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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
中天の章
77/103

のほほん州吏、深夜に招きを受け影の重鎮と密会す

 領主の館は、王宮からはさほど離れていない場所にある。王都に住まう貴族たちの増減に合わせ、街並みは幾度か変化を遂げることはあった。だが、王に仕える者として、側を固めるという風習は、依然として続けられていた。たとえ貴族たちが、その意味を忘れてしまった、千年の後の今でも、である。


 帰路も、馬車だった。灯の無い王都は暗く、そして静かだった。正面にいるラドウと、御者台にいるエリックが、ぴりぴりとした気配で黙りこくっている。それなりに、危険なことが、あるのかも知れない。思いつつ、ファンオウは隣へちらと眼をやった。

「………」

 女官が、虚ろな眼で馬車の窓を見つめている。改めて見ればその顔立ちは幼く、恐らく化粧で誤魔化しているのだろうが、まだ少女といってよい年頃とも見えた。

「ファどの、王宮の外は、珍しいかのお?」

 話しかければ、女官の少女ファは、ゆっくりとファンオウへ顔を向ける。やはり、その顔にはあどけなさの名残が見えた。

 こくん、と小さくうなずいたファに、ファンオウは柔らかく微笑みかける。ラドウも、エリックも、緊張感を出し過ぎている。居心地が、良くない空間だった。

「わしの、おった頃は……もう少し、賑やかじゃった、気がするのじゃが、のお。夜に、出歩く人の姿も、無い。皆、早寝になって、しもうたのかのお」

 ファンオウの言葉に、ファは首を傾げるばかりである。

「……政治が、変わったのです、ファンオウ様」

 言葉を出せぬファのかわりに口を開くのは、ラドウであった。

「政治が、変わった? どういう、ことかのお?」

 問いかけるファンオウにラドウが答えようとしたとき、馬車が停まった。

「殿、屋敷の前に、見慣れぬ馬車がおります」

 御者台から小窓を通して、エリックが言った。

「見慣れぬ、馬車、のお? 王都にやってきたばかりの、わしの所へ、一体誰が、来るというのかのお?」

 首を傾げ、ファンオウがのんびりと言った。ラドウが立ち上がり、御者台の方へと眼を向ける。

「……あれは、前宰相の、ジュンサイの家の馬車のようで」

「なんと、ジュンサイどのが、わしを訪ねる……? 何の、用事じゃろうかのお?」

「対応は、フェイ様がしておりましょう。俺が、ひとっ走り行って聞いて参ります。エリック様、馬車はこの場に止めておいて下さい」

 言ってラドウが馬車の戸を開けて、足音を立てずに駆け去ってゆく。ふっと闇に消えるような身のこなしに、ファンオウの細い眼が大きく開かれた。

「あやつも、頑張っておるのじゃのお」

「気配の消し方は、まだまだですが、人間にしてはやるようになった、というところです、殿」

 馬車を停め、馬を静かにさせつつエリックが言う。

「お主にかかれば、何者も、まだまだ、ではないかのお、エリック?」

「それは、買い被りです、殿。俺とて、認めている人間はいます。イグルも、その一人ですが……」

 エリックの口から出た親友の名に、ファンオウは遠くを見つめる眼になった。

「イグルか。あやつは今、どうしておるのか、のお。元気でおってくれれば、良いのじゃがのお」

「それが……あまり良い話を、聞きませぬ。西の果てで、消息を絶ったとか……ジュンシンに訊いてみたのですが、はぐらかされてしまいました。フェイからの報告にも、上がっておりません」

 エリックが、右手に嵌めた指輪を示して言う。それは魔法の指輪で、王都にいるフェイと言葉を交わすことの出来る品物である。これを用いてエリックは、王都の情報をフェイから伝え聞いていた。

「ふむ……便りの無いのは、良い便り、とは、言うのじゃがのお」

 額に眉を寄せて言うファンオウの前を、風が通り抜ける。開け放たれたままの馬車の戸が、ひとりでに閉まった。

「お待たせいたしました、ファンオウ様」

 気が付けば、目の前の空席にはラドウがいた。

「おお、戻ったか。して、ジュンサイどのは、何用じゃと?」

「ファンオウ様を屋敷に招き、月を肴に酌み交わしたい、とのことです。宰相の座を引かれて後は、たまにそういうことをなさる、とは聞いてはおりましたが、こちらへ姿を見せるのは、初めてのことです」

「月を肴に……だと? 殿、どう考えても罠でしょう。行くべきではありません」

 ラドウの報告に、エリックが眉を吊り上げる。

「わしを、罠にかける。それは、どんな意味があってのことかのお?」

 ファンオウは、首を傾げた。

「それはもちろん、南方領、旧ブゼンの領のことでありましょう。奴は、思い通りに行かなかった殿への仕置きを、自ら私刑をもって為そうというのです」

「あの件については、もう、終わっておることじゃ。辣腕で知られたジュンサイどのが、いつまでも拘ることは、あるまいて。それに、お主がおれば、たとえどんな企みがあろうと、問題は、無いのではないかのお、エリック?」

 ファンオウの言葉に、エリックが眼を剥いて見せる。

「殿!? よもや、奴の招きに、応じるおつもりで?」

 エリックの問いに、ファンオウはうなずく。

「王都の様子のこと、陛下の御身体のこと、そしてイグルのこと……一番、詳しく知っておるのは、恐らく、元宰相閣下の、ジュンサイどのであろう。問いに、答えが得られるか、それは解らぬが、行ってみるのが、一番じゃと、わしは思う。エリックは、反対かのお?」

 問いかけに、エリックの顔が引き締まる。

「殿の、仰せであれば。いかな死地からも、俺は殿を守り切ってご覧に入れましょう。エルフの誇りに懸けて」

 右拳を、左掌に当ててエリックが武人の礼を取る。

「なれば、決まりじゃのお。ラドウよ、すまぬが、もう一走り、してくれぬかのお?」

「畏まりました。こちらの女官は、どうなさいますか?」

「屋敷へ入れて、客人として丁重にもてなせ。それから、ソテツを呼んでくるのだ」

 ラドウの問いに、答えるのはエリックである。眼で確かめてくるラドウにファンオウがうなずくと、ラドウは再び影になって消えた。

「ファどの、すまぬが、そういうことで、しばらくはわしの屋敷で、くつろいでおいてくれるかのお?」

「………」

 ファはしばしファンオウを上目遣いに見つめた後、小さくうなずいた。

「ラドウは、ああ見えて、よく気の付く男じゃ。それに、屋敷には、フェイという、家令もおる。しっかりと、言い含めておくゆえ、お主が、何も案じることは、無い」

 ファに微笑みかけて、ファンオウは穏やかに言う。微笑を返すファの顔には、どこか硬いものがあったが、納得はしたようだった。


 エリックとソテツを伴いファンオウは、ジュンサイの用意した馬車でジュンサイの屋敷へと向かった。エリックの運転よりも荒いそれは、お世辞にも良い乗り心地とは言えない。だが、馬車の中で三者とも、黙して揺れに身を任せていた。

「到着いたしました。ご降車を」

 御者の声に誘われ、エリック、ファンオウ、ソテツの順に馬車を降りる。王都の貴族街の中心地、豪奢な屋敷の建ち並ぶ一角である。石積みで出来た塀に囲まれて、ジュンサイの館もまた豪奢であった。

 前庭の馬車停まりからは、少し歩く。手入れの行き届いた庭の様子を眺めつつ、ファンオウは館の玄関へと足を踏み入れた。

「ようこそ、お越しくださいました。エルフの方は、どうぞこちらへ」

 迎え入れたのは、一人の執事である。美麗な、人間離れをした顔立ちをしている。張り出した耳が、半ばから断たれたように消えているところを除けば、その男はエルフであるといえた。

「俺は、殿の側を離れぬ。ジュンサイに、そう伝えろ」

 ぴくりと眉を動かしたエリックが、男に言った。

「それは、困ります。我らの主、ジュンサイ様はエルフの方が同席されることを、望んではおりません」

 無表情に僅かな困惑を加え、男が言った。

「なれば、力づくで通っても良いのだぞ?」

「それも、困ります。ですが、ジュンサイ様は……」

「良い、エリック。わしは、ジュンサイどのに、会いに来た。喧嘩をしに来たのでは、無い」

 押し問答となりそうな雰囲気の両者の間へ、ファンオウが割り込んだ。

「殿……」

「じゃから、この先へは、ソテツを連れて、行こうと思う。ソテツは鬼じゃ。エルフではない。なれば、良かろう?」

「は、はい……ジュンサイ様より言付かっておりますのは、共に来られるエルフの方には、別室にお通しせよ、とのことでございますので」

「なれば、それで良い。エリックよ、そなたが鍛えたソテツがおれば、ひとまずはわしの身は安全じゃ。ジュンサイどのとて、あまり大きなことを起こすつもりは、あるまいて。じゃから、ここはひとまず、言う通りに、してやってはくれぬかのお?」

 ファンオウの言葉に、ソテツも無言でうなずく。今のソテツを打ち負かせるものは、エリックをおいて他にあらず、というところまで鍛え抜かれている。それは、エリックが一番よくわかっていることである。

「……館の中の気配、魔力、ともに測ってみたところ、それほどの敵もございません。なれば、ここは殿の仰せに従います。ソテツよ、事あらば、お前が身を盾にして、時間を稼げ。殿の身の一片は、お前の命よりも重いものだと心せよ」

 不承不承、といった様子でエリックはソテツを見つめて言った。ソテツは再び、黙ったままうなずく。

「……無論、我らの主、ジュンサイ様もそのような謀は、いたしません。ですのでご安心をもって、今宵の月見を、どうぞお楽しみください」

 顔色を変えず、執事の男が言う。

「すまぬのお。わしを、案じるとなれば、どうにも、幼子のような扱いを、受けてしまうでのお。これも、忠義の成せる心として、ひとつ、許してやって、くれるかのお」

 強引に笑い声を上げながら、ファンオウは男を促した。

「忠誠を捧げる相手こそ違えど、気持ちは斟酌いたしております。ご心配なさらず。では、こちらへ」

 言って案内をする男の声音の中に、心なしか柔らかいものを感じる。安堵しつつ、ファンオウはソテツを連れて館の奥へと進んでいった。

「こちらへ……」

 通されたのは、薄暗い一室だった。部屋の中には大きな窓があり、青白い月の光が仄かに差し込んでいる。窓辺には卓が置かれていて、酒杯が二つ、そして酒瓶がひとつ、立っている。

「月は、斯様にも美しい。それを愛でる心を、いつしか忘れていたらしい。宰相の任を離れた今、それを感じることのできるこのひとときを、嬉しく思う。よく、招きに応じてくれた、州吏ファンオウ殿」

 謳うような調子で、卓の傍らに立った初老の男が言った。老いのさしかかったその顔に似合わぬ、炯々と光る眼が射竦めてくる。気弱な者が見れば、ぎゅっと心臓を鷲掴みにされるような、恐ろしさを秘めた眼光である。

「月の光が、今もあるは、国王陛下の、御業でございます。しかしながら、月には、叢雲が、差し掛かっておる様子。これは、如何なことじゃと、それをお聞かせ願いたく、参上した次第で、ございまする、元宰相ジュンサイどの」

 朗々と返辞をするファンオウは、柔和な表情でジュンサイを見つめ返す。短い沈黙が、二人の間を流れた。領民に慕われ、神のごとく敬われるファンオウと、王国の民に、蛇蝎のごとく嫌われる元宰相のジュンサイ、視線の交錯には、両者ともに複雑な想いがあった。

「然れば、まずは一献」

「はい」

 卓の側へと歩き、ファンオウは盃を手に取った。一本の木から削り出したと見えるそれは、見事な木目をそのままにした芸術品のような品物である。ファンオウの盃に、ジュンサイが酒を注ぐ。まろやかな芳香の立ち昇る、芳醇な酒である。一口含めば、華やかな味わいが口の中へと拡がってゆく。

「では、ご返杯を」

「うむ」

 もう一つの盃を手にしたジュンサイへ、ファンオウも酒を注ぐ。ゆったりとした、優雅ささえ感じさせる所作で、ジュンサイが酒を口にする。しばし、静かな時間が、流れていった。

「どうだ、そなたの眼から見て、今の王都は?」

 問いを発したのは、ジュンサイであった。

「……暗く、静かで、ございます。わしが、以前おった王都とは、見違えるようですのお」

 淡く光る月を見つめて、ファンオウは素直に語った。

「そなたは医術で国王陛下を支え、儂は政を、司っていた。それが、この国に、光と活気を、齎しておったのであろう。だが今は、全てが変わった。そう、全てがな」

 ジュンサイもまた、月に顔を向けて言う。その声には、どこか国を憂うような、哀愁があるようにファンオウには感じられた。

「全て、ですかのお?」

「左様。そなたを咎め、逆に咎めを受け、儂は宰相の地位を自ら退いた。退き時では、あったのだ。国の為、王の為良かれと思って政をしてきたが、民からは怨嗟の声が止まぬ。千年続いたこの国には、新たな風が、必要だったのだ。そう思い、儂は身を退いたのだが……ファンオウよ、新たな宰相のことは、知っておるか?」

「いえ、何も、存じては、おりませぬのお。今日、王都へ着いたばかりで、すぐに王宮へ、呼ばれましてのお。そういえば、昼間、ご子息に、会いました。ジュンシンどの、と仰いましたか。真っすぐなご気性の、良いご子息で、あらせられましたのお」

「……シンは、我が息子ながら政を軽んじ、兵を動かすことに明け暮れる愚か者だ。近衛に回せば、それなりの自覚も出ると思っていたのだが……それは、いい。新しい宰相が、この国を今、奈落へ突き落そうとしているのだ、ファンオウ。儂の後釜に、あのような男が入ると解っていれば、儂は、あと十年は、何としても宰相の地位を離れることは、無かったものを」

 息子のことを語るジュンサイの声音には、温かみは感じられなかった。そして、冷淡な感情をより一層冷ややかなものにして、ジュンサイが言う。

「国を、奈落へ……? どういう、ことでございますかのお、ジュンサイどの?」

「政よ。奴は、政を私して、己の思う通りに国が、民が動くことを、愉しんでおる。まるで、新しい玩具を手にした子供のようにな。それでいて、国王陛下に取り入る術には、長けている。いや、正確には、次期国王陛下、と言った方が良いかも知れんな」

「次期、国王陛下といいますと、第一王子の」

「ギョク王子だ。病床にある陛下を放り出して、畑などを耕しに行っている。新宰相とともにな」

 忌々しげに吐き捨てるジュンサイへ、ファンオウは眼を向け首を傾げる。

「畑を……? 王族の方が、宰相閣下とともに、土をいじられる、ということですかのお?」

「そうだ。十年先、王宮の財政は破綻する。その前に、国王直轄の畑を作り、そこで採れるものを商人どもへ高価で卸す。銭を得つつ商人の腐敗を戒める、一挙両得の策である、などと連中は嘯いておる」

「王宮の財政が、破綻、ですと?」

「税を今の十分の一にする、などという施策をすれば、そうもなろう。やれ重税だ何だと、騒ぐ民たちに踊らされた結果のことだ。儂とて、好きで税を重くしていたわけではない。そうせねば、国が立ち行かぬのだ。千年続く間に、王国はその体内に膿を抱え込み過ぎた。それは国王陛下自身の、御身体に障るほどにな」

「陛下の、御身体のことを……何か、存じて、おられるのですか?」

 じっと見上げるファンオウの視線に、ジュンサイは巌のような横顔を見せる。月を見上げるその眼には、ただ月の光が映り込み、瞳の中に青白い真円があるのみだった。

「……今の陛下は、儂の頃の、重税をよしとしてきた国の象徴だ。いかに新たな風を受け容れようとも、そのお姿には常に古い時代の影が纏わりつく。そして、新宰相は、ギョク王子に取り入って、新たなことを始めている。それはつまり、陛下は、見限られたとみることができるのだ。新宰相とギョク王子の創り出す、新たな時代の風に、な」

「なんと……そんな、そんなことが、あって、よいものですか」

「よくはなかろう。子は、親を敬うべし。忠孝の教えに、背くことになる。恐るべき、大罪であろう。そして、これは推測に過ぎぬのだが……国王陛下は、ギョク王子と新宰相に、命を縮められようとしているのではないか、と思われる」

「命を……?」

「そうだ。王宮から身を退いていても、聞こえてくるものはある。そなたも、陛下に会ったならば、感じたのではあるまいか? 今の陛下には、死相が出ておる、と」

「陛下は……もう、長くは生きられぬ、そう、見えました」

 鍼を打ち、少しは命を長らえたであろう国王の、それでも弱り切った寝顔を思い出し、ファンオウは眼を伏せる。傍らで、ジュンサイの眼が一瞬、尋常でない光を帯びた。

「そうか。そなたであっても、最早救えぬか……なれば、もう一度、この老骨に鞭を打って、立たねばならん時が、来ているということか」

 穏当ではない言葉を聞き、ファンオウは顔を上げる。そのときにはもう、ジュンサイの眼は元の通りの冷徹なものへと戻っていた。

「ジュンサイどの、何を、なさるおつもりですか?」

「親を殺して変えた国などに、真の安寧などは無い。そのことを、思い知らせるまでのこと。いずれ、大事が起きる。それを、食い止めねばならぬ。千年の後、もう、千年。時を経ることが出来れば、王国は不変となり、不滅となる。ここで終わらせるわけには、ゆかぬのだ。ファンオウよ、そなたの力を、儂に貸してはくれまいか? そなたとて、陛下にはひとかたならぬ恩を受けておるのであろう。なれば、我らの志は、ひとつであるべきだ。そなたが望むのであれば、ブゼンの領していた地も、正式に下賜していただくよう、陛下に願い出てみることもできる。全ては、そなたの決断ひとつだ、ファンオウ」

 じっと、ジュンサイがファンオウを見下ろしてくる。その視線には、野心や、裏心などは、一切ない。ファンオウには、そう感じられた。

「……時間を、いただけますかのお、ジュンサイどの」

 見つめ合う視線を先に逸らし、ファンオウは言う。

「いかほどの、時間だ。あまり、長くはないぞ」

 何が、とは言わないが、ジュンサイの言わんとすることは、ファンオウにも理解は出来た。

「……実は、陛下より、密命を、受けておりましてのお。一度、領へ戻らねば、ならぬのです。ゆえに、今は、十全な状態で、ジュンサイどのに、合力することは、出来ませんでのお」

「陛下より、密命……? 」

 探る様な眼を向けられ、ファンオウは布衣の袖を探る。屋敷へ戻ったときに、少しだけ、持ち出して来たものがあった。

「わしの領でのみ、採れる不思議な種です。これを、陛下が、お気に召されましてのお」

 取り出して見せるのは、ヒマワリの種である。ジュンサイが一粒を手に取って、しげしげと見つめる。

「……何の変りもない、種に見えるな。このようなちっぽけなものを、取りに戻るのか、果無の山を越えて」

「それが、陛下の、御望みでございますからのお」

 言って、へらりとファンオウは笑う。しばし、厳しい顔で見つめていたジュンサイの表情から、すとんと力が抜けた。

「……そうか。そなたは、そういう人間であったか」

「はい。ですので、合力のことについては、その後でまた、ということで」

「良い。領へ戻り、陛下の為に種でも何でも作っておれ。大人しくしておれば、火の粉は飛んではゆかぬ」

 ふん、と鼻を鳴らし、ジュンサイは盃の酒を一気に呷って背を見せた。

「用は済んだ。眠りたければ、床を用意するが」

「いえ、従者を、待たせておりますので、失礼いたします」

 一礼するファンオウに、ジュンサイは背を向けたまま面倒そうに手を振った。入口の執事の男に促され、そのままファンオウは退室する。

「身の裡に獅子でも飼っておるのかと思えば……あれは到底、野心の持てぬ面構えよ。放っておいても、構わぬだろう……」

 くくく、と薄闇の中で笑うジュンサイの低い声は、ファンオウの耳には届かなかった。厳めしい顔をしたソテツを連れて、暢気な足取りでファンオウはジュンサイの館の玄関へと向かう。着いたときには中天にあった月も、帰る頃には空の端へと沈みかけていて、静かな街並みには朝の光が訪れようとしていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

次回も、少し投稿が遅くなります。申し訳ありませんが、どうぞご了承ください。

今回も、お楽しみいただけましたら、幸いです。

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