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のほほん様と、殺伐世界  作者: S.U.Y
中天の章
74/103

月夜の滝にて

投稿が遅くなり、申し訳ありません。

たくさんのブクマ、ポイント等、大変励みになっております。

 ギョジンら河族の隠れ家にしている入り江の裏手、ほんの近くのところにその滝はあった。あまり身体を動かすのが得意でないファンオウでも、月明かりを頼りに大徳利を片手にして、あっさりと着くことができた。してみれば、滝を容易に訪れることの出来るよう、態々滝の近くにこの隠れ家は、作られたのかも知れない。

「今宵も、月は、綺麗じゃのお」

 流れ落ちる滝を前に、空を見上げて呟いた。滝音に、声がかき消されてゆく。大きな生き物の、腹の中にいるような、不思議な感覚に、包まれている。青白い月の光に、ファンオウはそんなことを思った。

「ほんに、良い月夜じゃのう、ファンオウや」

 傍らに、いつの間にか白雪の姿があった。

「白雪殿。ここは、龍神を祀る場所じゃと、聞いておるが、そうなのかのお?」

 動じることなく、白雪へ問いかける。

「はて、ここをそのようにせい、とは命じた覚えもないのじゃがな。妾のお気に入りの場ゆえ、手出しはせぬよう、少し驚かした、それだけのことじゃ」

「お気に入り、のお。確かに、良い、眺めじゃのお」

 月光を浴びて河面に落ちて行く飛沫が、きらきらと夜気に溶けてゆく。それを目にしてみれば、素直にうなずくことが出来た。

「外も良いのじゃが、()()最高じゃぞ。ファンオウよ、そなたは特別じゃ。案内してやるゆえ、妾の手を、取るがよいぞ」

 促されるままに、ファンオウは差し出された幼い手を取る。白雪は童女の顔に似合わぬ嫣然とした笑みを浮かべ、手を引いて滝の中程へ繋がる細道を歩き出す。

「怖ければ、しがみついても構わぬぞ?」

 ごうごうと水音の響く中、からかうような白雪の声が明瞭に耳へと届く。

「こうして、お主が手を、引いてくれておる。それだけで、大丈夫じゃ」

 足元さえ覚束ない、闇の中である。だが、白雪に告げた言葉は強がりではなく、ファンオウの足取りは、のんびりと崩れない。

「闇を、怖れることはない、か。流石は、太陽の神気を持つ男じゃのう」

「お主を、信じている。ただ、それだけのことじゃて、のお」

 カラカラと朗らかな笑い声が、滝に打たれて落ちてゆく。そうしているうちに、二人は滝の間近までやって来ていた。

「近くへ来れば、飛沫が、かかるのお」

 濡れた布衣の裾を握ると、染み入った水が滴り落ちるほどである。

「妾の衣は水で作ったゆえ、気にはならぬのう。まあ、ちと待っておれ。もうすぐなのじゃ」

 言いながら、白雪が手を引いたまま、滝の流れへと歩みを進める。叩きつける瀑布に、小さな身体が呑み込まれる、そう思った時には、滝が真っぷたつに割れていた。そして、そも奥には、真っ暗な空洞があった。

「さ、来やれ」

 平然とした様子で、白雪が奥へと進む。続いて空洞へ入ったファンオウは、闇の中に輝く一点の光を見つける。

「ふむ? 小さな、光が、見えるのお」

 白雪の手が、ファンオウの手の中からするりと抜けた。

「白雪殿?」

 呼び掛ける声は、入り口の水音にかき消されてしまう。月の光も届かず、耳に入るのは滝の音ばかり。しばし、ファンオウは瞑目して立ち尽くす。乾いた空洞の地面から、雄大な大地の気を感じる。地面に、立っている。当たり前の感覚に、己自身を浸してゆく。体内から聴こえてくる、呼吸と心音。変わらず続くものへ耳を傾けていれば、心は平常のままでいられた。

「大した、ものじゃなあ。腰も抜かさず、立っておれるとはのう」

 やがて、闇の中から声が聞こえてきた。

「白雪殿、かのお?」

 首を傾げ、問いかけるのはその声が、聞き覚えのある幼い声ではないからである。

「そうじゃ。妾じゃ。よう、わかったのう」

「なんとなく、わかったのじゃよ。闇の中へ身を置けば、自然と、感覚が、鋭くなる。エリックが、そう言っておったことが、あってのお。なるほど、こういう、ことなんじゃのお」

「心眼、というやつかのう。まあ、よい。妾じゃと解れば、色々と手間も省けようというもの。そのぶん、逢瀬をたっぷりと、楽しめるのじゃ」

「ふむ。なれば、何故声が変わった、などは聞かぬほうが、良いかのお」

「声だけでなく、姿も変わっておる。そなたと……いいや、まだ尚早じゃな。まずは、そなたを測らねばならぬ」

 すぐ側で、何か柔らかなものがファンオウの頬を撫でた。

「測る、とな?」

「そうじゃ。妾の(つがい)となるに、相応しい器を持つものであるか、どうかをのう」

「それは、また、急な話じゃのお。白雪殿とは、知りおうて、まだ、それほど時は、経ってはおらぬが、のお」

「妾が、そうなりたいと思うたのじゃ。時間など、関係無い。ゆえに、何故に関しての問答は無用じゃ。そなたは、ただ、妾の問いに、赤心をもって、答えれば良い」

「ふむ……そういう、ものかのお。なれば、良かろう。ひとまずは、白雪殿に、任せてみると、するかのお」

「……仕掛けた妾が言うのもなんじゃが、そなたはまことに暢気じゃのう。じゃが、それもまた、そなたの持つ、気質なのやも知れぬ。では、始めるかのう」

 直後、ファンオウの全身へ、凄まじい圧力のようなものが襲い掛かってくる。

「お、おお……」

 それは、肉体的な負荷を伴うものではない。心の奥を、押さえ込み、圧し潰さんとするものである。恐怖でも、畏怖でもない、名状しがたい、得たいの知れないものだった。

「妾の龍気を受けて、なお立っていられるとはのう。鈍いわけではなく、肝が据わっておるのじゃな。まずは、重畳。では、問うぞ」

 白雪の声に、ファンオウは小さくうなずいた。余分な言葉を、発する余裕などは無い。圧力を受けたまま、問われたことに答えるしか、なさそうだった。

「そなたは、何者になりたいのじゃ、ファンオウ?」

 永劫にも感じられる、しかしそれは僅かな間をおいて、放たれた問いかけだった。

「民を、安寧に、導ける者に、わしは、なりたい」

 前方の、闇を真っ直ぐに見据え、ファンオウは言った。

「全ての民を、そなた一人でか」

「友や、仲間は、おる。じゃが、それもまた、安んじるべき、民、じゃからのお」

「なれば、そなたは王になるか」

「王、じゃと? わしは……」

「民の為に己を捧げ、孤独に生きる者。それが、王じゃ。そなたの目指す道の、果てにあるものぞ?」

「わしは、一領主に、過ぎぬ。国王陛下を、裏切るつもりは、無い」

「なれば、領の外にある民は、何とする? 妾とて、大地に住まう人間の様子は、少しは見えておる。安寧とは程遠い。それを、知らぬわけではあるまい」

「それは……陛下に、進言して、ゆくしか……むむう」

 肩へのしかかる圧力が、増した気がした。

「そなたがたとえ命を張ったとしても、それは意味をなさぬ。そなたも、解っておろう。じゃから、重みが増すのじゃ。この国は、長く続きすぎた。長く続けば、腐ってゆく。それが、人間の国というものじゃ。妾から見れば、とうに寿命は尽きておる」

 それでも、と言うことは、出来なかった。心のどこかで、認めてしまっているのかも、知れない。

「わしは、領主としても、至らぬ身じゃ。王になっては、余計に、民を、苦しめることに、なるやも、しれぬ」

「気弱なことじゃのう。まあ、そこも可愛いところでは、あるがのう」

「それに、先も言ったが、わしは、国王陛下を、裏切ることは、出来ぬ。昔の、ちっぽけな、鍼医師のわしに、気さくに語りかけて、くださった陛下を」

「人のしがらみか。厄介なものを、背負い込んでおるのう」

「わしは、民の為に、いきてゆくつもりじゃ。この身が、果て落つる、そのときまで、のお。じゃから、お主の番には、なれぬ。お主だけを、大事とは、思っては、やれぬのじゃ」

 言い切ると、訪れた時と同じく唐突に、圧力が消えた。闇の中から、低く笑う白雪の声が届いてくる。

「やはり、良いな、そなたは」

 眼の前に、温かなものがふっと近づいた。あっと思う間もなく、ファンオウの口に柔らかなものが触れる。闇に慣れた視界にあるのは、妖艶な色香を漂わせる、大人になった白雪の顔だった。小柄なファンオウを覆うように、白雪はファンオウを抱き、何度も口付けをする。

「し、白雪っ、どの……」

「そこまで言われてしまえば、ますます、そなたが欲しゅうなった。これは、そなたがいけないのじゃ。そなたが……」

 ファンオウの布衣が、するりと解かれた。

「白雪殿……」

 肌に触れる熱いものに、何度も口を吸われて呼吸もままならぬファンオウの意識に、白雪が絡みつく。

「滝の音に耳を傾け、闇に踊る光虫たちを眺めておれば、すぐに終わる。そなたも男ならば、覚悟を決めよ」

 滝音が静かに、力強く流れる。艶めいた男と女の声を呑み込んで、雄大に水は流れ落ちてゆく。月は中天にあり、青白く輝くばかりであった。

今回も、お楽しみいただけましたら、幸いです。

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