のほほん州吏、留守の間の報告を受ける
聖都の中心にある、太陽神殿の奥。柔らかな日差しの降り注ぐ廊下を抜けて、豪奢な椅子の置かれた広間へとたどり着く。旅の疲れは多少あったが、為さねばならぬことがある。椅子へと深く腰を据えて、ファンオウは視線を巡らせる。
同じ旅程を、より苛酷に過ごしてきたはずのエリックに、疲れは見えない。ピンと伸ばした背筋に仏頂面のエルフは、油断なく玉座の御前に控える者たち、そのうちの一人を睨み据えている。
エリックの視線を追えば、三人がいた。文人の礼と祈りの形をそれぞれにとっているのは、オウギとランダである。二人に挟まれるようにして余裕のある立ち姿を見せているのは、レンガだ。それぞれ、ファンオウが留守にしていた領内で、教育、宗教、治安の中核にいた者たちである。
エリックが鋭く眼を向けているのは、普段から仲の悪いレンガではなく、人間の老人オウギに対してだった。痩せた白髪頭の取るに足りぬ存在に見えるこの老人は、ファンオウの敵となり得る存在、元宰相のジュンサイが使っていたという暗部の男と、同じ名をしていた。そして、王都にオウギという老人は、いなかった。
密かに調べ上げていた事実と組み合わせれば、エリックの中では目の前で殊勝に手を組んで頭を伏せているこの男こそ、ジュンサイより差し向けられた刺客であると確信できる。なればこそ、視線に殺気も混じるのである。オウギが暗部の男ならば、これに気付かぬ筈は無い。だが、オウギは動じる風体を見せずにいた。
「レンガさん、まずは留守居を、見事にこなしてくれたようで、ありがとうのお。わしが、こうして、ここに座ることが出来るのは、お主のお陰じゃのお」
両者に流れる微細な気配に、ファンオウは気づく事無くのんびりとレンガへ声をかける。
「どういたしまして。こっちも、好き放題ってわけにはいかなかったけれど、色々楽しんで出来たから。まあ、領主代行なんて、二度は御免だけれどね」
女ドワーフのレンガが浮かべるのは、邪気の無い笑みである。気楽な職人気質を持つ彼女にとって、留守居の仕事の中には息の詰まるものもあったのかも知れない。
「何ぞ、変わったことでも、あったのかのお?」
首を傾げて問うファンオウに、レンガが肩をすくめて見せる。
「ううん、平和そのものだったよ、軍事的には。内政に関しては、ランダに丸投げだし。退屈しのぎに戦士隊に、ちょっと訓練つけてたくらいだもの」
レンガの言葉に、ファンオウの脳裏には先ほど見た鮮やかな戦士たちの動きが甦る。
「なるほどのお。楽しく、やっておったと、いうことじゃのお。見事な、舞い踊りであったからのお」
うんうん、とうなずくファンオウに、レンガが首を小さく横へ振る。
「ああ、さっきのアレは違うの。あたしとしては、もうちょっと楽しいやつを仕込もうとしてたんだけれど、こっちのじーさんが、どうしてもって言うから」
言ってレンガが親指で指すのは、オウギだった。
「領主様、まずは無事の御帰着、お喜び申し上げまする。小生らを含む領民一同よりの、心ばかりの拙き演舞、お褒めに与り恐悦至極にござりまする」
ファンオウの視線が向けられると、オウギがさらに深く辞儀をする。
「うむ。お主も、健勝なようで、何よりじゃのお。領内での、学舎の建設と、教育も、進んでおるようじゃのお。戦士らの顔つきが、一段と、賢く見えるように、なっておったのお」
「はい。彼らには、元より素地がございましてな。子供らも聡く、母親たちも良妻賢母が揃っておりまする。これも、領主様の威徳によるものでござりましょうな」
皺だらけの顔に笑みを刻みながら、オウギは張りのある声音で美辞麗句を語る。その言葉には、どこか不思議な引力のようなものが感じられた。
「子供らと、母も、かのお。皆、正直で明るい、良いものたちじゃが……」
「左様にございます。此度、短き期間にて、領民生徒らに『数学』の概念を広められたのも、まさに父母と子らの繋がりが、あってこそなのでございまするよ」
戦士たちの舞いの話題から出た言葉に首を傾げたファンオウに、オウギがぽんと手を打って見せる。
「繋がり、じゃと?」
「はい。まず、この地は聖都でありますれば、神殿には多くの人々が祈りに訪れまする。手に職を持つ男らや、戦士として仕える者たちをおいて何より、家事を終えた女たちがほとんどでございまする。そこで、大神官であり聡明なる政治家であるランダ殿に、小生は協力を仰いだのでございまする」
水を向けられ、顔を上げたランダが実に良い笑顔でうなずいた。
「こちらにとっても、渡りに船、という提案でしたの。同好の士を増やし、領民全体の学術レベルを引き上げる。まさに一挙両得でしたわ」
ランダの言葉に、ファンオウは首の角度を深くする。ランダの特殊な趣味について、ファンオウは理解をしてはいない。だが、活き活きとしたランダの表情を見て、にこやかにうなずいて見せる。
「良い事ずくめで、あったのかのお。民らが手を取り合い、助け合い、高め合うことは、良いことじゃのお」
「流石は領主様ですわ。耽美をご理解いただけるここは、まるで理想郷ですわ……」
うっとりとした眼で、ランダがファンオウと傍らのエリックを見つめる。そして再び口を開くのは、オウギである。
「趣味趣向はともかく、ランダ殿とその使徒らは、掛け算を含む文章題の考察に優れた学者でもあられるのでございまする。なれば、素地は既に、出来上がっていたということにござりまする。小生がいたしましたのは、そこへ形を加え、民全体へ広めていく、そういうことでございまする」
得意げに語るオウギの前で、エリックが微妙に嫌そうな顔をする。エリックはランダの趣味を理解しており、そこに嫌悪感も持っていた。幾度も自分自身と敬愛する主人を妄想に使われ、珍妙な視線に晒され続ければ、それは無理のないことである。今後は神官のみならず、領民たちからも奇態の眼を向けられると思えば、学術が民の間に広まった代わりの代償は、あまりにも大きい。先ほどのものに加えて、エリックからは新たな殺気がオウギへと注がれる。
「そうして神殿にて知識を得た女たちが、学舎より同じく知識の一片を持ち帰った子供らを相手に、あるいは父兄らと、課題を語り合う。宿した題を解き合うことにより、一家の単位で、学術は浸透してゆくのでございまする。小生はこれを、宿題、と名付けました」
「なるほど、宿題、のお。それが、民らの、絆じゃと、そういうことなのじゃのお」
エリックの苦衷に気付かぬまま、ファンオウはうんうんとうなずく。
「左様にございまする。そうして、戦士らに伝授することが出来たのが、『王の凱旋』。兵の動きとは、集にして個であり、一人一人の陣への理解が、必要となりまする。陣を形作るのは、数学。緻密な計算と数の定理が、あの陣には込められておるのでございまする。王の凱旋にて領主様を迎えたるは、領民の成長を、直にお見せしたかった。その、一念からにございまする」
「うむ。あれは、見事であった。ぱあっと、咲いたヒマワリのような、綺麗な、舞いじゃったのお」
「お気に召していただけて、何よりでございまする。領主様の領民らは、さらに賢く、豊かになってゆきまする。今後とも、我ら一同、尽力してゆきまするゆえ、領主様におかれましては民らを導き、守っていただければ、これ幸いにございまする」
胸の前で手を組み合わせ、オウギが深く腰を曲げる。形の整った文人の礼をもって、報告は終了した。退出してゆくオウギの背を、エリックは睨み続ける。殺気に、応じる気配は無かった。微塵も揺るがず弁舌を振るうその姿には、暗殺者の趣は見当たらない。集めた情報に、誤りがあったのだろうか。エリックの中で、微かな揺らぎが生じる。
「エリック、旅の疲れが、出ておるのかのお。お主の顔に少し、強張りが、見えるのじゃが、のお?」
ぴんと張り詰めたままのエリックの表情に、ファンオウが心配げに声をかける。
「……いいえ、疲れなど、微塵もありませぬ、殿」
答えるエリックの顔には、もう陰は無くなっていた。それはファンオウにしかわからないほどの、微細な変化である。何があろうと、守るだけだ。潔い決意が、エリックの中では成されていた。
「なれば、良いのじゃがのお。明日は、大聖堂横の、診療所へ行こうかと、思うのじゃが、どうじゃろうかのお?」
問いかけるファンオウに、エリックが小さく息を吐いて見せる。
「……お留めしても、行かれるつもりでしょう。ならば、供をします」
「ファどののことも、あるからのお。声を出せぬ原因を、ちと、調べておこうかと、思うてのお」
「国王が、殿に託した娘でしたな。恐らくは、王族の血に連なる者でしょうが……殿は、如何なさるおつもりですか。后として迎えるのであれば、王の一族として、力を得ることも出来ますが」
「そのつもりは、無いのお。ファどのには、好きに暮らしてくれれば、それで良いのじゃが」
ファンオウの答えに、エリックが微笑を浮かべる。
「そうですな。殿は、新たな国家を築かれる御方。旧来の権力などは、無用の長物にございましょう。今日のところは、大聖堂に連れて行き休息を取らせておりますので、明日に呼び出されればよろしいかと」
エリックの言葉に、ファンオウは笑みを返す。王都へ行く前であれば、そんなつもりは無い、と苦笑のひとつでも浮かべたものだったが、暗く寂れた王都の姿を見て、ファンオウの心中に思うものが生じていた。
辺境の片田舎の領主であれど、王国全土に生きる民への安寧を齎すことを考えるならば。今代の国王への忠義はあったが、次代のやり方には、馴染めはしない。いずれ、ぶつかる時が来るかも知れない。そう考えれば、勢いの良いエリックの言葉に、うなずく自身がいた。
「ねえねえ、后として迎えるとか、何のこと?」
思考の渦の中にあったファンオウの意識を、甲高いレンガの声が汲み上げた。
「ふむ? どうか、したかのお、レンガさん」
きょとん、としたファンオウの膝元へ、いつの間にかレンガがにじり寄っていた。
「どうか、したのかのお、じゃないよ、ファンオウさん。お后とか、大聖堂で預かることになった女の子のこととか、そのあたりのこと、詳しぃく、聞かせてくれるかな? ファンオウさんの口から」
レンガは満面の笑みで、けれども眼は真剣そのもので詰問する。
「ふむ。聞いては、おらんかったか。実はじゃな……」
勢いに圧され、ファンオウが口を開こうとしたその時、エリックがレンガの後ろ襟をむんずと掴む。
「殿へ近づきすぎだ。その辺りのことは、俺がとっくりと説明してやる。一応、国事だからな」
「あっ、こら! 離しなさいよこの朴念仁の馬鹿力エルフ! あたしは、ファンオウさんの口から聞きたいの! あーん!」
必死のレンガの抵抗をよそに、エリックがファンオウへ一礼して去ってゆく。手際の良い連行に、ファンオウは呆然としたままそれを見送ることしか出来ない。
「はふぅ……お戻りになられて速攻で、エリ×ファンの嫉妬ムーブが見られるなんて……眼福ですわぁ」
未だに御前にいたランダが、熱い息とともに妄言を吐き出す。
「うむ……その、お主も、下がってよいぞ?」
艶めかしくうっとりと身をくねらせるランダに、ファンオウは控えめに声をかける。
「はい、同士たちへ、この悦びを伝道せねばなりませんので、これにて御前失礼いたしますわ! デュフフフ……」
妖しい笑い声を上げながら、ランダも立ち去った。一人残ったファンオウは、豪奢な椅子に深く腰掛け直し、息を吐く。
「……わしが、変えてゆかねば、ならぬかのお」
白亜に輝く太陽神殿の最奥で、その言葉は暗く、沈んでゆくのであった。
お待たせいたしました! 年末進行モードになり、投稿が遅れがちになりますが、エターナることはないのでご安心ください。細々と書いてゆきますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。




