんなことを許せば、二人とも死ぬ可能性の方が高い。グラングルの混じった血など入れたら、ただでさえ毒に耐性のない人間の体がどうなるのか。サリーダ老もバリジャイダ老もお分かりになるでしょう」


 分かっている。その危険性も、愚かさも。バリジャイダ老は首を振った。


「ワリュランス」

「はい」

「皆の血を集めるにも半刻はかかる。四半刻なら待てる。決めろ」


 決めろと言いながら、その時間で心の整理をつけ、皆の血を入れることを受け入れろということだ。カリギュランスや父よりも厳しい言葉だ。諦めろというのですか、その言葉をはかなかったのは、どうしてだったのか分からない。皆が部屋を出ていき、部屋には私とハルと、私が何かをしないようにとカリギュランスが見張りとして残った。


 血の気の失せたハルの手をとった。出会ったころにはささくれ一つない手だったのに、腕も手も包帯の巻かれていない場所も擦過傷だらけだ。私が意識を失っている間に、何を思い、どんな苦労をしたのだろうか。


「ハル」


 祈るような思いで眠り続けるハルの横顔を見つめ、包帯の先からのぞく指先に口づけた。神など信じたことはない。それでも、今ハルを救ってくれるのならば、誰の足にだって額づくだろう。


「分かっているのです。皆に協力を仰ぐべきだと。ハルの命の方が大切なのです。分かっているのです」

誰にも理解されないだろう感情を絞り出せば、嗚咽になった。


「ワリュランス」


 カリギュランスが何か言いたげに身じろいだ。


「ですが、やっとやっと出会えた伴侶なのです。私の前にも」


 命をとるべきだと分かっている。伴侶に出会えないものもいる中、出会えた奇跡を大切にし、生を繋ぐことをこそ大切にするべきなのだ。分かっている。


「一度でも体を繋いでいれば、こんなふうには思わなかったのでしょうか」

 ハルの意思を尊重し、待った。その結果がこれだというのだろうか。

「伴侶を得ながら、一生得られぬ。それは生きているといえると思いますか」

「ワリュランス……」

「ハルのため。分かっているのです。それでも私は」


 顔にかかるハルの髪をよけ、眠る目尻に口づける。遠くで子どもたちのはしゃぐ声がした。


 自分がハルに血を提供する。その決意を述べれば、父は怒り、母は泣いた。それでも、伴侶のない世界を生きられはしない。そう告げればサイタリ族である。皆黙った。想像ができていたのだろう、サリーダ老は集めた人たちを返すために部屋を出ていき、バリジャイダ老は静かに準備を始めた。カリギュランスだけがむっつりと黙っていた。


 うつ伏せのハルの横に用意された寝台に横になった。血の気の失せたハルの顔は死人のようだった。


「死なせません、絶対に」


 だけど、これもまた血を交わすことになる。伴侶であると思っていない相手を伴侶にする。サイタリ族にとってそれは無理やり体を繋げるにも等しい行為だ。人間である彼女がどう思うのか。


「こんなふうに伴侶にしたかったわけではないのです。ハル。目が覚めたらきっと怒るでしょうね」


 擦り傷だらけのハルの頬に触れる。


「そうだな、怒られろ」


 バリジャイダ老は言った。


「反対はしないのですね」


 部屋にいるのはサリーダ老とバリジャイダ老だけ。サリーダ老がこちらに背を向けた。


「気持ちは分からんでもない。それに伴侶の生死を選ぶのもまた伴侶の権利だ」

「まだ伴侶と認められていなくてもですか」


 薬師としては失格だろう。それでもバリジャイダ老の言葉は、私の心を少しだけほぐした。


「眠れ」

「伝えてください、ハルに愛してい……」


 耳の奥で何かが聞こえた気がしたが、揺蕩うような感覚がして、意識が深く沈んでいく。

 ああ、ハル。ごめんなさい、愛しています。


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