北方よりの誘い
お待たせいたしました。新展開です。
砦が、また一つ焼かれた。周囲にある村落が襲われ、少なくない物資が奪われた。そして若い村人たちが幾人も攫われ、西の砂漠へと連れ去られた。次々に入って来る報告は、決して芳しいものでは無い。豪奢な領主の館の一室で、領主ロンジャは唇を噛みしめる。
「すぐに、兵を出す。二度と砂漠から出て来れぬよう、徹底的に叩き潰してくれよう!」
椅子から立ち上がり叫ぶロンジャの袖を、側にいた部下が引いた。
「お待ちを、ロンジャ様。今からでは到底、間に合いませぬ。そして、奴らを叩くための兵を集めれば、手薄になった場所を奴らは襲うでしょう。神出鬼没なのです、あの賊徒どもは」
冷静な言葉を浴びせられ、ロンジャの動きが止まった。
「では、どうすれば良いというのだ、サンギよ。奴らはこのわしの、王の一族に連なる王国公爵たるロンジャの地を侵したのだぞ!」
屈辱に、ロンジャの顔は真っ赤に染まっていた。対照的に、サンギと呼ばれた部下の男はどこまでも冷徹な表情を崩さない。
「公爵の地位を、利用されれば良いまでのことです。王都から兵を出させるか、あるいは他領の兵を徴収するか。いずれにせよ、不用意に兵を動かすよりかは、ましな方法かと思います」
サンギが皮肉を滲ませるような口調で、ロンジャへと返した。
「……異民族発見の報を受けて、なお兵を動かすな、と言うのか。王都へ援軍を求めようものならば、あの宰相の息子どもにいいようにされて領を削られることになるだろう。そして他領の助けなど……あては、あるのか?」
布衣の裾を乱暴に払い、サンギの手を振りほどいたロンジャが椅子へと身体を戻して言う。
「ここより南方の地、果無の山脈を隔てた辺境領主、ファンオウへ援軍を出させれば良いのです。かの領主は国王陛下への忠義に篤く、お人好しであると聞き及びます。王の一族であるロンジャ様が命じれば、断ることはありますまい」
薄い笑みを浮かべつつ、サンギが答えた。ロンジャは少しの間、髭の生えた顎へ手をやり思考する。
「ファンオウ……鍼医師であった田舎貴族の三男坊か。南方のブゼンを単独で打ち破る実力もあり、戦力としては申し分ないことであろうな。だが、我が領が、ブゼンの二の舞を演ずることには、ならぬだろうか」
「恐れながら、ブゼンの領とロンジャ様の領では、まず規模が違い過ぎます。ロンジャ様の領は此度のように、幾ら小さな村落を焼かれても揺るがぬほどに、大きいのです。少々の軍を引き入れたところで、相手にはなりますまい。そして、先程も申し上げたとおり、かの者は忠義に篤くお人好し。元鍼医師が、王国へ対する叛意など持ち合わせてはおりますまい」
打てば響く、といった調子でロンジャの言葉へサンギが答えてゆく。思考を続けていたロンジャはやがて、大きくうなずいた。
「よかろう。わし自らが、竹簡を送る。ファンオウの手勢を呼び寄せ、砂漠の賊徒どもを討ち取らせよう。手筈を、整えよ」
「仰せのままに」
決断を下したロンジャに、サンギが拱手する。ほどなく準備は整えられ、果無の山脈を南下すべく使者が旅立ってゆくのであった。
そうして、太陽神殿に北方公爵領領主ロンジャより、聖都の太陽神殿へと使者がやってきた。果無の山脈を強行し、短期間で踏破してきたという使者は疲弊してはいたが、いかにも頑健そうな男だった。
「公爵閣下よりの竹簡、確かに、拝見いたしました」
玉座と見紛うばかりの豪奢な椅子を後ろに、立ったままファンオウは開いていた竹簡を巻いて閉じる。
「して、返答は如何でござりましょうや」
太い眉の下にある鋭くぎょろりとした眼を向けて、使者がファンオウに問いかける。その佇まいにファンオウは、武人であるエリックやラドウと似たものを見出していた。
「公爵閣下が、窮地にあたり、わしなどを、頼ってくれるということ、まことに、光栄に、思う。早速、皆と相談して、そちらの領へ、兵を伴い、訪れましょうのお。これより、返答をしたためるので、出来上がるまで、使者殿は、少しでも、身体を休ませておいては、くれませぬかのお?」
のんびりとした口調で、ファンオウは使者へと答えた。余人であれば苛立ってしまいそうなほどの長閑な言葉遣いではあったが、ファンオウの言葉には不思議と人を和ませるようなものがある。
「お心遣い、かたじけなく存じます。して、如何ほどの規模の兵を、送って下さるのか」
不器用に微笑をして見せた使者が、重ねて問うた。ふむ、とうなずき、ファンオウは傍らのエリックを見やる。
「どうじゃろうかのお、エリックや」
「兵は二百。明日にでも出立し、果無の山脈ならば三日もあれば踏破できます、殿」
ファンオウの質問に、エリックがまるで始めから用意されていたような返答をする。
「なんと……三日ですと?」
驚きに眼を剥くのは、使者だった。頑健なこの男が山脈を越えるのに用いた時間は、一週間。それも、昼夜を問わぬ強行軍でのことなのだ。
「踏破して後は、平坦な道が続きます。公爵の館までならば、その日のうちに辿りつけましょう。しかし殿が行かれるとあらば、もう少し余裕を持たせたほうがよろしいでしょうな……使者よ、お前も俺の隊と共に行った方が良いだろう。殿の到着を報せるべきものが、殿より遅れて着いては面目も立つまい」
ファンオウへ向けて丁寧に語ったエリックが、一方で使者に冷たく言い放つ。果無の山脈へ使者が入った時点で、エリックには男の動きがその長い耳に入っていたのだ。往路に掛かった時間が判れば、復路も想像に難くない。
「……お手前の言うことが事実なれば、その通りでしょうな。しかし、三日であの峻厳な山を越えるなどと」
「信じられぬか? ならば、勝手に遅参しろ」
細い長身のエリックが、冷たい美貌で使者を見下す。
「そのへんで、よすのじゃ、エリック。使者殿も、今は、お疲れじゃろう。明日まで、ゆっくりと休まれて、わしらと、共に参りましょうのお。何、エリックは、決して、出来ぬことは、出来るとは、言わぬのです。どうか、信じていただけては、くれませぬかのお?」
エリックと使者の間へ入ったファンオウは、使者へ向けて軽く頭を下げる。
「殿……」
「ファンオウ殿……分り申した。明日の出立より、旅路を共にさせていただきましょう」
それで、話はまとまった。退出する使者を拱手して見送り、ヨナに竹簡を書くための文机を用意させてファンオウは椅子へと座る。隣から、するりと白く小さな手が伸びてファンオウの肩を揉んだ。椅子へ座したまま黙していた、妻の白雪である。
「お役目、ご苦労じゃの、夫殿」
「うむ、ありがとうのお、白雪や」
労わる手を、ファンオウは穏やかに受け入れる。何ともいえぬ雰囲気が流れようとしたところで、こほん、とエリックが咳ばらいをした。
「白雪様、殿には、明日の手筈を整えていただくため、もうひと働きしていただかねばなりません。夫婦の時間は、もう少し、後になさっては如何でしょうか」
きわめて事務的に言ったエリックに、白雪がふんと鼻を鳴らす。
「手筈も何も、もう整えておるのじゃろ。妾の夫殿が動かねばならぬことなど、残ってはおらぬ筈じゃ。夫殿がしたためる竹簡も、既に用意がなされているのではないのかの?」
ファンオウにくっついたまま言う白雪に、エリックは唇の端を僅かに苦く歪ませる。白雪の言う通り、使者の男が果無の山脈へ入った時点で準備は始められていた。万事、手抜かりなどは無い。
「………」
「沈黙は、何よりも雄弁じゃの。なれば、夫殿との夫婦の時間、遮る事由は何であろう? よもや、あの独特の文化とやらを信奉する大司教と密に交わるうちに、感化されておるのでは」
「万に一つもあり得ぬ、慮外者めが……失礼いたしました」
白雪の言葉に殺気を膨れ上がらせるエリックだったが、直後に思い留まる。今の白雪はファンオウにべったりとくっついており、彼女に殺気を向けるということはファンオウにも同じものを向けることになってしまう。
「何、ほんの戯言じゃ。身重の妾を置いて、戦場へ赴くという夫殿への意趣返しも、少々含めての」
取り繕った礼を見せるエリックから、白雪の矛先はファンオウへと変わる。悪戯っぽい童女の笑みを見せる白雪に、ファンオウは苦笑する。
「すまぬのお、白雪や。じゃが、此度の派兵、わしらが対するは、あの、砂漠の部族じゃと、聞いてのお。わしと、エリック、双方の、無二の親友が、彼らの乱を、鎮めるため、遠征をし、行方がわからなく、なっておるのじゃ。どうにも、気になってしもうて、のお」
「では、妾のことは、気にならぬと言うのかえ? そろそろ、やや子が腹を、蹴り始めるやも知れぬというに……」
言って白雪が、ファンオウの手を自らの腹に置く。厚重ねの布衣の上からでは、まだ何の気配も感じられない。
「ふむう……」
首を捻るファンオウに、白雪が笑う。
「冗談じゃ。いかな龍とはいえど、半年やそこらで子が産まれることは無い。妾と夫殿との子は、今のところあの大聖堂の娘一人じゃ。じゃが……時を掛けすぎれば、戻ってきた頃にはとうに産まれておった、などということもあるじゃろうの。精々、早く帰って来ることじゃ」
ぎゅっとファンオウに抱きついて、白雪が言った。
「うむ。早うに、帰るからのお、白雪や」
そっと白雪の背を撫でて、ファンオウは柔らかく微笑む。和やかな雰囲気は、文机を抱えたヨナが戻って来てもなお続いていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。




