のほほん州吏、北方へ赴き公爵領主と会談す
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なだらかな平原が、眼の前に拡がっていた。どこまでも続くような緑の平原に、薄曇りの空から陽光が差している。振り返り見れば、果無の山脈が壁のようにそそり立っていた。
「ようやく、抜けたようじゃのお、果無の、山脈を」
馬上で伸びをして、ファンオウは長閑な声を上げる。
「はい。これより二日の行程を経て、ロンジャ公爵領都へ到着予定です、殿」
隣で同じく手綱を引くエリックが、事も無さげに応えた。
「ふむ。ロンジャどのの、領の街は、どんな所なのかのお、使者どの?」
言いつつ、ファンオウは背後へ顔を向ける。
「……本当に、三日で越えてしまうとは」
ファンオウの言葉に答えず使者が、呆然と呟く。
「使者どの? 具合でも、悪いのかのお?」
再度問われ、使者が慌てて首を横へ振る。
「こ、これは失礼を! あの要害を三日で、しかも隊を崩さず踏破された手腕に、恐れ入っておったところでございます、ファンオウ様! いやあ、実にお見事でしたな!」
後ろへ続く褐色の騎馬兵らの姿をちらちらと見やりつつ、使者が豪快に笑った。
「全ては、エリックの手柄じゃ、使者どの。エリックが居れば、道の無い所へ、道が出来る。そういう、感じがするのお」
「まさにまさに! エリック殿は、ファンオウ様の至宝ともいえる配下ですな! ああ、拙者のことは、ドウカイ、とお呼びくだされ、ファンオウ様」
すっかり感服しきった様子の使者が、己の名を告げる。
「うむ。では、ドウカイどの。改めて、ロンジャどのの、治める街の、様子を、お聞きしても、良いかのお?」
「勿論です。我らが主の領を守るために援兵へ来てくださったのですからな。そのくらいは、お安い御用というものです」
白い歯をファンオウへ見せて、ドウカイが言った。
「よろしく、お願いしますのお」
笑みを返し、馬首を並べてファンオウはドウカイの言葉へ耳を傾けた。
「王家の一族としてロンジャ様は、国王陛下より特別の信任を受けておいででしてな……」
ロンジャを讃えることから入ったドウカイの説明は、朗らかで大雑把なその性格に比例するものだった。広大な土地に、大小三十以上の村落がある。そして村落を守るために、十二の砦が領内のあちこちに散りばめられているという。
たったこれだけの情報を語るために、ドウカイが口にした言葉はその倍以上にものぼる。元々喋るのが好きな男であるのか、うむうむと機嫌よく相槌を打つファンオウの態度に絆されてのことなのか、それはファンオウには判らない。
「そして領の中心には、ロンジャ様の治める公爵領都、ジンアンがありまする。王都西部の守りの要として、石壁を積み上げ築かれた高い城壁と、領都に住まうことを許された民らの家々、そして何よりも、ロンジャ様のおわす堅牢にして豪奢なる城。王都にも、勝るとも劣らぬと言われておるのです」
馬上で片手を動かして、ドウカイの説明にはますます熱が篭ってくる。
「それは、それは。見るのが、楽しみに、なってきますのお」
まだ見ぬ景色に想いを馳せて、ファンオウはうなずく。穏やかな平原の続く領内には、戦の気配はどこにも感じられない。
黙々と馬を御するエリックの先導を得て、ファンオウ一行はゆるゆると、しかし迅速に移動していった。少し荒れてはいるものの、街道らしきものへ到達すればその速度はさらに早まってゆく。流れる景色の中に、ぽつりぽつりと民家が見え始めてきた。
「村が、見えてきましたのお」
家々の側には、田畑が拡がっていた。簡素な布衣を身に付けた農夫が幾人か、疾走する一行の姿に気づき手を止めている。ドウカイが、大きく彼らへ手を振った。
「ドウカイ様! ドウカイ様が、お戻りになられたぞ!」
農夫らが声を上げ、畑の端へと集まり列をなす。
「随分と、慕われておるのお、ドウカイどのは」
「なに、皆が待ち望んでいたのは拙者ではなく、ファンオウ様の連れて来られた精鋭たちです。少し、彼らと話をして参ります」
ファンオウに武人の礼をして見せて、ドウカイが馬首を返す。列から抜け出したドウカイを包むように、あっという間に農夫らが群がってゆく。
「人気者なのじゃのお」
馬を停めてドウカイらを見るファンオウの横で、エリックが首を横へ振る。
「いえ、殿。あの農夫らには、ただならぬ気配があります。喜びではない、不穏なものが隠れている。それを、鎮めに行ったのでしょう」
「不穏な、もの、じゃと?」
首を傾げ、ファンオウはエリックへ顔を向ける。
「はい。農夫らの表情には、追いつめられた者の険が見えています。そして、痩せ衰えた身体つき……苛政に、疲れ果てた者の特徴です。しかし、それならばあの気配は一体……」
「お主は、この遠目から、よう見えるのお、エリックや。言われてみれば、何やら、必死の様子じゃが、のお」
眼を鋭くして農夫らを見やるエリックに合わせ、ファンオウもそちらへ視線を向ける。ドウカイが拳を突き上げ、気勢を上げる。農夫らがそれに応じて、一斉に拳を天へと上げていた。
「……ロンジャという男も、やはりこの国の貴族ということか」
エリックの長い耳がぴくりと動き、美しい眉が微かに不快を形作る。
「どういうことじゃ、エリック?」
「殿。この地は、今の領主には、相応しい土地では無いということです。賊徒が領内を闊歩し、村は焼かれ、多くの農夫が連れ去られ、そして税が重みを増してゆく。殿のような徳の高きとは程遠い、悪政の限りが尽くされているのです。そして、民の怨嗟は歪まされ、賊徒らに向けられている。怨敵を討ち滅ぼす援軍を連れて来たということで、ドウカイは農夫らの歓喜に包まれているのです」
「そうか……この地でも、民は、虐げられて、おるのか」
エリックの言葉を聞いて農夫らを見れば、その熱気に悲哀が含まれているのをファンオウは何となく感じることが出来た。細い眼を糸のようにさらに細め、ドウカイを見つめる。
「殿、戦の運びは、全てこのエリックにお任せください。殿のお望みは、俺が叶えます」
力強く揺るがぬ声が、ファンオウの耳を震わせる。
「うむ。戦のことは、元より、お主に、全て任せるつもりじゃ、エリック」
厳しくなっていた表情を和らげて、ファンオウはエリックへと振り向いて言った。エリックが右拳を左掌へと打ち付けて、武人の礼を取る。そして主従は暫時、黙したまま風の流れを感じていた。
公爵領都ジンアンへは、翌日にたどり着いた。幾度も戦火に晒されたという石の城壁は、昔日の傷跡を幾つか残しつつも、門は美麗に塗り替えられている。門の先には幅のある道が敷かれており、それは中央の城郭へと続いている。街並みは、王都のものを小さくしたような、そんな都市だった。
ドウカイが先行し、報せを届けていた。ために、ファンオウら一行は誰に止められることもなく、真っすぐに城郭へとやって来ることができた。城壁の外へ兵を置いて、エリックとソテツを連れてファンオウは堅牢な城郭の中を進んでゆく。
ほどなくファンオウらが通されたのは、小さいが王宮の謁見の間を模したような部屋だった。部屋奥には長机が置かれていて、その両脇に武官と文官が一人ずつ立っている。武官の顔を見れば、ドウカイであった。
「州吏ファンオウ、お召しにより、参上、いたしました」
間延びした声で形式通りの言上を添えて、袖を合わせ拱手する。ドウカイと文官を従えた、机の奥の男が長い髭を揺らして小さくうなずいた。
「公爵領領主ロンジャである。遠路、ご苦労であった。そなたの顔には、覚えがあるな、ファンオウ」
「王宮にて、ロンジャどのの、ご尊顔を、拝見したことも、ありましたかのお」
にやりと笑うロンジャへ、ファンオウは柔和な笑みで答える。
「国王陛下の秘蔵の鍼医師であったそなたが、こうして軍を率いて我が領の危難を救いにやって来る。何とも、珍妙な心持だ。そなた、戦は上手なのか?」
「わしには、戦の才は、ありませぬのお。ですが、わしの臣下には、戦上手が、おりまするので」
言いながら、ファンオウは背後に控えるエリックとソテツへ首を振り向ける。
「鬼とエルフか。亜人に頼るのはあまり感心はせぬが、我はジュンサイのように狭量なことは言わぬ。しっかりと手綱を握り、西域にいる賊徒を蹴散らして参れ」
あからさまに蔑んだ視線を向けて、ロンジャが二人を見やり言った。
「わしの、力の及ぶ限り、ロンジャどのの、お役に立って、見せましょうのお」
ロンジャの視線に気づかぬふりをして、ファンオウは締めくくる。
「頼もしい限りだ。公爵領主として、期待している。糧秣などのことは、このサンギへ相談するがいい」
ロンジャがうなずき、文官の男を指して言う。サンギと呼ばれた男が、ファンオウへ向けて形だけの拱手を見せる。
「サンギです。兵は二百と報告を受けておりますが、間違いはありませんね?」
「うむ。兵が、二百に、馬も、おるのお」
「騎兵二百ですか。では、各砦へ通達を出しておきます。補給は、滞りなく受けられるでしょう」
「ありがたい、ことですのお。腹が、減っては、何事も、始められませぬから、のお」
てきぱきと応じるサンギへ、ファンオウは微笑んで言った。
「ファンオウ様、ご武運を」
表情を引き締めたドウカイが、武人の礼をファンオウへ向ける。うむ、とうなずき、ファンオウはロンジャへ向き直り袖を顔の前へ上げて頭を下げる。
「それでは、早速、出立したく、思います。ロンジャどの、吉報を」
「ああ、待つのだ、ファンオウ」
退出の言上を述べるファンオウを、ロンジャが手を挙げて制した。
「何か、ございますか、のお?」
動きを止めて、ファンオウは袖の間からロンジャを見返す。
「そなたの鍼は、国王陛下も大のつくほどお気に入りであると聞く。戦捷のあかつきには、是非とも我にも、打ってはくれまいか?」
気軽な言葉に、ファンオウは静かな眼をロンジャへと向ける。ほんのわずかの静寂を経て、ファンオウは丸い顎を小さく動かした。
「公爵閣下の、お気に召すかどうかは、解りませぬが、それでも、よろしいのであれば」
「問題は無い。国王陛下に献じた鍼の腕、楽しみにしておるぞ」
それで、会談は終わりだった。一礼して謁見の間を辞したファンオウは、ちょこちょこと早足で城郭の外へと向かってゆく。付き従うエリックとソテツが、やや大股で追従してくる。歩幅の、差であった。
「殿……」
エリックが風の精霊を使い、声を漏らさぬ薄い障壁を展開する。意を汲まれ、ファンオウは苦笑をもって歩速を緩めた。
「ロンジャどのは、病じゃ。身体ではなく、心の、のお」
静かな声音で、ファンオウはぽつりと言った。
「領主の、癒えぬ病のために、民らは、苦しんで、おるのじゃのお……」
ファンオウの苦い呟きは、エリックの耳にだけ届く。
「全ては、この俺に、お任せを……殿」
ぎらりと、エリックの眼に一瞬危険な光が過ぎる。振り向かずとも、ファンオウにはそれが手に取るように解った。
「……イグルのことも、あるからのお。まずは、砂漠の民に、会うて、みなければのお」
「……御意に」
短いやり取りの後、エリックが風の障壁を解いた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。




