交わす杯、燻る思い
大変お待たせいたしました! 本日より更新復活です! 再び週一くらいのペースになりますが、ゆるゆるとお楽しみくださいませ^^
荒野に張られた陣幕に、三人の席が設えられる。ひとつの卓を囲む、三つの椅子。ファンオウ、エリック、イグルの三人が、無造作に腰を下ろした。
エリックが重ねた杯を三つ卓へ置き、瓶から酒を注ぐ。なみなみと注がれた酒杯を持ち上げるのは、三者とも同時だった。
ゆるりと、杯を傾ける。静かだが、濃厚な時間がそこには流れていた。ふんわりとファンオウは微笑み、イグルも口角を上げる。エリックの口元も、微かに動いていた。
再会の、杯だった。余分な、言葉は何もない。ただ、互いを思い合う、友情と名付けるのが一番近い感情そのものを、三者は黙したまま交わし合い、杯を重ねる。それだけで、充分だった。
「イグルや。お主に、報せておかねば、ならぬことが、あってのお」
幾度か沈黙の杯を干したあと、ファンオウは口を開いた。春の陽だまりのような穏やかな空気に、いつまでも浸っていたい。その思いはあったが、伝えなければならないことがあった。
「……俺の、家族のことか」
陽気なイグルの顔に、一分の陰が差していた。
「既に、知っていたか」
ぽつりと問うエリックに、イグルがうなずいて杯を空ける。そうして注いだ酒を、流し込むように一気に口へと運ぶ。
「国王の命により、一族郎党が縊り殺され遺骸を屋敷に晒された。何者かが命に背き、遺骸を埋葬するまで、そのままだったそうだな。ありもしない、裏切りの汚名で」
「わしが、陛下の側に、おったれば、のお……すまぬ、イグル」
頭を下げかけたファンオウの額を、イグルの手が押して制する。
「そりゃ、違う、ファンオウ。国王の側に、忠臣なんぞはもういない。そして、お前もまた、別の場所で闘っていたんだ。謝るのは、筋違いってもんだぜ」
言って笑って見せるイグルの眼には、真っすぐな光があった。
「……砂漠に消えた割には、事情をよく知っているようだな、イグル」
エリックの問いかけに、イグルが今度は皮肉な笑みを浮かべる。
「普通に考えりゃ、おかしいことだよな。砂漠で消息を絶ち、裏切り者となった俺が、王都の出来事を詳しく知っているなんざ。まあ、安心しろよエリック。ファンオウのとこの情報だけは、どうやったって手に入らなかったんだ」
「殿の威徳と、そして何より俺がいるからな。不埒な真似は、させん」
二人のやり取りに、ファンオウは首を小さく傾げる。
「どういうことか、のお?」
「真っ当な医師なら、知らなくていいことだが……お前も、領主になったんだよな。それも、王都で最も腹の黒いじじいが、気に掛ける程度の立派なやつに。なら、知っておくべきか。なあ、エリック?」
ファンオウの問いかけに、イグルが肩をすくめてエリックを見やる。
「……そうだな。お前が詳しく知れてしまっていることの重大さは、殿にもご理解いただくべきではある」
「ふむう?」
首の角度を深くするファンオウに、エリックがうなずいて見せる。
「カネだよ。王都で一番情報を持っているやつに、相応のカネを握らせる。そうすりゃ、自分で見聞きするより確実に、情報は入って来る。玉石混交ってやつだが、こっちにゃ分析する時間は、たっぷりあった。それをする自由も、砂漠の奴らは与えてくれた。今の世の中はな、ファンオウ。つまりは世界の端っこにいたって、カネがありゃ王都の閨の情報だって手に入っちまう。そんな情勢なんだよ」
「……賄賂を、使った、ということ、かのお?」
「然るべき場所へな。俺だって、後方からの物資が届かない、なんてことになりゃ、ちっとは学習するってもんだ。ロンジャの野郎が、それをかすめ取っていやがった。そんなことまで判っちまうくらいには、カネの使い方は上手くなったんだぜ」
「……ロンジャどのが、お主を、死地へ、追いやった、ということかのお」
胸の中に、黒く重たい感情が生まれつつあった。情動に衝き動かされるままに問うたファンオウに、イグルが首を横へ振る。
「俺が突っ込んで取っ捕まったのは、俺自身が政治ってもんを知らな過ぎたからだ。だから、そんな顔すんなファンオウ。お前は、のほほんと笑ってるほうが似合いだ」
「ふむう……」
「ロンジャにしてやられたのは、俺だ。だから、俺が奴に報いを受けさせる。王都のじじいも、それを望んでいるようだしな」
「じじい、というのは、もしや、陛下のことでは、あるまいのお?」
「違う違う。伏して情勢を窺ってる、喰えない元宰相のじじいだ。今の国王には、何の権力も無いが、あのじじいの息子は王都の将軍だ。公爵領で起きた争乱に眼を瞑らせることくらいは、簡単に出来るってことだ。王都からの援兵が無けりゃ、俺もこうして好き勝手に暴れられる。もしかするとあのじじいは、ロンジャの野郎を消すことすら、肯るかも知れねえ。あいつにとっちゃ、自分の意を酌まない王家の血を引く人間なんぞ、厄介者に過ぎねえんだろうからな」
「なればこそ、お前は奴にカネを送り表向きの恭順を見せているのだな。砂漠の風は、大した狸を作り上げたものだ」
ふん、と鼻を鳴らしてエリックが言う。
「それだけ、憎しみは深いってことだ。俺だけじゃあ無え、草木もまともに生えねえ砂漠の民たちも、重税に喘ぎ苦しむ天下万民も、そしてお前のように、虐げられ踏みにじられてきた亜人も、な」
「俺は踏みにじられてなどはいない。俺以外の部族全員が、誇りを忘れてしまっただけのことだ」
「本当に変わらねえな、お前も。澄ました面で、考えることは物騒なことばかりだ。安心したぜ、エリック」
にやりと不敵な笑みを浮かべるイグルに、エリックが憮然と応じる。エリックの言うように、イグルは確かに変わった。賄賂という手段を用い、己の有利に事を進める。狡知、というものを身に付けている。だが、その本質は、何も変わってはいない。真っすぐで情に厚い、王都で見送ったあの頃のままの姿で、ファンオウの前にいる。それを感じ取ることが出来、ファンオウはゆるりと微笑みを作る。
「何にせよ、天下万民の、ためになる男が、元気にしておる。大変に、結構なことじゃて、のお」
杯を空けてほろりと呟けば、エリックが新たな酒を注ぐ。
「殿の仰る通り、この男は我らの天下、殿の王道に必要な男です。殺しても死なぬ奴ではありますが、生きているのは大変結構です」
自らの杯を空け、エリックが大仰にうなずいて見せる。そうして空になったエリックの杯に、イグルが酒を注ぐ。
「まあ、色々あったが、天下万民の為にってのは、悪くない文句だな。暴れるだけが能の俺たちだが、ファンオウなら、上手いこと何とかしてくれるんだろうぜ」
ぐい、と杯を空けて、イグルが朗らかに言った。ファンオウは、イグルの杯へ酒を注ぐ。黒く、燻るような鬱屈した陰は、いつしかイグルの表情からは消えていた。
「暴れるだけが能なのは、お前だけだろう、イグル」
「どの口がそれを言ってんだ、エリック?」
つかみ合いを始めんばかりに鋭い視線を交わす二人に挟まれ、ファンオウはカラカラと笑う。
「ふん。だがまあ、今日のところは」
「ファンオウに免じて、だな」
「いいや、再会を、祝して、じゃのお」
ファンオウの掲げる杯に、エリックとイグルが杯の縁を合わせる。乾杯、の声が重なり、三人の男は思い思いに杯を傾けてゆくのであった。
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今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。




