留守番と探検と不穏な影4
「アスタ!」
「おはようございます。ハル。ご飯できていますよ」
跳ね起きれば、ワラビがいつもの朝のように微笑んでいた。あまりにいつも通りのワラビの笑顔に、一瞬、状況が整理できなかった。さっきまで森にいて、アスタが――。
ベッドの下に置かれたリュックを漁った。リドゥナが五枚。夢じゃない。
「私、行く!」
リュックを手に取り、靴を履いたところで、ワラビに肩を掴まれた。
「何する!」
「ハル、座ってください。行ってはだめです」
柔らかく抑えられているだけなのに、手が外れない。どれだけ体を捻っても外れない。
「仕方がないですね」
暴れていると、ワラビに駄々っ子を扱うように体を持ち上げられ、ベッドの上に戻された。
「私、行く!」
すぐに立ち上がろうとしたものの、ワラビの両足で足を挟まれた。バランスを崩し、ベッドに尻もちをつく。ワラビの頭にでもぶつけたのか、口と鼻が痛い。
「いたい、ワラビ、ダメ、あぶな……」
抗議の声をあげかけ固まった。深い緑の瞳が思ったより近距離にあった。ワラビが熱に浮かされたように、その白く長い指先をそっと自分の唇に置いた。
「ワラビ?」
「ハルとキス」
私の名前と何か知らない単語を呟くと、ぼっと真っ赤になった。
え?ナニ?その反応。ちょっと怖いんですけど。
とはいえ、チャンスだ。ワラビが思ったよりもしっかり男の力の持ち主だということは理解した。油断している今しかない。そっと、足を抜……けなかった。熱に潤んだ瞳がまっすぐにこちらを見つめてくる。逃げ出そうとしたことを咎めるように、両足に力がこめられた。浮かしかけたお尻がまたベッドへ逆戻りだ。
右手は私の肩、左手は私の太ももに置かれたまま、
「ちかい、ちかい、ワラビ」
あと少し近づけば顔がぶつかりそうな距離だ。人に近づくいきおいじゃないぞ。ハルの頭を必死で掴む。
「ワラビ、頭ぶつ、頭悪い?」
頭をぶつけてどこか悪くなったのだろうか。
「伴侶との初めてのキスだったのに!そんなふうに言うなんて!」
みるみるワラビの目に涙がたまっていく。
なんだそんなに頭痛かったのか?そのわりに押さえているのは口だけど。
「ハルは、ハルが悪いのです。あの男には好きなんていうくせに、伴侶の私にはそんなこと言ってくれないし。私のご飯は食べてくれないし、クッチャ亭にばかり行きたがるし。私がどれだけ我慢しているかなんて知らないくせに、ハルがハルが」
私の名前を呼びながら泣き始めてしまった。
「ワラビ、ゆっくりしゃべる」
ワラビは聞いちゃいない。さらに大声で泣き出した。襲ってきた男をやっつけられるくらい強いのに、なんでこうもビービー泣くのだろうか。そんなだからセドにかけられたりするのだろう。話ができないと、現状からの脱出もままならない。仕方なく、緑の髪を撫でてやる。
「ワラビ、泣き虫ー」
「泣き虫じゃありません!」
反論しながら、ワラビが抱きついてきた。ワラビが床に膝をついているため、私の胸にワラビの顔があたる。おい、何をしている、顔をうずめるな。とはいえ泣いているワラビは面倒くさい。小さい子供がいやいやをするように私の胸に顔を押し付けてくる。
もしかして本当に痛いのだろうか。幼いころ、頭をぶつけた友達に特大のたんこぶをつくらせたほどの石頭なので、少し心配になる。ワラビの頭がおかしくなったら、同居人として私が困る。ぶつけたのは頭のてっぺんくらいだろう。緑の髪をかきわける。赤くなっている様子もない。うん、大丈夫だ。
ぺいっと頭を離した。
「ハルがひどい」
ワラビは上目遣いで鼻をすすった。セクハラ案件だぞ、と言いたいが、そんな様子も麗しいのが女として悔しい限りである。
泣き止んだワラビの説明によると、あの兵士たちは王城の人間だということだった。王家の森はお肉様やワラビなどのほぼ肉食動物よりの巨大雑食動物たちの存在により、侵入する者はほぼいないが、それでも定期的に兵士が見回りをするらしい。今まで見たことがないというと、それは幸運だっただけですと呆れられた。
「王家の森は侵入者の生死は問われません。おそらくアスタは侵入した私たちを追い払ったことにしてくれているはず」
つまり、彼らは味方同士だから、下手に私たちが残る方が、問題がややこしくなるということらしい。今まで何度も来るなと言われていたのに、それを破って会いに行っていたのは私だ。王家の森に不法侵入していたのは確かなのでそういわれると謝るしかない。
「でも……」
「今ハルが行けば、アスタが困ります」
涙で滲んでいるが強い意志のある瞳。譲るつもりがないのだ。
初めて見たワラビの厳しい表情と、アスタが困る、その言葉にいろんな感情を飲みこむ。
だけど、疑問はある。
「ワラビ、男、やっつけた。どうする?」
ワラビが気絶させた男はどうするのだろうか。あれは明らかにアスタを狙っていた。兵士たちとアスタが仲間ならば、襲ってきた男の存在はどうなるのか。意識が戻って証言されたらすぐにバレる。
「死んでいればなんとでもなります。それくらい彼にも説明できるでしょう。おそらくは私たち三人が侵入者でそのうちの一人を処罰し、私たち二人はとり逃がしたということで落ち着くでしょう。死人に口なしと言うでしょう?」
言っていることがほとんど理解できなかった。
「なに?」
ワラビは少し考えると、砂板を持ってきた。B4サイズくらいの平たい箱に細かい砂を入れたものだ。私に何かを説明で図解するときに、地面に書いていたのだが、いちいち外に行くのも面倒なので、作ったのだ。下が粘土質なので滑らかな書き心地に仕上がっている。
ワラビは砂板に絵を描いていく。
「アスタ、ワラビ、ハル、兵士、男」
アスタと兵士を丸で囲み、ワラビと私と男を丸で囲んだ。
「ちがう」
私はワラビから棒を受け取ると、私とワラビを丸で囲んだ。
ワラビはもう一度ワラビと私と男をまるで囲みなおした。
「そういうことにする、ということです」
そういうことにする。この国で何かを飲み込むときに使う言葉だ。
「アスタ、守る?」
「そうです。アスタと、ハルを守るためです。よいですか?」
「アスタ、ワラビ大丈夫?なかま、ほかいる?」
それだけが心配だった。対外的には問題がないとしても、アスタを狙ってきた男がいるということは事実だ。思い出して、小刻みに体が震えれば、ワラビは私の背中を優しくなでた。
「あの男は私などより腕が立ちそうですからね。よほどのことがない限り大丈夫ですよ。外国から来たハルは知らないでしょうが、この国ではああいう時は逃げるものなのです」
柔らかい声はいつものワラビのものだ。
「ほんと?」
「ええ、本当です。兵士たちも王家の森で罪を犯していなければ、追ってくることもないでしょう」
大丈夫だ。木の実をとって食べたけど、証拠はないし、水遊びや穴掘りもしたけど子守の範囲だし、雛鳥誘拐は未遂だし、お肉様の冠羽は……後で考えよう。たぶん大丈夫だ。物的証拠は残していない、はずだ。
そうだ。いつまでもこれまでの常識にとらわれていてはいけない。いやというほど思い知ったではないか。文化も言葉も違う国。郷に入っては郷に従えという。気持ちを切り替えた。
「ダイジョブ、私、そいうことする、とくい」
任せておけ。見ない振り、聞かない振りがお家芸の、口を噤める模範的小市民として生きてきたのだ。事実を捻じ曲げて覚えておくくらい朝飯前である。力強く頷いた。
「どうしてでしょう。ハルが自信満々だと妙に不安になるのですが。ハル、本当に分かっていますか?」
「ダイジョブ!」
「そうですね。いくらハルでも大丈夫ですよね。それより、せっかくリドゥナを取ってもらったのですから、骨董屋に行って来たらどうですか」
ワラビに言われ、なんのために今日、森に行っていたのかを思い出す。色々あって飛んでいた。そして大事なことに思い至った。
「ない」
「何がですか?」
「お金いくら?」
リドゥナを手に入れることで頭がいっぱいで、軍資金をどうするかを考えていなかった。資本主義社会に生きてきた人間として失格である。どれくらいが相場なのだろうかと尋ねれば、ワラビは不思議そうに首を傾げた。
「タダですよね?」
「タダ?」
つられて首を傾げれば、ワラビの頬が赤く染まり、緑の瞳に映った自分がどんどん大きくなってくる。
「ちかい!」
ワラビの頭をぐっと掴む。ワラビ、お前どうにもときどき、距離と勢いがおかしいぞ。
「ハルのケチ!伴侶なのですからキスくらい」
「いたい、ダメ。けち、ない」
一体ワラビは何を言っているのか。衝突事故はごめんこうむりたい。私は安全に生きたい小市民なのだ。




