矜持と、傲慢の戦
焼け落ちた家屋の残骸と、踏み荒らされた畑を挟み、対峙している。五十ほどの賊徒の勢と、その十倍の、公爵領主ロンジャの軍である。ソテツを伴ったファンオウは、ロンジャの軍とは反対側から賊徒の勢に向かう布陣だ。いわゆる、挟撃のかたちになっていた。
賊徒らは略奪の途中で、前触れなく現れた大群に囲まれたことになる。正面のロンジャの軍、そしてその半数近いファンオウの隊に囲まれれば、いかな剛勇も通ずることは無い。直後に待つのは、多勢による蹂躙のみ。それが、ロンジャへ送った今回の筋立てだった。
「うまく、ゆくかのお」
馬上のファンオウが、呼びかけるのはソテツにである。エリックは今、傍らにはいない。この戦で、最も危険な場所に、自ら赴いていた。ファンオウの呟きは、そのエリックの身を案じてのことだ。
「師と、ご友人の、立てた策です。万が一にも。しかし、戦は、水物でもあります」
短い言葉を繋いで、ソテツが答える。油断なく周囲を警戒しつつの言葉には、鬼の外見に似つかわしい重みがあった。
「手筈通りに、ゆかぬのが、戦、じゃったのお……いや、それは、世の中のこと、全てに、言えることじゃったのお」
彼方の廃村を見据え、ファンオウは呟く。ロンジャの軍が、翼を広げる鶴の如く横へ展開し、廃村へと近づいてゆく。その様は圧巻であり、五百という数の力強さをまざまざと見せつけてくる。
「前進」
ソテツの号令で、ファンオウの周囲の戦士らも動き出す。尻の下で歩き出す馬の動きに、ファンオウもその身をゆるりと任せた。
「出来得る限り、誰も、死なぬほうが、良いのお……」
廃村の中で、慌てた様子で右往左往する賊徒の勢を見やるファンオウの口から、そんな言葉が漏れる。
「戦です。しかし、師は、ファンオウ様の願いなれば、叶える。それだけの、力を持っているのです」
ぐるりと廃村を包囲するロンジャの軍の、後ろを固める形にファンオウの隊が展開する。槍を構えたロンジャの兵らが、雄叫びを上げて一斉に、賊徒の勢へと突っ込んでゆく。対する賊徒らは、まだ馬にも乗れてはいない。そう、見えていた。
「ソテツよ。わしは……わしに、出来るならば、誰も、死なずとも、良い世を、創りたい。皆が笑顔で、平和の中で、生きることの、喜びを分かち合える、そんな、世を」
「……それは、師には、難しいことです。けれど、ファンオウ様ならば、出来る。師は、そう信じております」
賊徒の勢が、幾人か突き倒される。土煙が上がり、廃村が視界から消えたのは、その直後のことだった。ロンジャの軍のほうから、銅鑼が打ち鳴らされる。兵士らが槍を水平に構え、次々と土煙の中へと飛び込んでゆく。遠目には、戦の趨勢は決まったように見えた。
「戦を、無くすために、戦をする。そんな馬鹿げたことで、どれほどの、血を流さねば、ならぬのじゃろうのお」
土煙の中に、賊徒の姿も消えていた。手綱を握る手に、知らず力がこもる。
「……御手を、痛めます」
ソテツに言われ、ファンオウは掌に爪が食い込むほどに握りしめていたことに気付いた。
「エリック……イグル……無事で、おってくれ」
喧騒と怒号に包まれた土煙に眼を据えたまま、ファンオウは低く掠れた声で呼びかける。応えるものは、誰もいなかった。
押せば崩れる、脆い手ごたえだった。領内をさんざんに暴れまわり、頭を悩ませていた賊徒の群れとは思えぬほどの、脆さである。追いつめてみれば、これほどに弱いものであったのか。ロンジャの胸の中に、暗い悦びが拡がってゆく。
「殺せ! 一人残らずだ! 全員で、仕留めにかかるぞ!」
兵らをさらに奮い立たせ、残虐な殺戮を加速させるべく、ロンジャは己の旗本も動かした。土煙に遮られ、獲物の姿が見えなくなる。それでも、手ごたえは十分にあった。
「小癪な幻術だ! 奴らめ、相当追いつめられておると見えるわ!」
馬へ鞭をくれて、ロンジャもまた前進する。その脳裏には、かつて王都からやってきた一人の若造の姿が浮かんでいた。己より若く、そして権力を持つ者。ロンジャの自尊心はそれを、認めはしなかった。補給を要請されたとき、何を手前勝手なことを、と思いもした。王都から出撃しているのであれば、王から授けられた物資だけで闘うのが、本来ではないか。己の才覚の無さを顧みることもせず、当然のような顔をして物資を求めてくるとは、公爵領主たる自分に対する敬意がまるで感じられない。ロンジャの中でそれは、絶対的な正義の理論となっていた。
だから、補給を絶った。何もおかしいところは無い、とロンジャは自負すらしていた。王都へ走らせる早馬も、理由をつけて領内で足止めをした。そして、砂漠の賊徒どもへ手を回し、虜囚の身にまで堕とさせた。情報が筒抜けであれば、いかな武人といえどどうすることも出来はしない。そして王都へは、裏切りの報せを送った。その一族が皆処刑されたと知ったときには、胸のすく思いであった。
「報告! 賊徒どもが、南東方面の包囲に集中して攻撃を仕掛けてきています!」
部下からの報告に、ロンジャはにんまりと嗤う。
「南東にあるのは、ドウカイの隊であったな。奴らめ、悪あがきが裏目に出たようだ」
包囲で最も力のある場所へ、賊徒らは攻撃を仕掛けたということになる。公爵領最強の武を持つ男ならば、賊徒に堕ちた元将軍の若造など一ひねりであろう。愉悦のままに、ロンジャは馬首をドウカイの隊のいる場所へと向ける。
「加勢に向かうぞ! この眼で、奴の最期を見届ける!」
逸る心のままに、ロンジャは駿馬を駆けさせる。大地の広さを、頬を撫でる風が届けてくる。後ろから、旗本たちが駆る駄馬の馬蹄が響いてくる。それは徐々に遠ざかってゆくが、気にも留める必要は無かった。前も後ろも、公爵領主たるロンジャの周囲には、味方しかいない。この地の、領主であるからだ。晴れ晴れとした思いを胸に、ロンジャは駆ける。その上体が、ぐらりと傾いだのは、その直後のことだった。
「んなっ……!」
胸の中心に、ずしりと衝撃が通り抜けていった。あっと思う間も無く、駆けていた駿馬が横倒しにどうと倒れる。加速のついたロンジャの身体は宙に放り出され、無様に地面へ衝突した。
何が、起こった。口にしようとした思考は、痺れたように霧散する。胸から、熱いものが零れ落ちてゆく。暗くなる視界の端で、何かが近づいてくるのが、見えた。
砂漠の、馬。足首の太い、よく駆ける駿馬である。剣を抜いて、何かを叫ぶように口を開いて、迫る男の姿。馬鹿正直で、貴族に対する敬意も知らぬ、闘うことだけが能の若造。何故、ここに。問いかける口は動かず、全身には気怠い痺れだけがある。
がつん、と衝撃が首のあたりに当り、そしてロンジャの意識は途絶えた。
「風の精霊よ!」
エリックの呼びかけで、廃村を覆っていた土煙が一気に晴れる。風の流れに乗せて、エリックは軽い威圧を乗せた魔力を飛ばす。それだけで、包囲網を敷いていた五百の兵士らは一斉に身動きを止めた。
「公爵領主ロンジャの首は、このイグルがもらった!」
大音声を上げ、包囲の外から駆けてくる一騎の武者に誰もが瞠目する。その男の高く掲げた剣の先には、確かに切り取られたロンジャの首があった。
「イグル……だと?」
包囲を指揮していた将の口から、呆然とした声が漏れる。微かな呟きが、兵たちに伝播し動揺が波のように拡がってゆく。
「この戦、お前たちの敗北だ! 受け入れ、武器を捨てれば命は助ける!」
血の滴る首を掲げ、イグルは言った。エリックの援護が効いているのか、兵士らが一斉に槍を地面へ落とす。
「皆、騙されるな! あれは……偽物だ!」
雄叫びを上げつつ、一人の将がイグルへ向かい槍を振り上げ馬を走らせてくる。
「お前には、主人であった者の顔も解らぬのか!」
剣先からロンジャの首を抜き、左手にそれを持ち直す。迫りくる将は一瞬、動揺の視線を首に向けたが、勢いは止まらない。
「黙れ! イグル殿は、砂漠に消えた我が国の誇りだ! その名を騙るのであれば、このドウカイ、容赦はせぬぞ!」
「首も俺も、本物と知ってなお囀るか。良い漢だ、ドウカイ!」
応じるようにイグルは馬を静かに走らせ、剣を一閃させる。二つの馬首が馳せ違い、そしてドウカイの身体が後ろへ吹き飛び落馬する。ドウカイの手にした槍は、ぐにゃりと折れ曲がっていた。繰り出される槍を躱し、剣の腹を叩きこみ衝撃を送ったのだ。
「お前は、生かしておく。兵の命が大事ならば、自害などは考えんことだ」
蹲ったドウカイへ告げ、イグルは再びロンジャの兵らに向き直る。彼らの眼にはすでに戦意は無く、イグルの配下によって一か所へと集められ始めている。最初の小競り合いで多少の怪我人は出たものの、死んだ者はほとんどいなかった。
「勝ち戦、か……」
イグルは呟き、ファンオウのいる方向へと眼を転じる。包囲網の背後、後詰に位置するその集団のさらに背後から、土煙が上がっている。砂漠の方角から、増援が、やって来た。そう見ることも出来る土煙だ。ファンオウの率いる隊は鮮やかな動きで、戦線を離脱してゆく。良い動きだった。あの土煙が本当に増援だったとして、自分の隊では追随することは出来ないだろう。ふっと、イグルの口元に笑みが漏れた。
「また、会おう。ファンオウ」
遠ざかる馬影に、イグルは声をかけた。声は届かないが、思いは、届く。目まぐるしく変わる状況の中で、絆を忘れずにいてくれた、友なれば。確信めいた気持ちが、イグルにはあった。
「せいぜい、あとは上手くやることだ、イグル」
大弓を肩にかけたエリックの姿が、いつの間にか傍にあった。
「お膳立て、しすぎだろ。あそこまでしなくっても、ロンジャが出て来た時点で俺は上手くやれたぜ」
ちらりと大弓に眼をやり、イグルは言った。
「殿の望みだ」
あっさりと言ってのける親友に、イグルは肩をすくめて見せる。土煙を張って視界を塞ぎ、同時に地面に穴を開けてこちらの兵を隠す。そして、疾駆するロンジャへ矢を放ち、イグルを馬ごと風に乗せてその場へ運ぶ。どれも常人離れした、奇跡ともいえる所業だ。
「心配せずとも、上手くやるさ。ここからは、俺だけで充分だ。また呑もう、三人で」
「……お前を心配したりなど、しない。だが、杯を交わすことは、悪くはない。次は、王都で、だ」
「気の早いことだな。まあ、お前のことなら大丈夫だろうが……急ぎすぎるなよ、エリック」
馬上で拳をぶつけ合い、それが別れの挨拶となる。互いに、振り向きはしない。遠ざかるエリックの馬の蹄の音を背に、イグルは気絶しているドウカイの腰帯を掴み、馬上へと引き上げる。
「次は王都、か……」
友の前で見せていた笑みが消え、イグルの表情が厳しくなる。
「まだまだ、ゆっくりしてる時間は無えな」
呟いて、イグルもその場を後にした。荒野に残るのは、戦場の熱に当てられてか生温くなった、吹き抜けてゆく風のみであった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。




