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新婚旅行と林檎占い13

 涙が止まらない。

 何度もワラビを呼んだ。ワラビはうつぶせになったままぴくりともしない。


「死んだか」


 ヤツの首筋に手を当ててその死を確認した編み笠男が、今度はワラビを足蹴にしてひっくり返した。


「やめろ!」


 死者を冒とくするような真似をするな。私は腹の底から声を出した。だけど実際の私の声はか細く震え、男の足元に落ちた。ワラビの横にしゃがんだ男はとワラビの胸元に手を突っ込んだ。


「しぶといな」


 しぶとい、それは飲み比べでなかなか決着がつかないときに使う言葉だ。つまり、それは生きているということか。ワラビの胸元を探る男に、私は必死で首を伸ばす。よくよく見れば、意識があるのかはわからないが、ワラビの脇腹を押さえる左手には力が入っているようにも見えた。

 生きている。心臓がどくりと鳴った。だけど喜べたのは一瞬のことだった。現状、足手まとい一匹が、足手まといと死にかけ一人に変わっただけだ。脱出の見込みも救出の見込みもない。むしろ私一人に二人の命がかかっている。責任感の重さに吐きそうだ。


「ワラビ、生きる?」


 希望と絶望に頭がバグった私は、殺そうとしてきた相手にきいていた。編み笠男はこっちを見ると、ふっと笑った。それは生きているということでいいのか。再確認しようとしたとき、男の雰囲気が変わった。勢いよく飛び退った。


「ワラビ!」


 倒れていたはずのワラビが勢いよく起き上がると、剣を振っていた。編み笠男の目の部分をかすったのか、男の茶色い目がこちらを睨んでいた。


「ハル、大丈夫ですからね」


 ワラビは男を見たままいつもと同じ調子で言ったが、滲んでいく血に私の恐怖が跳ね上がる。どうにかしなければならない問題より、こぼれていく現実に目の前の光景が歪んだ。


「ワラビ、止まる!」


 血を止めるのだ。無理だと分かっていても馬鹿な私の口は勝手に動く。

 ワラビが笑うのと、男が手の中の何かを確かめ、「王の狗か」とつぶやきワラビの腹を蹴ったのは同時だった。

 なんとか剣を支えに起き上がっていたワラビはあっけなく転がった。

 男がワラビの腹部を踏みつける。


「やめ!ワラビ、血」

「大丈夫ですよ。ハル。すぐに助けますからね」

 ワラビは笑う。

「その状態で何ができる。今も血が出ているではないか」


 男はさらに足に体重をかけると、ワラビの胸元から取り出したらしい木札を掲げた。血で汚れた木札の下には複雑な編み目の飾りがぶら下がっている。なんだ?


「サイタリ族が王の狗になるとはな。お前も狗か?」

 男がこっちを見た。

「違う!彼女は違う!」


 木札を見せられ暗い目をしていたワラビが焦ったように叫んだ。

 私は転がった。海苔巻の中もがいた。汗も涙もだらだらだが、そんなことは関係ない。芋虫のままワラビのそばに転がった。なんとか上半身を起こしてワラビと男の間に立った。つもりだったが私のか弱い腹筋は耐えられず、すまきのままワラビに折り重なった。うっぷとワラビがむせた。助けにいって傷口の上にダイブとか何しに行ったのかわからない。臭いのはごめん、我慢してほしい。

 編み笠男の目も何やってんだこいつ、だ。弁解のしようもない。それでもその場に漂う空気が少し緩和された。私にだってできることはある。虫にも虫の活躍の場があるのだ。私は精いっぱい男を睨みつけた。


「なるほど」


 男は笑った。私は後悔にすぐさま目をそらした。弱点をみつけたいじめっ子の笑みだ。いや、いじめっ子なんてかわいらしいものじゃなくて、こいつは殺人者だ。


「ハル、離れてください、私は大丈夫ですから」

「だめ、ない」


 ワラビがもがいたけれど、動かなかった。本当は逃げたくても物理的にす巻き状態でこれ以上うんともすんとも行かなかっただけなのだが、それでいい。臆病者の私には、これぐらいの物理的ハンデがなければ速攻逃げ出したい状況なのだ。土下座のできない現状じゃなければ、速攻命乞いしている人間なのだ。だけど、そんな私だっていやなことはあるのだ。守りたいものだってあるのだ。弱いけれど、弱っちくて何もできなくて、手の中からこぼれるばかりだけれど、それでも――。

 私はもう一度男を睨んだ。

 今度は正解なんて、いらない。


「私、守る。私、ワラビ、ハンリョ」


 ご主人様として私はワラビを守るのだ。強いけれど泣き虫のワラビを守るのだ。アスタの二の舞になんてさせない。


「なるほど、伴侶だから人に使われることを忌むサイタリ族が王の狗になったのか。真に王の狗はこちらというわけか」

 男の剣が私を向いた。

「はあ、ここまでか。いい線言っていると思ったのですけれどね。それはこの任務のために雇った人間だ」


 何をどうやったのか、私の下から抜け出したワラビが知らない顔でこっちを見ていた。雇う、は雇用関係のことだ、知っている。でも違うがついたからご主人様じゃないということだろうか。


「ワ、ラビ?」

 急に知らない人の顔になったワラビが怖くなって名前を呼べば、知っている顔で笑った。

「悪かったですね。ハル。私はそういう人間なのですよ」

「悪かったは、ごめん、違う言った」


 悪かったは謝罪の言葉ではない。ワラビが言ったのだ。話の流れが分からないままそういえば、ワラビは平然と言った。


「でも私は悪いと思っていませんから」

「庇っても無駄だ。そいつから王都で伴侶として一緒に暮らしていたと聞いている」


 男はこっちを見ると、死んだヤツを見て、ワラビを見た。


「ともに暮らしたから伴侶だと? お前たちをあぶりだすためだとは思わなかったのか?アスタを殺した犯人が目撃者を殺そうとするのは目に見えていた。不自然でなく傍にいるのにこれ以上はない理由でしょう」

「なんだと?」

「見張っていたつもりで見張られていた、そういうことですよ。でなければどうして今日ここに来られたと?ああ、短気は起こさない方がいい。彼女が戻らなければ、攻め込む手はずになっている」

「伴侶だろうとただの目撃者だろうと関係ない。二人殺せば済む話だ」


 たった一人、この場に立っている男もまた平然と剣を構えた。


「やってみますか?ほかの狗が王の元に報せに走り兵が動く。それだけですよ。一人で動いているとでも思いましたか?それに、もし彼女がサイタリ族の伴侶なら一族揃って敵討ちに来ますよ。隠密行動中に盛大な敵討ちの的にはなりたくないでしょう」

 男はじっとワラビの目を見ていた。何を思ったのか、こっちへ来た。

「ここで見たことも俺のことも一生忘れろ、話すな。それができるのなら逃がしてやる」


 人間いつだって諦めが肝心である。限界というものは否応なく存在し、できないことは見ないふりをするというのが平穏に生きる秘訣である。自我を通すなど愚かな子供のすることで、戦うなど強者にだけ与えられた権利である。少なくとも私の人生においてはそうだった。だから今だって分かっている。賢い答えはこの男のいうことにはい、と答えることだ。


 それでも心の奥がうずくのだ。


「なに?」


 だから精いっぱい馬鹿のふりをする。誰かが助けになど来てくれなくても、自分で認めるのと、相手が諦めて許されるのは天と地ほどの違いがあるのだ。この相手が言葉が分からないから大丈夫だろう、と私を放免するのか、それとも殺してしまえと思うのかはわからない。それでも私は家畜のふりはできても家畜にはなりたくないのだ。自由と尊厳を愛する人間でいたいのだ。私の戦うということがいつだって自分の命を天秤にのせなければならないのが切ないところではあるが。

 男はとても嫌そうな顔をした。ワラビが私の名前を呼んだのかもしれない。

 男が腰に佩いた小さな剣を抜いた。鉄がこすれる臭いに混ざって血の匂いがした。剣は少し黒ずんでいた。男は刃こぼれした剣をみた。


「死にたいのか?」

「私、死にたい、ない」

 死にたくはない。当たり前だ。

「ならば誓え、俺のことを忘れると」


 多分、何人もの人を殺してきたのだ。きっとアスタを殺したヤツよりもたくさん。そんな気がした。

 ワラビが頷いた。だから、私は頷いた。

 拘束が解かれた。私はテントの外に放りだされた。


「ワラビ」

「ごめんなさいね、ハル。利用して」


 馬鹿の一つ覚えみたいにそんなことしか言えない私にワラビは優しく笑った。なぜだかキスされた瞬間の顔を思い出した。

 アスタを喪ったあの日きいた鳥の声が聞こえた気がした。

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