新婚旅行と林檎占い6
「ワラビ、もうよい?」
「待ってください。私の人生がかかっているのです。ハル、これとこれではどっちがいいですか?」
そんな悲愴な顔でこっちを見られても。豪勢な昼食をいただいたワラビと違いこっちはお腹ぺこぺこなのだ。正直、どっちでもいい。最初はにこにこしていたおばさんも、途中から何事かを言い出し、それでもワラビがあれでもないこれでもないと林檎を吟味していると、もう好きにしろと手を振って別のお客さんの相手をしている。というかすでに二十分近くここにいる。
「こっち」
「そうですね。私もそう思いました」
適当に紅玉のような深紅の林檎を指さしておいた。なぜかわからないがワラビが笑った。謎である。
※
いちゃいちゃ熱々カップルと入れ違いに通された青いテントの中は外の熱気が嘘のように静かだった。布一枚のはずなのに妙にすんやりとして、肌寒い。中には全身黒い衣で目だけを出した人がいた。
「おすわり」
低すぎも高すぎもしない、耳の奥に残る滑らかな声のその人の前に、ワラビと二人並んで座った。
「何を占う?」
「私たちの相性と未来を」
「かえる、みち」
「ハル!」
そんな死にそうに泣きそうな顔でこっちを見なくても、ワラビが先に知りたいことをきけばいい。元々林檎で知りたいことが知れるなんてよくわからない話だ。ワラビのやり方を見てからにしよう。
「先よい、どうぞ」
どうぞどうぞとジェスチャーをしたら、ワラビはさらに泣きそうになった。目の前の人からはこいつら大丈夫なのかという視線をびしばしと感じる。
「ワラビ、泣き虫、ふつうます」
ワラビを泣かせているのは私ではない、と主張したところ、早口でワラビと何やら話始めた。私はおいてけぼりである。別に空気になるのは平気である。空気よりも薄い存在感が自慢なのだ。しばらくぼうっとしていると、こほんと咳払いの音がした。二人からものすごく変な目で見られていた。
「ない」
失礼ではないか。主張してみたところ、黒づくめの人は疲れたように首を振ってワラビを見た。
「本当によいのか、これで。林檎占いは一生で一度しかできないのだが」
「もちろんです」
黒づくめの人がワラビから林檎を受け取った。そのまま林檎を手の中で回し始めた。黒づくめの人が大真面目なら、ワラビも真剣そのものだ。今にも膝まづきそうなそのものすごく荘厳で神聖な空気が醸し出されているが、手の中にあるのは林檎である。シュールだ。黒づくめの人が右に左に体を動かしながら、何やら唱えだした。林檎も一緒に右に左に動く。くるりくるり、腹筋がいたい。
黒づくめの人がおもむろに林檎のへたに両方の親指を突っ込んだ。そのまま力任せに林檎を割った。切ったのではない、割ったのだ。そのままいびつな二つの欠片を私たちに差し出してきた。
「なに?」
「ハル、好きなところをひと口かじってください」
ワラビが半分に割られた林檎をひと口かじると、私の口の前にもう一つの林檎を差し出してくる。
「いや」
人の指が入っていたのだ。衛生的にどうかと思う。そんなものをかじるのは現代人として少し、いやかなり抵抗がある。
「かじらねば、占えぬぞ」
「ハル、がじっですよ。ひと口です。大丈夫。毒は入っていません」
ワラビが口に林檎を押し当ててくる。
「な……い」
やめるのだ、と口を開いた瞬間、ワラビが私の口に林檎を突っ込んだ。「い」といった瞬間に口の中に林檎の味が広がった。何をするのだ、と言いたくても口の中に入ったものは残さず食べましょうという教育を受けた身だ。涙目で咀嚼する。
私たちがかじった林檎の断面を黒づくめの人が眺めた。手元のノートをめくると林檎の断面を天幕から垂れ下がった仄かな灯りにかざした。
「ふむ、お前たち相性は悪くない」
「そうですか!やっぱり」
ワラビがぱちりと手を叩いた。
「ああ、なにせ同じ日に死ぬ運命だ」
「そんな、素敵。同じ日なんて、やはり私たちは運命なのですね。年をとっても仲良くしてくださいね」
ワラビがはしゃぎだしたが、何を言われて喜んでいるのかわからない。
「なに?」
「私とハルは同じ日に死ねるそうです」
運命ですね、というが「運命」とは何だろうか。
「ワラビと私、死ぬ同じ?」
「はい」
ワラビがはじけんばかりの笑顔で頷いた。ドン引きである。だがワラビはのりのりだ。黒づくめの人に話しかけた。
「それで私たちはいつまで一緒に過ごせるのですか?」
黒づくめの人はもう一度林檎の断面を灯りにかざした。うーんと唸った。
「稔の月の二日だ」
稔の月、それは最近習った。来月のことだ。
「それは何年後ですか?」
「……今年だ」
「え?」
ワラビが固まった。
今年、は確か今のことだったはずだ。今年は今で、稔の月が来月。
うん? だとすると近くないか?
「今年!? 明後日ではないですか!どういうことですか、どうしてそんなことになるのですか!」
「知らぬ。私の占いは一度しかできぬし、いつ何が起きるか分かるわけではない」
黒づくめの人に詰め寄るワラビをよそに、私は数える。明後日は、一、二、三だから……。
「……三日あと?」
「そうだな」
そうだな、ではない。