のほほん州吏、砂漠の民と相対す
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北方公爵領の西域を、二百の兵団が移動していた。土煙を上げる馬体の上にあるのは、褐色の逞しい肌を晒した戦士たち。そして鬼のソテツとエルフのエリック、両者に挟まれるようにファンオウがいた。エリックの指揮のもと、二百頭余りの馬たちは一糸乱れぬ行軍を見せている。
公爵領の西域には、所々荒れた岩地が見てとれた。固い砂と薄い岩盤の地面には、草木もまばらにしか生えておらず、視界を遮るものは無い。
「はて、今日は、見つかるかのお、エリックや」
揺れる馬上で、ファンオウはのんびりとした調子で問いかける。
「そろそろ、捕捉できるのではないかと思われます、殿。砦を焼き、村落の物資を奪った痕跡からして、それほどの距離を移動するとは思えません。家畜や人間を、運んでいるのですから」
答えつつエリックが、三人の兵らに手振りで指示を出す。隊列を追い抜いた兵が、進行方向へ疾駆してゆく。斥候を出し、標的の移動の痕跡を辿る。調練とは違う緊張感を漂わせる兵の背を、ファンオウは未だ慣れぬ表情で見送った。
「イグルのことを、聞けると、良いのじゃが、のお」
遠い西の果ての砂漠に消えた友の名を、ファンオウは口にする。砂漠の民のやって来た地へ遠征へ行き、そして行方不明となった。王都へ凱旋することも、報告をすることも無く、率いていた国軍と一緒に煙のように消えたのだ。やがて脱走したのでは、と疑いを掛けられ、新たな宰相の裁可の元その一族郎党は晒し首となった。
「砂漠の民は、完全に王都に反旗を翻した、と見てよいでしょう。となれば、素直に事を運ぶには難しいかも知れません」
斥候の駆けていった方角へ美しく鋭い眼を向けて、エリックが言う。エリックにとっても、イグルはかけがえのない友であった。剣を交えれば、手傷さえ負わせてくるような使い手だ。そうそう簡単に、死ぬような男では無い。落ち着き払ったエリックの表情から、ファンオウはそんな思いを読み取っていた。
「まずは、話を、してみたいのじゃが、のお……言葉は、通じるのか、のお?」
こてん、と首を傾げるファンオウに、エリックがうなずいた。
「砂漠ならば、修行の旅で行ったことはあります。俺が通詞となれば、問題無いかと、殿」
「お主は、本当に、博識じゃのお。この世で、行ったことの無い場所なぞ、無いのでは、ないかのお」
感嘆の言葉と共に、ファンオウは隣を見上げて言う。美貌のエルフの長耳が、ぴくりと照れて揺らいだ。
「俺とて、未だ死の先と海の向こうへは、行ったことがありません、殿」
視線を変えず嘯くエリックに、ファンオウはカラカラと機嫌よく笑い声を上げる。荒れた地に照る穏やかな陽光のように、声は地平へ響いてゆく。
斥候に出した兵が、駆け戻ってきた。
「前方の丘の向こう、敵影あり!」
「数は」
「五十程度です! 荷は見当たらず、騎兵のみ!」
上がる報告に、エリックが小さく舌を打つ。
「痕跡を追うものを、待ち伏せていたか……殿、少々、荒いことになります。手綱をしっかりと握り、馬に身を任せていてください」
「うむ。わかった」
鞍の上でファンオウはうなずき、余分な力を抜いて馬の首へ密着する。馬の脚が緩やかな速度から、速いものに切り替わる。耳に届いてくる馬蹄の音が、隊列の変化を教える。ファンオウとソテツを中心に、ぐるりと円を描くような並びへと隊列は変化した。エリックが、列の先頭へ滑るように移動してゆく。
「逆落としをかける! 続け!」
エリックの指示が飛び、馬の身体が緩い斜面を登り始める。どどっ、どどっと腹に響く疾駆の衝撃に、ファンオウは全身を馬へと預けただうずくまる。
「かかれい!」
号令の後、ふっと、一瞬の浮遊感が訪れた。丘を登り切った馬の脚が、下りに差し掛かっていた。周囲の馬上で、兵たちが一斉に抜剣し刃の擦れる音が鳴る。ちらりと眼を上げたファンオウの視界に、背を見せ逃げる異装の兵へ追いすがり剣を振り下ろすエリックの姿が映る。血飛沫を上げ、一人の男が崩れるように落馬する。男が地面に叩きつけられる寸前、エリックがその身体を掬い上げた。
「……全体、並足!」
馬の加速が、徐々に緩くなってゆく。
「戦いは、終わったのか、のお?」
傍らのソテツへ、ファンオウはそっと問うた。
「敵の、反応、見事でした。まるで、師を、読んでいたように。だから、師は、一人を斬って、留まったのです。誘いに、乗らないために」
遠く豆粒のように小さくなりつつある異装の集団へ眼をやりつつ、ソテツが答えた。
「初めから、読まれて、おったということ、かのお? 砂漠の民に、エリック程の、戦上手が、おるということ、なのかのお?」
ソテツと同じ方角を、ファンオウは見つめて言った。間もなく駆け戻ってきたエリックが、ファンオウの前に異装の男をどさりと下ろす。
「殿、何とも、妙な感覚です。今日の追跡は、いったん打ち切ったほうが良いかも知れません」
「うむ。お主が、そう言うのであれば、そうしようかのお。この男は、手当をしてやって、良いのかのお?」
問いかけつつも、ファンオウは既に馬を降りて側に寄り男を診始めていた。剣を抜いたソテツが直後、男の首へ刃を当てていたがエリックがそれを押しのける。
「殿の御随意になさいませ。気を当てて斬りつけましたので、しばらくは目覚めません。ただ、深手は負わせていないので、手当の後は速やかに縄を打つことをお許しください」
「確かに、命の心配は、無さそうじゃのお。綺麗に、斬れておるのお」
頭に布を巻き、柔らかな素材の外套を身に付けている。この辺りでは、まず見ない姿形だった。恐らくは、これが砂漠の民の戦士の装束なのだろうか。傷口近くを布で緩く縛り止血をしつつ考えるファンオウの周囲に、陣幕が張られ始める。実に素早く静かな手際は、ファンオウが応急の処置を終えて顔を上げた時には幕舎の中にいた、という程のものだった。
「いつの間に、幕舎が、出来たのかのお?」
「殿のお望みすることは、迅速に叶えられて然るべきなのです」
エリックの答えかどうか定かでない言葉に、ファンオウは曖昧にうなずき負傷した砂漠の民の男へ向き直る。懐から取り出した鍼を、背中、腕、首筋の三か所へ素早く打ってゆく。患者を前にすれば、自然と動きは機敏なものになった。幕舎の中へ運び込まれた調薬鉢を取り、薬湯を練る。
「気脈が、乱れておるのお。目覚めたところで、あまり、動けぬやも、知れぬかのお」
「暴れられては、困りますから」
背中から浸透したエリックの気が、男の体内の気脈を激しく乱していた。衝撃で、頸から頭を揺さぶられ、男は気を失ったのだろう。診断を下すファンオウの横で、エリックが縄を準備し始める。
「お主が、ここにおっても、かのお?」
薬鉢から顔を上げ、ファンオウはエリックをじっと見つめる。ぴたり、とエリックの動きが止まる。
「……殿のお考えならば、良いでしょう」
縄を置いたエリックにファンオウはうなずいて、薬湯を椀に注いだ。鍼を抜けば、阿吽の呼吸でエリックが患者の身体を仰向けにして軽く起こす。その口元へ、薬湯の椀を傾けた。
「グッ……!」
患者の咽喉が動き、薬湯を微かに嚥下する。
「これは、薬湯じゃ。少し、苦いが、我慢して、飲んでくれぬかのお」
瞼をぴくりと動かし目覚めた気配の患者へ、ファンオウは声をかける。うう、と唸り声を、患者が上げて歯をきつく食いしばった。
「むう、毒では、無いのじゃが、のお」
首を傾げ、ファンオウはいったん椀を引いた。
「言葉が、通じていないのでしょう。殿、ここは、俺にお任せいただけますか?」
起こした患者の背を支え、エリックが言う。
「おお、そうじゃったか。それでは、お主に、任せて良いかのお。気脈を整え、身体の癒す力を高める薬湯じゃ。眩暈にも効く、と伝えてくれるかのお」
身体の自由が利かないらしく、細かく痙攣をする患者の前でファンオウはエリックへ薬湯の椀を手渡す。
「了解しました。全て、俺にお任せを」
精緻な美貌に微かな笑みを浮かべ、エリックが椀を受け取った。
『お前には、二つの選択肢がある。選べ』
椀を片手に、エリックは男の耳元で異郷の言葉を囁いた。
『こ、ここは……お、おれ、は』
呂律の回らぬ舌で男が喋るのは、エリックの予想通り砂漠の民の言葉だった。聞き慣れぬ発音に、傍らのファンオウが小さく眼を開く。
『質問を許してはいない。薬を飲み、こちらの問いに答えるか、それとも自害するか。二つに、一つだ』
『く、くすり……? ひどい、においのする、それを……飲め、と?』
椀に視線を向け、男が渋い顔を見せようとする。察知して、エリックは男の首に指を当て軽く気を流し込む。ぴく、と男の身体がごく小さく跳ねた。
『殿の作られた、お前ごときには勿体無い妙薬だ。殿の医師の腕を疑うことは、俺が許さん』
『トノ……? わ、わかった。大人しく、飲もう』
じっとりと額に汗を浮かべ、男がうなずく。背後から椀を口元に当ててやると、渇いた砂に零した水のように薬湯が消えてゆく。
「おお、飲んだ、飲んだのお」
男の向かいで、ファンオウが顔を綻ばせる。ぱっと輝くヒマワリのような笑顔に、エリックの頬も一瞬だけ緩む。
「殿の誠意が、通じたのです」
にこやかな声音でファンオウに告げ、エリックは再び男へ眼を向けた。
『飲んだということは、選んだ、ということだ。これからする質問に、お前は答えなければならない。それが、お前の部族を、裏切るものであったとしても、だ』
エリックは冷たく言った。だが、男の反応は薄い。正面のファンオウを見つめ、あぁ、と深く息を吐いている。
『聞いているのか、答えろ』
こつん、とファンオウの死角でエリックは男の後ろ頭を小突いた。
『こ、言葉は判らないが、このヒトが、おれを、癒してくれたのだな……そして、今からされる質問に答えることが、このヒトの、役に立つ、のだな』
薬湯を飲んだというのに、男の言葉にはどこか熱病のような色があった。
『そうだ。お前の、部族やこの地で奪った物の位置も、全て聞く。まずは、お前の名からだ』
声音を変えず、エリックは問うた。
『なんでも話す。砂漠の民は、決して恩と屈辱を忘れない。俺の名は、カシムだ』
きらきらとした瞳でファンオウを見つめながら、異郷の言葉で男が言った。
『良い心がけだ。お前は、少しは長生き出来るようだな』
男に告げて、エリックはファンオウへ穏やかにした眼を向ける。
「この男、カシムというのだそうです。殿の威徳に打たれ、何でも語ってくれそうです」
「おお、そうか、そうか。カシム、というのか。異国風の、変わった名じゃのお」
上機嫌に言ったファンオウが、カラカラと笑う。こうして、砂漠の民への尋問が始まった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。




