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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
中天の章
85/103

のほほん州吏、龍神を呼び出し求婚す

お待たせいたしました! 一か月ぶりの投稿です! お待ちいただいた皆様には大変申し訳ありませんでした。PV、評価、ブクマ等ありがとうございます!

「白雪どのー!」

 ファンオウは、中空に向けて大きく呼びかける。直後、どこか長閑な調子の声に応じるように太陽神殿の中庭へ、凄まじい風が吹きつけた。咲き誇るヒマワリの大輪が揺れ、舞い狂う風に黄色い花びらが散らされてゆく。布衣の袖で顔を覆いつつも、ファンオウはその暴力的な幻想風景に暫時、見惚れてしまう。

「ようやく呼んだか、妾のことを」

 涼やかな、幼さを含む声とともに一人の童女が、黄色い花びらを纏い空からゆっくりと中庭へと降り立つ。白無垢の、丈の長い衣装の裾がふわりと浮き上がる。童女の足が地につくと、風は途端にぴたりと凪いだ。

「久しいのお、白雪どの。もう幾月、会うておらぬであったかのお?」

 にこやかに告げるファンオウに、白雪が小さく息を吐き肩をすくめて見せる。

「それ程時は、経てはおらぬわ。精々が、ひと月くらいのものじゃろうて。妾に恋い焦がれるあまりに、一日千秋の思いであった、そういうことかのう?」

 風に散った花びらを白い草履で踏みしめつつ、白雪がゆっくりとファンオウへ近づいてくる。

「お主が、いなくなったあの夜以来、色々と、あったのじゃ。王都でのお」

「そういうことだ、龍神白雪よ。殿は別に、お前のことなど微塵も考えてなどはいなかった……」

「お主は、しばらく外しておれ、エリック」

 何かを言い募りかけたエリックへ、ファンオウは短い言葉をかける。はっと返事を残し、エリックが中庭から姿を消した。

「彼奴も、相変わらずのようじゃの。そして、そなたもじゃがな。こういう時は、嘘でも、片時も忘れたことなど無い、と言ってみせるものじゃて」

 小さく頬を膨らませた童顔は、すでにファンオウのすぐ側までやって来ていた。不機嫌そうな口ぶりであったが、その金の双眸には、笑みの色があった。

「それは、すまぬのお」

 ぺこりと小さく頭を下げかけたファンオウの両頬を、温かな感触が包む。すっと唇に、柔らかなものが触れ、しかしそれはすぐに離れていった。

「謝らずとも、良い。そなたは、こうして妾を呼んだ。今はそれで、充分じゃ」

 間近で、熱い吐息と共に濡れた瞳が見上げてくる。それはファンオウの胸の中に、不思議な衝撃を齎していた。

「……髪に、花びらが、付いておるのお」

 白雪の美しい、黒く長い髪のあちこちに黄色いものが浮いている。月の光に照らされて、それはファンオウの眼に宝石のように輝いて見えた。

「そなたにしては、中々粋な贈り物じゃ。褒めてやろうぞ。この花には、何か不思議な力が、働いておるようじゃのう」

 うっとりと眼を細めつつ、満面の笑みで中庭を見返りつつ白雪が言う。種を蒔き終えたヒマワリが、再び芽を出し尋常ならぬ速度で育ってゆき、また大輪を咲かせる。

「わしの、領では、こうなのじゃ。大地は、邪神に呪われ、怨嗟の力が、ここへ集まる。それを、ヒマワリが、吸い上げて、浄化してゆくのじゃ。不思議じゃが、何とも綺麗な、風景でのお」

 白雪の肩を抱き、ファンオウはしばし中庭のヒマワリへを眺め続ける。

「呪われた地に、神殿を建てて住もうておるのか? そなた、変わり者じゃな」

「これでも、先祖代々の、領地じゃからのお。民らの為にも、必要なことじゃて、のお」

 仄かな青白い光の中で、ヒマワリは育ち、散り、枯れてはまた芽吹いてゆく。瞬く間に繰り返される生命の営みを、白雪も興味深げに見つめていた。

「面白いのう、そなたは。いや、そなただけでは無い。この、ヒマワリの花も、そなたの領地、そのものも……惚けたように見えて中々、その中身は退屈を感じさせぬ」

「龍神である、白雪どのを、楽しませることが、出来るというなれば、わしの領も、大したもの、じゃのお」

「うむ。そなたは、誇りに思うが良いぞ。妾を、こうして惹きつけていられる、己の天運をのう」

 腕にしなだれかかってくる白雪の華奢な身体は、童女の柔らかさと温かさを感じさせる。温もりに、ファンオウは身を任せてヒマワリを見つめ続ける。咲いては散る花が、そよ風に流れてゆく。

「……のお、白雪どの」

「何じゃ、ファンオウよ」

 同じものを見据えている白雪に、ファンオウはゆっくりと呼吸を整える。いつしか、しぜんと鼓動が高鳴っていた。

「わしと、夫婦になっては、くれぬか、のお」

 言葉と同時に、大輪が眼の前で開き、そして散る。

「……藪から棒な、話じゃのう」

 白雪の声には、動揺の色は無い。愉しむような、笑みと蜜を含んだ声音だった。

「確かに、唐突な、話じゃのお。じゃが、わしは、どうしても、誰かと夫婦にならねば、ならぬのじゃ。一人の女子(おなご)を、自由にしてやる、その為に……」

 ひたり、とファンオウの口に、白雪の細く小さな指が当てられた。

「そなたの些事を、聞く耳は持たぬ。それを聞いて妾が、否や、どのような女子であれ、喜ぶとでも思うておるのか?」

 厳しい調子で、幼子を諭す母のように白雪が言う。

「それは……すまぬと、思う。わしには、女子に対する機微は、ようわからぬでのお」

「らしいのう。まあ、そんなところも、そなたらしゅうて良いのじゃがな」

 白雪が、身を回してファンオウに密着したまま正対する。燃えるような、挑む光を孕んだ瞳を、ファンオウは見つめ返す。

「白雪どの、仔細を、聞いては、くれぬかのお?」

「聞く耳は持たぬ。そう言ったばかりであろう。妾が聞きたいのは、ひとつだけじゃ」

 ファンオウの眼の前で、白雪の雰囲気が、がらりと変わる。気脈を探り、鍼を打つ医師であればこそ、ファンオウはその変化にいち早く気付くことが出来た。童女から、龍神へ。矮小な存在なれば容易く呑みこんでしまう程の、大きな気の流れが、童女の身体全体に渦巻いている。常人であれば、それだけで気を失ってしまいかねない程の威圧感が放たれる。

「うむ。わしで、答えられる、ことならば、のお」

 龍神の威厳と気迫を前に、ファンオウは泰然自若として応える。余裕などでは無くそれは、白雪に対し誠実でありたいと願う、ただそれだけの心の動きがもたらしたものだった。

「何故、妾なのじゃ? そなたであらば、言い寄ってくる女子は、他にも居ろうに」

 白雪の問いかけを、ファンオウは己の胸の中で繰り返す。短い間を置いて、ファンオウは口を開いた。

「お主しか、考えられなかったから、じゃのお。夫婦とならねば、ならぬ。なれば、と浮かぶのは、白雪どの、お主しか、おらぬ。わしは……むぅ」

 動いていたファンオウの口を、白雪が強引にその桜色の可憐な唇で塞ぐ。ファンオウの頭に添えられた小さな手は強引で、傲慢な龍神の力が込められている。あらゆる抵抗を寄せつけない長い接吻を、ファンオウはただ受け容れる。

「……それだけ聞ければ、充分じゃ。妾を妻とすること、許してやろうぞ」

 小鳥が餌を啄むように、白雪はファンオウに何度も接吻を繰り返す。苛烈ともいえる愛情表現の嵐に揉まれ、ファンオウは眼を白黒させた。

「よ、良いのか、白雪どの……ん」

「……勿論じゃ。そなたが求めるのであらば、妾はこの身全てでもって、そなたを支えてやろうぞ。まあ、孕んでおるがゆえ、あちらのことは子を産んで後になるが……どうしてもと言うならば、花実を為さぬ営みとて苦しゅうない趣じゃて、のう?」

「く、苦しゅう、ない、のお……よくは、判らぬが、んっ、しっ、白雪どの、お、お主、孕んで、おるとは」

「無論、そなたとのあの夜の折のことでじゃ。念のため龍界へ戻って調べたのじゃ、間違いは無い。妾の腹には、お主とのやや子がおるのじゃ。くふふ」

「や、やや子、のお!?」

 白雪からの唐突な言葉を受けて、この時ばかりはファンオウとても眼を剥いて驚いた。

(おのこ)は皆、やや子を授かれば驚くものじゃのう。することはしておるのじゃ。出来るのが、自然の摂理というものじゃというに。それより、ファンオウよ。そなたも妾の夫となるのじゃ。白雪『どの』はもうやめよ。あの夜のように、白雪、と切なげな声で……」

「ふ、むぅう!?」

 荒れ狂う龍神の力に、常人であるファンオウには抗う術は無かった。

 暫しの時が過ぎれば、ぐったりと仰向けになってファンオウは倒れていた。荒い呼吸を整える傍らには、つやつやとした白雪が満足げに微笑んでいる。

「そなたは、罪な男じゃのう、ファンオウや。妾を、こんなにも虜にする」

 つつ、とはだけた布衣の間へ白雪が指を這わせる。

「そう、かのお……」

 精根尽き果てた様子で、ファンオウは星を見上げて呟くように言った。胸にのしかかってくる白雪の華奢な重みを感じつつ、そっと頭を撫でる。

「人に在り得ぬ神気を纏うておったと思えば、初心で奥手な乙女のようでもある。夫婦となったからにはもう、何人にもそなたは触れさせぬ。そなたは、そなたの愛する領ごと、妾が護ってやろうぞ。この、龍神の力をもってして、のう」

 白雪の艶やかな髪を梳いていたファンオウの手が、ぴたりと止まった。

「それは、ならぬ、白雪や」

 ファンオウの口から、力強い声が出た。

「何が、ならぬのじゃ」

 ファンオウの上で、白雪が身を起こして問う。瞳には、再び挑戦的な光が宿り始めていた。

「わしが、お主と夫婦になりたいと言うたのは、お主の、龍神の力を、望んでのことでは、無い。どこが良いとか、巧くは言えぬ。じゃが、力を求めてのことでは、無いのじゃ」

 ファンオウの言葉に、白雪がにっこりと笑って見せる。

「それは、妾も承知しておる。妾は、妾の持つものを使う。ただ、それだけのことじゃ」

 安心せよ、と言うような笑顔に、ファンオウはしかし首を横へ振る。

「わしは、領主じゃ。わしの行いは、天が、そして民が、いつも見ておる。わしはお主を、その力の為に妻にした、そうは思われたくは、無いのじゃ」

 白雪を見つめて、ファンオウは言う。そよ風が、二人の身体を撫でてゆく。

「ぷっ、あっははははは!」

 やがて白雪が、ファンオウの上で身体をのけぞらせて噴き出した。

「ふむう?」

 白雪を見上げ、ファンオウは首を傾げる。

「聖人君子に見えようとも、そなたもやはり男よのう。男の見栄は、しっかりと持っておるようじゃ。うむ、よう解った。良き妻は、夫を立ててやらねばのう。妾はただの女として、そなたに嫁ぐ。それで、良いのじゃろう?」

「う、うむ。解ってもらえたのであれば、それで、良いのじゃ」

 うなずくファンオウの上から降りた白雪が、隣へ身を横たえる。満天の星空が、寄り添う二人へ降るような無数のきらめきを見せる。風に乗り、黄色い花びらがふわりと彼方へ飛んでゆく。

「……子供の、名前を考えねば、ならぬのお」

 月と星の空を見つめ、ファンオウは言った。

「うむ。何せ二人分じゃからのう。何ぞ、縁起の良いものを……」

「二人分、じゃと?」

「ああ、妾は、双子を孕んだらしいのじゃ。喜ぶがいい、双方、男じゃぞ」

「産みもせぬうちから、判るのかのお」

「判るのじゃ。じゃから、二人分、じゃ。夫婦となったからには、共に頭を捻ろうぞ、ファンオウ」

「ふむう……」

 優しい光と大輪の花に見守られながら、ファンオウと白雪はしばらくの間、語り合うのであった。



 中庭へ続く通路の真ん中で、エリックは崩れ落ちる。エルフの鋭敏な聴覚は、敬愛やまぬ主君と不遜な龍の会話の一部始終を捉えていた。

「莫迦な……あの、気位ばかり高い龍の一族が……有り得ん」

 床についた手が、ぎりりと拳を形作る。軽い睦み合いへと発展してゆく主君の会話に、エリックは己を律し聴覚を鈍くする。そのあたりのことは、エリックといえど弁えてはいた。

「ん? どしたのエリック? 床にゴミでも落ちてたの?」

 何故だ、と床を叩き割らんばかりの衝動を抑えるエリックの耳に、暢気そうな声が届いてくる。

「……お前か、土ミミズ。去れ。お前の相手を、している状況では無い」

「……久しぶりに失礼な呼び方するね。ちゃんとレンガって、呼んで頂戴よ」

 白銀の槍斧を背に差し、女ドワーフのレンガが頬を膨らませる。

「黙れ。今の俺には、余裕が無い。疾くと去れ。そして、中庭には行くな。殿が……取り込み中だ」

 立ち上がり、体勢を立て直しつつエリックは言った。

「ファンオウさんは中庭にいるのね? 丁度良かった。今夜も、腰のあたりを中心に、揉んで貰おうかなって思ってたんだ。そんでもって、あわよくば……うふふ。居場所を教えてくれるなんて、丸くなったものねエリック。一応、お礼は言っておくよ。ありがと」

「ま、待て……くっ」

 大声を上げかけ、エリックは自制する。ファンオウの耳に届いてしまえば、邪魔をしてしまうかも知れない。瞬時に兆した思考が枷となり、そして数舜の躊躇いが仇となった。レンガの腕を捉まえるべく伸ばしたエリックの手が、空を切った。

「取り込み中って言うけれど、別にあたしが行っても構わないでしょ? どうせ、ヒマワリの収穫とかしてるんだろうけれど……んんっ!?」

 軽口を叩きつつ、遠眼に中庭を見やったレンガの全身が、硬直した。山へ住まい、坑道を行き交うドワーフ族の視力はとても良く、そして夜目も利く。そんな種族特性が味方したのだろうか、レンガは中庭でもつれ合うファンオウと童女姿の龍神を、しっかりと目撃してしまったのだ。固まり、小刻みに身を震わせるレンガに、エリックはほとんど確信に近い推論を立てる。

「何を見ている。さっさとこちらへ戻れ」

 完全に動きを止めたレンガの両脇へと手を入れ、持ち上げて離れた場所へ運ぶ。

「エ、エリック……あ、あれ、あれ!」

 中庭の方角を指差して、レンガが口をぱくぱくとさせる。

「お前には、関係の無いことだ。この先一生、な」

「なっ……!」

 口を開いて叫びかけたレンガの首筋に、エリックは容赦の無い手刀を叩きこむ。場を乱しかねない大声は、きゅう、という情けない呻きになって霧散した。

「……全ては、殿のご意志のままに、だ」

 己に言い聞かせるように呟き、動かなくなったレンガを引き摺りながらエリックはその場を後にする。主君の秘め事を覗き見る趣味は、持ち合わせてはいない。強大な力を持つ龍が側にいれば、今は護衛として近くに侍る必要も無い。エリックの中で、素早い判断が下された結果だった。

「殿に、御子が……」

 漏れ聞こえてきた会話の一部に、エリックもまた動揺を抑えきれずにいた。小さく呟きながら歩く背中は時折ふらつき、足を持って引き摺るレンガの頭があちこちにぶつかり鈍い音を立てる。そんな些事など、頭に入ってはこなかった。

 こうして、太陽神殿の夜は更けてゆくのであった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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