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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
中天の章
96/103

熾火の企み

 一巻の竹簡を紐解き、眼を落とす。王の書斎を真似て設えさせた書斎には、公爵領主ロンジャと文官のサンギがいるのみだった。使用人すら遠ざけての、密談である。

「州吏ファンオウは、何と?」

 問いかけに、ロンジャは竹簡をばさりと机に落とす。拾い上げたサンギが、手に取って文面を見た。

「賊徒の群れを、西の荒野で追いつめたそうだ。後詰の兵があれば、その首を討てる、そう申しておるな」

 文面の中で、それはロンジャにとってはつまらぬ前置きに過ぎない。重要なのは、後半だった。サンギがじっと読み続けるのを、ロンジャは待つ。

「そして、戦勝の暁には……国王陛下に施した鍼術の妙を、ロンジャ様にお見せする、とありますな」

「そうだ。わしの体格は、昔の国王陛下と良く似ており、同じ施術が可能である、とも書いておる。つまりは、そういうことだ」

 ひくひくと、息遣いに合わせて鼻の穴が動く。国王の侍医であった男が、同じ施術をするという。それは、ロンジャの権勢欲に新たな火種を投じていた。

「……援兵を、出されるおつもりですか」

「無論だ。わし自らが、精鋭を率いる。王の施術を受ける前に、領を悩ませていた賊徒をこの手で屠る。何とも痛快ではないか」

 ここまで言えば、サンギも察するだろう。機嫌良く笑うロンジャに、しかし険しい表情をサンギが見せる。

「ロンジャ様を、誘い出すことが目的なのではないでしょうか?」

「つまらん考えだな、サンギ。ファンオウは少々運が良いだけの、血筋の卑しいちっぽけな領主に過ぎん。よしんば何かの企みがあったとて、わしが精鋭をもって行くのだ。寡兵の賊徒や少数のファンオウに、何が出来るというのか」

「しかし……」

「お前は、物事を悪いように考え過ぎる。ファンオウは、腹芸の出来ぬ男よ。今はありもせぬ策の有無を論じる時ではなく、速やかに兵を集める時だ。三日、いや二日で出立の準備を整えよ。ついでに砂漠へ攻め入り、不届き者どもを皆殺しにするというのも、面白いかも知れんな」

 なおも何かを言いかけたサンギを手で制し、ロンジャは機嫌よく言い放つ。後半の言葉は、本気ではない。砂漠へ攻め入ったとて、得られるものは多くはない。それは、ロンジャにも解っていた。

「……かしこまりました。兵と物資の、手配をいたします。最低限の砦の警備を残し、二日で揃えられる兵数となりますと、五百少々かと」

「充分だ。美々しく飾り立てた、王者の威厳を持つ軍団を用意せよ」

 ロンジャの命に、サンギがはっと一礼をして下がる。書斎で一人になったロンジャは、机に置かれた竹簡を再び眺め始める。

「王の、鍼か……楽しみにしておこう、ファンオウ」

 煌々と贅を尽した灯りの中で、ロンジャは弛んだ頬を歪ませた。


 ロンジャの書斎を退出したサンギは、早馬や物資の集積など諸々の手配を済ませ自身の屋敷へと戻った。ロンジャの腹心であるサンギには、王城を模して造られた領主の館のほど近くに、屋敷を持つことを許されている。

 屋敷には、最低限の使用人だけを置いていた。ためにロンジャの館と違い、サンギの屋敷は薄暗く、しんと静まり返っている。夜半過ぎに戻ったので、数少ない屋敷の者たちは皆、寝静まっていた。

 妻帯はしておらず、帰宅を迎える者もいない。それは、サンギにとっては好都合なことだった。物音を立てることなく屋敷の奥へ向かい、自室へ入りそっと戸を閉じる。文机と、寝台のあるだけの簡素な部屋だ。同時に、サンギ独りだけの、そこは特別な空間でもある。

「自分を脅かすような、敵はいない。そう思っているのでしょうね」

 椅子に腰かけ、組んだ両手の甲に顎を乗せつつサンギは呟く。

「千年続けば、英雄の血も腐る。耐え難い腐臭を放ち、風に乗り大地をどこまでも、侵してゆく。やがて濁り、淀んだ穢れは最高の供物となる……筈でしたが」

 応えるもののいないはずの空間で、サンギの声音はゆらゆらと燻る蝋燭の火のように辺りへ溶けてゆく。虚ろな視線を宙空へ向け、サンギは脳裏に一人の男の姿を描いた。

「やはり、争乱を望まれますか。堆積する憎悪と嫌悪よりも、そちらの方が手早く、堅い。殺し、殺されを続ければ、ますます強く、烈しく燃え盛る。そうして、大陸全土を覆いつくす……燎原に放たれた火の如く、最早留まるところを知らぬ勢いに……あの男の抱える憎しみには、それを呼び込む力がある。ロンジャ様よりも、ずっと」

 王国の使命を背負い、そして全てを失った若き将軍の顔は、サンギもよく憶えていた。不遇というにはあまりにも苛烈な運命の御業に翻弄され、なおも生き続ける力強さを持つ男。だからこそ、サンギは彼を繋ぎ止めた。王都の生臭い闇の政治の中へと手引き、敵たることを認めさせた。

「全ては、この時のために、天が配したのやも、知れませんね」

 息を吐き、サンギは尊き神への思いを馳せる。使命を与えられ、粛々とそれを実行してきた己の身の小ささを、そして神の偉大さを感じれば、痩身が震える。

「……あの男が領都へ居を構えれば、きっとまた会えることでしょう」

 眼を閉じ、サンギはほとんど吐息だけで呟く。

「ジュリア……愛しい、我が同胞よ」

 薄闇の中、サンギは唇を笑みに吊り上げる。ほのかな闇の中に置かれた熾火のように、その眼には暗い光が灯っていた。



 野営の陣幕の中で、ファンオウはロンジャの早馬から返答を受け取っていた。一礼して戻ってゆく早馬を見送り、床几に腰を下ろして渡された竹簡を開く。

「ロンジャどのは、快く、援兵を、出してくれるとの、ことじゃのお、エリック」

 傍らに立つエリックへ、ファンオウは顔を上げて言う。

「殿御自ら筆を執っていただいたのです。承知しなければ、俺が領都へ乗り込んで、首を撥ねてくるところです」

「それは、どうかと思うが、のお」

 晴れ晴れとした美貌にあるかなきかの微笑を浮かべて言うエリックに、ファンオウは苦笑する。

「確かに、イグルの仇敵を俺が討つというのは、あまり良くないことでした。ですが、ロンジャが動くのであれば、どうやらイグルの立てた策が功を奏した、といったところでしょう。これで万事、上手く運びます、殿」

 窘めたことの意味を知ってか知らずしてか、エリックがうなずきつつ返した。

 三人だけの宴を終えて、イグルとエリックが策を練り始めた。その策の一環として、ファンオウは竹簡を認めてロンジャへ送ったのだ。ロンジャの喜びそうな文言をひとつふたつ、付け加えるようイグルに頼まれ頭を捻った甲斐もあり、援兵の約束を取り付けることが出来た。三日の後に、イグルの手によって廃村となった場所の近くで、ロンジャの率いる援兵と合流する、という流れである。

「既にイグルも、移動を開始したようです。我らも一日を置いて、合流場所へ陣を張ります」

 机に広げられた地図を指すエリックの指を、ファンオウはじっと見つめる。

「……やはり、ロンジャどのは、討たねば、ならぬかのお」

「生きているだけで、害となる男です。我々にとってのみでなく、王国の連中にとっても、です。我らが手を下さずともいずれ、殺されるだけの人間ですが……速やかに殺せば、それだけ流れる血も少なくなるのです」

「民らの、苦労を思えば、正しいこと、なのじゃろうのお。また、イグルの、無念の要因にも、なった男じゃ。わしは、領主として、そして、一人の男の、友として、ロンジャという男に、情けを、かけるつもりは、無い。しかし」

 地図の上から膝元へ、ファンオウは視線を落とす。たとえどんなものであろうと、命を奪うことは、したくはない。それは、医師として生きてきたファンオウ自身の、矜持であった。

「……それで、良いと思います」

「エリック?」

 エリックの言葉に、ファンオウは顔を上げる。友の仇敵を憎み切ることの出来ない情けない己を、責める視線を覚悟していた。だが、エリックの瞳には、どこまでも柔らかな光があった。

「殿は、変わられない。何があろうとも、殿は殿であらせられる。そんな殿だからこそ、俺も、民たちも、そしてイグルも、側に在りたいと思うのです。悩まれるご自身を、恥じることはありません」

「……そうか、のお」

「はい。殿はやがて王者となられますが、医師としてのお考えも、捨てる必要はありません。それも、殿の大事な一部なのですから。殿がロンジャを生かしたい、とお考えならば、俺がそこに異を挟むことはありません。イグルは少しばかり文句を言うかも知れませんが、俺が黙らせましょう」

 とん、と胸を叩いてエリックが言った。しばし考え、ファンオウはやがて首を横へ振る。

「いや……それには、及ばぬ。お主の言葉で、わしの心から、迷いは去った」

 エリックへ微笑みかけ、ファンオウは床几から腰を上げる。

「……よろしいのですか」

 顔色を窺うように見下ろすエリックの眼に、ファンオウはしっかりとうなずきを返す。

「うむ。ヒトの身体の肉も、腐れば切り落とすしか、無いのじゃ。ロンジャどのも、そして、ジュンサイどのも、いずれ、そうせねば、ならぬじゃろう。この国を、生きる者全てを、生かすためにも、除かねば、ならぬ。そう、思い切ることに、決めたのじゃ」

「殿……」

 浮かべた笑みは、硬いものになっていた。だが、それでもファンオウは、言葉を続ける。

「じゃから、ロンジャどののことに関しては、もう、迷わぬ。エリックよ、どうか、イグルに、存分に、仇敵を倒すことが出来るよう、力を、貸してやっては、くれぬかのお?」

 言わずとも、良いことである。エリックには、戦の全てを、任せてある。そしてエリックの采配には、イグルと合力してロンジャを排することは決定されている。だが、ファンオウは、己の責として、それを受け止める。心の裡で、固めた決意を口にしなければ、ならなかった。

「この身にあるすべてを用いて、誓います。エルフの、俺の、誇りにかけて、殿の命を遂行いたします」

 ぱしん、とエリックが左掌に右拳を当て、武人の礼を取る。きびきびとして、それでいて涼やかさを感じさせる舞いのような所作に、ファンオウは自然に笑みを返していた。

「殿の御覚悟は、確かに受け止めました。あとは、俺に全てを、お任せください」

 頼もしげに微笑を見せるエリックに、うむとファンオウはうなずくのであった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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