のほほん州吏、懐かしい顔に再会を果たし王都に至る
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筏に曳かれた大船が、雄大な大河の流れに乗り始める。すっと筏を追い越した舳先から、綱が切り落とされてゆく。筏の上で大きく手を振るギョジンに、ファンオウも手を振り返す。ギョジンの率いていた筏の群れは、すぐに見えなくなった。
風が、頬を撫でる。船尾で、筏の居なくなった河面を見つめたまま、ファンオウは動かずにいる。側には、エリックが並んで控えていた。
「気持ちの良い、風ですな、殿」
「そうじゃのお」
ぽつりと言うエリックに、のんびりとした口調でファンオウは答える。望洋とした視線は、揺れる河面の波をじっと、見据えていた。
「褐色の戦士たち、並びにソテツの容態は、快復した模様です。やはり薬を与え、陸で休ませたのが良かったのでしょうな」
「そうじゃのお」
ハキハキとしたエリックの声は、どこか遠くから響いてくる音のように、ファンオウには感じられた。
「このまま流れに乗れば、今日の夕刻前には、王都の南の船着き場へ、たどり着けるそうです。なに、遅れるようなことがあれば、俺が水夫長の尻を、蹴飛ばしてやります、殿」
「そうじゃのお」
「……殿」
「船室へ、戻ると、するかのお」
「白雪が、姿を消しておりますこと、殿のご心労と関係があるのでしょうか」
ゆっくりとファンオウは首を動かし、エリックへ眼をやる。美しい双眸が、真っ直ぐに見返してくる。
「よう、わかるのお」
「殿のお側へ、最も長くおりますのは俺です。気づかぬ筈が、ありません」
視線を、河へと戻す。
「白雪は、行って、しもうた。満足したゆえ、しばし、寝床へ、帰るそうじゃ。お主がおれば、まず危機は、無いじゃろうと、言うておったがのお、エリック。それでも、どうにもならぬ時は、天へ向かって、妾の名を呼べと、そう言って、滝より天へ、昇って行って、しもうた」
感傷が、残された。呼べば来る、と言うが、傍らには、居ない。それだけで、重苦しい何かが、ファンオウの胸にずっしりとのし掛かってくるのだ。
「勝手なものです、龍というのは。欲に忠実で、そして傲慢なのです。世界のものはすべて、我の為にある。そんなことを、嘯くモノどもなのです、殿」
「そうかのお。龍というものは、一様に、そうであるのか、のお? わしは、白雪以外に、龍を、知らぬゆえ……」
「殿を、付けなくなりましたな」
エリックが言うのは、ファンオウの白雪に対する呼称のことだ。
「うむ。他人行儀で、好かぬ、と言うのでのお」
「左様ですか」
「左様じゃ。のお、エリック。お主は、わしよりも、長いときを、生きておる。なれば、このようなときに、どうすれば良いか、解るのであろうか、のお?」
ファンオウの問いかけに、エリックは首を横へ振る。
「生憎と、俺は恋などとは、無縁でありましたので」
「恋、のお……これは、恋慕の情、なのかのお」
胸に手を当てて、ファンオウはしみじみと言う。
「それは、殿自身の中に、答えを見つけるものです。龍を娶るにしろ、王の娘を娶るにしろ、殿はみ心のままに、決めるべきです。それを邪魔立てする者があらば、俺が見事、打ち砕いてご覧に入れましょう」
美貌に微笑を浮かべ、低い声でエリックが言う。ファンオウは、こっくりとうなずいた。
「そうじゃ、のお。さて……ここで、悩んでおっても、仕方がない。船室へ戻り、少しばかり、ギョジンどのに戴いた、酒でも、飲まぬか、エリック?」
「俺には、殿の身辺をお護りする任務があるのですが……まあ、たまには良いでしょうな。ソテツの船酔いも、快復していることです。船が着くまでは、あやつに任せてみるとしましょう」
「お主と、差し向かいで飲むのは、いつぶりであったか、のお。イグルも、交えておった頃に、なるかのお」
「そうですな。俺があいつを叩きのめし、酒が飲めなくなった折りは、度々ありました」
「うむ。その頃から、数えるには、遠くなりつつ、あるかのお」
エリックを伴って、船室へと向かう。ギョジンから貰った酒精の強い酒の酔いは、船の揺れも手伝い、ファンオウの中でよく廻った。エリックと昔を懐かしみ、ここには居ない親友の話をぽつりぽつりとするうちに、ファンオウはうとうとと、まどろみ始めていた。そう思った時には、意識はすでに飛んでいた。
「殿、起きてください、殿」
エリックに揺すられ、うっすらと眼を開ける。
「船着き場へ、到着いたしました。王都より、迎えも来ております」
言われて、慌てて身支度を整える。とはいえ、布衣の着替えはすぐさまやって来た使徒のオネが、手早く済ませてしまう。差し出された水を飲めば、あとは船を降りるだけだった。
渡し板から陸へ上がると、懐かしい顔があった。
「おお、ラドウではないか。王都より、迎えが来たとは聞いたが、お主じゃったとは、のお。息災で、あったかのお?」
にこやかに尋ねるファンオウの前で、布衣姿の髭面の男、ラドウが膝をつく。右拳を左掌に打ち当てるのは、武人の礼である。
「はい。王都より、お迎えに上がりました、ファンオウ様」
「うむ。ご苦労じゃったのお」
礼を受けてうなずき、ファンオウは視線をラドウの隣へ向ける。
「ところで、そちらのご婦人は、誰かのお? 何となく、見覚えの、あるような……」
ラドウの斜め後ろで顔を伏せ、跪く女がいた。
「そのゆったりとした喋り方、懐かしいね、のほほん様」
顔を上げた女は、愛嬌のある笑みを浮かべて言う。色香と人懐っこさが同居するその表情に、そして彼女の呼び方に、ファンオウの中で遠い記憶が蘇る。
「お主は……もしや、アルシェさん、じゃったかのお?」
「大正解っ! 元気そうで、何よりだよ、のほほん様!」
言いながら、女はファンオウに飛び付いた。柔らかな、肉感的な重みに、よろめきつつもファンオウはそれを受け止める。
「変わらぬのお、アルシェさんは」
「あはは、のほほん様も、相変わらず……ん? ちょっと、変わったかな?」
「アルシェ。ファンオウ様にご迷惑だろう。離れろ」
抱きついたままひくひくと鼻を動かすアルシェに、ラドウが苦い顔で言う。
「あれあれ? もしかして、妬いてるの、ラドウ?」
「……少しはあるが、違う」
そう言ったラドウが、髭に覆われた顎でファンオウの背後を示す。
「失態だな、ソテツ」
そこではエリックが、ソテツに厳しい顔を向けていた。
「女、動く、気配、無い、でした。殺気、無い、動き、読めない、です」
たどたどしい言葉の弁解を、エリックは取り合わず拳をソテツの横顔へぶつける。鈍い音が、鳴った。
「お前の役目は、殿の警護だ。船を降りて、気配を探ることを怠った結果が、この様だ。読めぬ気配を読む術を、俺は教えていた筈だ。あの女が刺客であれば、殿は窮地に陥っている。油断が過ぎるぞ、ソテツ」
「はい、師、エリック。俺、油断あった、です」
悄気かえるソテツに、まあまあ、とファンオウは手を伸ばしかける。そこへ、横合いからラドウの声が割り込んだ。
「お前……ソテツ、か?」
「ラドウ。そう、俺、ソテツ」
二人の間に、僅かな沈黙が過る。ラドウがまだ聖都にいたころ、ソテツはまだ、痩せた小鬼の姿をしていた。一年と半年。その間にソテツは大きく成長し、痩身長躯の威丈夫となっていたのだ。ラドウが驚くのも、無理のない話だった。
「お前も、エリック様に鍛えられているのか」
問いかけるのは、ラドウもファンオウに仕え始めた頃に、同じようにエリックの容赦の無い叱責を受けたことがあるからだ。
「俺、剣、教わる。ファンオウ様、守るため」
うなずいたソテツとラドウの間で、何かが通じ合う。
「お前も、少しは変わったようだな、ラドウ。纏う気が、少しは大きくなった」
エリックが、ラドウへ鋭い眼を向けて言う。
「俺など、まだまだです、エリック様。王都での任務は、常にそれを思い知らせてくれます」
「そうだな。まだまだ、だが……丁度、いいかも知れん。ラドウ、荷下ろしが終わるまで、少し時間がある。ソテツと、打ち合ってみろ」
「俺が、ソテツと……? あ、いえ、承知しました。ソテツが良ければ、この場にて」
訝しむ表情を浮かべるラドウであったが、エリックの無言の圧力によりすぐさまうなずいた。ソテツに異論を挟むことなど出来はせず、すぐさま二人は向かい合う。
「ラドウは、腰のものを使え。ソテツは、これだ」
言ってエリックがソテツに投げ渡すのは、材木の端切れを削っただけの木剣だった。尋ねる視線をエリックへ送るのは、ラドウである。だが、エリックがうなずいて見せれば、ラドウは大人しく腰に差していた剣を抜き、ソテツに正対する。二人の距離は、およそ五歩の位置である。踏み込めば、あっという間に互いの武器は届く間合いだ。
「エリック……」
「今のソテツには、必要なことです、殿。そしてラドウにも。俺の見立てでは、大きな怪我を負うことは、まずありません」
「お主が、そう言うのであれば、止め立ては、出来ぬのお」
自信たっぷりに言うエリックに、ファンオウは小さく息を吐き、二人を見守る。
「む、うう……」
唸りを上げるのは、ソテツである。木剣を真っ直ぐに構えるソテツの前で、ラドウは不思議な構えを取っていた。己の剣を逆手に持ち、正対するソテツから刃を隠すように背に回し膝を軽く落とす、そんな構えだ。言い知れぬ、不気味な気配に、ソテツは戸惑っていた。
しばらくの、対峙が続く。そして、先に動いたのは、ラドウであった。ソテツの前で、ラドウは構えを変える。今度は、ソテツと同じように、剣を真っ直ぐに立てる構えだ。同時に、ラドウの身体から不気味な気配が消え、闘気が溢れ出す。それは、武術に暗いファンオウをして、ごくりと唾を飲むほどの気迫であった。
「やっぱ、そうなっちゃうよね、ラドウは」
その気迫を前にして、アルシェが小さく息を吐く。安堵のような落胆のような、そんな態度にファンオウが首を傾けようとした、そのとき。
「ああああっ!」
ラドウが大きく剣を振りかぶり、ソテツに斬りかかった。応じるソテツの体が、ぴくりと動く。ファンオウに見えたのは、そこまでだった。気が付けば、ラドウの剣が、くるくると宙を舞って、地面に突き立っていた。ラドウの肩口に、ソテツの木剣の切っ先が、ポンと置かれる。勝敗は、瞬きの間に落着していた。
「……強く、なったな、ソテツ。参った、降参だ」
「ラドウ、強い。気、力、深く、ある」
にっと笑うラドウに、ソテツが笑み返す。爽やかなものが、二人の間にはあった。
「それが、王都で覚えた剣か、ラドウ」
問いかけるエリックに、ラドウがうなずく。
「はい。ソテツにも、見せておいた方が良い、剣です」
「そうか」
短く言ったエリックが、ソテツの手から木剣を受け取る。三者の中には、通じ合う何かが、あるらしい。判らぬなりに、ファンオウにもそれだけは感じられた。
「見事じゃのお、ラドウも、ソテツも」
素直な賛辞を贈れば、二人が恐縮した様子で一礼を見せた。
「三人とも、のほほん様が寂しがるから、それくらいにしておきなよ。ほら、荷下ろしも、終わったみたいだし。早いところ、出発しようよ!」
元気なアルシェの言葉に促されるように、一行は船から馬車に乗り換え王都を目指す。幸いにして旅路は順調に進み、聖都を出てから丁度十日めに、ファンオウはついに、王都の土を踏むこととなったのであった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回も、お楽しみいただけましたら、幸いです。




