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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
中天の章
78/103

反逆

 ジュンサイの館の玄関で、エリックはファンオウと離れた。引き離されたのだ、という思いはあったが、弟子のソテツが側につくことは、許された。これから起こることは、恐らく篭絡である、とエリックは踏んでいる。ジュンサイとの直接の面識は無いが、息子のジュンシンを見ていれば、その性格はある程度は予測できる。暗殺をするには、時期が悪い。だから、下手な手出しはしない。そう、何度も自分に言い聞かせる。

 だが、ここは敵の館である。ジュンサイには、南方領のことでファンオウを陥れようとした経緯がある。そうでなくとも、エリックにとって、エルフを弾圧してきた王都の宰相ともなれば、それは敵だった。

 手足の腱を断たれ、長い耳を半ばより切り取られる。そうすることで、身体能力は人間以下となり、残ったなけなしの誇りも耳の先端とともに落ちてゆく。従順になってしまったエルフを見るたびに、腸の煮えくりかえる思いがあった。

「エリック様、どうぞ、こちらへ」

 ファンオウの案内を終えた執事の男が、エリックの元へとやって来る。

「エルフの方、ではないのか」

 皮肉を込めて、エリックは眼の前の男に吐き捨てる。男もまた、エルフだったものだ。だが、ジュンサイに従っている。それはすでに、エリックの中では男はもはや、エルフではない、ということだった。

「御不快でありましたら、お許しを。ですが、エルフの麒麟児でありますエリック様を、いつまでも我らのような凡庸なエルフと一括りにお呼び立てするわけにはまいりませんので……」

「貴様が、エルフだと? 誇りを失い、飼い犬になった者が、まだ、エルフでいられるつもりか」

 噴き出す殺気を、抑えることはしなかった。エリックの腕は自然に男の首へ伸び、ぐいと締め付ける。

「ぐっ、あっ! も、申し訳、ござ、いません! がふっ!」

 咳き込む男を放り投げ、胸倉を掴んで引き起こす。

「貴様がエルフでいたければ、すぐさま首を絞め、舌を噛んで死ぬがいい。それが、エルフの在り方だ」

 辛辣な言葉を浴びせられ、しかし男の眼には、見透かしたような色があった。

「それは、全てが終わった後の、ことでございます、エリック様。まずは、この館にて、会っていただきたい方が」

「誰に会わせるつもりだ。腱を切り落とし、耳を削ぐ下法の医師か」

 エリックの問いに、男が首を横へ振る。

「いいえ。お会いしていただくのは……国母様です」

 聞いた瞬間、全身が固まった。そうなると解っていたように、男がエリックの手から逃れ、襟を正す。

「国母……様? 我らの、旗印たる、森の、国母様、だと?」

 見開いた眼に、冷や汗が落ちる。

「お気持ちは、お察しいたします。ですが、間違いなく、国母様なのです。その国母様が、エリック様への面会を、求められているのです。大陸のエルフ全ての頂点に立つ、ハイエルフとして。これは、正式な要請になります、エリック様」

 しきたりを重んじ、決して森の外へは出ようとしなかった。厳格で美しい、女王であった。国母に仕えることこそが、エルフ族の誇りである、とさえ言えた。武芸を磨く旅に出たエリックでさえ、その胸の中に決して小さくない、崇拝の念を抱き続けてきた存在である。それが、

「なぜ、ここにいる……?」

「それは、直接お聞きになられると良いでしょう。国母様は、全てをお話になられるおつもりです」

 こちらへ、と再度促され、エリックは覚束ない足取りで男の後を追った。館の裏庭へと抜け、小さな霊廟の地下へと下ってゆく。暗い祭壇の裏側に、隠れた扉があった。開け放てば、光の指さぬ通路が見える。男もエリックも、ともに闇は視界の妨げにはならない。明かりも灯さず、ひたひたと二人の足音だけが、通路に響いた。

「こちらへ、どうぞ。私は、ここでお待ちしております」

 古びた、石の扉があった。魔法の仕掛けも何もない、ごく普通の扉である。本気を出さずとも、軽々と打ち壊すことは、出来る。それを確かめつつ、エリックは扉の中へと足を踏み入れた。

「よう、いらっしゃいました、エリック。私の、可愛い同胞よ」

 行く先に、ぼんやりと輝く女がいた。ほっそりとした肢体を、布衣とは違う造りの簡素な衣装に包んでいる。見た目は少女のようで、しかしその気配には、底知れぬ年月を経たもののみが持つ、重みがある。

「国母……様」

 即座に膝をつき、武人の礼を取ろうとしたエリックを、女は片手を挙げて止めた。

「お前の望まぬ礼など、必要ありません、エリック。今、お前の心の中には、強い困惑が見えます。それを解いて、赤心より私に礼を尽くしたいと思わば、礼を受けましょう」

 魂に響くような、涼やかで美しい声色で放たれたそれは、厳しい拒絶であった。

「わかりました。国母様の、望まれるようにいたしましょう」

 礼の姿勢を解き、エリックは改めて国母に正対する。衣の裾からすらりと伸びる手首にも、ぴんと張った長い耳にも、人間への隷属の証は見えなかった。

「お前の困惑は、私にはよくわかります。森にいてエルフの民らを導く立場の私が、何故ここにいるのか。まずは、それを語るとしましょう」

 エリックの視線の動きを、透明な光を宿す瞳で見つめていた国母が、ゆっくりと言った。

「お聞かせ、ください」

 促せば、国母は小さくうなずく。

「森に、一人の人間が、やってきました。ほんの、五十余年前のことです。お前が森を出て、しばらくの後のことです。野心に溢れた、それは青年でした。静謐な森には似合わぬ、濁った熱と野望を持った青年は、私に助力を求めてやってきたのです。人間の王国の、存続のために」

 遠くを見つめる国母の瞳に、強い感情が揺らいでいる。それは、国母を知る者からすれば、異常であると見て取れる。国母は常に平淡であり、そして平等であった。だからエリックも、咽喉の奥から上がりそうになる声を、堪える必要があった。国母の話は、まだ始まったばかりなのだ。

「九度、私は彼を追い払いました。千年の昔に結んだ友誼はあれど、人間の都に出たエルフたちは、残らず陰惨な運命を辿っていると、星見には出ていましたから。実際に、森を出て都へ来てみれば、それは本当だったのですが……ともあれ十度目に、折れたのは私のほうでした。千年続いた国を、もう千年。それで、国家は不壊のものとなる。幾度か会ううちに、彼の野望の火は、私の胸にも移ってしまっていたのでしょうね」

 眼を閉じ、国母は薄い胸へ自らの右手を当てる。

「会うことを、やめることは、出来なかったのでしょうか」

 エリックの問いに、国母は首を横へ振る。

「不思議な、魅力を持つ青年でした。一度会えば、会わずにおれば静謐を保つことの出来なくなるほどに……私の、亡き伴侶とは違った、激しいものを持つ人間でした」

「………」

「情に絆されて、というだけではありません。人間の国家が乱れては、再び大陸を争乱が覆いつくし、戦火は森にまで届くことになるでしょう。千年も経てば、人間の持つ技術とて進歩をします。森を枯らし、焼き尽くすことの出来るものが、やがては現れるでしょう。滅びの運命を、森の民へ押し付け傍観することは、私には、出来ません。ゆえに、十度目にやってきた青年に、私はこの身を託したのです」

 歌うように、国母の言葉には熱が篭ってゆく。対照的に、エリックの心はどこまでも冷たく、冷え切っていた。

「戯言に、心を動かされてしまった。そういうことですか」

 断じるエリックへ、国母が眼を鋭くした。

「戯言? 私には、彼の言うことが、一族の未来を救うことだ、そう判断できましたが」

 国母の言葉に、エリックは首をゆっくりと横へ振る。

「所詮人間の国が、千年続こうが、二千年続こうが、争乱の種火は消えることはありません。まずは千年、保たれたこの国の平和が、どれほど危ういか。国の頂点たる王が惰眠を貪る間に、末端の民がどれほど苦しんでいるか。そして、我らエルフの誇りが、どれほど傷つけられているか……この場にいて、知らぬわけではありますまい。国母様の身を寄せた、ジュンサイとて今は失脚の身。たったひとつの例外を除き、人間は乱を好むのです、本質的に。ゆえに、永久の平和を望む我らの理想が、この国を存続させることで叶えられることは、ありません」

「たったひとつの、例外……? それは、お前の仕える主」

 国母の言葉を遮るように、エリックは強くうなずく。

「我が殿ファンオウ様、ただ一人です。乱を孕むこの世界において、唯一無二の王の資質を持つ御方です。俺のようなエルフや、ドワーフ、邪神の力によって蛮族と変えられた民、蜥蜴族……殿は、あらゆる存在を、民として受け入れる、懐の広い御方です。二千年の後の永劫の平和を望むのであらば、殿こそがその礎となるに相応しい。いや、殿以外にはおりますまい。俺は、そのように考えています」

 言葉に篭る熱が、逆転していた。国母のエリックを見つめる瞳にあるのは、冷たい、拒絶ともいえる光である。エルフの頂点たる国母にその視線を向けられ、エリックの胸の中に、いや魂の中に、ちりりとした痛みが走る。

「愚かな。時は、人を変えるのです。この国の初代も、お前の言うように王の資質を持つ人間でした。ですが、血が続くうちに、それは喪われ、それでも国を想うことのできる、ジュンサイのような男が現れた。なれば、この国は……」

「滅んでしまえばいい。歪みに満ちた、人間の国家など。栄枯盛衰の理に従い、朽ちてゆくべきだ。そうして、俺は殿と共に、殿を王として、不朽の国家を、創り上げて見せましょう」

 訴えかける国母の言は、エリックによって切り捨てられた。両者の間に、深い、沈黙が訪れる。

「……森を出たお前にも、エルフとしての責務は、あります。エルフとして、生きているならば」

 やがて口を開いた国母が言ったことに、エリックは努めて冷静に首を振る。

「殿の歩まれる道に、この国は、いえ、ジュンサイは必要ありません。そして、国母様に従うのが、エルフとしての責務であるのならば……俺を縛る枷は、どこにもありません」

 真っすぐに、エリックは国母を見据えて言う。

「何故? 私は、エルフを束ねる、ハイエルフの女王。お前がどれほど変わろうと、私に仕えることは、お前の血に刻み込まれた、魂の摂理なのですよ?」

 心底、不思議そうな顔をして国母が言った。外見に相応の、少女のような疑問顔。ふっと、昔の表情を見つけ、エリックの中にほんの少し、逡巡が生まれそうになる。だが、今のエリックは武人である。森にいた頃とは、違う。武の駆け引きをもって対すれば、一個の存在として、国母を見返すことが、可能であった。

「国母様は、死にました。俺の中では。森を出られたという、その日に。俺の前にいるのは、生き恥を晒し、殿の敵を助ける、年経た女というだけの存在です。俺はエルフの誇りに懸けて、ジュンサイを倒します。国母を騙る貴女に従った、哀れな同胞たちと一緒に」

 静かに言い放ち、エリックは懐から短剣を取り出し、国母の前に置いた。

「お前のしようとしていること、それは反逆です。エルフの全てを、乱世の戦火に放り込むような」

「まだ、森におられるおつもりでしたら、その剣でどうぞ自害をなさいませ。それが、俺の贈る最後の慈悲です」

 国母の言葉を断ち切るように、エリックはくるりと背を向け、歩き出す。

「エリック! この、国母の言葉が聴こえぬか! 慮外者! 裏切り者! 森と一緒に、血も捨ててしまったか!」

 金切り声が、耳の側を抜けてゆく。応じず、エリックは石の扉へ手をかけた。

「ならば、お前は私の、いえ、我らエルフの敵です、エリック! 私たちの全てをもって、お前と、そしてお前の仕える主、ファンオウを滅ぼしましょう!」

 開いた石の扉の向こうへ身を入れて、エリックが国母を振り返る。その表情には、美しくも凄絶な、冷笑が浮かんでいた。

「やれるものならば、どうぞ。全て打ち払い、皆殺しにして差し上げましょう。最早、俺に慈悲はありません」

 言葉に、国母がびくりと身体を震わせた。鼻を鳴らし、エリックは悠然と暗い通路へ向けて歩き始める。後ろ手に石の扉を閉めてしまえば、もう呪詛の言葉は聞こえてはこなかった。

「……殿には、言えぬな」

 表情を落とし、誰にも聞こえないくらいの小さな声で、エリックは呟くのであった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら、幸いです。

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